もう10年も前になるだろうか。衝撃が強すぎてところどころ記憶が曖昧、というか抜け落ちているのだがこんなことがあった。
私が転職して間もない頃の話だ。当時の担当エリアは北陸三県と新潟県で距離もあった為に、比較的出張することが多い勤務内容だった。
特に新潟県は横に長く、佐渡ヶ島も含む為、上越・中越・下越・佐渡と4つに区分けされる程で、仕事量を考慮した宿泊先には新潟市と長岡市を選択することが多かった。
今回語るのはある暑い日のことだ。余談だが日本海側の夏はなんというか蒸すのである。湿気が皮膚について汗と混じり合う。そんな蒸し暑い日のお話。
私はいつものように出張の予定を立てていた。3泊4日の日程だ。新潟市と長岡市のユーザーに訪問のアポを入れていく。ある程度予定が詰まった段階で宿を探す。探すとは言ってもいつも泊まるホテルは大体決まっている為、今回もネットでそのホテルのプランを選ぶだけだ。しかし常宿のプランが出てこない。2番手候補も3番手候補も埋まっているらしく出てこない。ホテルに電話して聞いてみると、なにかの学会やら集会やらが集中しているらしく、市内のホテルはどこも混んでますよとのこと。
ホテルによってはネットに出していないが空いているケースもある為、とりあえず手当たり次第に電話をかけてようやくホテルを確保。初めて泊まるホテルだった。予約を入れた後に場所の確認をした。私はこの時、なんとかなるもんだツイてるな、ぐらいの気持ちだった。
その日は仕事に手間取り、少し遅めのチェックインとなった。薄暗かったので19時を過ぎたあたりだったろうか。恒例の飲み会もその日は無く、コンビニで買った弁当と缶ビールを楽しみに駐車場に車を放り込む。正面から見るそのホテルは普通のシティホテル・ビジネスホテルの類いで、ただどこかしら時代を感じる造りだった。
実のところ全く印象に残っていないのだが、男だったのか女だったのか、年齢がいっていたのか若かったのか。ともかくカウンターに向かうと事務的に手続きが進められた。唯一記憶に残っているのは、部屋までのエスコートがあったことだ。リゾートホテルでもあるまいし、と思った。「窓から川が見渡せるんですよ」と言われ、ホテルはリバーサイド、なんて歌が頭をよぎった。ドアを開けた。
角部屋だったのだが、入室する時になんとも言えない肌感覚が襲ってきた。まとわりつく、としか説明できないが気持ちの良いものではなかった。ただし季節は夏であり、蒸し暑さ故なのだろうとたいして気にもしなかった。
部屋の中の調度品はこれといった特徴のない物でまとめられていた。ビジネスホテルにありがちな作業机にテレビとポットとシェードランプが乗っていた。机の上の壁面には鏡がかかっており、窓側の壁面には花が描かれたありふれた静物画がかかっていた。ベッドは白のシーツで覆われていた。
缶ビールを飲みながらコンビニ弁当を食べた。テレビのニュースを見つつ、PCを起動してメールのチェック。その後軽く残務処理をしてからシャワーを浴びる。お茶をすすりながらスポーツニュースを見る。なんてことはない、いつもの出張時のパターン。
22時。異変はここから始まった。テレビが映らなくなったのだ。すぐさまフロントに連絡。結論から言うと、部屋に来た男性職員は全く役に立たなかった。口をついて出てくる言葉は「おかしいですね」だけ。埒があかないので帰した。ショートしたりすると困るなということで、電源プラグはコンセントから抜いておいた。ところが今度はPCがおかしい。ネットに繋がらなくなったのだ。もうめんどくさくなって寝ることにした。
寝る時はテレビや室内の電気を消す。空調とPCはつけたままだ。これは未だに変わることのない習慣になっている。その日ももちろんそうした。
ふと目が覚めるとテレビが映っていた。砂嵐を見つめながらしばらく目を開けていた。頭の芯がぼーっとしていたがふと我にかえる。
「電源は抜いてある」
同時に体が動かないのを感じる。金縛りというやつだ。以前一度だけなったことがあったのでそれは気にならなかった。問題はそこじゃなかった。
「ベッドに誰かがいる」
横を向いてテレビが乗っている机方面に体を向けて寝ていたのだが、明らかに背中に熱を感じる。いやそれは正確じゃないかもしれない。熱いわけではなく、自分の体温以外の温度を感じたのだ。
「ベロリ」
首筋を下から上に舐め上げられた感触があった。体は動かない。ここに至ってパニックに陥る。咄嗟に声にならない叫びをあげた。
体が動くようになった。舐められた首筋はびっしょりと濡れていたが、自分の冷汗との違いがわからない。とにかく電気をつける。PCはついたままだ。ネットにも繋がる。しかし
「テレビもついたままだ」
電源プラグがコンセントに接続されていた。混乱が収まらない。PCの時計を確認すると3時だった。再度寝ることなど絶対に不可能だ。とはいえどうしたら良いかもわからず、部屋の中を右往左往する。人間というのは冷静でない時は間違った選択をしがちだ。やってはいけないことをしてしまう。不安に駆られて部屋中を捜索してしまったのである。そして見つけたのは
「大量の御札」
鏡の裏、静物画の裏、ベッドの下。1枚や2枚じゃない、びっしり貼られていたのだ。恐怖以外の感情が見当たらず、ここに至ってチェックアウトすることにした。
深夜のカウンターで取り乱す私を見てフロント係は「あぁ…」と呟き、「お代は結構です」と言った。急ぎ駐車場に向かったが、白み始めた景色でまず目に入ったのはホテルの隣にある墓地だった。
<あとがき>
冒頭でも書きましたが、実は本当に記憶が欠落しています。新潟市、ビジネスホテルかシティホテル、隣に墓地、川沿い、というポイントは間違いないと思うのですが、ホテル名すら忘れています。約10年前のことなのですが、それほどショックが大きかったのでしょうか…。どなたか心当たりのある方教えてください。最後に一応言っておきますが
「呼んでません」
以上、ご静聴ありがとうございました。