「絶歌」読了。個人的な感想を記したい。
余りにも、世間の常識的な反応とはかけ離れた感想になってしまうが…正直に言うと、「読んで良かった」が感想となる。
私に関しては、完全に読む前の考え方は覆された。
批判を覚悟の上で書いた元少年Aにも、大変な批判を受けることを分かった上で出版に踏み切った太田出版に対しても、私は理解をしたい。そう言える内容だった。
まず、文章力・表現力だが、本当はゴーストライターが書いたのではないかと疑いたくなるほどのかなりしっかりした文章である。比喩表現が多少行き過ぎているところが多い気はするが、読み辛いというところまではいっていない。自身の置かれた状況やシチュエーションが目の前に浮かんでくる文章であり、読み応えは十分すぎるほどある。
そして、体験や心情をかなりしっかりと思い出せている。少年院にいる間に、ずいぶん時間をかけて自分と向かったのだろうか…。犯した過ちから背を向け逃げているわけではなく、ちゃんと向かい合っている、と私は判断した。そうなると、彼の「体験」は極めて特異なものであり、そこから紡ぎだされる心情や考え方は「貴重なサンプル」ともいうことは出来る。
本書は2部構成となっており、最初に「あの当時に何があったのか」を中心に話が進み、後半部分に医療少年院を出た後にどのような11年を過ごしてきたのかを記されているのだが、この元少年Aの目から見た凶悪事件への見解や感想なども綴られており、それはやはり大変に興味深い文章だった。私以外にもそこから何かを感じ取れる方々もいるにはいるだろう。
本書を読んでいないテレビのコメンテーターなどが、
「犯罪を誘発するのではないか!」
「印税で犯罪者がもうかるのは許せない!」
と憤っていたが、それに対しては反論したい。少なくとも、犯罪を誘発するような内容のものでは全くない。それは読めばわかる。そして、元少年Aは許しがたい犯罪を犯し、法治国家日本のルールに従って裁かれ、処分を受けた。色々な意見が外野席から飛ぶことは理解はするが、文句があるのであれば、それはご自身が選挙に出馬し、法改正を行えば済む話である。
元少年Aはすでに、日本国の定めるところのルールに従い「罰」を受けている。
それに対して文句が言いたいのであれば、まずは司法に対して文句を言い、彼の更生のために様々尽力した人間たちに言えばいい。それ以上に文句があるのであれば、先ほども言ったように、まずは法を改正すべきだ。少なくとも、罪を犯し、それに対する「罰」を受けた元少年Aが、本も読んでいない外野席のヤジに批判される必要はない。せめて文句があるのであれば、この本を全文しっかりと読んでから言え、と言いたい。本当に、読む前に思っていた通りの感想であるのであれば、だ。
もちろん元少年A、並びに出版元である太田出版は、せめて被害者家族である両ご家族に仁義を通すべきだったとは私でも思う。特に…元少年Aが会いに行けないのであれば、太田出版だけでも、この原稿を持って行った上で、被害者となった当時小学3年生の女子児童のご家族と小学5年生の男子児童のご家族、この両者には絶対に許可を求めに行った方がよかったものと思う。でなければ、いらぬ傷を再び刻んでしまうことになったろう。そこは間違っていた、と断罪されるべきことである。
しかし、それらを考慮しても、この本には読む価値はあると私は思いたい。
元少年Aは、犯した罪と影響の大きさを理解し、慎重に気配りをしながら、それでも「伝えたいこと」がありペンをとった経緯が本書には丁寧に記されている。
私は以前、大手テレビ局に勤めていた時期に、最初についた仕事が「風化しそうな事件を、もう一度検証し直そう!」という企画だった。6年間、延べ300回近く続いたその企画では、100人近い事件や事故の被害者家族と向き合い、苦しい、つらい心境を何度も吐露していただいた経験がある。私もインタビューをしながら何度、共に涙を流したか分からない。
ある日突然訪れる、その理不尽極まりない状況に、ある人は心を閉ざし、ある人は心を病み、犯罪被害者はみな、本当に苦しんでいる。
日本の司法は、現段階では、あまりにもこの「犯罪被害者」に対して軽く扱いすぎいている、というのが私の基本的な日本の司法に対するスタンスだ。そこに罪がある以上、もっと厳しく裁かれるべきことは多々あると思う。
特に現在の日本は、無菌状態が大好きだ。キズモノはどれだけ回復させようと真剣に頑張っていたところで、誰も相手にしない人間が多い。昔のキズモノも同じだ。表面上だけでもピカピカの人間しか相手にしたがらない日本人は少なくない。その考え方や価値観自体が、すでに病んでいるものとも知らずに。
この本を書いた元少年Aは、そんな日本社会の中で、もがきながらもそれでも懸命に生きようとしている。そしてそのカッコ悪い姿をさらそうとしている。そんな人間まで叩きのめして、自分をかりそめの安心に浸らせる趣味は私にはない。
本書には「反省」も多数出てくるのだが、それ以上に、とにかく随所随所に出てくるのは「感謝」だ。人に触れ、家族の温かさを知り、その度に、自分の罪の重さをかみしめる様子が伝わってくる。特に元少年Aのご家族が、とても素晴らしい家族であることがしっかりと綴られている。
繰り返すが、多くの方々が想像している内容とは少し違うと思う。
私は、この本は世に出して良かったと思える内容になっている、と感じた。被害者ご家族も、どうかいつの日かで構わないので、お読みいただきたいと思う。この本を読むことによって、むしろ救われる何かがあるような気がする。それだけの内容になっている。
力を込めた、魂の宿った1冊である、と私は思った。
余りにも、世間の常識的な反応とはかけ離れた感想になってしまうが…正直に言うと、「読んで良かった」が感想となる。
私に関しては、完全に読む前の考え方は覆された。
批判を覚悟の上で書いた元少年Aにも、大変な批判を受けることを分かった上で出版に踏み切った太田出版に対しても、私は理解をしたい。そう言える内容だった。
まず、文章力・表現力だが、本当はゴーストライターが書いたのではないかと疑いたくなるほどのかなりしっかりした文章である。比喩表現が多少行き過ぎているところが多い気はするが、読み辛いというところまではいっていない。自身の置かれた状況やシチュエーションが目の前に浮かんでくる文章であり、読み応えは十分すぎるほどある。
そして、体験や心情をかなりしっかりと思い出せている。少年院にいる間に、ずいぶん時間をかけて自分と向かったのだろうか…。犯した過ちから背を向け逃げているわけではなく、ちゃんと向かい合っている、と私は判断した。そうなると、彼の「体験」は極めて特異なものであり、そこから紡ぎだされる心情や考え方は「貴重なサンプル」ともいうことは出来る。
本書は2部構成となっており、最初に「あの当時に何があったのか」を中心に話が進み、後半部分に医療少年院を出た後にどのような11年を過ごしてきたのかを記されているのだが、この元少年Aの目から見た凶悪事件への見解や感想なども綴られており、それはやはり大変に興味深い文章だった。私以外にもそこから何かを感じ取れる方々もいるにはいるだろう。
本書を読んでいないテレビのコメンテーターなどが、
「犯罪を誘発するのではないか!」
「印税で犯罪者がもうかるのは許せない!」
と憤っていたが、それに対しては反論したい。少なくとも、犯罪を誘発するような内容のものでは全くない。それは読めばわかる。そして、元少年Aは許しがたい犯罪を犯し、法治国家日本のルールに従って裁かれ、処分を受けた。色々な意見が外野席から飛ぶことは理解はするが、文句があるのであれば、それはご自身が選挙に出馬し、法改正を行えば済む話である。
元少年Aはすでに、日本国の定めるところのルールに従い「罰」を受けている。
それに対して文句が言いたいのであれば、まずは司法に対して文句を言い、彼の更生のために様々尽力した人間たちに言えばいい。それ以上に文句があるのであれば、先ほども言ったように、まずは法を改正すべきだ。少なくとも、罪を犯し、それに対する「罰」を受けた元少年Aが、本も読んでいない外野席のヤジに批判される必要はない。せめて文句があるのであれば、この本を全文しっかりと読んでから言え、と言いたい。本当に、読む前に思っていた通りの感想であるのであれば、だ。
もちろん元少年A、並びに出版元である太田出版は、せめて被害者家族である両ご家族に仁義を通すべきだったとは私でも思う。特に…元少年Aが会いに行けないのであれば、太田出版だけでも、この原稿を持って行った上で、被害者となった当時小学3年生の女子児童のご家族と小学5年生の男子児童のご家族、この両者には絶対に許可を求めに行った方がよかったものと思う。でなければ、いらぬ傷を再び刻んでしまうことになったろう。そこは間違っていた、と断罪されるべきことである。
しかし、それらを考慮しても、この本には読む価値はあると私は思いたい。
元少年Aは、犯した罪と影響の大きさを理解し、慎重に気配りをしながら、それでも「伝えたいこと」がありペンをとった経緯が本書には丁寧に記されている。
私は以前、大手テレビ局に勤めていた時期に、最初についた仕事が「風化しそうな事件を、もう一度検証し直そう!」という企画だった。6年間、延べ300回近く続いたその企画では、100人近い事件や事故の被害者家族と向き合い、苦しい、つらい心境を何度も吐露していただいた経験がある。私もインタビューをしながら何度、共に涙を流したか分からない。
ある日突然訪れる、その理不尽極まりない状況に、ある人は心を閉ざし、ある人は心を病み、犯罪被害者はみな、本当に苦しんでいる。
日本の司法は、現段階では、あまりにもこの「犯罪被害者」に対して軽く扱いすぎいている、というのが私の基本的な日本の司法に対するスタンスだ。そこに罪がある以上、もっと厳しく裁かれるべきことは多々あると思う。
特に現在の日本は、無菌状態が大好きだ。キズモノはどれだけ回復させようと真剣に頑張っていたところで、誰も相手にしない人間が多い。昔のキズモノも同じだ。表面上だけでもピカピカの人間しか相手にしたがらない日本人は少なくない。その考え方や価値観自体が、すでに病んでいるものとも知らずに。
この本を書いた元少年Aは、そんな日本社会の中で、もがきながらもそれでも懸命に生きようとしている。そしてそのカッコ悪い姿をさらそうとしている。そんな人間まで叩きのめして、自分をかりそめの安心に浸らせる趣味は私にはない。
本書には「反省」も多数出てくるのだが、それ以上に、とにかく随所随所に出てくるのは「感謝」だ。人に触れ、家族の温かさを知り、その度に、自分の罪の重さをかみしめる様子が伝わってくる。特に元少年Aのご家族が、とても素晴らしい家族であることがしっかりと綴られている。
繰り返すが、多くの方々が想像している内容とは少し違うと思う。
私は、この本は世に出して良かったと思える内容になっている、と感じた。被害者ご家族も、どうかいつの日かで構わないので、お読みいただきたいと思う。この本を読むことによって、むしろ救われる何かがあるような気がする。それだけの内容になっている。
力を込めた、魂の宿った1冊である、と私は思った。
コメント
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誰しも1度は考え、自分なりの回答を出すか、もしくは回答を放棄し、問い自体を忘れ日々を生きてゆく。
少年Aが捻り出した答えは、驚くほどに呆気のないものでした。
少しばかり考えれば誰もが、まず間違いなく辿り着く答えでした。
ですが、それ故でしょうか。
その答えに重みを感じたのも事実です。
絶歌を読み、ただ1つ言えることは、少年Aは確かに苦しんでいるということ。
それは前科があるから就職できないとかそんなものではなく、自分の犯した罪によるものだということ。
私も出版されてこれはすぐ読みました。騒動が落ち着いてきたので、もろもろの背景を抜きで内容に特化してコメントしますが、私も「貴重なサンプル」だと思います。
内容のすべてを評価できるわけではありませんし、特に前半部は刺激的な内容が多くて気分を害しました。ただ、「どうして人を殺してはいけないのか?」という質問に対して実体験を基にして答えが書かれているので、その点では非常に勉強になりました。もしこの本を読む前この質問をされたら、「人間として当たり前」とか「法律で定められている」とか「好きな人が殺されたらいやでしょ?」いうありふれた答えしか思いつかなかったと思いますが、282ページのような答えがあり、その答えの解説も十分に書かれています。筆者も294ページの一番最後で
”せめて、この本の中に、皆様の「なぜ」にお答えできている部分が、たとえ本の一行でもあってくれればと願ってやみません。”
と言っていますが、そういった道徳的教示の部分では「貴重なサンプル」であり、評価されるべきだと個人的には思います。でも評価はそれだけだと思います。
自己救済のための執筆には賛同できませんし、出版社の手続不備、ご遺族の配慮を総合的に考慮すると評価に値しない駄作かもしれません。
この一文に非常に共感しました。
今の日本国民のほとんどが自分の履歴書に一つでも✖︎印が付かないか、びくびくしながら窮屈に生きていると思います。
この絶歌は、そういった失敗の許されない日本の社会背景も考えさせると思います。
私は、本や映画など、世の中の事の何にしても、内容を知りもしないで批評する連中は大嫌いなので、今回この本を読まずに批判したニュースのコメンテーターに憤りを感じます。ましてや、所謂タレントだとしても、全国放送のニュース番組という公的な場で、そういった発言をするのは、許し難いと思いました。
ただ、私もこの本を読んだ上で、絶対に遺族に出版許可を取るべきだったと思います。この一点については、元少年A並びに太田出版は非難されるべきですし、謝罪もするべきです。
ワイドショーやニュース、新聞で連日報道され、少年が捕まった時の衝撃は今でも忘れません。
遺族や亡くなった子を思うと、私にはこの本は購入しません。どんなに反省や感謝が綴られていても、無理でしょう。出版社には怒りしか感じません。
この本の印税を元少年Aがどの様に使用するかが、彼の本当の気持ちだと思っています。印税や執筆料等の使用目的の公表は未だにありませんが、遺族や犯罪者被害者への助けになるように使用するべきと考えます。
ただ、この本を購入する人の批判もできません。私も生まれる前の、昭和初期の残虐な殺人事件や海外の猟奇殺人事件(手記ではありませんが…)など興味本位で購入し読んだ事もあります。
事件を知らない世代は、抵抗なく読む方も居るでしょう。将来、私の娘達が手に取る日がくるかもしれません。事件を風化させないという一点に関しては意味があるのかもしれませんね。
出版された以上、多くの書店が取り扱わない事を望みます。
元少年Aを隠れ蓑に、好きなこと書いて出版されたら、ご遺族はたまらないですよ。
出版社も出版に理解を求めるべく、ご遺族に何かしましたか?一切してないようですけど。
なんだかんだと御託言っても、そういう不誠実な態度に、結局儲けたいだけだろ!と、
思わずにはいられません。
印税はすべてご遺族にお渡しするとか明記してあれば、また違った印象かもしれません。
でも実際どうするんだか。
犯罪者が犯罪を元に稼いではいけません。
日本も早く法整備すればいいのに。
金儲け臭がプンプンするから、みな嫌悪感を抱くのでは?
この本、自分が救われたくて書いたんですよね?
ご遺族の気持ちを無視して。
恐ろしいエゴの塊です。
元少年Aも出版社もやり方が汚い!
ご遺族に、一生穏やかな日常が戻ってくることはないでしょう。
お気の毒でたまりません。
私からすると長谷川さんの意見は別の角度からの意見であり、
とても参考になりました。
ただ、この本は"なんのため"に書かれたものか、未だに全くわかりません。
今後このような事が起きないようにするため、にしては、
あまりにもデリカシーが無いのではないか、と思います。
そして被害者も含めご両親のことを考えると、胸が痛くて仕方ありませんでした。
これは単純な私の意見です。
どうして読もうと思ったかというと、なぜあのような事件が起きてしまったのか単純に知りたかったからです。
本を読む前は家庭環境に問題があったのではないか?と単純に思っていました。
でもそうではなかった。普通の家庭に生まれ、家族からの愛情もしっかり受けている。
私はそのことの方が衝撃的でした。
誰でも加害者になり得る。本当にそう思いました。
少年Aのしたことは絶対に許されない。でも14歳の世界は本当に狭く、自分の殻に閉じこもってしまう未熟な成長過程です。
学校の先生ですら、彼の異常に多少なりとも気付いていたのに、誰も彼を救い出してあげることが出来なかった。
私は絶歌を涙しながら読みました。
死にたい。と思っていた少年Aが、生きたい。と切実に切望していることに。
大きさは違っても、誰でも人を傷つけてしまうことはあります。
言ってはいけないと分かっていながらも、感情に流されて言葉にしてしまうことも。。
少年Aは痛みや人の暖かさに触れ、確実に正常な人間になろうと努力しているように感じました。
「既に罰は受けている」
もう罰は受け終わったという意味に見えてしまいますが、そうなのでしょうか?
私は違うと思います。
彼は人を殺したんです。
一生をかけて罪を償っていかなければならないのです。
法律的な意味での「罰」は受け終わったかもしれません。
ただ、法律を作るとき作った人々は、「人間であれば
社会復帰したからといっても罪の意識は消えず一生背負って生きていく。
それこそが罰である。」と思って法律を作ったと思うのです。
私はそう思いたい。
前述の方が書かれたように、法律は万能ではありません。
想像を超えた犯罪が行われるたびに法改正が行われ、また、その法を超えた犯罪が起きる、、、
改正をすれば良い。という問題ではないのです。
私は決して、彼がこれから幸福になってはいけない、とか思っている訳ではありません。
実名報道すべき!とかも思っていません。
が、長谷川さんが書かれた「既に罰を受けている」(受け終わっている)
という文章は間違っていると思います。
そういう意味ではなく、あのような文章で書いたのであれば、
仮にも報道におられた方なので、文章力が稚拙だと言わざるを得ません。
ご自身の発信力を、もう少し意識して文章を書いていただきたいです。
思います。 被害者の感情を再優先するなら、遺族の反対を
押し切って出した事に対する著者への反感の気持ちがあるのは
ある意味仕方のない事なのかもしれません。
一方、この本は彼が「自分の魂の救済のために書いた」と言われて
いますね。 なぜそうなのかはこの本も含めた様々な事件に関する
本も合わせてきちんと読んだ上で、この事件の背景まで読み取った上
でないと、本当に見えてくることは決してないと思います。
自分は加害者でもなく被害者でもありません。 他人の痛みを自分の
ものとする・・・口で言うのは簡単ですが、双方の痛みが18年間ずっと
絶え間なく続いて来た事を真剣に考えた人が何人いたでしょうか。
・・・彼は今32歳だそうですが、あの事件を起こした当時彼は14歳でした。
感情論を抜きにしてその事の意味を冷静に考える事が、直接の被害者でも
なく加害者でもない法治国家に生きる1人の人間として必要な事かと思います。
被害者の気持ちは分かりますが、長谷川さんは本の個人的な感想を述べているだけで、別に共犯者でもなければ殺人犯でもなく、犯罪を認めた訳でもないのに、色々批判しているコメントに馬鹿馬鹿しさまで感じました。
私も思っていた描写と異なりました。
確かに著者の名前や被害者への承諾など問題点はありますが、内容がどうとか誰が書いたとか抜きにして、是非読んでみて欲しい本です。
あくまでもこの本は手記(体験談)であり、謝罪文ではないので勘違いせずに読む必要があります。
狂喜にさらされ、
怖くて恐ろしくて、
およそこの世のものとは思えない地獄を、
永遠とも思える時間見続けただろう。
法、ルールがどうあれ、償ったなどとは
とてもではないが口にはできない。
所詮、被害者本人にはなれないし、同時に加害者本人にもなれない。
外野はせいぜい、少年法と印税をどうするか等の法整備を提起していくしかないと思う。
違法性もないのに、第三者が版元に出版するな、書店に扱うなというのも、方向性が誤っている。
読了したが、やはりAは異質と思う。
世には意外と、Aと似た資質をもつ者がいて、他者を傷つけ壊すことで性的快楽を感じる者、
その欲望を理性で抑えている者が少なからずいると思う。
性ポルノにも、実行したら凶悪犯罪になる暴力的、破壊的なものが少なからず溢れてる。
しかし、実行に移す者は稀。そういう意味でAは異質と思う。
異質なAが、この本を書くことで、命への執着をもち、生の軌跡を残して、社会で生きられるのであれば、
現実的には、それも更生のひとつになるんじゃないかと思った。
読み手としては、こういう本を隠されてしまうと、逆に対処のしようがないので、今回手に取れて良かったと思う。
児童精神科医の言葉は、学問的に優れていても、本人の言葉ではないから、言外に感じ取れるものは少なく、
生で本人の手記に触れることとはまったくの別物だった。
同じ事をしていたのかも。
私が被害者の立場なら
同じ感情になった
生まれ持った、性衝動と殺人とが結びついてしまった脳の異常だろう
でなければ被害者をあんな風には扱えない
常人には到底不可能だ
ただ性衝動に異常があろうが彼は理性も知性もあるだろう
犯罪加害者の心理、動機がわかるかもしれない、と言う人がいるがこの事件の場合ただの
生まれ持った異常な性衝動
が原因なのは明白で、この本が何かの役に立つことは一切ない
ただ事件の経緯などを生々しく表現しただけの本で
その本を遺族に送りたいという気持ちがどうしても理解できない
この本を書きながら、この本を遺族に送りつけるのを想像して自慰しているのではとさえ思える
絶歌はただ被害者遺族の心を狂わせるだけである
遺族の心は怒り、無念と言う言葉では到底表せない気持ちであろう
心配なんですが、今までテレビで残虐な事件が報道されたり本が出ると、模倣犯というんでしょうか。そういう子どもたちが出てきます。この本がそういう子ども達にまた興味と刺激をあたえてしまうのでは・・
それに何より、遺族が出版しないでほしいと言っています。自分の子どもを殺されるという、親として1番の苦しみを味わった人に、また苦しみを与えるのはどうでしょうか・・
自分の子どもが加害者になったと考えた場合、私は本が出版されないように最大限の努力をします。何より被害者の方達の気持ちを1番に考えます。少年Aは遺族に申し訳ないと書いています。それなら遺族の心を苦しめる事はもうしてはいけない。
生きて成長してくれて、伝えてくれてありがとう。生きていることの方が今は辛いと思いますが、本を書くことで、これからも生きて償っていくという決意と思います。
ただ被害者やご家族のことを思うと、言葉がありません。
被害者の実名を出したり、彼の特性からくる表現方法を修正することを、出版社にはアドバイスしてほしかったです。
この本は軽度発達障害を理解していないと、理解しがたい内容であり、表現にも否定的な感情が生じると思います。Aは脳に障害があるが知能は高かった。特に直観像素質も持っていました。その特性のため、詳細な映像記憶を持っているので、小説のように表現されていることに不快感や違和感を覚えると思います、当時はこのような障害は知的障害や言語障害を併せ持っていないと、親も周囲も障害とは気づかないことが多かったと思います。
私の子供も発達のバランスが悪く、思春期の今疲れ果て、息子を殺めた父親の気持ちがわかるようになり不安を感じていました。
そんな時、絶歌を読みました。
前半は詳細な内容に苦しくなりましたが、後半は彼の成長と苦しみ、家族への思いが伝わり、涙があふれてきました。
最後に公園で母子を見て、「自分が奪ったものはこれなんだ。」と書いています。確かに成長し、心で感じるようになったんだと思いました。
しかし、批判が多いことと、ネット社会が彼にどう影響するのか心配です。
少年Aがこれからも、生きて償っていくためにも、少しでも理解してくれる人がいることを願っています。
あなたが様々な角度から判断し、この本をあなたが読んでよかった
と評価しても、若者にはいい本でしか捉えられていないかもしれません。今世の中にいるサイコパスの人々の感情を奮い立たせ、殺人者でも本を出せるというカリスマ性を生み出しているのです。少年犯罪が増え続けている今の世の中で、アナウンサーとして影響力のあるあなたが発言すべき言葉かどうか疑問に感じます。
長谷川さん人の命に心が触れたことありますか?
私は毎日命について考えて、直面していますが口が裂けても生死がかかわることを
よかった
と片付けたりはできないですね。
被害者に対する感情と、自分の感情は別問題。
事件のことに目を向けてみてください。なぜあの結果になってしまったのか?なぜそういう行動にでてしまったのか?←ここ重要
長谷川さんは単純にこの本を評価してるわけではないと思いますよ。
ま、適当にコメしてる人、何の考えもなくコメする人いろいろいていいと思いますが、どんな凶悪犯であっても人権はあります。そうですね、私の子供が被害者なら時間はかかりますが真実が知りたいです。長い長い年月はかかるでしょうけど。私たちは遺族ではないので両方の立場に立ち考えていかなければいけないと思います。感情論で結論などでません、明日には長谷川さんに賛同される方が増えるでしょう。
犯罪者の書いたものだからとか言ってただ自分が正常な人間だと言いたいだけなんじゃないですか?
そうやって安心を得ようとするのは良くないですね。
それだけ注目が集まっているだけに、発言には注意した方が良いと思います。
特に、論点をズラしたりあやふやにして、自分の言いたい他の議論に誘導するのは
政治家の弁論を聞いているようで腹立たしいです。
でも、この人なら人が言えないことをズバッと言ってくれるのでは、という期待も
あるので今後もこのブログを読ませていただきます。
今回では、複雑なテーマなので他のニュースよりも丁寧な扱いをして欲しいです。
いろいろ書きましたが、この記事テーマに関しては、テレビコメンテーターや
タレントさんの意見を聞くよりも、このブログコメント欄の方が多方面に渡る意見を知れて考えることも多かったです。
この事実を犯罪抑制や犯罪者の心理的な物を理解させる為ならば、それこそ無料で公開すべき物であり、わざわざ出版物としてほとんどの人は買わないであろう、読まないであろう媒体で一般に販売するという行為を評価する人は少ないと思われます
犯罪者の手記というのは一般と呼ばれる人達とは考えの根底が逸脱しているのでそれだけで読む価値があるものです
つまり凶悪犯罪を起こした人物の本は内容は大して問題ではないのです
何故そのような行為に走ったかという経緯や精神状態は当事者でなければ分かりませんし、その状況を周知する事は有益であるでしょうが、わざわざ販売と言う多数の人間が嫌悪感しか抱かず読む事がないであろう媒体で出す必要性が全くありません
批判をしている人も、内容が問題なのではなく、本を出版するという被害者に無配慮な上に、それを利用して金儲けをしようと考える部分を主に批判しているのではと思います
要は内容も問題ですが、それ以前の問題と言う事ですね
本は申しありませんが読んでおりません。
『金儲けをするな』
『被害者の気持ちを踏みにじるな』
という意見が多くあることにコメントさせていただきたいと思います。
皆様お金に脊髄反射のように反論するのでさぞかしお金にたいしての認識とわびしい心を持っていることと思います。そんなに、お金を相手が持つことに嫌悪感を抱かなくても。
「金がなければ生活保護になればいい」
何て意見もありましたが、いやいや。税金を使うほうが私は罪だと思います。
皆がみなの、ためにならずとも一人のためになってその人が金を捻出するのであれば立派な生産です。
被害者家族の気持ち云々の気持ちは確かにありますが。
精神科医療に携わっているものからすると、確かに関知したりすることは難しいことです。しかし、誰にでも起こりうる精神の病とそれを拒絶し更に社会復帰できない環境である現代社会を理解してもらいたい。
お金への価値観、精神の病をしっかり理解することは先進国の日本にとっては必要なワードだと思います。
すごいですね。
汚い言葉で罵る人が多くて。
あんた何様?
などとコメントしている方のほうが、何様?と思いますよ(笑)
みんなと一緒に批判してるのはちっとも怖くないですよね。いじめっこについてる自分の意見を言えない人みたい。
長谷川さんのように、なかなか言えない風潮?になっている、肯定する意見を発信できるって、すごいですよ。
自分が何者か全て晒した状態で。
買わないとか、買う人は頭おかしいとか言ってる人、本当は中身気になって仕方ないんじゃない?(笑)
実際、売り上げ一位ですもんね。私も買ったし。
私は長谷川さん応援しますよ!
こんなコメント欄でいきがって意見してる人間なんて、気にしませんよね。
ブログの更新楽しみにしています。
加害者でもなく被害者でもない外野で、専門家でも無い自分がこのブログ記事から
学んだことは、無責任な発言は良くないということである。
実際に、被害者のため資金や署名集めの活動をしているわけでもなく、
本を読んでもいなくて、もちろん加害者を知っているわけでも生活を応援しているわけでもない。実際に法改正のため行動を起こす人がどれだけいるのか。
繰り返さないため出版に意味あり、知る権利、それと同時に被害者遺族のプライバシー、権利はどうなるのか。結局は有能な弁護士がついた方が有利なのか。
世の中を変えたいと思うが、本が出回っている状況に歯止めがつかないので
せめて読まずに物事を整理して考えたい。
ですから、とても残念でした。
自分の意見と違うから、それは間違いだと思い上がるつもりはありません。
ただ、被害者側の思いは、そうでない人間にはわからないのです。
いつか読んでほしいだなんて、到底無理な話です。
出版社も世に出た本も、すべで燃やして回りたい心境です。
少なくとも私は、そう思いました。
加害者がどう感謝し、どう更生し、どう苦労しようと反省しようと、正直どうでもいいのです。存在自体を頭の中から抹消したいのです。
人間ができてない私からすれば、再び過去を掘り返されることは、犯人の再犯よりも恐ろしいことに感じます。
ブログ消して欲しいです。
長谷川さまのおっしゃる通り、法治国家である日本のルールによって裁かれたのだから、それ以上を求めることは法的にはできません。しかし、過去にも、現在にも、我々の想像をはるかに超える悲惨な事件が起きており、その度に法の改正が叫ばれます。イタチごっこのように。我々が、ありとあらゆる法改正を行ったところで、法の隙間は埋まりません。そのような制度の中で、世間一般・被害者・被害者遺族の方々が納得できる法による処罰はほぼ行われません。それでも、法による処罰を受けたから、と言えるのでしょうか?
長谷川さまは、本を購入されたことで、印税1500円×10%前後を元少年Aに渡されたことになりますが、そのことについて、どのようにお考えですか?
アメリカにはサムの息子法という法律まであるほどです。巷で犯罪誘発になるのではないか、と言われているのは、内容によるものだけではありません。猟奇的な犯罪を犯し、それが本になり、売れるのであれば、真似をして儲けようとする輩がいても不思議ではないですよね。今回の場合では印税による収入は1500万円とまで噂されていますから。
そして、肝心の本ですが、内容云々以前の話だとわたしは考えています。なぜ、実名ではなく元少年Aなのか、なぜ、遺族の方の了承も得ないままに出版したのか。わたしには、元少年Aが逃げているようにしか受け取れません。そう考えるのが自然です。そのような、自己中心的な感情によって人々を傷つける本は在るべきではないと考えています。
私たちが、こうしたサムの息子法に反するような行為を止め、また、遺族の方々の気持ちを考えると、やはり、購入しないという選択肢しか無いように思います。法によって禁止されないような道徳的なものであるならば、個々人がその行為を助長されないように努力すべきであると考えます。
それでも、あなたは買いますか?
政治、心色々盛り込まず単純に考えて人を殺すことは自分を殺すこと
そう考えております。
加害者が苦しむのは死にたくないから死ぬのは怖い
人は簡単には死ねない
簡単死ねたら人類は滅亡してしまうかもですね
加害者の方は死にたくない一心
一方
他人を玩具を壊すみたいに殺してしまった
ここで本人の生は終わりだと悟るとこまで書いているのであれば遺書として残しておけば良い文章ではないかなと思い出しました。
一面だけで判断せず、多方面から見ないと本質にたどり着けない気がします。
でも人間には感情があります。それは絶対に切り離せない。
私は、酒鬼薔薇に対する感情的な嫌悪感を拭うことは絶対に出来ません。
彼がしでかした事に対して「理論的な分析」をするのは学者さん達だけで充分。
私のような一般市民は「酒鬼薔薇の書いた本など、目にするのも嫌だ」とハッキリ言いたいし、そこで良識人ぶって彼の心情や生い立ちを考慮するような真似はしたくない。
嫌なものは嫌です。誰が何と言おうと生物の本能として、彼を嫌悪します。
嫌だ。とか怖い。とか腹が立つ。とか、率直な感情も言えない人間にはなりたくないなと思いました。
現に、長谷川さんはこの本を評価しています。理由はどうあれ、メディア関係者や芸能人でさえ(ごく一部かもしれないけど)、出版に意味があると言っている以上、この本には多大なる影響力があり、人を感化させる力があると言えます。
一冊の本ですが、初版10万部で、その影響を受ける人はもちろん10万人以上になることは分かります。
編集者は、売上が上がれば裁判になっても利益が勝るからいいやとでも思っているのでしょうか?
長谷川さんは、一読者としてそういう感想を持ったと示したことにより、何百人の人がそう思い、遺族をないがしろにする可能性があることを、身をもって社会に問いかける意味もあったのでは?私の考えすぎかもしれませんが。
長谷川さんが遺族の気持ちを考えていないかどうか、本心は分かりかねますので、否定しないことにします。
それでも読みたいとは思わないけれど。
恐らく、長谷川さんに行き場の無い怒りをぶつけている人は少なくないようだけど、こういうコメント欄(匿名・無料)でブログを読んだ人が意見を発する場所を作っているところは、ある意味勇気があると思う。
また、コメント(承認制)を読んでアップしてくれていることから、いろいろな人の意見をオープンに聞く姿勢を感じ、少なくとも一方的に言って反対意見は受け付けずコメント返信など一切しない大多数の有名人ブログより好感が持てる。
聞いて受け止める人すら今は少ないと思うから、炎上商法で思うツボだとしても、今後もこの場に期待したい。
それなら、一万歩譲って理解します。
真剣に考えてお書きであれば軽蔑します。
犯罪は、犯罪者より被害者を優先すべき
被害者が明らかに拒絶しているのに
評価やサンプルなど言っているのは
大人として想像力が乏しすぎる。
あなた自信が殺害されて首を切断され
異質殺人のサンプルになったと言われて
評価しますか?
長谷川さんのお子さんがもし被害に合われていても長谷川さんは絶歌を評価するんでしょうね。
私には無理です。
学がないのであれですが、
罰を与える→厚生の余地があるので悔い改めさせる
厚生とは、一般社会に出ても、最低限人様に迷惑かけないことを指すと考えています。
今回の件、少なくとも遺族は迷惑してますよね。
自分勝手に殺したいから殺した少年Aは
自分勝手に出したいから本を出したわけで
彼の本質は変わってないんだなぁと
私は思いました。
彼の文章がどれだけすごいのかとか
彼の精神状態が、とか
遺族は知りたいのでしょうか。
そして、世間に公表して欲しいのでしょうか。
私は親族が殺されたら、司法的に罪を償おうとも絶対に許せません。
この事件の遺族の方々は、少年Aとの文通で
許すまではいかなくとも反省を認めていたという主旨の発言をしていました。この人たちの優しさには、頭が上がりません。
少年Aのすべきことは本当にこの事件のことをありありと描き、出版する事だったのでしょうか。
大事なお子さんを無惨な殺され方された、
ご遺族が出版しないで、読まないでと言ってるんだ。
それを読む価値ありだの、いつの日か読んで頂きたいだの、あんたの子供が
同じ目にあって同じことがいえるのか、あんた?
そもそも、少年Aが全部書いたという証拠はどこにある。
それに価値を見いだせる事が分らないし分りたくもない。
肯定する事や読む事で共犯者だと私は受け止める。
だからこの本を読む事はしないし
読む人を見たくも無いし話したくも無い。
この本自体の存在は許されるものはないと思います。
要は「こんなに謝っているんだから許してあげようよ!」と言いたいのですね。
そんなだから「てめえが喰らえ」の大合唱になるんですよ?
感情論ではなく議論しようですか・・
人殺しの独白読んで、殺しの善悪について議論しようですか・・
だから口が上手い人間とは付き合いたくないんだよ。
昔喰らったイジメを思い出しました。
喰らうものしっかり喰らった後、やり返してる最中にアンタ見たいのが出てきて、
「私は中立」
「過ぎたこと」
「鍛えてくれたんだ。感謝しろ」
「謝っている」
「終わった事」
「見てないから何とも言えない」
「異なる考えを認めなさい」
「言う権利はある」
「もう十分だろう」
最後に「握手して仲直りしよう」なんて事、喰らいました。
今思い出しても反吐が出る。
イジメでこんな有様です。子が猟奇的に殺されたらどんな思いなんでしょうね?
正直、被害者の親であれば見つけ出て殺しますよ。
ココまで書いて結論がまとまりました。
アナタはモラハラをしています。
2度も3度も被害者を晒して殺す事をナゼできる。
人が死んで、その様を同情面して見下すことがそんなに楽しいか?
長谷川氏は、ご自身の猟奇性をよく理解し、死体映像、、事故映像、等でウサを晴らせばいいだけです。
人に迷惑かけるな。
自分が高校生の時、同級生が殺人事件の犯人として捕まった。突然の出来事でみんなショックを受けていた。彼は頭もよくまじめな優等生タイプ。前日まで普通に登校していたのに。
強盗目的だったという話だったが彼の家は裕福だった。
何が彼に起こったのか誰にもわからなかったし、理由もわからなかった。ただ思春期の多感な時期を無事に乗り越えれたら、彼も今頃普通に暮らせていたのでは・・と思う。
遺族の方もいつかは読んで欲しい???
読んでどう感じればよいというのですか?
自分の事しか考えられない発言は、
いくら正論をかざしても
発言の暴力になっていませんか?
が多いのは、方向性を絞ってまとめて反論するつもりなどだと思います。
反論が難しいコメントは削っているのでしょう。
さぞ気持ちがいいのでしょうね。
現時点で250程度ありますよ、コメント。
200人切りですか・・・
リアルで何かありました?
やる事が暗すぎて同情します。
ご遺族に面と向かってこの記事の内容話せますか?
自分の子供が被害にあってもそう思えます?
大事なのはそこじゃない?
金儲けって分かってるからみんな憤りを覚えてるんでしょ。
人の気持ちが、痛みが分かる人は反対するに決まってる。
10000歩譲ったとしても本にして売る必要はない。
客観的にも見れる心があれば読めると思いますが、正直、怖くて心が震えます。
いくら法に基づき罪を償ったとしても、罪を犯したことは事実です。
自分の子供の殺害方法、殺害後どうされたかなんて、一生知りたくないです。
長谷川さん、ご遺族にも読んで欲しいなんて酷です。
いくら読む価値があるといわれても、出版すべきといわれても、遺族の方の気持ちを考えたら許可なく出版されたことに腹がたちます。
長谷川さんの多方面に気を配った文でしたが、納得できず、コメントさせて頂きました。
心が辛いです。
当初名前が出なかったのは少年法で「守られていた」からですが、出所してからも守られる事が通用するのかどうか、もやもやして回答は出ないかも。
あくまでもネットの又聞きですが、彼の心情が主で、未だ不明な事件の真相について書いてないということなので「犯人だけが知りうる秘密」がなく、心情が脚色されていてもこちらは分かりません。
実際はどうなのかを知るためにはやはり読まないといけないのですが、ね・・・
しかし、あなたの発言そのものが結果として被害者遺族の深い心の傷をえぐる発言になっていることをまずは考えるべきでは?
正論だから良いのでしょうか?
青信号なのだから誰かを傷つけても良いのでしょうか?
あなたがどう感じようと自由ですが、
あなたの影響力を考えてみてください。
一般人のそれとは違い、
どれだけあなたの影響力で遺族の傷口をひろげてしまったのかを?
感じませんか? (俺は知らね~ですか?)
そして貴方は赤信号で横断している認知症のおばあちゃんにクラクションを1分間鳴らすタイプですね。「被害者ご家族も、どうかいつの日かで構わないのでお読みいただきたい。」失礼極まり無い発言です。例え小学生、中学生が発言しようとも失礼極まり無い。人間は苦しみを他人と比べる事もできないんですよ、例え娘の風邪であっても。貴方が想像している気持ちと被害者の家族の方々の気持ちは違うのです。貴方は大人なのに思考回路と心が異常?幼稚?なので言っておきます、人ってのは他人の傷口をえぐる様な発言はしたいと思わないものなんだよ、たとえ喋りたくても。考えて投稿しろとは言わない、むしろよーく分かったよ心が。
発信する先に被害者とご遺族がいるという事をまず考えて下さい。
長谷川さんのこの考えが、被害者とご遺族の方々に届かない事を祈るばかりです。
自分は元自衛官なので今回の法改正が気になります。自衛官の行動範囲が広がった場合、今後紛争や戦争時に犠牲者や加害者になる可能性が高くなるからです。そんな時みなさん有権者はどう思うのでしょうか。法を変えるのは政治家だから・・・他人事ですよね。自衛官の立場で言えば選挙に行っていない方も違う方に投票した方も政治家と変わらないですよ。私を含めたあなたたちの責任です。
私はまだ読んでいないですが長谷川さんの「被害者家族も救われる可能性がある」に関しては分かる気がします。皆さんが書いているように被害者家族は読まないからこそ、止まってしまった時間を動かすには加害者がどうだったのかと認める事が必要な気がします。しかし被害者がどう感じるかは私にはわからない。現状で印税を渡しますと言っても被害者は受け取らないと思います。予想とすれば出版社と著者は被害者遺族の会にでも利益を渡すのではないでしょうか。
私も含めまったく犯罪を犯していない方や他人を傷つけない人はいないと思います。被害者の立場も加害者の立場も実際は当の本人しかわからない。
コメントに関しても自分の思い込みでしかありませんが、批評の内容が正しいか正しくないかで下されるのであれば立場が変われば変わる。いい点と悪い点があると感じるし被害者の方、加害者の方の幸せを祈っています。
あれを読んで男が更正したと感じるのも謎です。
「いつか読んでほしい」 という言葉は
あまりにも残酷あまりにも無神経です。
取り戻せないものを失った人たちに いつか なんて日は来ません。
亡くなったお子さんは いつか 帰ってきてくれません。
あまりにもひどい。
それでもあなたは いつか なんておっしゃるのでしょうか。
もしこの少年の犯罪がレイプであったら、
同じことが言えるでしょうか?
レイプを犯す犯罪者の心理について書かれてしまったら、
犯された女性は生きていられるでしょうか?
殺されてしまったから、
長谷川さんも、少年Aも書けるんです。
本人が知らないから。
生きていたらどんなに傷つくかな。
そして、少年Aの本もですが、
この長谷川さんのブログに書かれた記事も、
絶歌と同じくらいの威力があるとご認識された方がいいです。
ご遺族がここを読めば、読みたくも、見たくも、
思い出したくないものを読めと。
この記事で、また苦しむと思いますよ。
長谷がさんは優しくない人なのでしょうか?
賢いだけでは人間はいけないと思いますよ。
早くしろやカス野郎
驚きました。
ここまで堂々と書かれたことに。
同じことを、ご遺族の方に言えるのでしょうか?
身内が、ご自分の子供が同じ状況で殺された時に、
その様子を綴った本が数年後出版されるとその日に知らされた時に、
長谷川さんは出してよかったと思えるのでしょうか?
その感想もぜひお聞きしたいです。
世の中の少年の犯罪に影響を多大に与えた殺人犯が、
法に守られ本を出版し、印税を得る。
法は正しいのかもしれませんが、
人間の感情は法にあまりまるものです。
とんでもない犯罪者の判例ができたなと思っています。
今後、同じように凶悪殺人者が出所後、
次々に本を出す世の中になったらどうなるのでしょうかね。
人を殺して有名になったおかげで本二自分の考えをかけて作家気取りでお金ももらえるなら、
サイコパスにとってそんな面白い話はないと思いますよ。
この記事のコメントを受けての長谷川さんのご意見期待しています。
最後に、絶歌を褒める方に、わたしは少しの恐怖を感じます。
私は少年法では長谷川さんに反対的なコメントを残したのですが、これは賛成な気分です。というより、少年法のプライバシーの項で「少年の更生は信じるべきだが、限界はあるし(表現の自由は更に大事)」」みたいなことを書かれていた時に「この人は、この様に感情的に叩きたくなるようなケースでも敢えて表現の自由を擁護できるだろうか?」と思っていたので、それで少年A側に立ったのは、ある意味筋を通した形になったので、よくお書きになった、という気持ちです。
長谷川さんはマスコミの方らしく、やはり表現の自由が根本的な価値なんだと思います。それはそれで、一つの立場だし、こういう事が起きるたびに「快不快は別に表現を圧殺してはいけない」という原則に、私たちが試されてもいるんでしょう。
どこに住んでるか教えてくれれば実行してやるよ!
で、ちゃんと謝ってやるから許してくれよ。
少年院と病院時代のことが書かれていないのはそのためです。それだけは絶対に本人でなければ書けませんので。
元少年Aのお顔は、出版社の人は知っているのでしょうか?なりすましに騙されていたということはありませんか?天下のNHKや世界的指揮者でさえ、簡単になりすましに騙される世の中です。
カッコ悪い姿ってそういうレベルなのかな。
もがきながら懸命に生きている人は普通にいるし、むしろみんなそうでしょう。
いくら年齢が若かったからと言っても人を殺めてしまった(しかも複数人の方を)
その行為を「カッコ悪い」という言葉でくくる、その表現力の稚拙さ、無神経さは
本当にあなた自身をそのまま表していると言われてもしかたない気がします。
あなたの論調って、いつも自分は高いところから見下ろして
「世間なんてそんなもの」っていう感じだけど、どうしたらそういう
一方的な視点で人の心を深く探り、そこからなにかを見出すつもりなんだろう。
ただの観察・感想だよね、しかもかなり変なフィルターのかかった。
少なくともマスコミを業をしている人間としては、相当意識が低い。
本当に被害者の方のご家族の気持ちも、元少年Aの気持ちへの共感と
同じくらいに汲み取ろうとしたら、本も読むのすらためらいがあるだろうし
ましてやこういうコメントを書こうという発想には行きつかないような気がする。
消費することが、人気投票のようにもなりうる
あなた風に言えば「そういう社会」なのであれば、もう少し考えてもいいのでは。
自分の意見をブログにあげた以上、送られてきたコメントは全部しっかり読んでね。
あと、仕事変えたほうがいいよ、向いてないから。
しかし、長谷川さんの意見や感想に反論するならまだしも、罵詈雑言で長谷川さんの人格攻撃をしている人たちは何なのでしょう。しかも匿名で。みなさんが言うところの『匿名の元少年Aが被害者遺族に対してしていること』と何が違うのでしょうか。
むしろそちらに恐怖を感じました。
傍観しておられるのでしょうか?
マスコミも芸能人も人気商売を運命づけられています。
ジャーナリズムを掲げる人が議論に参加してほしいと思います。
この様な状況の中では、加害者に関係する親族はもちろん、類型の犯罪の加害者にかかわる人たちには知る権利すらない圧力を感じます。
この方たちは何があったのか、あるいは、身近な人にその傾向を感じたのなら、何が起こり何を考察すべきなのか知る資料が必要です。この元少年が更生できたのなら(それは読了する勇気のない段階ですでに知る由もないことですが)なおのこと知るべき権利があると思います。当たり前のことに思われるのに何の議論もない。
近親者の類型でさえなくとも人間への理解に必要な情報だと思いませんか?(理性的にはNoなのですけれど。)
武田鉄矢さんのおっしゃるのはもっともだと思いますが、少年犯罪のサンプルケースという以前に、少年や加害者として存在のなりたちへの不思議さ不可解さを理解しなければならない差し迫った状況があちらこちらにあるのでは?
そう考えると嫌な本なのに社会に必要な情報に見えるのです。
一書店人の分際で、ある人の著作・見解が封印されるべきではないと考えます。(思いや感情は別の話です。)
私も買うつもりはありません。しかし物言えないお客様が求めてくるのを妨げる権利はありません。
単なる興味本位で購入する者を妨げることはできません。しかしものを言えないお客様に届けたいと思います。
わけわかんない擁護書いてる人もおられますが、
ここで長谷川に対して怒りを持ってるほとんどの人は
被害者家族にも読んでほしいっていう言葉に対しての怒りだと思いますよ
本が出てしまった以上、読む読まないの強制は誰も出来ませんし
読んだ人間が感想を持つのは当然だ思います
でも、それをあえて文章にして、
被害者家族にも読んでいただきたいって言うことに何の正義があるんですか?
長谷川が感じたことを否定するわけじゃないけど
だからと言って、それを被害者家族に押し付けるなって私は思いました
読んだことや感じたことは、自分の胸の中にしまっておくって言う社会的配慮ってものを持ってもらいたいですね
確かに、この本は出版すべき尊い価値を持つとは思いません。
しかし、論点は違うところにあると思います。
今回はというか、今回もと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、大多数の「民主主義的な判決」を突き付けられたようでもあります。
ともかくものが言えない。困りました。
このブログの意義は「ものを言った」ことだと思い、救われた気がしました。
個々のご意見に賛同できるかはまた別の話だと思います。
今回の事件は特に極端に凶暴性があって、被害者の立場に共感するほとんどの人々には、当たり前と言っていいほど、恐ろしくデリケートな事件なので紛糾するのは当然です。私は販売したくありません。
個人的には郷里でもあり、私自身通読が不可能で、嫌な本です。販売を自粛するべきかと思いましたが、私自身の嫌悪感で判断すべきこととは考えませんでした。(販売自粛ももちろん正当だといまだにぐずぐずと思ってしまいます。)
ただし、議論はもっと他のところにあるように考えています。
データだという方も気持ち悪いし
正論を興味の範囲で述べた長谷川さんも気持ち悪いです。
人の事を気持ち悪いなんて言うのは正しくないし
人をキモイとか気持ち悪いとかいう人は大嫌いです。
文字では長谷川さんの言わんとしていることが私たちにはうまく伝わっていないのかもしれないし、「サンプル」という言葉だけに反応してしまっているのかもしれません。
人の気持ちなんて本人にしかわからないんです。
遺族の気持ちも少年の気持ちも
私たちは分かったつもりでいるだけの立場なんです。
だから私があなたを気持ち悪いという心境だって分からないですよね。
それでいいんです。
それが人間なんですよ、長谷川さん。
データでもサンプルでもモルモットでもないんですよ。
私が所詮、こんなところであなたを気持ち悪いと言ったところで
大した影響力はないです。
でも、もし長谷川さんが誰かを気持ち悪いと言ったら
大変なことになりますよね。
そういうもんなんですよ、簡単なことです。
あなたが思っている以上に
あなたの発言は影響力があるんです。
あなたの一言で喜びも傷つきもするんです。
そして、ごめんなさい、偉そうなこと言うけど
長谷川さんの発言は影響力があっても
長谷川さん自身はそんな影響のある人じゃないんです。
だからイタズラに人を傷つけやすいんです。
難しい正論を述べる事より
もっと簡単なところ、わかってください。
人の気持ちは複雑だけど、単純です。
言葉一つで喜べるし殺すこともできます。
気持ち悪いと言ってごめんなさい。
だけど、殺した少年に興味もつ意味が気持ち悪いんです。
気持ちが良くないんです。だから気持ちが悪いんです。
この事件、涙出ませんか?
私なら、絶対に遺族に読んでね、なんて言えないよ。
長谷川氏のコメントは何も本質をついていない。犯罪者が更生出来なかったら更生に携わった人の責任かのように述べておられますが、あまりに安易で幼稚な思考に同じ社会人として呆れました。
勿論更生に携わった人々は責任の一翼は担うのでしょうが、だからと言って全て責任転嫁してしまうようでは犯罪者に逃げ道を与えてしまいます。
自分が上手く育たなかったら、社会に順応できなかったら、それは親や教師の責任だ、と30歳を過ぎた大人が言っていることと大差無いと感じました。
過激な発言で注目を集めることが目的であれば、まず人を不快にしないトピックを選ぶべきです。
メディアの世界でお金を貰って生きている人間であればなおのこと、言論の自由を振りかざす前にご自身の発言の社会への影響力を考慮し発言に責任を持つようにしてください。
初版10万部も刷ること自体が「金儲け」として考えている証拠ではないですか?
心理学を勉強している人には「サンプル」かもしれないけれど、分別もつかない心を持っている人には「手本」となるかもしれない。
長谷川さん。あなたはウィキぺディアの「神戸連続児童殺傷事件」というページを読みましたか?
ここの被害者の子の部分を、自分の子供に置き換えて読んでみてください。
軽く流し読みではなく、「男児」と書かれている部分に、自分の子供の名前を入れて読んでください。
自分の子供「〇〇君(〇〇ちゃん)」の名前を入れて読み、首を切断されたり、目をつぶされたりした部分を読んでください。自分の子供を想像して。
それでもなお、「どうかいつの日かで構わないので、お読みいただきたいと思う。この本を読むことによって、むしろ救われる何かがあるような気がする。」と言えますか?
あなたは自分の子供をそうやって殺めた人がその様子を本に書き、売り出したら、その本を買うんですね?
そして、そこに自分の子供が殺害された様子が描かれている様を再び思い出すことを何も思わず、筆者(加害者)を評価するんですね?
あなたは人の親になる資格はないと思います。
あの本を読んで被害者家族が救われる?頭おかしいよ。
多くの方のコメントを読んでいて感じた違和感。
遺族ではない人が遺族の気持ちを代弁して、「私はこんなに人の気持ちがわかる!」って押し付けている印象を受ける。
長谷川さんの書かれていることは、その先のステージでの議論だと思う。
その上で、私はまだ手に取るかどうかを迷っている。手に取るか、というかお金を払うことに抵抗している自分がいる。
率直に、元少年Aが死んでいたら、迷いなく手に取れる。
そんな葛藤を能えてくれる機会はないので、誰の立場からでもなく、自分の視点から、もっと本件を考えたいと思った。
遺族は出版停止と回収を求めている。それを尊重する社会で私は生きたい。
少年Aは誰に伝えたいの?被害者家族?世間の人?
何のために?
俺を含めほぼ全員が少年Aのことを知らないし、関わらないのに誰に何を伝えたいの?
自己満足にしか思えない。
その上自分が起こした事件に関する反省文を書けば、殺人者の頭のなかを興味本位で覗きたがる大衆から小銭稼ぎができる。やりたいことをやってそれを仕事にできるというわけですね。死刑にならないようにするのがキーでしょうか。
また犯罪者が印税で儲かる話についてなんら反論をされていませんでしたが、つまり犯罪者は事件をダシに大いに金儲けをしたらいいということですね。世の中の仕組みを学べて大変勉強になりました。
そして、これからも読む事はないでしょう。
何故なら、読むに値しないからです。
彼は、法が定める罰は受けました。でも、償いはまだ終わっていません。
だって、御遺族の苦しみは終わっていないのですから。
少年法に守られ、名前を変え、新たな経歴などを国から与えてもらい、全くの別人として生かされている。
その彼が、救われたい?
彼を許すのは世間ではなく、我が子を突然理不尽な形で奪われた御遺族だけです。
その御遺族に出版の了承も得ず、自分の言い分を書き連ねた書籍を出版するとは…更生しているとは、私には思えないのです。
彼の主張だけを書き連ねたこの本を、貴重なサンプルだとも思えません。
サンプルとするのであれば、もっと別な表現の仕方があったはずです。
せめて、印税は御遺族へおくるなどの配慮が事前になされていたなら、世間の反応も違ったでしょうに…
これでは所謂炎上商法です。
もっとも、長谷川さんに言わせれば、本も読まない、政治家になる学力も財力もない私には意見などする資格はないのですけどね。
あなたが大好きなアメリカには、このような手法でお金儲けをしてはならないという内容の法律があるそうですが。
それに全く触れておられなかったのも残念です。
もしもこれが作り込まれた物ならば、もしくは少しでも虚偽の入り混じった部分があるのならば、この本はその時点で貴重な資料とはなり得ないのではと思います。
そしてその真偽は著者本人にしか分かりません。
長谷川さんも『元少年Aの書いたフィクションに踊らされた読者の1人にすぎない』と言う可能性を考えるべきではないでしょうか。
著者の表現力、文章力を褒めてらっしゃいますが、事件当時の彼の犯行声明からは幼さが残る文章の中にも、成熟した1面が見てとれました。
少なくとも同年代の子供たちの中では文章力、読解力に優れた部類に入ったのではないかと思われます。その彼が当時と同じように文章を通して自分を表現しようとしている…
私にとっては、やはり彼を信じる事は困難と言わざるをえません。
長谷川さん、あなたはご遺族の方を前にして、このご自分の意見を主張し、出版の理解を求める事が出来ますか?
感想を述べさせてください。
人の命に「サンプル」という言葉など決して使うべきではないです。
意味を調べられましたか?
歯に衣着せぬコメントも多いですが、それは良いとしても
あなたの身内が被害にあい、刑に服した犯人が本を出版した時
他人に「貴重なサンプルになる」と言われたらどうですか?
何度も襲ってくるであろうわが子の無残な姿のフラッシュバック。
笑っていてもいつも心によみがえるであろう息子が、娘がいないという現実。
「おつらいでしょう」では済まされない心の闇。
この本を遺族が読んでその辛さをまた思い出せとおっしゃいますか?
自分の大切な子供を殺され、憎しみしか生まれない相手を少年だからと許そうと苦しんで生きてきて、その少年が32歳になった今、またあの時のことを自分のエゴの為に掘り出してきた。それは、少年自身が苦しみから救われる為、生活するお金を作る為、自分の生きた証?。全て少年のエゴです。
その為に、被害者ご遺族の心はまた殺されたんです。それを「遺憾だ」と表明されているのに、さらに、そこそこ名前の知れているフリーアナが、「ご遺族にもいずれ読んでほしい。 この本は魂のこもった本」とブログに書いていた。
私なら、貴方を殺したいと思うほど憎みます。
そういうことを貴方は書いてしまったのだと早く気づいてほしい。
貴方を応援するコメントもあります。
貴方は、世の中を冷静にさせる為に「下界の者たちよ、冷静になれ」くらいの気持ちで書いたのかもしれません。
ただ、神戸連続児童殺傷事件の被害者は、少年Aでは無く、殺害された被害者とご遺族なのだという本質を見落としてませんか?
やはり、そうではないだろーと思ってしまう。私も読んだが何のタメになるのか分からない。読み手の私の理解力が足りないのか?!著者の真意を理解できないのか?しかしそうではなく、
人それぞれ感じ方や捉え方は違うでしょ!書きての気持ちは概ね一つだが、読みては違う。読みてはいっぱいいるのに、読めば分かるというのは少し違うのでは。
いつも長谷川さんが言っていることは、私的には賛同できていた分だけに
、何か教祖チックな、上からのもの言いにとってしまう。
更に言わせて頂くと、この本の出版のメリットって何?負の影響は?先述したように読み側がどう捉えるかなど分からないはず。誤った解釈をする、全く違う捉え方をして模倣する→刑期を終える→出版する と自身の主観を踏んだんに盛り込んだ体験記的なものを世に出したいサイコヤローが絶対に出ないと言い切れるのでしょうか?
と話が飛躍しましたが、言いたいことはまだまだありますが、この本は世に出てくるべきものではないし、興味本位で読むべきものでは全くない!
最後に、現少年Aの気持ちが遺族の気持ちに勝ることは絶対に絶対に絶対にあり得ない!この本が贖罪な訳ねーだろ!
いつも大多数の逆サイドに立ち注目を浴びたい。
仁義?相手は家族を殺されているんですよ?そんな軽々しい言葉を良く使えますね。あなたのことが元々だいっきらいです。
お子さんが同じ目にあっても同じ感想が言えますか?
世論を外野だの議員になってから言えだの言ってる時点でマスコミ人として最低レベルとわかります。
あ、報道なんてまともにしたことないのかな?バラエティーでお茶濁してるタレントか。
無残に恐怖の中苦しみながら殺された二人の無念さを深く考えましたか。
彼らは何の落ち度もないのに、加害者の興味の犠牲となり、今になっても加害男性の自己救済という身勝手な行為に巻き込まれているのです。
殺された二人からしたら、
自分達が殺害される過程等を再度公にさらされることや、
加害者の自己救済という名の衝動に利用されることは、
悔しくて悔しくてたまらないと思います。
そんなことは、自分の中だけで済ませてくれと叫びたいと思います。
遺族の方々も、これまで少しずつ、気持ちを整理してきたのにも関わらず、その努力を再度加害者に壊されたのですよ。
この加害者は、事件から何年も経ってから、再度遺族に対して甚大な精神的被害をかけているのに、
出版する前にこの加害者はそんなことも想像出来ない、もしくは想像していたとしても自らの利を優先する人間なのです。
遺族の方々は、これまで、辛い思いをしながらも、感情的になったら意見を世間から理解してもらえないと思い、じっと耐えて、しっかりと冷静な対応をされています。
加害者は、遺族の方々の冷静で大人な対応と少年法に甘んじて、自ら作り出したストーリーの主人公になり、世間から注目されたいという欲求を処理している社会病質者なんですよ。
長谷川さんの意見によって、傷付いている人は、私を含め大勢いると思います。
遺族にならなければ分からない部分もあると思いますが、誠実に謝罪し、訂正してください。
記事の内容とはずれますけど、ふと思ったんですけど
少年Aは凶悪な事件を起こしたけど未成年だったから法に守られて、少年院を出た後はなんと、改名し嘘の経歴を作ってもらって、誰にもばれず生きていけるんですよね。就職でもその犯罪歴は不利にならない。
だけど、最近話題になってるバカッターの子達なんかは、刑罰はつかないからそういう保護はなく、一度ネットで暴かれた名前も写真も経歴もそのまま背負っていかなきゃいけない。
なんか...すごくないですか、これ。
冷蔵庫に入って遊んだ子より人を殺した子が守られる国なんですね、日本って。
関係ない話でごめんなさい。
それは、表現の自由に基づく当然の権利だと思う。
賛否両論が公の場で、発言できる国は幸せだと素直に思う。
だが、しかし、内容は人としての思いやりが欠落した最低のものであった。
~中略~
この両者には絶対に許可を求めに行った方がよかったものと思う。でなければ、いらぬ傷を再び刻んでしまうことになったろう。そこは間違っていた、と断罪されるべきことである。
しかし、それらを考慮しても、この本には読む価値はあると私は思いたい。~
上記のコメントは、長谷川氏がジャーナリズムのためであれば遺族・被害者を踏みにじっても
よいと基本的に考えている証左であり、絶対的に同意しかねる。
元少年Aにしても、長谷川氏にしても、他人の心の痛みに対する想像力の欠如を強く感じる。
相手の気持ちより、自分の意見を大切にできる方はある意味、正直な方だと思います。
ただ、やはり相手に対する配慮は必要だと思います。
勝手なコメントは自由だと思いますが、それによってストレスを感じて病気にでもなったとしたら誰が責任を取らないといけないのでしょうか?
言葉は人を壊せる武器です。
扱いには十分、注意してください。
いろいろな角度から見て、考えなければならないということを教わりました。
今回の記事に関しても、私は第三者ですし本も読んでいないので
何も言えないのですが、感情的には皆さんのおっしゃるとおり
もし自分の子供が淳君と同じ目にあい、突然目の前からいなくなったら・・と思ったら
想像もできませんがそれを経験した人にしかわからない苦しみがあると思います。
おとといNHKの特集で『沖縄戦・全記録』という番組をみましたが
その中で87歳のおばあさんが戦火のなかけがをしてしまい自分のために薬を探しにいった姉が砲弾にあって亡くなってしまった。今でも夢にでてくるし眠れない夜もある・・。と語っておられました。
70年たった今も、です。
大切な人を理不尽に失うというのはそういうことなのではないでしょうか。
長谷川さんの個人としてのご意見は理屈ではとおることかもしれません。
ただ被害者の方の心情を思うと、『この本をいつか読んでいただきたい』というのは
本当に違和感を覚えました。
いつもは読んでいるだけのブログでしたが、コメントせずにはいられませんでした。
たとえ自分の子供が殺されたとしても、自分は同じことを言う。と。
自分は遺族として、被害者の父としてこと本を買うし、読んで評価する。と。
そう付け加えとけば、もう少し説得力のあるブログに仕上がったのでは?
あなたが今回ここで多く批判されてるのは、遺族の気持ちに対する思いの甘さですよね?
なので、自分の子供が同じことをされても、同じことを思うだろうとしっかりご自分の意見と立場を述べておけば、さらなる大反響は呼んだ可能性は否めませんが、ここまで批判はされないかも?しれませんよ。
この人ってやっぱり中身は本気でクレイジーだったんだ…とは思われると思いますが。
そうなると、以前書いていた少年犯罪の実名公表せよ〜で親の心境を語っていた下りは、大きく違和感がありますので、ぜひとも撤回してくださいね。
だって、お子さんが被害にあってもないくせに、近くに被害者がいるかもしれないというだけで親の立場でキツイんでしょ?
今回、犯罪者を生きにくい世界に仕立ててるのは世間だとおっしゃっていましたか、
あの実名を公開しろと述べていた自分も、その世間を作り上げている一人だということを、今を持って自覚していただきたい。
なんだか、今回のブログで、
長谷川の考えには大きなぶれを感じましたね。それが何より残念でした…。
どんな評価したっていいと思うんですよ?ブレがなければ。
正直この本を読んでみたいという欲望は、あります。彼の心情を心の移り変わりを知りたいと。
ですが、メディアで紹介された断片だけで、内省不足の陶酔した自己弁護の文章に辟易しました。
読むことはないので一点だけ教えて欲しいのですが、根元の彼の親子関係にきちんと対峙していましたか?
そもそも耐えきれなかった欲望を発信するだけならブログにでも書きなぐればいい。凄惨な事件を起こし、その加害者が本を出版して報酬を得る。凄いビジネスモデルです。
被害者家族は幾度も心をかき乱され蹂躙され、生き地獄ですね。人を赦せず、憎みながら生きるというだけでも辛いのに。何の落ち度もなかったのに。
長谷川さんは仕事柄彼が遺体を損壊し、その遺体に何をしたかは、ご存知ですよね。
本を読むのは、自由です。様々な感想を持つのも自由です。
しかし、この本に被害者家族の救いなど、ない。救いがあると思うのは、傲慢だ。
文章は上手くありませんが、書きます。
無菌状態が大好きというのは意味が違う気がします。
成長の過程で色んな気持ちを経験すると思います。苦しいことの方が多いかもしれない。思春期特有の纏まらないややこしい気持ちを誰もが抑えたり結んだりちぎったり、もがき苦しんで呑み込んで消化いきます。時にはぶつかり合って怪我をし合うことだってあります。それでも、自分より弱いものを傷つけたりまして命を奪ったりすることなく大人になっていきます。貴方の言われる無菌状態で社会へでます。
そこに行き着くまでに相当な過程を要しています。社会に適応するのにもまた色々あるでしょうがそこも乗り越えていきます。社会へ出るまでの過程が役に立ちます。
やってしまった時点で、一線を越えているんですよ。越えてしまった人間を受け入れられないのは、それだけのことを親も自分も代々やってきて今があるからです。
この本の出版は、私にとっては警鐘です。
一線を越えた人間にやすやすと生きていける道が開けるような国なのだとよくわかりました。
法を変えればいいだけのことだと書かれましたね。私もそう思います。
私は神戸の人間です。当時まだ高校生でした。半狂乱な声での母からの報告。あの時期のことを忘れられません。
被害に遭った人、その家族の気持ちを思うと、現在3人の子を持つ者としてやりきれません。
私は一線を越えた人間が書いたものなど、読みません。更正につかってきた時間は、亡くなった子供は無条件に得られるはずだった。その時間を亡くなった子供にやってほしいなどと、非現実的なことを思うほどです。
ただ赦せないです。このブログの文章も、浅く軽く感じました。ここまで感情的になるとは自分でも驚いています。気付きを得られて、太田出版には感謝します。
>法治国家日本のルールに従って裁かれ、(中略)文句があるのであれば、それはご自身が選挙に出馬し、法改正を行えば済む話である。
あなた自身、今の日本の司法は犯罪被害者が軽視され、もっと加害者は厳しく裁かれるべきだと思っている割に、我が物顔で正論振りかざして、あまりにも乱暴で、無感情で、心を逆撫ですることを仰りますね。そこに矛盾はないのですか?
元少年Aは殺したい衝動を抑え切れなくて、わがまま身勝手に2人の命を奪い、そして、今回も書きたい衝動を抑え切れなくて、被害者遺族の許可も取らず、わがまま身勝手に本を出版した。本当に彼は変わったのでしょうか?越えてはいけない一線を越えたい衝動に駆られたとしても、理性でその衝動を抑えるのが全うな人間じゃないですか。
名前も変え、誰にも自分の素性を知られずに、わがまま身勝手に、匿名で出した本が「力を込めた、魂の宿った1冊」だなんて、よく言えますね。被害者遺族を第一に考えるべきじゃないですか?あたなだって遺族が本の回収を求めていることは知っていますよね?分かっていながら、こんな批評をアップするなんて、あんたは鬼畜や。
と書いておきながら、その後の論旨に矛盾があるんですよ。
つまり、なんとなく話題に乗ってみた。注目されればいいな~。ということがわかる文章ですね。
昔の栄光今一度というところでしょうか。
でも、無理です。
こうなることを予想していなかったとは言わないだろうね?
予想していなかったのなら廃業しろよ!それって頭悪すぎだろう?
相当お金に困ってるのかな?
申し開きの投稿を待ってるよ♪
加害者が事件について意見を公に開陳する自由はない。
従って、この本は出版されるべきでないし、読むべきでもない。
内容以前の問題だと考えます。
しかし今回は、このニュースを知って、憤りを感じていた私にとって、賛同し得ない内容でした。
色んな見方があるとは思いますが、シンプルに言って、
遺族の方々に内緒でこの様な本を出版する事自体が、人間としてアウトだと思います。
道徳心や何もかもを捨てて、金儲けに走った出版関係者の大人達、最低のクズ野郎です。
こんな事がまかり通ってる事に驚きました。
元少年Aには、自分の気持ちを語る資格などない、と感じます。
刑期を終えて静かに暮らしているのであれば、まずそのままじっとしているべきで、
亡くなった被害者や遺族の方々への気持ちがあるならば、その方々が少しでも心の平安を持てるように、
一生をかけて罪を償っていくべきです。
なのに彼は、自分の気持ちを語る事を優先してしまった。
全く分かっていませんよね。
そして、救いようのないこの人物の自分語りに乗じて金儲けを企んだ大人達・・・
道徳心や思いやりのカケラもないですよね。
同じ日本人として、恥ずかしいです。
長谷川さんの意見も分からなくはないのですが、もし仮に長谷川さんの息子さんや娘さんが同じ目にあったら今、あなたが述べた意見を言えるのでしょうか?
もちろん自分の立場によって意見が違ってくるというのはわかっていますが、おそらく同じ意見は述べられないと思います
もし私が被害者家族だとしたら…
我が子が同じような目に遇わされたとしたならば…
間違いなくこの父親と同じ考えを持ち、同じ行動をしただろう。
本の内容云々ではない。加害者がどんなに反省し感謝の言葉を述べていたとしても、被害者遺族の傷は癒えることはない。
だとすれば…
意味のある出版とは言えないと思う。
そして、周りがなんだかんだ言えることでもないと思う。
組織とは素晴らしいもので、必ず自浄作用を持っている。
だから、謂れのない濡れ衣を着させられた場合にその作用が働く。
1対1の小さな組織、夫婦でも同じで、最後は徳があるかないかで決まる。
巨大テレビ局であれば尚更で、いくつものフィルターで濾過され、それでもまだ汚れている場合に初めて処分が下る。
その過程は、証拠や過去の功績や人間関係や日頃の態度が物を言う。
貴方も過去の過程で、徳さえあれば必ず救われたはずなのに、なぜ誰からも救いの手が伸びなかったのか?
あれだけの巨大組織なのに、彼はそのような人物ではない!と言い切ってくれる人間が何故いなかったのか?
不思議に思っていました。
でも、今回のこの記事を読み、やっと分かりました。
多分、前の会社でも同じだったのでしょう。
結局、徳がなく、局内で応援していた方々の手の届かない所にいってしまったのだと思います。
犬、子供、逆境
一般受けする話題を連ね、フアンを増やし、テレビにもカムバックしたものの
少し人気が出ると、手の届かない所に行きたがる。
簡単に言うと「おごり」なのですが。
今回だけは取り返しがつかない、本当に手が届かない所に行ってしまいました。
本当に、とんでもない人としての間違いを犯してしまいましたね。
残念です。
そして、あなたのお子さん、奥様に同情します。
こんな夫、父を持った事に。
被害者の気持ちも汲めない、本を読めとすすめるあなた。
私は神戸出身で当時あの近くに住んでいたので、余計にあなたの意見が腹だたしくて仕方ありません。
カメラを持って土師守さんに会いに行って是非その言葉をつたえていただければと思います。
あなたが書いたこのブログ、一生忘れませんから。