Photo by Peisuke
こんにちは、ペイスケです。
皆さん、頓智で有名な一休さんの話は御存知ですか?
〈このはしを渡るべからず〉
〈毒の水飴〉
〈屏風の虎を捕らえてみせよ〉など、
周りの大人に無理難題を出され、しかし見事に頓智で解決する小坊主の話を、子供の頃にアニメや絵本などでご覧になった方も多いと思います。
では、一休さんが大人になってからの話は御存知でしょうか?
今日はそんな一休さんがその後どのよな大人になったのか3分以内で分かるように書きたいと思います。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
まず、生い立ちですが、これが王道少年漫画の主人公よろしく実は凄い血統の持ち主なのです。
一休の母親は南朝方、藤原氏の出で宮仕えをしていた日野中納言資朝(ほのちゅうなごんすけとも)の息女、照子姫と云われています。照子姫は南北朝合一した後、後小松天皇の宮内に入り寵愛を受け、一休(幼名 千菊丸)を授かりました。
しかし、後小松天皇からの寵愛を受けていた照子姫は周囲に妬まれ、帝の命を狙っていると非ぬ疑いを掛けられ、宮内から追放されてしまいます。これには諸説あり、後小松天皇が一休は足利義満との間の子ではないかと疑った為と云う説もあります。
宮内から追放されてしまった照子姫は民間へ入る事となり、嵯峨の民家で一休を出産します。その後、南朝残党の嫌疑を掛けられる事を避ける為に照子姫は一休を僧侶にしようと、6才の時に京都、安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)和尚の元に入門させます。
ここで一休は周建と名付けられ、小僧として働きます。ここからの小僧時代の話がアニメや絵本になった元ネタです。なので、当時は一休さんではなく本当は周建さんでした。このアニメや絵本の原作は『一休咄』と云って、沢山の逸話を残した一休宗純の面白話を江戸時代にまとめたもので46話、全4巻作られました。アニメや絵本はこの中の幼少期の話を元に作られたものです。
安国寺で様々な文献や経典などを読み漁り、勉強し、見聞を広げていった一休は、当時の五山制度(官寺制度)による宗教と金と権力の腐敗に嫌気が差し、17才の時に純禅を求めて安国寺を出て、西金寺の謙翁宗為(けんおうそうい)和尚の元へ参禅します。この時、謙翁宗為は人身の名から一字を取り、一休へ宗純の名を授けます。この西金寺、雨露を凌ぐのが精一杯のボロボロな貧乏寺で食事は托鉢でのみとされ、日々、禅、、、、、
※長くなるので、ここからは箇条書きにします。
・権力の腐敗に嫌気が差し安国寺を出る。
・純粋なる禅を求め、謙翁宗為(けんおうそうい)に弟子入りする。
・謙翁宗為から宗純の戒名を授かる。
・頑張って清き心を得ようと修行に励む。
・謙翁宗為に「清いものをと望んだとき、お前の心の中には汚れたものが生まれている。差別を生むのはお前の心自身だ」と言われ、盛大に凹む。
・謙翁宗為が亡くなる。
・一休、自殺未遂。
・禅興庵を訪ね、華叟宗曇(かそうそうどん)に弟子入りする。
・華叟から与えられた公案『洞山三頓の棒』を解き、一休の戒名を授かる。
・華叟が印可状を与えようとするが、一休『そんな紙切れいらない』と一蹴。
・禅興庵から出る。
ここまで、悟りを求め修行に励んでいた一休でしたが禅興庵から出た後、外に目を向ければ都も仏教も腐敗だらけ説法では飢饉や疫病で苦しんでいる民衆を助ける事も救う事も出来ずに無力さを痛感します。以後は詩、狂歌、書画と風狂の生活。
この時、一休 31歳。
そして、ここからの破戒僧一休宗純が面白い。
一休宗純、パンクな男です。
僧侶である一休は朱鞘(朱色の鞘)に木刀を収め帯刀していた。これは外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を皮肉ったパフォーマンスだったそうです。
正月には、棒に髑髏を括りつけ「門松は 冥土の旅への一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。この通り、この通り、ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。それを見た人に「めでたい正月に何故こんな不吉なことするのか」と問われると、一休は髑髏を見せ「人間、いつまでも目が出てるわけではない。いずれ皆このように(髑髏に)なりますよ」と答えたと云います。
仏教の教えで禁じられている飲酒、肉食、女犯を繰り返した。
『女をば法の御蔵と云うぞ実に、釈迦も達磨もひょいひょいと生む』(釈迦も達磨も偉いが、産んだ女はもっと偉いだろ。と)
『釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな』(釈迦は悪くないけど後から出てきた奴等が教えを都合よく解釈して人を迷わすんだよ)
『世の中は起きて稼いで寝て食って死ぬのを待つばかりなり』
『南無釈迦じゃ、娑婆じゃ、地獄じゃ、苦じゃ楽じゃ、どうじゃこうじゃと言うが愚かじゃ』チェケラッ!
こうした一連の言動は仏教の肥大した権力と形骸化する仏教への警鐘、仏教の本質が風化してしまう事への痛烈な批判と風刺だったと解釈されており、一見奇抜なパフォーマンスは一休宗純が風狂と言われる所以でもあります。
風狂(ふうきょう)は、中国仏教、特に禅宗において重要視される、仏教本来の常軌を逸した行動を、本来は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。禅宗とともに日本にも伝わり、一休宗純がその代表者である。
肥大した権力への反骨精神。それが、あのアニメや絵本で可愛く描かれていた一休さんのその後の姿だったのです。
その後、天皇家にその血統を認められた一休宗純は大徳寺の住職として迎えられます。享年88歳で亡くなった一休最後の言葉は「死にとうない」。現在、一休宗純の墓は宮内庁の管轄で管理されています。
因みに私が一休宗純に興味を持つきっかけとなった本は絶版でAmazonにはありませんでした。一休の著書『狂雲集』はAmazonにありましが、異常に高いです。。。
ざっと書きましたが、諸説あるので興味を持って頂いた方は各々調べてみてください。
私はしんどい時とかに一休宗純の本を読むと結構救われます。
それでは、今日も遊びに来て頂きありがとうございます。
じゃあ、また!