しかし、急成長のフェーズに入ると、TEDxTokyoは別の問題を抱えることになった。さまざまな人がTEDというブランドに惹かれて集まってきて、中にはTEDxTokyoに関わることで自分の付加価値を上げたい、という動機でボランティアに参加する人も出てきた。クオリティコントロールが必要になったんだ。その結果、全てのことにガイドラインが引かれ、行動や考え方にまで厳格なルールが生まれた。
――自由でオープンという印象のTEDxTokyoでは信じ難い話ですね。
パトリック それでも、イベント自体は盛り上がっていたんだ。300人のホールに700~800人が押し掛け、ライブビューアーは7万人を超え、参加者やスポンサーの期待はどんどん高まっていった。一方で、新旧のスタッフ間では意識の違いによるトラブルが絶えなかったし、現場は殺伐としていった。
そのとき、僕は初めてTEDを観た時のことを思い出した。会場からは人があふれ、僕の前にはロビン・ウイリアムズやグーグルのセルゲイ・ブリンが立っていた。彼らも中に入りたくて列に並んでいたんだよ。どんな人も特別扱いされず、何から何まで“コミュニティのため”にしつらえられていて、本当に感動的だった。そんなイベントを自分でも作りたくて、TEDxTokyoを立ち上げたことを思い出したんだ。
TEDxTokyoの目的は、TEDを忠実に模倣することではないし、ましてや窮屈なルールや安心できるフレームで人気を保つことでもない。TEDの精神を貫き、コミュニティと真摯に向き合うこと。そして何より、TEDはそれを動かす人々のパッションで支えられていることを思い出したんだ。だから、もう一度「原点」に戻ろうと決めた。
TEDxTokyoでは“スイートホーム”
のような場づくりを目指した
――TEDxTokyo2015(7月3日、恵比寿・アクトスクエアにて開催)では、いわゆる“TEDスタイル”を踏襲しながらも、一部には新しい試みともいえるやり方が見られました。そうした変更は「原点」に戻ることと関係がありますか。
パトリック 2015年は、今のTEDxTokyoに何が足りないかを考えながら設計した。固定化したスタイルを取り払って、もっとリラックスした空間に、コミュニティにとっての“スイートホーム”のような場づくりを目指したんだ。
会場をステージと客席が一体になれるような場所に変えたり、バンドの生演奏を入れたりした。最後のセッションでは従来のプレゼンテーション形式とは違い、舞台の上にソファ風のクッションを置いて、人が入れ替わりでステージに現れ、座って、おしゃべりをする形にしてみたんだ。親しい隣人を家に招くような感じでね。確かにTED式のプレゼンテーションはパワフルだし、これからもそれがなくなるということはないだろう。でも、肝心なのは形にこだわることじゃない。少なくとも2015年のTEDxTokyo に必要だったのは、固い殻に覆われて身動きできなくなっていた僕たちを解放することだったんだ。