論説委員・谷津憲郎
2016年6月19日15時00分
沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、5月14~22日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。
◇
■1945年5月14日@真和志
那覇を見下ろす丘を米海兵隊のウッドハウス中佐がシュガーローフと名付けた。命令が届く。「即座に攻撃を開始し、いかなる犠牲をはらっても遂行せよ」。翌日までに本当にあらゆる犠牲を払うことになった。「死体の上だけを歩いても後方までもどれそうな惨憺(さんたん)たる状況だった」
■5月15日@嘉手納
特攻隊の上原良司さんが戦死した。22歳。「特攻隊のパイロットは一器械(きかい)に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。操縦桿(かん)を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向(むか)って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです」。出撃前夜の記。
■5月16日@真和志
米第6海兵師団が「最悪の日」と呼ぶシュガーローフでの激戦のさなか。沖縄への上陸後に少女を強姦(ごうかん)したケネディが裁判にかけられるといううわさが流れてきた。上官が言う。「島を出ろ。絞首刑になるぞ」。ケネディは自分で脚を撃ち、負傷兵として島を出て、裁判を免れた。
残り:1027文字/全文:1578文字
新着ニュース
おすすめコンテンツ