内容は、ヒトラーがタイプスリップして現在に来るという設定で、言ってる内容は戦時中と何ら変わりないんですが、それが場面場面で奇跡的にシンクロして、しかも自分の言ったことを不断の意志で実現していこうとする姿勢が周囲を喚起して、しまいにはテレビのコメディアンとして世論をあおり始めるという筋です。
とにかく、ヒトラーの言葉に迫力があって、人間の様子が違う。周囲の人はその様子のぎょっとしたり、愕然としたりして、反発するにしても支持するにしても、莫大に巻き込まれていくんです。
あなたも私もともに知っている。スターバックなる人物がすべてのコーヒーをひとりで同時に淹れることはできない。では、だれがやっているのか? われわれにはわからない。わかっているのはただ、スターバック氏がしているのではない、ということだけだ。ことはコーヒーだけにとどまらない。たとえばクリーニングもそうだ。クリーニング屋に服を持っていくとき、それをだれが洗濯するのか、あなたにわかるのか? <クリーニングのイルマッツ>と看板にあったら、イルマッツ本人が洗濯をしているのか? 否。わかるだろうか、これこそが今、ドイツが変革を必要としている根拠だ。変革が、革命が、必要なのだ。責任をとることのできる強い人物こそが、今のドイツには必要なのだ。決断を下し、国民の生命と生活とその他もろもろについて責任をとることのできる、指導力ある人間が必要なのだ。なぜならば、もしロシアを攻撃せんとすれば、さっきのだれかのように『ああ、それはみんなで、どうにかして決めたことです」などとは言っていられないからだ。『これからモスクワを包囲するかどうか、みんなで決めたいと思います。賛成の人は手をあげて!』というのは、たしかにすばらしく気持ちのいいやり方だ。しかし、それで失敗したときには? そうなったら、みんなで共同責任をとるのか? いや、より正しく言うならこうだ。責任があるのは国民自身だ。なぜなら、国民がわれわれを選んだのだから。ドイツ国民がわれわれを選んだのだから。ドイツ国民はあらためて知らねばならない。ロシアの件を決断したのは、陸軍総司令官のブラウヒッチュ元帥でも電撃作戦の生みの親グデーリアン大将でもゲーリングでもない。それは、私だ。それから高速道路。あれを決断したのは、どこかの道化役者ではない、この私、総統なのだ! 今、われわれはドイツ全土において、決断と責任を明確にしなくてはならない!
私はただ意志して実行する。そしてその責任をとる、それだけだ。という厳格な姿勢に感化されて、人が動いていく様子がよく描かれています。私はちょっとウルッときちゃいました。。
コマッタ(・ω・; ゞ
ふじぽんさんが、こんな風におっしゃってます。
しかし、ネオナチのような極右勢力には警戒感を示す人が多いのに、「ヒトラーそのものの主張をテレビでする男」は「ネタ」として消化してしまう、というのは、実際にありそうな話ですよね。
そうそうそう!って思いました。性格のある部分を極端に強調してしまうと、キャラクターが一個の輪郭としてカチッと決まるから、受け止めやすくなるという仕組みが働いていると思います。そこに極端に誇張された国粋主義というキャラクターでヒトラーが合致したのかなって。
一昨日、映画で公開されたみたいなので、オススメです(*・∀・)ノ.☆.。.:*・°