自民党の麻生太郎副総理兼財務相の発言が話題になっています。
あまり政治の話題が出ないTLでも、賛否両論のツイートが流れてきました。
民進党の岡田代表や共産党の志位委員長は怒っている。
岡田代表と同じく民進党の蓮舫議員は、趣旨は共鳴、と言っている。
言葉は乱暴。が、見出しにする報道はいかがか。1700兆円もの個人金融資産の多くを保有する高齢者に「消費」に使ってもらいたいという趣旨は共鳴。問題は、どうして「使わない」のか。消費税増税先送りでも社会保障の充実は先送りすべきではない。https://t.co/r8WRSxlLPr
— 蓮舫@民進党 (@renho_sha) 2016年6月17日
↑ こんな感じ。
一般人のツイートでは、ニュース映像をキャプチャした画像を4枚貼って「正論」「ぐう正論」みたいに言っているツイートが目立つ。
ぐう正論。 pic.twitter.com/WPXxeZLq93
— こらっぴ (@colappy) 2016年6月18日
RTは賛同の数を現すものではないが、ふぁぼ(いいね)は、まぁ、少なく見積もっても6~7割くらいは賛同を示すものじゃなかろうか。
以下がTwitterで出回っている「正論」と言われている部分の詳細。
金ってのは、ない時はためるのが目的になるさ。しかしあったら、その金は使わなきゃ何の意味もない。金ってそういうものだ。従って何に使うのか決めてもらいたい。どうしたいんです? さらにためてどうするんです?
90歳になって老後が心配とか、訳のわかんないこと言っている人が、こないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながらテレビを見てましたよ。
正論だなって思いましたか。
いやいやなんかおかしくない?って思いましたか。
わたしは、全然正論だと思いません。
90歳のいう「いつまで生きてるか分からないから老後が心配でお金を貯める」が、よっぽど正論だと思います。
わたしたちはいつ死ねるか分からないからです。
90歳になっても老後が心配です。だからお金を貯めます
わたしが90歳だとします。
病気だとします。いつまで続くか分からない治療にかかる医療費その他もろもろの費用が不安です、以上。
元気だとします。いつ倒れるか分かりません。倒れた結果障害が残り、要介護状態になったとしたら。
あるいは、身体障害がなくっても、認知症になったら。
いったい誰が助けてくれるんでしょうか。子供でしょうか。孫?配偶者?きょうだい?
プロに助けてほしい、大切な人の人生に介入したくない。だからお金を貯めます
そもそも、あなたは介護される価値のある人間ですか?
大切な人の人生に介入してまで介護される価値のある人間って、そんなにいないと思います。少なくとも、わたしには間違いなくそんな価値はありません。
だってわたしが勝手に倒れただけでしょう。自分のことは自分でしたい。わたしは、自分のお金で、プロのケアを受けたいです。
それを生業としている人に適切な対価を払って頼る(介護を受ける)ならば良いですが、それを想定していない人の人生に介入して負担をかけてしまう(介護をさせる)ことは絶対に避けたいのです。
大切な人には時間がない
じゃあ家族にお金払えば?ってのが通用しないのが、ここです。
現在、わたしの母が51歳です。生まれてから51歳まで、彼女にはひとときも「今なら親が要介護になっても自分で介護できるなあ」という時間はありませんでした(きっと)。
祖母はガンで亡くなり、祖父は健在ですが(メンヘラの孫もびっくりの死ぬ死ぬ詐欺してます)、もし今後祖父の介護を母がやらなければならなくなった場合、母は負担に感じるでしょう。祖父も、娘に介護をしてもらうことを望んでいません。
日々は物凄いスピードで進んでいきます。常に時間がないのです。大切な人にはその人の人生があり、わたしは1つでも多くその人のやりたいことをやってほしいと願っています。
そして、大切な人のやりたいことはわたしの介護ではありません。
ちなみに、母はわたしに自分の介護を望みませんし、わたしも母の介護をしたくないです。その旨はお互い伝えあっています。
老後が心配だからお金を貯めたい
介護問題の解決方法は、大きく分けて2種類になると思います。
- 介護者の力で解決する。
- 被介護者の力で解決する。
1. 介護者の力というのは、文字通り人力で介護したり、子供のカネとか、そういったところです。
自分が倒れたからって、大切な人の人生を何年かストップさせていい?お金を自分のために使ってもらってもいい?わたしが被介護者であれば、微塵もそうは思いません。介護者側が人のために尽くすのは構いませんが、被介護者側がそう考えるのは傲慢だと思います。
2. 被介護者の力というのは、ま、ぶっちゃけカネですよね。
いつぶっ倒れるか分かんないんだから、備えてお金を貯めるべきだと思います。
わたしももし「お金がない」現在から「お金がある」と言えるフェーズに入っても貯金し続けようと思っているし、大事なときには更にお金が降りてくる仕組みづくりをしたいと考えています。
お金にもう少し余裕ができたら、何かしら医療・生命・介護系の保険に入りたいと思っています。既に病気持ちなので難しいかもしれませんが……
お金を何に使うか:自分の介護(医療)サービスか遺産です
麻生氏は、「従って何に使うのか決めてもらいたい。どうしたいんです? さらにためてどうするんです?」と発言しました。
わたしの答えは、自分の介護・医療サービスに使いたい。そして、更に貯めて、配偶者・子供への遺産としたい。です。
自分にお金があれば、より家族の負担が少なくなります。どこまでもどこまでも、家族への負担は小さくしたいです。
そして自分が亡くなったら、最後まで自分の家族でいてくれて、頑張ってくれたご褒美に、たくさんお金をあげたいです。
90歳でインタビューを受けた翌日ぶっ倒れて10年要介護になるかもしれない。10年もできるだけ良いサービスを受けるとしたら、めちゃくちゃなお金がかかるでしょう。
介護じゃなくて、入院治療だとしてもそうです。
そのときポン、と自力で払えるように、わたしは90歳になっても貯蓄は残しておきたいです。
経済を回すのは、遺産を受け取った相手に任せます。
いつ死ぬか分からない。だからお金を貯めます
介護や医療など「お金がかかる人」になってから何年生きてしまうか分からない。もちろんすぐ死んじゃうかもしれないんだけど、長生きしちゃうかもしれない。長生きすればするほどお金がかかる。自分がいつ死ぬのか分からない。だからわたしはお金を貯め続けます。
そんなことを述べてきました。
わたしの意見はもうひとつあって、これが認められるならわたしは麻生氏の発言を支持します。
安楽死を認めてほしい。
いつ死ねるか決められるならお金を使います
もう、安楽死、OKにしてほしい。OKにしてほしい~~。
臓器提供意思表示カードみたいに「ここまで症状イッたら安楽死」の意思表示カードがほしいです。
メンヘラあるあるかもしれませんが、自分のうつ症状が酷いとき、安楽死できたらどんなに良いだろうって思っていました。幸い自殺未遂に二度スマートに失敗するレベルのへなちょこ希死念慮しか持っていなかったので助かりましたが、死のみが救いになる人を救えないのは悲しいことです。
海外の安楽死事情には詳しくないので、ノーコメントにしておきます。
そりゃ「自分いつ死にまーす」みたいにプログラムできるわけではないけれど、少なくとも自分の望まない延命治療が中止されて、安楽死が許可されたら、今よりかは消費が増えるのではないでしょうか。
だって、ゴールが見えない時には全力疾走できないもの。
結局価値観?お金は誰が払うものか
あと、麻生大臣の発言で気になったのはここ。
わたしのばあさんは91歳までピンとしてましたけど、この人は、金は一切息子や孫が払うものと思って使いたい放題使ってましたけど、ああ、ばあさんになったらああいう具合にやれるんだなと思いながら眺めてました。
おいおいおい麻生太郎のばーちゃん!!!
甘えんじゃねええええええ。
孫・太郎氏も結局こういう価値観ということなのかな。
わたしも母から影響を受けて今の考えに至っているしね。
でも、わたしは絶対にこんな風に考えながら年を取りたくはないな。
おわりに
最後に、全文へのリンクをもう一度置いておきます。
麻生氏のいうことは、正論だと思いますか?
こっそり政治に関わるお仕事もしているので、麻生氏のことばのチョイスの下手くそさは分かってます。
でもいい加減誤解を解いてくれる人がいることに甘えてないで、言葉選び気をつけてほしい。頼むよ、せっかく票もらって政治家やらせてもらってんだからさ。
政治ネタなんて本当はブログに書きたくなかったんですが、もうすぐ参院選なので、少しでも政治のことを考えてほしくてこの記事を書きました。
投票したい人がいない、嫌になるって人は、選挙プランナーの松田馨さんが書いた『残念な政治家を選ばない技術』を読むと良いと思います。
選挙童貞の人もそうでない人も、ぜひこれ読んで投票してください。という、知人の本のちょっとした宣伝でした。おわり。
Cyndi.