投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アルベア論(539)
  2. 2015年安保法制(977)
  3. 正義のあかし(49)
  4. 虚構の大石寺疑惑(4)
  5. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全5)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


萩本さんだとやりズラ

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 6月19日(日)16時56分52秒
  50年前半よく知ってるから
幹部には今年こそ谷川との決着だと宣言してる身としては 今度こそ 谷川会長 佐藤浩理事長 心よりお待ちしております。   しかし 余り願うと 又 逃げられるからな
痛し痒し ハラタニヒロシ様も同感しますね~。
 

北朝鮮が本当に核ミサイルを日本に撃ち込んで来るのか?

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)16時54分22秒
  東京新聞論説編集委員で防衛問題の専門家である半田滋氏は明確に否定しています。北朝鮮脅威論者の頑なさを揶揄して信心のようだと言われていました@2016年6月18日明治学院大学講演会。  

今の押印

 投稿者:関西人  投稿日:2016年 6月19日(日)16時47分52秒
  今の押印和紙って「プリントアウト品」なんですね。
学会の重宝印がプリントアウト!?
私らの青年部時代はちゃんと押印だったけどなぁ。
 

『個人を幸福にしない日本の組織』

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 6月19日(日)16時41分22秒
  『個人を幸福にしない日本の組織』(太田肇)という本が、今の創価学会組織の実情を言語化してくれていると思います。
(特に第三章までと第七章以降)
根本的には池田先生のご指導を文証として破折するのですが、組織の現況がどう悪いのか、説明する言葉を探すために、この本は手助けしてくれるでしょう。
この著者は個人を大切にするという信念から、全体主義と闘っています。その視点は小林節さんに近いでしょう。
池田先生は「人間主義と全体主義は正反対」と言われていました。
小林節さんは「今の創価学会と公明党は池田先生と真逆」と言われていました。
この正反対、真逆の構図が、この本からも理解できるかと思います。
 

日曜討論

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2016年 6月19日(日)16時24分54秒
  今朝のNHK討論会。今日は15分延長。
安全保障関連法についての議論は、9時52分から。
ビデオに録ったけど、まだ観てないという方は、そこだけでもぜひご覧ください。

山口氏、北朝鮮の脅威を理由に、抑止力と言うか、武力を強めることを、今日も肯定してました。
まったくブレてません(笑)。
でも、先生の思想の中に、武力を増強する事によって平和を守れ、などという考え方はどこにも有りません。

公明党が公明党であるならば、応援もするけど、あれはもう、自民党山口派。
応援する義理はないし、応援する事は、師敵対にもつながりかねないと思います。

憲法改正問題についても、まだ議論が成熟してないから、争点にはしないそうです。
でも、その議論が成熟してないはずの問題を、選挙後にシレッと通しちゃうのが、今の与党。
で、いつもの公明党、お得意のセリフ。

「自民党さんのこと信じてたんだけど、騙されちゃったみたい~。テヘペロ」 (笑)

イラク戦争の時と、去年の安保法案の時。
公明党には、すでに2回騙されました。

3度目は無い。
 

ありがとうございますm(__)m

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 6月19日(日)16時19分25秒
  螺髪様
ありがとうございますm(__)m
 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 6月19日(日)16時10分33秒
   信濃町の人びとさん、フォローありがとうございます。
 魂の炎さん、それでいいですね。「教学部レポート」でもその一端を指摘しております。あっ、これも信濃町の人びとさんの担当かぁ(笑い)。



 

ありがとうございますm(__)m

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 6月19日(日)15時45分3秒
  信濃町の人びと様
ありがとうございますm(__)m
よく分かりました!
心から感謝致しますm(__)m

 

松岡幹夫氏の近著

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)15時23分15秒
  論語の力。財界御用達の言論人と組んで法華経と論語と云う対談をしています。日顕に屈しなかった、かつての若手僧侶も馬齢を重ねて資本家階級に寝返ったか?  

EUの母 

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)15時13分15秒
  私が尊敬する女性ミツコさん、先生も一度紹介されたクーデンホーフカレルギー伯の母。
お存知の方も多いと思いますが・・もし、知らない若い方達にぜひしっていただきたいミツコさんの生涯です。

長いので、興味ある方だけどうぞお読みください。

出所:http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3045.html

・・以下、抜粋転載・・・

「ミツコ」の日本名は「青山ミツ」です。
そして東京青山の青山通りや、青山霊園なども、実は「ミツコ」がその命名に関わっています。
そこで「ミツコ」がどういう女性であったのか、歴史を振り返ってみたいと思います。

 *

明治25(1892)年、オーストリアハンガリー帝国から、外交官ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵が日本に赴任してきました。
その伯爵が、冬の寒いある日に、乗っていた馬ともども凍った道で滑って転倒し、大怪我をしてしまいます。
このとき伯爵の勤務する大使館に雇われていたミツコが、伯爵を献身的に看病したことから、二人は恋に陥ります。

二人は結婚を望みますが、当時の日本は、外国人との結婚は、彼らにあてがわれた「現地妻」という認識が強かった時代です。
というか、そういうケースの方が現実問題として多かったのです。
「どうしても」と結婚を望むミツコは、親から勘当されてしまいます。

当時の日本人女性にとって、親子の縁を切られるというのは、ありえないほど辛いことです。
ハインリヒ伯爵は、なんとかご両親に納得いただこうと、かなりの犠牲を払ったといわれ、
そのため後年、光子は日本に帰国しなかったといわれています。
それほどまでに、二人は大熱愛だったわけです。

反対したミツコの父は、青山喜八(きはち)といいます。
喜八はこの頃、骨董道楽が昂じて大借金を重ね、本家から勘当された身の上でした。
ところが、娘のミツコにハインリヒ伯爵が結婚を申し込み、そのために結納金として、かなり法外なお金を喜八に渡したのです。

おかげで、喜八は一夜にして大金持ちになりました。
そして自分が生きている間に、都内の霊園に、バカでかい自分のお墓を作りました。
このお墓があまりに大きかったことから話題を誘い、その霊園に向かう道が、青山さんのお墓のある霊園に向かう道として「青山通り」、
ついにはその霊園の名前までいつしか「青山墓地」と呼ばれるようになりました。

翌、明治26(1893)年、ミツコはハインリヒ伯爵と正式に結婚しています。
ちなみにこれが実は、日本政府に届け出された正式な国際結婚の第一号です。

この時代、日清戦争が翌1894年ですから、まだまだ日本は極東の貧乏な小国とみなされていた時代です。
そしてミツコは、そんな日本の、しかも平民の出身です。
一方、ハインリッヒ伯爵は、当時のヨーロッパにあって、伝統あるオーストリアハンガリー帝国の貴族です。
まるでシンデレラか、ポカホンタスのようなことが現実になったわけです。

この結婚に際しハインリッヒ伯爵は、東京・横浜に居留する全ヨーロッパ人に次のような宣言を伝えたそうです。
「もし、わが妻に対して、ヨーロッパ女性に対すると同等の取り扱い以外を示す者には、何人を問わず、 ピストルによる決闘を挑む。」
実に立派な男です。

ベルギー公使のダヌタン男爵は、次のように日記に記しています。
「決闘は一回も行われなかった。 だれも彼も
 この新しいオーストリアの外交官夫人の 優美と作法に魅了された。
 外交団全体が 彼女に対して尊敬の念を示した。」

明治29(1896)年、ハインリッヒ伯爵は足かけ5年に及ぶ日本滞在を終えて、帰国することになりました。
なんとこのとき、お正月の宮中参賀に、お二人は招かれています。
このときミツコは、皇后陛下から次のようなお言葉を賜ったそうです。

「遠い異国に住もうとなれば、
 いろいろ楽しいこともあろうが
 また、随分と悲しいことつらいこともあろう。 しかしどんな場合にも
 日本人の誇りを忘れないように。宮廷衣装は、裳を踏んで転んだりすることがあるから気をつけたがよろしい」

なんとミツコをやさしく気遣い、思いやりにあふれたお言葉なのでしょうか。
そしてこのお言葉は、ミツコのヨーロッパでの生活に勇気を与えます。

ハインリッヒ伯爵の家はボヘミアとハンガリーにまたがる広大な領地をもつ伯爵家でした。
二人は、現在はチェコに属するボヘミア地方の広大な領地の丘にそびえる古城ロンスペルグに落ち着きました。
夫ハインリッヒは、父が他界したことから、外交官生活から退き、一族の長となって、
大地主の貴族として領地の管理に専念することなったのです。

ところが、夫の一族のひとたちは、東洋の未開国から連れられてきたアジア人女性に冷たい目を向けました。
光子の着こなしや立ち居振る舞いという末梢的なことを、チクリチクリとあてこすったのだそうです。
いまふうにいうならイジメです。 いつの時代も、どこの国でも、人の社会は同じです。

そして二人は、その後、三男ゲオルフほか4人、合わせて7人の子宝に恵まれました。
夫、ハインリヒは、子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ、
光子に日本語を話すことを禁じました。

子供達への教育については、もちろん光子も納得したことです。
けれど多忙な夫以外に、心を打ち明けられる人がいない光子は、この頃、強烈なホームシックにかかります。
いまのように飛行機でひとっ飛びという時代ではありません。

夫のハインリヒも日本への里帰りを計画してくれたのですが、当時は船旅です。
アフリカ大陸の南端の希望峰をまわり、インド洋を延々と航海して、日本まで渡るわけです。
それは、まる半年がかりの旅です。 そんなに長い間、幼い子供たちを放置することはできません。

夫婦仲は良かったけれど、問題もありました。
充分な教育を受けた夫と、骨董屋の娘で尋常小学校を出ただけの妻では、まるで教育レベルが違ったのです。

ある日のことです。
子供が教科書を開いて自習していたとき、
「お母様、これは何でしたっけ」聞いたのだそうです。 ところが光子には答えられない。

「これではいけない」と光子は思ったそうです。
ヨーロッパ人の母なら当然心得ている事を自分が知らないでは済まされない。
そこで光子は、自分も家庭教師について、子供より先に勉強して、子供から何を聞かれても答えられるようにしておくことにしたそうです。

次男のリヒャルトは、自伝でこう回想しています。
「母は一家の主婦としてよりも、 むしろ女学生の生活を送っていて、
 算術、読み方、書き方、ドイツ語、英語、 フランス語、歴史、および地理を学んでいた。
 その外に、母はヨーロッパ風に座し、 食事をとり、洋服を着て、
 ヨーロッパ風に立ち居振る舞いすることを学ばなければならなかった。」

それは、寝る時間を削ってまでして行う勉強でした。
立派な母親となるために勉強に打ち込むミツコの姿は、子どもたちの心に深い影響を与えています。
子は親の背中を見て育つといいますが、こういう光子の態度は、本当に立派だと思います。

日露戦争における日本の勝利によって、あらためて立場が強化された光子ですが、
残念なことに、翌明治39年5月に、夫ハインリヒが心臓発作で急死してしまいます。
わずか14年の夫婦生活でした。

異国に一人残された光子は、今まで二人で築いてきた世界が足もとから崩れ去っていくような気がしたそうです。

けれど、光子に、悲しみに浸っているひまは与えられません。
夫は遺書で、長子ヨハンをロンスペルグ城の継承者とする他は、いっさいの財産を光子に贈り、
子どもたちの後見も光子に託されるべし、と書き残していたのです。

広大な領土と厖大な財産です。 その一切の管理を、
「未開国から来た一女性に任せるなどとんでもない」、
「日本人に先祖伝来の財産を奪われてなるものか」とミツコは親戚一同から糾弾されてしまうのです。

しかしこのとき、ミツコは断固として言いきったそうです。
「これからは自分でいたします。 どうぞよろしくご指導願います」

日本女性がこのような任につくには不適当だと、ミツコは裁判まで起こされています。
しかしミツコは、弁護士を雇い、時間はかかったが、とうとう訴えを退けました。

問題は他にもありました。
遺産を相続したということは、その経営も受け継いだということです。
ミツコは、法律や簿記、農業経営などを、必死で勉強することで、領地財産の管理を自ら立派にこなしました。
馬鹿では勤まらないのです。

さらに亡夫の精神に沿って、立派なヨーロッパ貴族として子どもたちを育てようと、育児にも打ち込みました。
このとき、長男ハンスは13歳、次男リヒャルトは12歳でした。
表面はけなげな伯爵未亡人として、領地の管理や育児に忙しい毎日を送っていたミツコも、望郷の念はやむことがありません。
それでも、「日本に帰ることは子どもたちが成年に達するまであきらめよう」と心に誓いました。

光子は、ときおり日本の着物を着て、ひとりで何時間も鏡の前に座ることがあったそうです。
それは、望郷の念に駆られて、ひとり涙を流していたときだったのかもしれません。

次男のリヒャルトは、後年、
「そんなときの母が、最も美しく見えた」と回顧録に書いています。
リヒャルトが部屋にはいってきたとき、きっと光子は息子に澄んだやさしい笑顔を向けたのでしょう。
悲しみを知るものは、やさしさを身につけることができるのです。

光子は、涙を我が子に見せなかったそうです。
光子は、正座して毛筆で巻紙に両親宛の手紙を書くことが唯一の楽しみで、毎週一通は出していたそうです。

 年老ひて髪は真白くなりつれど
 今なほ思ふなつかしのふるさと

これは、光子の老年になってからの和歌です。「私が死んだ時は、日の丸の国旗で包んでもらいたい」
それが、光子の遺言でした。

大正3(1914)年、第一次世界大戦が始まりました。
このとき、オーストリアハンガリー帝国と日本は敵国になりました。
両国間で実際の干戈を交えることこそなかったものの、開戦当時はヒステリックな反日感情が沸き上がりました。

ウィーンにいた日本人の外交官や留学生などは、みな国外退去しました。
光子は、広大なオーストリアハンガリー帝国にただ一人残る日本人となりました。

日露戦争の時は、オーストリア・ハンガリー帝国はロシアに威圧されていたので、
日本の連戦連勝に国中がわき上がっていたものです。
ですから仲間の貴族や領民たちは、次々と光子のもとにお祝いにかけつけてくれました。
けれど今度は敵国です。 人々は警戒の目を向ける。

そんな中で光子は、長男と三男を戦線に送り、自らは3人の娘を連れて、赤十字に奉仕しました。
黒い瞳の光子やその娘たちの甲斐甲斐しい看護に、人々は好感を抱きました。

さらにこのとき、光子は領地の農民を指揮して、森林を切り開き、畑にして大量の馬鈴薯を実らせています。
収穫した馬鈴薯を、借り切った貨車に詰め込み、男装して自ら監督しつつ、国境の戦線にまで運ばせました。
前線でロシア軍に苦戦していたオーストリア・ハンガリー帝国軍の兵士達は食糧難に悩まされていたのです。
ですから、そんな光子の姿に兵士達は、「生き身の女神さまのご来臨だ」と、塹壕の中で銃を置いて、光子を拝みました。

光子の馬鈴薯作りは終戦まで続き、周囲の飢えた民を救うのにも役だっています。

大正7(1918)年に戦争が終わったとき、次男のリヒャルトが13歳も年上の女優イダ・ローランと結婚すると言い出しました。
光子は反対しました。

するとリヒャルトは家を飛び出してしまいました。
飛び出したリヒャルトは、「汎ヨーロッパ主義」という本を著し、一躍ヨーロッパ論壇の寵児となりました。
長男ハンスも平民のユダヤ人女性リリと結婚し、ピクシーという女児をもうけて家を去りました。

子供たちが次々と去っていく光子に、追い打ちをかけたのは、第一次世界大戦におけるオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊でした。
この敗戦によって、クーデンホーフ=カレルギー家も、過半の財産を失ってしまいました。

光子は、大正14(1925)年に、脳溢血で倒れました。
なんとか一命はとりとめたものの、右半身不随となりました。
以後の光子は、ウィーン郊外で唯一の理解者であった次女・オルガに介護してもらいながら、静養の日々をすごしています。

この頃の光子の唯一の楽しみは、ウィーンの日本大使館に出かけて大使館員たちと日本語で世間話をし、
日本から送られてくる新聞や本を読むことだったそうです。

昭和16(1941)年8月、第二次世界大戦の火の手がヨーロッパを覆う中、光子はオルガに見守られながら67歳の生涯を閉じました。
渡欧して45年、結局、光子は一度も祖国の土を踏むことはありませんでした。

次男のリヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、その著作で「欧州統合」を主張し、先ほども書いた“EU”の概念を打ち立てた人物です。

リヒャルトのこの大胆な提案と思想は、敵対と対立、対立と闘争という概念に支配された当時の欧州において、
実に東洋的な「和の精神」がもたらしたものです。
そして、リヒャルトの母が日本人であるという事実に、さまざまな新聞が当時、光子に新しい名称を贈りました。

その一例を示すと、
「欧州連合案の母」
「欧州合衆国案の母」
「パン・ヨーロッパの母」等々です。

リヒャルトの生涯をかけたた理想と運動は、その後もヨーロッパの政治思想に大きな影響を与え、
第2次大戦後のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、
そして現在のヨーロッパ連合(EU)に至っています。

リヒャルトは母・光子についてこう述べています。

「彼女の生涯を決定した要素は
 3つの理想、すなわち、
  名誉
  義務
  美しさ
 であった。 ミツコは自分に課された運命を、
 最初から終わりまで、誇りをもって、
 品位を保ちつつ、かつ優しい心で甘受していたのである。」

狼に育てられた子供は、狼のままで人に戻ることはなかったといいます。
人は、人として躾けられて、はじめて人になります。
知識偏重で、人とのしての躾のない人は、もはやどこかの国と同じ、人ではなく「人の皮をかぶったケモノ」です。

ケモノではなく人であることを、社会全体で目指していたのが、戦前までの日本社会です。
私たち日本人は、いま、国全体で、人ではなく、ケモノつくりに励んでいるように思います。


・・・転載終わり・・・


アフリカの大地に一人立つ創価の同窓生、ご主人を亡くし、一人で子育て、大学教授として
戦う婦人部の方がいますが・・女性は剛し。

いつの間にか、獣たちに乗っ取られてしまった、
我が学会組織・・学会再建には女性会長、また女性副会長を待望。
少なくとも、SGI理事長は女性を・・


広布一筋・・ OK
 

素晴らしい!

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 6月19日(日)14時44分28秒
編集済
  ヨッシー様の投稿再掲ありがとうございます
まさにその通りです!

去年の3月に皆さんは既に気がついておられたのですねー
素晴らしい!!!

今一番大事な戦いは何か?
仏意仏勅の団体、創価学会を三代の軌道に戻す戦い

その戦いに唯一挑戦しているのが宿板
凄い時に凄い板に巡り会えました
皆さんの勇敢な戦いに敬意と感謝です
ありがとうございます

さて、17.18.19と聖教から原田さんが消えています
皆さん、どう思われますか?

自分は健康状態、悪化の為だと推測しています
理由は6.18 責任役員会が開催されています
6.4にも責任役員会は開催されていました

6.18
責任役員会の内容は会館建設について審議したと記載されていました
支援の真っ最中、明日告示を控え、会館の審議の為に責任役員会を開くでしょうか?

健康悪化の為、主任副会長が代行するのではないか?
そして、萩本主任副会長が代行することを決めたのではないか?
と推測しています

もし、そうだとしたら、会員にチャンと発表してくださいねー
選挙に影響がとかの理由で隠さないでください
明日以降の聖教での会長の動向、注目しています

生涯広布様
大切な御指導の投稿、ありがとうございます
まさに城者として城を破るのは誰か!
共産党か?
共産党は外道、故に違う

城者として、城を破るのは弟子の振りをした偽者の弟子であると自分は先生から教えていただいています

池田先生の学会を乗っ取り、破壊しているのは誰か?
答えはヨッシー様の投稿に全てあります

先生は安保法案の際、皆で祈って「最善の智慧」を出しなさいと言われました

「皆」の筈が実は弟子の振りをした2人の意見に従っただけだったのではないでしょうか?
そして、出した「最善の智慧」は会員からも国民からもソッポを向かれる結果だったのではないでしょうか?

今の問題は、「最善の智慧」の過ちを認めず、指摘する本当の弟子を偽者の弟子が除名していることにあるように見えます

信濃町様
52年路線の投稿、ありがとうございます

52.5.3
先生のスピーチをネットで聴くことができます
先生は素晴らしいです
「宗門を外護し、世界的にした
今度はとにかく学会員を大事にしたい
学会員を幸福にしたい」
と言われていました

大聖人は題目の流布をされた
学会は本尊流布をし、戒壇を建立した
大聖人の遺命を果たした
そこから、戸田先生が最晩年に言われた
「全学会員を幸福にしたい!」
との遺命に挑戦されようとされています

当時は総会に宗門の幹部も参加していたので、壇上で、先生の発言を聞いて、さぞかし怒り心頭だったのではないか?と推測します

かつて、平清盛の父の時代は武士は朝廷の番犬と思われていました
朝廷の番犬が政治を司るようになったのが武家政治

かつて宗門は、学会は自分達の番犬
しかもお金を運んでくる奴隷としか思っていなかったのではないでしょうか?

その番犬のリーダーが今度は自分達の仲間の幸福の為に働きたい!と宣言

必死で、番犬のリーダーを潰そうとした
それが54年問題の本質ではないでしょうか?

本物の戸田門下ならば「全学会員を幸福に!」
との戸田先生の遺命に挑む、先生を全面的に守るべきでした
結局、彼等は自分の私利私欲が優先
師匠の遺言よりも自分を優先しました

今、同じことが起きています
今度は本部の中で起きているように見えます

職員の皆さん
試されています

本物の弟子の道を生きるのか?
自分を優先する偽物の弟子の道を生きるのか?

不軽菩薩は全ての民衆を幸福にしたい!と合掌礼拝
なんで感謝されないのだろう
なんで迫害されるのだろう
不思議だった

同様に学会員を幸福にしたい!決意し、行動すると難が競い起きる
学会員を幸福にする為の団体の学会の筈なのに
不思議?
しかし、それが師匠が歩んだ道
この道を師匠と共に歩みます
 

2000年代の...

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)14時37分56秒
  所謂ゼロ年代の佐藤優氏の著作を読むと、北朝鮮への武力征伐が露骨に語られていて驚きます。このような人物が池田先生をイエス キリストの再来と持ち上げています。佐藤優氏は創価学会の言論人を手玉に取っているように感じます。  

反共の洗脳

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 6月19日(日)14時31分46秒
編集済
  これも秋谷たちが妨害した創共協定からの流れでしょうね
学会員は長く洗脳されてますww
竹岡親父の電柱盗聴事件もありましたね~

ピロシは男子部を兵隊にして反共ビラ配布
反共本買い取らせたり、やりたい放題でしたww

竹岡息子は反共アジテーション 酷いもんですね~
学会組織、学会員を政治屋にしたのですから
 

半田滋東京新聞論説委員の指摘

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)14時25分15秒
  東京都内某所にて半田滋氏の講演会が行われ、中国や北朝鮮は脅威ではないとの指摘がありました。中国が本気で日本との、そして米国との戦争を考えているのならば、こんなに密接な経済関係を持たない、のがその理由。等々。安全保障平和法制の前提、東アジアの戦略的環境の不安定化と云う主張が崩れてしまう。こんなこと書くと私は共産党員にされてしまうらしい(笑)
 

日本国家の神髄

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)14時06分8秒
  佐藤優氏(笑)です。彼は真正の国家主義者であることが、この著書からも分かります。そんな人物が創価学会と池田先生を讃えています(笑)。日蓮大聖人は国家権力の魔性と対決されたと教えられた世代@55歳(独身、笑)の私には国家主義者に礼讃されていい気になっている昨今の学会執行部って何!と云う感じですよ  

新人間革命 人間外交 十四より・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)13時36分25秒
  ・・一部抜粋転載・

伸一が民間交流を展開していることに対して、福田は”ソ連、中国、そしてアメリカと、
首脳に会って交流の道をつくってこられた。大変はことです。 日本の国のためにありがたいことです”
と言いながら、しきりに頷(うなづ)いた。

伸一の民間交流に対しては、嫉妬からか、”日本の外交の邪魔になるから、
勝手なことをさせるな” といった政治家や官僚の声もあった。

だが、福田は、民間交流の大切さを真摯(しんし)に受けと目、高く評価していたのだ。
人の器は(うつわ)の大きさは、国益や人類益を本当に考えることができるか どうかによって決まると言って良い。
伸一は福田の器の大きさを感じた。

伸一は、ソ連のコスイギン首相や中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官との会談について、語れる限りのことを伝えた。

日中平和友好条約についても話題になった。
伸一は、その必要性を強く訴えた。

また、伸一が四月三度目の中国訪問を予定していることを告げると、
福田は”帰国されたら、また、ぜひお会いして、お話を伺いたい”とのことであった。

”わかりました。お会いしましょう。二十一世紀の日本のため、アジアのため、世界の平和のために、語り合いましょう”

福田は、この翌年の十二月、自民党総裁となり、総理に就任する。
伸一と彼との交友は、その後も末長く続くことになる。

転載終わり・・

人間外交・民間交流・民間外交・・・


広布一筋・・
GOOD!





 

自語相違のカメレオン党

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 6月19日(日)13時23分7秒
  この男、TPP反対だったよ

 

御礼申し上げます。

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年 6月19日(日)13時06分42秒
  *赤胴鈴之助さんへ
貴重なお時間と労力を
費やして頂いて本当に頭が下がる思いですm(__)m

心より深く感謝致します。
どうか無理のない範囲で
よろしくお願いしたいです(>_<)

家族サービスは大切です。
奥さまのお手伝いを優先して
下さいませm(__)m

*太ちゃんへ
とんでもないです(>_<)
太ちゃんさんの思いやり気遣いが凄い伝わってきます。
いつも的確で迅速な対応を
されていて凄いなぁと
思っております。
真心のご投稿に感謝です☆
ありがとうございます(^^)


ご参加 閲覧されて居られる
皆さまにもこの流れを
温かく見守って頂けていることに心より感謝申し上げます。
ありがとうございますm(__)m


 

新人間革命・・人間外交十三

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)13時01分47秒
  山本伸一は、最初の会談で、福田赳夫が、目をしばたたきながら、日本の現状
を慨嘆(がいたん)していたことが忘れられなかった。

”戦後、日本は豊かになりました。しかし、<モノで栄えて、心が滅びる>
という状況になってしまっている”
金持ちになったからといって、”エコノミックアニマル”と言われるようでは恥ずかしいですよ。
どこの国でも金の力には頭をさげるが、それは表面だけです。

腹の中では軽蔑している。これを私は変えたいんです。
世界に尊敬される日本にならなければみっともない。

私は、金で買えないものの価値を大事にする政治をしたいと思っているんです”
大蔵大臣である福田の”金で買えないモノの価値を大事にしたい”
という言葉に、伸一は感動を覚えた。
彼の人間性の輝きを感じた。

本当に価値あるものは金では買えない、といっても過言ではあるまい。
人間としても信頼も、本当の愛も、金では買えるものではない。
伸一は、福田の視点に共感した。

”おっしゃる通りだと思います。私どもが心奉する日蓮大聖人は、
”蔵の財(宝)よりも身の財(たから)すぐれたり身の財より心の財第一なり”と仰せになっています。

”蔵の財”とは金などの財産と言えます。身の財とは技術や資格、
また、肉体の健康も、これに含まれるでしょう。そして、心の財とは、
自己の生命のうちに築いた豊かさです。

いかなる試練にも負けない生命の強さです。
常に歓喜、充実(じゅうじつ)、躍動(やくどう)を持って、生き抜く力であり、創造的生命です。

これこそが、何があっても崩れることのない幸福の源泉と言えます。
この心の財は決して金では買えません”

福田は、椅子の肘掛(ひじかけ)をとんとんと指で叩きながら、興味深そうに
伸一の話を聞いていた。

”現代の荒廃は、蔵の財を第一と考え、最も大切な心の財を軽んじてしまった
ことにあるのではないでしょうか。それは生命、人間性の軽視にもつながります。
私ども創価学会の運動は、その心の財を取り戻す、精神の復興運動でもあります”

”そうですか、大事なことですね”

・・転載終わり・・

多くの日本人が築いてきた現在の世界における日本観。
世界で一番好感が持てる国と・・

これを、今、我が創価学会 反逆者がぶち壊し始めている・・
イラク戦争加担、新安保法賛成、核保有異議なしと・・憲法改正突入の参議院選挙

また、三悪道に落ちた多くのケモノ、毒蛇、毒蜘蛛、毒ガマが潜む我らが本部・・
この先生の言葉に泥を塗リまくっている・・

このままでいいとは・・誰も思わないと・・

多くの同胞・・弟子が一斉蜂起のその時を待っていることを・・信じたい。


広布一筋・・GOOD!





 

【秋谷、原田らの関係、教義変更の背景】ヨッシーさんの論考を再掲します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 6月19日(日)12時50分59秒
  以下から一部を抜粋し再掲します。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/21993

秋谷氏の影響力、原田会長、原田主任副会長の関係がわかります。

師弟不二アーカイブはこちらです。ヨッシーさんの他の関連投稿をご覧いただくとよくわかります。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5182
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現在

創価教学確立への動向

*規則改正により創価教学の確立が急務である。路線対立(分裂)回避す
 るためには、何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった。

*秋谷・森田(康)らが非常な危機感を持っている。

*戸田会長以来、皆が日寛上人教学を学んできた、学会教学=日寛上人
 教学であった。今日までは論理的に一枚岩であった。

*が、このようになった今日、日寛上人教学に変わる、超える教義を見い
 ださねばならない(これからの学会教学の構築)。

*秋谷・森田らが中心となり、東大・創大など、ある程度の論客を集めて
 勉強会を開始した。理論武装が焦眉の急である。

*谷川らの若手は、今まで腰を据えて教学をやっていない。

*1月29・30日の記事は、教学部が書かなかった(書けなかった)の
 で谷川・菅野・宮田らが書いたが、あの『教学部解説』では戦えない。

*当然、方向は既に決まっている。「相伝教学=日寛教学」からの脱却
である。

*相伝を信ずる者は宗門に行ってもしょうがない。

*学会は、「大聖人の教義」を追究する。「大聖人直結の教学」。現代の仏
 教研究の成果をふまえ、その上に「創価教学」を築く。まず路線・方針
 を決めてしまう。教義は「後から付ければよい」(谷川)

*宗創一体時代は「相伝教学」できた。これからは直に御書に教義を求める。

*信仰としては、大聖人(仏宝)、日興上人(僧宝)は否定しない。歴代も
 日達上人までは、認め良しとせざるを得ない。

*仏意・仏勅の学会を切った時点で、大聖人の仏法は創価学会に移った。

*宗門に対抗するには、大聖人直結・御書根本以外に道はない。

*今さら、どこからか大聖人の御本尊を手に入れて(買い入れて)、学会
 の中心本尊とする訳にはいかない。

*日寛上人教学を学んだ者だからこそ、宗門に対抗できる。

*創価学会によって、現在に民衆仏法として蘇った。
………………………………………………………………………………………

ここから分かるのは、
①秋谷や森田(康)ら古参幹部を中心とする「相伝教学=日寛教学」からの
脱却を目指す強力な勢力が存在すること。
②その勢力が教学部(=池田先生)の反対を押し切って、準備不足と分かって
いながら見切り発車で、原田会長に「大御本尊との決別」宣言を発表させたこと。
③谷川ら若手を使って弁明の「教学部解説」を書かせたが、“使えない”と
思っていること。
④なぜ、教学部(=池田先生)の反対を押し切ってまで、見切り発車で、
発表させたかというと、「路線対立(分裂)回避するためには、何が何でも
池田存命中に決めなけれぱならなかった」からであること。

たしかに、ここで言うように、「大御本尊と決別」するかどうかは、会内でも
意見の分かれるところでした。池田先生が亡くなった後で、今回のような発表
を行えば、路線対立から学会が分裂する恐れがあったのは事実でしょう。
それを「回避」するためには、「何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった」。
「何が何でも」というのは、たとえ池田先生が反対したとしても、ということでしょう。
先生が反対しても先生の存命中に公式に発表してしまえば、会員はまさか「先生の意向
に反対してまで会長がやっている」とは思わないであろうし、聖教等に先生のコメント
が、賛成とも反対とも、全く載らないでいれば、会員は勝手に「先生は黙認している」
と受け止めるであろう――そう高をくくって原田会長は発表に踏み切ったというのが
事の真相ではないでしょうか。

問題は、なぜ、秋谷らは先生の意向を無視できるか? 原田会長らはなぜ秋谷らに
付き従ってしまうのか?
です。

端的に言えば、秋谷らは先生を「永遠の師匠」とは思っていないからです。
自分たちと同じ「戸田門下」の一人、単なる「3番目の会長」としか
見ていないので、先生のご意向といえども「絶対」とは思っていない。
だから、第一次宗門問題の時、宗門との決別に突き進む池田先生にブレーキを
かけようと、秋谷が聖教の写真資料部からマジック事件の写真を出させて、矢野絢也に
渡し、矢野が旧知のジャーナリスト・内藤国夫に流して週刊誌に掲載、
それを宗門側が学会攻撃に利用して、池田先生を会長辞任に追い込んだ――
こんな裏工作を先生のお元気な時から、平気で行っていたのです。
お元気な時ですら、こうですから、いわんや、池田先生が病に倒れた2010年
6月以降においてをや、です。

原田会長は秋谷と同じ杉並支部の出身。秋谷が原田(光)の家を折伏し、
原田(光)の家が親戚の原田(稔)の家を折伏したという間柄です。
結局、秋谷は会長時代、本部は事務総長の原田(稔)、聖教は代表理事の原田(光)
という自分の折伏の系統を使って押さえていたわけです。
そんな間柄の原田(稔)が秋谷に逆らえるわけはない。
原田の師匠は実際には、池田先生ではなく、秋谷だったのです。

本来、先生の側に立つべき長谷川が、当初は「原田会長が嘘をついている」と言って
いたのに寝返ったのは、いつもの変わり身の早さと言えばそれまでですが、
「池田先生に判断力はあっても、自分の意思を押し通す統治能力はもはやない」
と見限ったからではないかと言われています。

谷川は、「現況分析」を見ても分かる通り、秋谷らから見れば「若造」。
「会長にさせてやる」と言っておけば、なんでも言うことを聞く「パシリ」にすぎない。

こんな人間の上下関係であるから、秋谷らはまるで「イスラム国」の覆面兵士のような
八尋配下の弁護士らを使って、教学部ら抵抗する勢力のクビを次々に切り落として見せ
しめにすれば、第一庶務とかに残る最後の抵抗勢力も恐れおののいて何もできないだろ
うと、ここでも高をくくっているわけです。
実際、今は、池田先生が自分で判断を下し、それを実現しようとしても、だれも先生の
手足となって動くことができないような「異常な状況」が生まれているのです。
 

正義の味方 東大卒弁護士

 投稿者:正義の味方 東大卒弁護士  投稿日:2016年 6月19日(日)12時41分37秒
  正義の味方 東大卒弁護士 只今参上


日蓮正宗廃止して下さい。
 

赤胴鈴之助さんへ

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月19日(日)12時14分47秒
  ひらがなは、ひらがなでまとまってる方が時間的ロスがなくて便利でしょうからね。
混在状態だと、お互いにデメリットになるんじゃないかなf^^;

実は、僕も目の不自由な人とやりとりしてるけれど。
漢字の読み上げられ方が、あまり正確ではないようで、漢字の後に()でひらがなを入れながら話してたりだけど。

これまではともかく、これからは多種多様な人の参加、ということからも、目の不自由な方でも参加できるとさらに理解が広がるでしょうからね。


追伸:獅子の子さんへ
お優しいですね(^^)

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

九州大雨、大丈夫でしょうか?

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 6月19日(日)11時39分50秒
  カラシ蓮根さま、 他、現地熊本在住の方々
ご無事でしょうか?安全第一でお願いいたします。
昨日も震度4の余震がありましたね。

また、
熊本より様  管理人様からの確認事項お読みになりましたか?
やはり何かあったのか心配です。あれ以来、ご登場されてこない。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48307

~~~~~~~~~~~~~
不愉快です。 投稿者:熊本より
投稿日:2016年 6月 3日(金)00時15分43秒   通報

どの幹部が熊本に来た来ないって書いていますけど、男子部長の竹岡さんは地震直後、ゴールデンウイーク前にも来てくれましたよ。たしか聖教新聞にも復旧作業の様子が写真で出ていたし。被災地を幹部批判のネタに使わないでください。じゃあ色々書いている人は私たちのために何をしてくれたの?って言いたくなります。
 

平仮名化について

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)11時16分16秒
  イケディアンの住人(正義の獅子同盟)さん、太ちゃんさん、獅子の子さん、コメントありがとう。

土曜日はこれで、一日かかりました(笑)嫁に「あそんでんと蘭を植え替えてや」と叱られてます・・・とほほ。

別掲示板で平仮名ですよね、それも良いですが、読み上げソフトで記述の間違いや

漢字を飛ばしたり、間違って漢字読みしたりいろいろありますので、読み上げソフト

で読ませながら、間違いを直しています。

だから、その読み上げの時のボイスをPCに録音しています。

ほとんどが御書ですが、いずれ音声が出せるブログを立ち上げようと思っていますが、

御書の平仮名化とかルビ打ちとか、ブログ書き込みで、なかなか時間が有りません。

この板を読むだけで数時間かかります。(笑)

古稀を過ぎて長時間は眼が持ちません。

データはメールで送ることができる範囲で、差し上げるつもりです。

ここの、ブログで、迷惑ならやめますけど・・・。
 

影響力

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 6月19日(日)10時57分5秒
  螺髪様
学会職員の中で、栄之助の影響力は今も昔も絶大なものがあるのでしょうか?
 

おはようございます。

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年 6月19日(日)10時53分23秒
  *赤胴鈴之助さんへ
ひらがなでのご投稿
ありがとうございます。
どれほど助かることでしょうか… また涙が…(/_;),
ただただ感謝しかありません。

お手間だったでしょうに…
本当に有り難い事ですm(__)m
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。

快く許可して頂いた
グリグリさんにも
感謝しかありません。
ありがとうございますm(__)m

*太ちゃんさんへ
管理人さんに専用部屋の提案
ありがとうございます。
私もそのこと考えてました。
その方がどちらにとっても
より良く活用できますもんね。
ありがとうございますm(__)m

*管理人さんへ
ご検討頂けると大変ありがたいのですが…
よろしくお願い致しますm(__)m


 

わが友に贈る 2016年6月19日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 6月19日(日)10時50分59秒
  人に会おう!
友と語ろう!
大きく動けば
仏縁と境涯が広がる。
さあ壁を破る挑戦を!
 

永遠の師弟の原点「3.16」2008年3月16日聖教 (3)

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)10時45分41秒
  (2)に続く・・

スコットランド生まれで、十八世紀のロマン派の詩人ロバート・ブレアは詠った。
”おのれの持ち場を保ち、最後まで、それを守り続けるものこそ、真の勇者である”


永遠に青年学会で
五十年前の三月十六日も、我が音楽隊、我が鼓笛隊の友は、”少しでも師匠に喜んでいただきたい”
”同志を鼓舞したい”と渾身の演奏を続けてくれた。

この日、儀式の場には入らず、終日にわたって駐車場でバスの整理や警備に当たった青年もいる。
人知れぬ陰の舞台で、幾多の精鋭達が、私の分身となって同志に尽くし、
この歴史的行事を見事に無事故で運営してくれた。

師を思い、心で題目を唱え、真剣に大成功と無事故を祈りながらー。
この誇り高き”3.16”の魂が創価班、牙城会、白蓮グループなど、
学会の宝の人材群に巌として、受け継がれている事が、私は何よりも頼もしい。

青年を思う戸田先生のお心を体して、豚汁の準備などに当たってくださった
壮年部の真心も、今なお胸に温かい。

亡くなられた功労の方々の事は、いつも追善させていただいている。
そしてまた、全国の白雲会の皆様方のご健康とご繁栄を、妻ともどもに、いつも祈る日々である。

ともあれ創価学会は、永遠に”青年創価学会”である。
青年の躍動する創造的生命それ自体が”創価”の象徴なのだ。

破邪顕正の青年!

真実一路の青年!

勇気と挑戦の青年!

前進と勝利の青年!

ー青年の生命に本然的に具わる、まばゆいばかりの威徳こそ、戸田先生が
”創価学会仏”と言われた、我が学会を荘厳する宝財なのである。

”青年よ、若き君たちよ!常に正義とともに立て!” フランスの作家ゾラの叫びであった。

私も、青年に呼びかける。

頭を上げよ!
胸を張れ!
馬上豊かに、威風も堂々と進み行け!
勇気ある信心を、燃え立つ広宣流布の魂を、異体同心を忘れるな!

そこにこそ、勝利と栄冠が待っているからだ。
我が宝の青年がいる限り、学会は隆々たる永遠の発展を約束されているのだ。

3.16の儀式が終わった翌日の一般紙で、急に首相が帰京した真相が
暴露されていた。それは、偏見や嫉妬に凝り固まった政治家たちの”横槍”
によるものであったのだ。

私たち青年は、権力の魔性が蠢く政治の世界の狡さ(ずるさ)、汚さ、
陰険さに激怒し、改めて、恩師の万欽(ばんきん)の警鐘を噛みしめたのである。
”青年よ、心して政治を監視せよ”と。

この傲慢な政治家たちは、汚職事件等の問題に絡んで、最後はわびしく政界から消えていった。
権力には魔力がある。その魔酒(ましゅ)に酔わされては絶対にならない。

ともあれ、今年、生誕四百年を迎えるイギリスの大詩人ミルトンは喝破している。
”悪人の道は必ずや、破滅へ到達する”  因果律の裁きは、まことに峻厳である。

卑劣なる
  狂気の輩の
   陰謀を
  鋭く見破れ
    仏眼 厳しく


十七世紀フランスの文人ラ・ロシュフーコーは言った。

”ほとんどすべての人が小さな恩義に喜んで恩返しをする。
多くの人が中ぐらいな恩義を恩に着る。しかし、大きな恩義に対して
恩知らずでない人はほとんど一人もいない”

大変厳しい言葉である。

いわんや”知恩” ”報恩” を根幹とする仏法の世界にあって、最も深き師匠の
大恩を仇で返すことは最も罪の重い悪行である。

佐渡御書にはー”外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を
破るべし獅子身中の虫の師子を食(はむ)P957と仰せである。

忘恩の輩を放置し、増長させてしまえば、仏法の世界は破壊される。
ゆえに、厳正に誡め(いましめ)正し、悪逆な恩知らずは叩き出していくことだ。
それが正義の熱き血潮に燃えた青年の特権であり、責務である。

古代ギリシャの大詩人ヘシオドスは喝破した。
”悪しきたくらみは、たくらんだものに最も悪しきことになる”

仏法の還著於本人(げんちゃくおほんにん)・・還って本人につきなん・・ の原理にも通づる。
大恩を踏みにじった畜生道の人生の末路ほど、無惨なものはない。
皆様ご存知の通りである。

広大無辺な”師恩”に真摯に誠実に答え抜こうとする時、広大無辺の ”仏の力”が沸き起こってくる。
広大無辺の”仏天の加護”が厳然と現れるのだ。

この半世紀にわたって証明された”創価の師弟”の勝利の方程式を、
今、我が青年部は確固として受け継いでもらいたい。

三類の
強敵 破らむ
我らのみ
広宣流布の
仏勅 誇りと

”願わくは我が弟子等、大願をおこせ” P1561
大聖人は、若き南条時光にあてたお手紙で、門下一同の心を揺さぶられるように訴えられた。

あの熱原法難の渦中のことである。
弟子が自分中心の小願にとどまっている限り、師匠と不二にはならない。
小さく、狭い自分で終わってしまう。

”大願”とは、師匠と同じ誓願に立つことだ。

法華経の行者である師匠と、心を合わせて行動することだ。

その時、露を大海に注ぎ、塵を大地に埋めるように、計り知れない
雄大な境涯が開かれていくのだ。

私は戸田先生と同じ心で、一閻浮提広宣流布の大願に立った!そして・勝って・勝って、勝ちまくってきた!
一年、また一年、3.16に新たな勝利と出発の節を刻み、ここに五十星霜の大絵巻が綴られたのだ。


毎日が3.16
3.16ーこの日が来ると、私の胸は炎の如く燃え上がる。
いな、私にとって、毎日が3.16であった。

毎日が、恩師との対話であり、恩師への誓いであり、恩師との共戦であった。
神事も生命を離れぬ師への報恩の旅路であった。

永遠の都に行きなむ
  我が弟子よ
    師弟不二なる喜び光て

名作”赤毛のアン”で有名なカナダの女性作家モンゴメリーは語った。
”とちゅうどんな障害があろうと、手を貸してくれるものがなかろうと、
わたしはのぼっていくつもりだ”

”とにかく、進むんだ。進むんだ。選んだ道を歩いていくのだ”

この3月16日を記念して、花の女子部には”池田華陽会”が結成された。
本門の婦人部と一体となって、永遠の創価の勝利の門を開いてくれている。

三月十六日には、ヨーロッパの青年5千人がルネサンスの天地イタリアに
集い合う。

文化の大恩の韓国でも、6千人の青年が広布後継軒園の集いを行うと伺っている。
いま、日本中、世界中の青年たちが、炎の如き創価の魂のバトンを受け継ぎ、 敢然と立ち上がった。

”創価学会は宗教界の王者である!との恩師の獅子吼は、世界の創価の青年たちの胸中に、誇りと確信となって響き渡っている。

御聖訓には仰せである。
”師とは師匠授(さず)くるところの妙法 子とは弟子受(う)くるところの妙法・吼とは師弟ともに唱うるところの音声なり” P748

我が門下の青年の時代だ。
師子王の子である、君たちの師子吼が、邪悪を破り、幸福の楽土を築くのだ。

文豪ゲーテは、若き友シラーに呼びかけた。
”私たちは、つねに堅実に、そして速度を加えて進むことにしましょう”
”今こそ私たちは、大きく進歩しなくてはならないのです”

新たな五十年の師弟の勝利は、今日から始まる!
君よ!創価三代の人生の大道に続き行く君たちよ!

今、この時、今いる場所で断固として勝ち進め!
その執念の勝利また勝利に、忍耐強き一歩また一歩の前進に、
”3.16”の師弟の宝冠は、いよいよ輝くことを忘れまい。

師弟不二
 次は君たち
    勝つ世紀

・・全掲載終了・・



大仏のぐりぐり様、私のことも記していてくださり、ありがとうございました・。
訪問者の方々や多くの同志に特に大きな影響を与える人だからこそ、
ここ、一突きのような槍や矢が今後もまた無数に飛んでくると思います。
しかし、多くの同志がそこにいます。互いに護りあって奇跡の戦い・・共々に・・

お忙しい中、大変だろうと思います。
目から鱗の論考、今後も楽しみにしています。


さて、話は変わって、上の先生の言葉
・・・・
” 忘恩の輩を放置し、増長させてしまえば、仏法の世界は破壊される。 
ゆえに、厳正に誡め(いましめ)正し、悪逆な恩知らずは叩き出していくことだ。 
それが正義の熱き血潮に燃えた青年の特権であり、責務である ”
・・・・

青年部の方に肝に銘じていただきたいお言葉です。
 
 
広布一筋でした チョキ
 

54年問題!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 6月19日(日)10時00分44秒
   ロマンさん、ヤマウチさん


  > 第一次宗門問題(昭和54年)について海氏の企図するところを推測したところ、どうも、やはり(笑)4人組擁護のための思考転換に行き着きます。(投稿者:The logic in the place    投稿日:2015年 5月20日(水)17時06分14秒     通報 編集済)※再掲=( 投稿者:ロマン   投稿日:2016年 6月18日(土)23時35分17秒) <
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49727

 ロマンさん、また面白いものを引っ張り出してきましたね(笑い)。そうなのです、やはり4人組が、というより秋谷氏が裏で動いていたという構図が成り立つのです。そう見ると、その後のことも、池田先生のお怒りも合点がいきます。だが、会員のため、会員の信心を護るため、それをあからさまにはされなかった。


 このあとの、
>今後、副会長・浅見に対する徹底した暴露を行い、本部職員のみならず創価学会員の正義感に訴えたいと思っている。 (投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月24日(日)08時59分28秒     通報)※再掲=(投稿者:ヤマウチ   投稿日:2016年 6月19日(日)07時46分35秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49757

 も同根のものと見られます。
 浅見氏は、秋谷氏の行状を知っていたと思われます。見ていて、自らも堕落していった。そう見るのが自然です。平井氏とか、この後にも続きますね。おそらく“一蓮托生”なのでしょう。

 いま、現場では、広布基金の受付の体制や領収書の訂正の書き方など、細かい指示が流れています。まだ、現場はそこまでは腐ってい無い。「襟」を正すべきは、職員、あるいは最高幹部です。綱紀粛正はまず、最高幹部こそあてはまる重大事項なのです。


 

永遠の師弟の原点「3.16」2008年3月16日聖教 (2)

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)09時57分13秒
 
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49484 (1)

続・開始・・

はやる心で駆けつけた青年の数は6千人。奇しくも法華経涌出品に説かれた
”地涌の菩薩”の数、6万恒河沙に通じていた。既に夜明け前から、夜行列車
や貸切バスで、青年たちは続々と到着した。

皆の吐く息は白く、早春の朝はまだ寒かった。恩師の心づくしの豚汁が、
冷えた体を芯から温めてくれた。大盛儀を前に、青年たちの心は燃えたっていた。

だが、恩師が楽しみにされていた三月十六日の式典は、当日の朝、急変した。
箱根にいた首相から、戸田先生のもとへ、直接電話が入った。

突発的な外交上の問題が起こり、すぐに東京に戻らなければならないというのである。
だが、どこか言い訳めいた不自然があった。

”六千人の青年が、前々から準備して待っているのですぞ。青年を騙すことになるのではないか!”
電話口で、戸田先生の厳しい声が飛んだ。首相が非礼を詫びると、さらに先生は声を震わせて叫ばれた。
”私に詫びよと言っているのではない、詫びるのは、青年たちにだ!”

それは、青年こそ、本来、国家的指導者が最敬礼して遇するべき”国の宝”であるとの信念であられた。
あまりにも深き師匠の心に、弟子は感涙した。

結局、首相の来訪は唐突にキャンセルになった。
恩師は、”みんながかわいそうだ”と自ら六千人の青年たちを励まそうと立ち上がられたが、
衰弱した体は、既に歩行にも困難であった。

しかし、先生は、愛弟子が用意させていただいた”車駕”に乗られると、悠然と参道を進まれた。
その英姿は、常勝不敗の指揮をとる、妙法の諸葛孔明の如くであられた。


霊山一会のごとく

大講堂の前には、首都圏と静岡県を中心に、各方面の代表も集った、
尊き使命の男女青年部が勢ぞろいをしていた。 私は心の中で叫んだ。

”戸田先生、先生の後継の弟子である青年の大陣列が、見事に揃いました。
どうか、ご安心ください!”

霊山の一会の如く、師匠と弟子は、広宣流布に戦う心と心を完璧に合致させながら、厳しく相まみえたのである。
それは、弟子の誓いの儀式であった。 一人一人の青年の生命は、妙法広布の大師匠の一念と冥合して、
獅子奮迅の回転を始めたのだ。

その師弟を、首相の名代として駆けつけて来られた、首相夫人と若き娘婿
らの一行も見つめておられた。
否、青年の息吹に目を見張り。将来に伸びゆく宗教と感嘆の声を上げられた。

彼方に荘厳な富士の秀峰が現れた、三月十六日のこの日この時、戸田先生
の獅子吼が轟いたのである。

創価学会は、宗教界の王者である!

師から弟子が受け継ぐ創価学会の魂とは、この”王者の創価学会” 獅子王の創価学会”であらねばならぬ。

御聖訓に仰せである。
”願わくは我が弟子等は師子王のことなりて群孤に笑われる事なかれ、
過去遠遠劫よりこのかた日蓮が如く、身命をすてて強敵の科を顕せ” P1589

獅子王の子は、必ず獅子王となる。
そのために、折伏精神を燃え上がらせて、身命を惜しまず戦うのだ。
強敵を戦い、そして勝つ事が、師弟不二であるからだ。

人間の
  気高く生き抜く
   真髄は
  広宣流布に捧げし君等に


(3)に続く


広布一筋 
GOOD!
 

【信濃町の権力闘争】再掲 ! 天鼓(十一号)④

 投稿者:ヤマウチ  投稿日:2016年 6月19日(日)07時46分35秒
  投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月24日(日)08時59分28秒     通報

その後、昨年秋の本幹後にも子分を集め、同様の命令を出した。

これだけの破仏法者としての副会長・浅見の言動を指摘しているのに、
創価学会本部職員たちは副会長・浅見に対する処罰を行わないどころか、調査すらしなかった。

副会長・浅見の業者との癒着ぶりは本部職員のある程度の者は知っており、公然の秘密なのにである。

それどころか本部連絡局に「天鼓」の回収を命じ、
先生に知られることを恐れ、ただ事態の隠蔽に狂奔したのである。

広宣流布の本陣に勤める職員でありながら、日蓮大聖人の教法に反し、
「事勿れ主義」の私兵と堕した罪は重い。

今後、副会長・浅見に対する徹底した暴露を行い、本部職員のみならず創価学会員の正義感に訴えたいと思っている。

日蓮大聖人曰く。
「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし
獅子身中の虫の獅子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし」(佐渡御書)

この御書について、池田先生は昭和四十一年四月から五月にかけて高等部に対し講義されている。
副会長・浅見もおそらくその講義を受講していたのではあるまいか。

池田先生は次のように講義されている。

「外道・悪人は、如来の正法を破ることが絶対にできない。
もし仏法が破られるとしらら、それは内部の者が破るのです。
獅子はどんな敵にも負けないが、自分の身中に発生した害虫には、弱いのです。
皆さんも、創価学会を護る大事な役目があるのです。最後まで団結していっていただきたい。
獅子身中の虫と戦いなさい。

創価学会は外敵には、もう絶対に破れることはありません。完璧です。
現在、私のしていることは、すべて最後は、皆さんに、いっさいを任せていくための礎石なのです。
ですから、みんな尊敬しあって、ガッチリ団結して、一人も獅子身中の虫、悪人を、
内部から発生させないぞ、という確信を持って進んでいっていただきたい。それを覚えておかなくてはいけない。
自分が獅子身中の虫になってもいけない。また、獅子身中の虫をわかしてもいけない。内部が大事なのです。」

池田先生に対する不当なる国会喚問の策動。
その創価学会員の全てが憂える事態にあたる、創価学会を欺き二千万円の大金を懐にする組織幹部が
「虫」でなくて、他にどのような「虫」がいるというのであろうか。

筆者は副会長・浅見が和合僧団にわいた獅子身中の虫であるが故にことさら責め抜くのである。
副会長・浅見の罪科を詳らかにし、公の納得する厳正な処分をすれば事済むのである。

まじめに働いている本部職員、懸命に弘教に励む創価学会員のすべてはそれをのぞんでいることだろう。
威張り腐っている幹部などいらないのだ。しかもそれが副会長にして、全国組織本部長、東京長となれば尚更である。

副会長・浅見は食法餓鬼と化し、仏意仏勅の団体を食い物にし、あろうことか、
先生の危機すら金欲を満たす対象としているのである。

そしてこの堕落した副会長・浅見の権威に媚びおこぼれにあずかろうとしている者が、和合僧団内部に一角をなし始めている。
その悪種を培養しているのが、近年とみに本部内に顕著になってきた「事勿れ主義」なのである。

「事勿れ主義」が日蓮大聖人の仏法に背叛し、池田先生を勇退させた元凶であったことを忘却し、
再びその同じ過ちをおかそうとしている。

これは嘆くべきことであり、創価学会の将来を考える時、最も憂慮すべきことである。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5601
 

管理人さんへ

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月19日(日)04時30分23秒
  もしよろしければですが
ひらがな専用投稿の板があると、目の不自由な人も閲覧しやすいかな?と
これは一緒にするより、分けたほうがお互いにプラスになると思われるのですが

ご検討頂けるとありがたいです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月19日(日)04時30分8秒
  ひかりさま、毒が体中にまわり、眼も見えない、耳も聞こえない、口もきけない状態(-_-)

『云つて罪の免れるを、見ながら聞きながら、於いて戒めざる事、眼耳の二得損じて大無慈悲なり』でしたか?どんどん言っていきましょう\(^o^)/

赤胴鈴之助さま、平仮名読みありがとうございます。スマホ読み上げで、目が疲れずに助かります\(^o^)/声が城達也なら更に良いのですが、ヘンテコな女性の声が物足りないです(-_-)
 

「ほしのしずく」

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月19日(日)04時14分48秒
  え~と、とりあえずは、ここ宿坊の掲示板の過去ログにある「ほしのしずくチャンネル」は、僕の知ってる「ほしのしずく」とは『別人』と判断してます。
性格が変わってるとかではなく、ほんの数年で「著しい知能の劣化(笑)」というのはちょっとありえないでしょう。
僕の知ってる側の「ほしのしずく」は「極端な教条主義」だけあって、それだけ鋭さはあったからね。
女性にしてはかなり珍しいほどの鋭さというか。
あの調子で沖浦さんへ言ってるのだとしたら、そりゃ確かに裏切られるだろうけど。
理屈は正論に聞こえても、生命は退転状態であったからね。
拒否されて当たり前。
まぁ別に沖浦氏の擁護する気なんてサラサラないけど。
というより、あの言いようでは、相手が誰であろうと、誰も聞く耳を持てるものではないね。
言葉が汚くて悪いけど「どえむ」の嗜好の人ぐらいしか聞けないだろうと思うよ。
悪いけど僕はそういうシュミはない(笑)。
やるんなら旦那がいるんだから旦那にやれってのまったく(笑)

それで、どうやら僕の話してるのと、他の人とでは、そもそも「情報のエリア」が違うようですね。
ヤフーメールやらヤフーメッセとかのトラブルだし、工作員のナリスマシとかとは関係ないことですから。

もし、どこかで登場して僕に話しかけてきたら『どのツラさげて話かけてるんだ?』というしかないけどね。

なるほどね~
そういうことなら、工作員に個人情報が知られるのを恐れて僕へ『個人情報を漏らしたら訴える!』とさんざん脅迫していたわけかな、たぶん。
ヤフーメールで何度かしずくさんとやりとりしたことはあったと思うけどね。
その当時に、ヤフーメッセにて僕へ個人情報を送っていたんですね。
僕は別に個人情報なんて一度も求めてなかったけど。
そもそもしずくさんには旦那もいることだし。
さらにいうと、僕はヤフーメッセはやってないから個人情報を送られていたことなど知りようが無い。

そんな状態を知らずに数年後。
ある大手SNSにて。
時期は年末年始にかけて数日間のやりとりじゃなかったかな。
あまりに教条主義に変わり果てた状態にゲンナリしながら、脅迫と強要を連日でしたね。
あれが折伏なのか自分で判断もつかんのか呆れたものだけど。
それだけではなく、個人情報をバラしたら訴える!!ってなに?(笑)
身に覚えも無いインネンをふっかけられて、あの当時はほんとまいったよ。
このタイミングでは、もうしわけないけど、ヤフーメッセはまた一度も使ったこともないから「知りようがない」から。
せめてどういう種類の個人情報か言ってれば、あんなくだらないトラブルにはならないと思うよ。
聞いたことがあるかないかぐらいの判断はつけたよ。

そしてさらに別の某SNSにて。
ここでもトラブルだったよね?
トラブル後の数ヵ月後に、初めてヤフーメッセをインストールして立ち上げたら、いきなりしずくさんからの、数年前に送られてる個人情報。

それを見て、しずくさんのいう『個人情報をバラしたら訴える!』とさんざん脅迫してた意味をようやっと偶然に知ったよ。
とりあえずね、こっちが求めてさえもいない個人情報を勝手に送っていて、しかも一度もやりとりしてないヤフーメッセで知らせていた、という事実を知るのに結果的に数年経ったから。
さらには、そういうのをまるで確認もしてないで、さんざんしつこいほど個人情報をバラしたら訴える!というのはトラウマにまでなってるから。

悪いけど『ほしのしずくさんは一切信用できかねる』のですみません。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

太ちゃんさん 宝冠様

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)03時54分54秒
  太ちゃんさん、すばらしい!!着想がいいですね。
引用です。
悪人は「善人」がどういうものか「知ってる」から、裏をかいて「騙せる」のでしょうね
善人」がどういうものか知らなければ騙しようがないわけですから
引用終わり。
この善人を修利槃特に、悪人を提婆達多に置き換えるとよーーく分かります。
一般会員は、失礼ながら、私を含めて、すりはんどくです、だいばにだまされてはいけませんと言う、太ちゃんさんの慈悲の警告ととらえます。
宝冠様、の書き込みを嫁に見せたら、大変驚いていました。
そして、良く書き込みしてくださってありがとうと言ってます、ダイバにだまされないように題目を上げています。
 

修利槃特と提婆達多の相対の平仮名3

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)03時30分47秒
  すりはんどくと、だいばだったのそうたい 3 大仏のぐりぐりのところさんの力作に感謝!!

さらに ほっくひゆきょうには

「それをみたほとけは、つぎのようにつげて、ほうをときはじめめた『なんじはいま、としおいて、まさにいちげをえることができた。
いま、なんじのために、そのぎをかいせつするから、いっしんにきくように』と」のべ、

ほとけは〝みさん、くちよん、いさん〟のぜんあくぎょうをとき、そのおこりとしょうめつ、 さんがい、ごどうの、りんてん、しょうてんと、だじごくのりゆうをかたり、ねはんをえるみちをとききりました。

そのとき「しゅりはんどくの、こころがひらけて、あらかんのみちをえた」としるされています。

そのご、しゃくそんがしゅりはんどくを、ともって、こくおう(はしのく)のもとに、おとずれたとき、

おうがしゃくそんに「しゅりはんどくは、ほんしょうぐどんであるときいている。
それなのに、なにによっていちげをしり、みちをえることができたのか」としつもんしました。

しゃくそんはおうにこたえます。

「がくは、かならずおおくはひつようとしない。まなんだことを、じっこうするをじょうとなすのである」とおしえ、
さらに、げをといて「いちほっくをげするも、ぎょうぜばみちをうべし」と、といたとしるされています。

しゅりはんどくと だいばだった。

このたいきょくにあった、ふたりのことを、だいしょうにんは
「このことは、、ひとえにまつだいのいまのよのことを、あらわしているのである。けっして、たにんごととおもってはならない」

とでしたちに、けいこくをこめてうったえました。

  だいばだったにしても、さいしょは、みずからのさいちをじかくし、そのちにおぼれないように、ようじんしていたとおもうのです。
しかし、じぶんはししょうのいとこだという、うぬぼれから、みずからをかえりみることができなかったのでしょう。

このてんは、しゃくそんにしっせきされ、それいこう、かげのたたかいに、てっしぬいた、みつぎょうだいいちの「ラゴラ(しゃくそんのむすこ)」とたいしょうてきです。

そしてもうひとつ、 だいばだったには、どうしてもしゃくそんをゆるせない「おとこのしっと」ともいえる、できごとがありました。

だいしょうにんは

「ほとけは、じょうぼんおうのたいしであり、 だいばだったは、こくぼんおうのこである。
きょうだいのしそくであるから、ほとけにとってはいとこであったが、いまもむかしも、せいじんもぼんぷも、 ひとのなかをたがえるのは、にょにんのことからおこるのが、だいいちのあだとなるのである。

しゃかにょらいが、しったたいしのとき、 だいばだったもおなじたいしであった。
ヤシュだいじんにむすめがあり、ヤシュダラといった。
ぜんインドだいいちの、びじょでそのなは、しかいにきこえたてんにょである。

しったたいしと だいばだったは、ともにきさきにしようとしてあらそったので、、なかがわるくなったのである(つうげ)」
(ごしょ1040ぺーじ)と だいばだったのエピソードをしょうかいしています。

つまり、ヤシュダラはしゃくそんがたいしだったときのつまです。
そのできごとが、ヤシュダラへのよこれんぼだったとしても、 だいばだったには、どうしてもゆずれないこと、だったのだとおもいます。

ちなみに、かつてしゃくそんのつまであったヤシュダラは、のちにしゅっけししゃくそんのでしになりました。
そしてほけきょうかんじほんでじょうぶつのじゅきをうけ、にょにんじょうぶつのあかしとされています。

いずれにしても、 だいばだったは、じぶんのよくぼうにしはいされ、
がけんとまんしんから、はんぎゃくのかぎりをつくし、じごくへおちてしまったのです。

むさぼり、いかり、おろかのせいめいにしはいされ、どこまでもがけんを、ひだいかさせた だいばだったのすがたは、
げんだいにおいて、だれもがおちてしまう、わな、なのかもしれません。

しかし、ぞうじょうまんに、おちいっているひとは、けつしてじぶんがそうなっているとはおもいません。

おおくのどうしが、ちゅうこくしているにもかかわらず、われこそは、ほんもののでしだとして、そんだいにふるまい、
すりよってくるものだけを、だいじにしているような、ぶつでしがいたならば、
まちがいなくそのひとは、 だいばだったのけんぞくであるとかくしんします。

ぜったいに、じぶんがそうならないために、どんなにぐどんでもよい、じぶんに、じしんがもてなくてもよい、なげくひつようもない。

ししょうへの、ほうおんをちかう、でしならば、げんだいのすりはんどくとなって、ししょうのことばをしんじ、
ししょうのことばに、がけんをくわえず、すなおにしんじゅし、じっせんすればいいのです。

じょうぶつのみちは、ほとけをしんじ、たとえ、いっくでもそれをじっせんし、そのいっくをひとにかたっていくことが、じゅうようなのです。

なぜなら「ちからがあれば、いちもんいっくでもかたっていけ」とは、だいしょうにんのげんめいであるし、
「ぎょうがくは、しんじんよりおこる」1361ぺーじとは、だいしょうにんの、ししくだからです。

なにもむずかしくはありません。

ともあれ、すりはんどくは、しゃくそんをしんじてうたがわず、
しゃくそんの、ことばどおりにじっせんし、ついにほけきょうでほとけになることができました。

しゅりはんどくの、こじをとおして、だいしょうにんはでしたちに「しんこうのありかた」をおしえてくれているのだとおもいます。


さいごにいけだせんせいのしどうをしるしておわります。

 どんな、きべんや、すりかえにも、めをくもらされてはならない。じじつをせいかくにみることだ。
いかなるりゆうをつけようとも、むりょくなしょみんを、けんいでいじめ、くるしめることは、あくである。
いわんや、ぶっぽうをならうものとして、そうしたこういがあれば、そのにんげんは、キリストきょうのうちでも もっとも、しゅうあくなせいしょくしゃに、そっくりということになる。いわゆるげどうのなかのげどうである――

きぼうのあすへ、(へいせいさんねん、いちがつ、16にち )
 

修利槃特と提婆達多の相対の平仮名2

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)03時25分28秒
編集済
  すりはんどくと、だいばだったのそうたい 2 大仏のぐりぐりのところさんの力作に感謝!!

しょきにさくせいされた、げんしぶってんのひとつに、
しゃくそんの、ししんてき、ようその、ごろくをあつめた「ほっくひゆきょう」というきょうてんがあります。

このほっくひゆきょうのなかには、しゃくそんのでしである〝すりはんどく〟のこじがしるされています。

だいしょうにんは、みのぶにごくようの、しなじなをもって、おとずれたでし、にしやまどのたちに、このしゅりはんどくのこじをとおして、

「あなたがたは、どのような、かこせのぜんこんで、にちれんをたずねられるのであろうか。
よくよくかこをおたずねになれば、なにはともあれ、このたびは、しょうじのまよいをはなれることが、できるであろう」。

すりはんどくは、さんねんかんに14じすら、あんしょうできなかったけれども、ほとけになった。
だいばだったは、ろくまんぞうを、あんしょうしたけれども、むげんじごくにおちた。

このことは、ひとえにまつだいの、いまのよのことを、あらわしているのである。
けっして、たにんごととおもってはならない。
もうしあげたいことは、おおくあるがここでとめておく (つうげ)

(ごしょ1472ぺーじ)としどうしました。

このおんふみのじゅうようなポイントは「でしどうしのそうたい」です。

つまり、しゃくそんのふたりのでしである
しゅりはんどくは「さんねんかんに14じすら、あんしょうできなかったけれども、ほとけになった」のにたいして、
  だいばだったは「6まんぞうを、あんしょうしたけれども、むげんじごくにおちた」という、すりはんどくと だいばだったのそうたいです。

これをきいたみなさんは、

「ああ~、じぶんはバカでよかった。これでじぶんも、じょうぶつできるぞォ~」とあんしんしてはいけません。

もんだいは、なぜしゅりはんどくがほとけになれたのか、
なぜしゅりはんどくは、さいしゅうてきに、14もじをおぼえることができたのかということです。

ほっくひゆきょうによれば、しゃくそんが、しゃえこくにいたとき、すりはんどくがあらたな、しゃくそんのでしになりました。
しかしかれは、はんだんりょくがなく、りかいりょくがなく、あたまがわるく、のろまで・・・・とうとう、ぐどんなせいしつで、

たのあらかんが、さんねんにわたって、ひび「いちげ」をすりはんどくに、おしえたが、
ただのいちげも、あんしょうすることが、できなかったとといています。

そして、くにじゅうのひとびとに、すりはんどくのぐどんが、しれひろまったとあります。

ししょうであるしゃくそんは、このことをあわれんで、かれをまえによび、
なにをおしえても、どうおしえても、おぼえられないしゅりはんどくに、14もじだけをおしえました。

その14もじとは

「しゅくしゅうい、しんまくぼん(くちをまもり、こころをおさめ、しん、ひをおかすことなかれ)」
「にょぜぎょうじゃ、とくどせ (かくのごとくぎょうぜば、よをどすることを、える)」です。

つまり「しん・く・い」で、あくごうをつまないようにしなさい。
そして、いわれるままに、しゅぎょうしていけば、じょうぶつすることができますよとおしえたのです。

そのけっか、かれはししょうのいうとうり、すなおにじっせんして、
のちにとかれたほけきょう(500でしじゅきほん、だいはち)で、すりはんどくはじょうぶつし〝ふみょうにょらい〟の、きべつをうけています。

いっぽう、 だいばだったは、6まんぞうをあんしょうできるほどの、きおくりょくのもちぬしでした。

それは、ちえだいいちといわれた、しゃりほつとかたをならべるほどの、ずのうめいせきで、ゆうしゅうなでしだったのかもしれません。

しかもしゃくそんのいとこです。
まわりのでしたちからは、いちもくおかれてとうぜんの、そんざいだったでしょう。

もしかしたら、ししょうのしゃくそんよりも、だいばだったのほうが、うえなのではないかと、おもうでしもいたかもしれません。

しゃくそんが、せっぽうをすれば、そくざにりかいし、
それをそくざにじぶんのことばとして、かたれるだけのものをもっていたとおもいます。

しかしそれは、すなおにししょうのことばをしんじ、つたえるのではなく、ししょうであるはずの、しゃくそんでさえも、 じぶんのかざりに、りようしてしまう、ごうまんなこころと、ずのうと、けいさんがあったとしても、ふしぎではないでしょう。

  だいばだったにとって、そののうりょくが〝あだ〟となり、ぞうじょうまんにおちいって、ししょうにはんぎゃくし、
けっきょくは、いきながらにしてむげんじごくに、おちてしまったのです。

しゅりはんどくのようなでしは、いまのよではむしろまれです。もんだいなのは だいばだったです。

なぜ だいばだったは、ろくまんぞうをあんしょうできるほどの、ゆうしゅうなのうりょくをもちながら、
むげんじごくに、おちなければならなかったのでしょうか。

そのこたえは、しゃくそんがしゅりはんどくにおしえた、じゅうよんもじのなかに、あるのではないかとかんがえます。

ほうくひゆきょうには、しゃくそんから、じゅうよんもじをおしえられた、しゅりはんどくは
「ほとけのじおんをかんじてげをじゅしてくちにあがらせた」ととかれています。

しゅりはんどくはそのぐどんさゆえに、ししょうのことばをうたがわず、ひっしになってまもったとおもう。

「わるいことはしない「しん」。まちがったことはいわない「く」。がけんをもたない「い」」――。

ただそれだけが、ししょうのじおんにこたえることだとしんじてうたがわなかったのだとおもいます。

ししょうをしんじ、ししょうのだいじひにむくいんとするほうおんのいちねんが、
ぐどんのしゅりはんどくにしてやっと「いちげをくちにあがらせた(おぼえた)」のだとおもいます。
 

修利槃特と提婆達多の相対の平仮名

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)03時17分0秒
編集済
  すりはんどくと、だいばだったのそうたい 大仏のぐりぐりのところさんの力作に感謝!!

   ずいぶんと、まえのはなしですが「ぶんしょうをかく」というくんれんを、うけていたときに、
あるせんぱいから、きょうれつにばりばとうされながら、しこまれたことがあります。

「おまえのぶんしょうはよわい。よみてには、なにひとつこころにささるものがない」
「おまえのぶんしょうは、ぼくとうのぶんでしんけんのぶんではない」
「こんななんじゃくなぶんで、どうしてあくをきることが、できるんだッ」
「ダラダラかくな、この1ぺーじA4ぜんぶんを、4ぎょうにまとめなさい」とう々とう――。

それはそれは、きびしいくんれんでした。
べつに「ぶんをかく」プロをめざしていたわけではなく、くわしいことはかけませんが、

あるひ、あるとき、いけだせんせいが、しつむしつで、つかっていたまんねんひつを、いただいたのがきっかけで
「よし、げんろんペンの、とうしになろう」とはらをきめ、けついしたのがそのはじまりです。

せんぱいはいいます。

「せいめいのじっそうをといた、ごほんぞんのまえにたんざし、
なむみょうほうれんげきょうと、となえるだけでせいめいを、よいほうこうへてんかんすることができる。
なぜそこまでだいしょうにんのぶっぽうが、わかりやすいか、わかるか。そうしないとまっぽうのしゅじょうはりかいできないからだ」と。

かんがえてみれば、そのとおりかもしれません。

かんたんなことを、かんたんにひょうげんすることは、かんたんです。
むずかしいことを、むずかしくひょうげんするのも、かんたんといえばかんたんです。
かんたんなことを、むずかしくひょうげんするのは、ひねくれものです。
むずかしいことをかんたんにひょうげんできて、はじめていだいなのだとおもいます。

いっさいきょうというぼうだいなきょうてんをけんさんし、きょくたんすぎるほどわかりやすくかいせつし、
だれにでもじっせんできるほうほうをしゅじょうにおしえたのが、ほとけ「にちれん」のちえです。

まっぽうにしゅつげんした、ほとけのさいだいのじひで、だれにでもかわりやすく、といてくれたのですから、 まっぽうのよにいきるひと々びとは、すなおにそれを「しんじて」、じっせんするしかないのではないでしょうか。

にちれんぶっぽうは、じっせんじゅうしのてつがくなのですから――。


さて、まきぐちせんせいは、みんしゅうがもれなくこうふくになるためには
「だいしょうにんの、ぶっぽうをしんこうするしかない」とうったえ、

がっかいいんが、じっせんすべきしんじんのきほんは「しん・ぎょう・がく」にあるとのべました、まきぐちつねさぶろうぜんしゅうはちかん。

このまきぐちせんせいのおしえは、だいしょうにんの

「いちえんぶだいの、ごほんぞんをしんじさせたまへ、あひかまへて、あひかまへて、
しんじんつよくそうらいて、さんぶつのしゅごをかうむらせたまうべし。

ぎょうがくのにどうを、はげみべしそうろうべし、ぎょうがくたへなば、ぶっぽうはあるべからず、われもいたし、ひとをもきょうけそうらへ、
ぎょうがくは、しんじんより、をこるべくそうろう、ちからあらば、いちもん、いっくなりとも、かたらせたまうべし」ごしょ1361ぺーじ

のおんふみが、きほんになっているといわれます。

ごしょをちゅういぶかく、よんでいくと、ふぼのおん、ししょうのおん、くにのおんをほうずるためには、

ぶっぽうをならい、きわめる「きょうがくけんさん、(がく)」のじゅうようせいがかたられ、
ふきょうぼさつのじっせんをとおして「ぶつどうしゅぎょう、(ぎょう)」のもはんをしめし、
きょうてんの、こじをいんようして「しんこうのありかた、(しん)」をだいしょうにんは、おしえています。

ごしょをちゅういぶかく、よんでいくと、ふぼのおん、ししょうのおん、くにのおんをほうずるためには、

ぶっぽうをならい、きわめる「きょうがくけんさん、(がく)」のじゅうようせいがかたられ、
ふきょうぼさつのじっせんをとおして「ぶつどうしゅぎょう、(ぎょう)」のもはんをしめし、
きょうてんの、こじをいんようして「しんこうのありかた、(しん)」をだいしょうにんは、おしえています。

ぜんかいのろんこう「そうかしそうのえいえんせいとぐうぞうか」、「にょせつぎょうとふきょうぼさつのじっせん」にひきつづき、
こんかいはしんこうのありかた、(しん)について、かんがえていきたいとおもいます。

なお、じょうきふたつの、ろんこうと、こんかいのろんこうは「しん・ぎょう・がく」を、テーマにした、さんぶさくになっています。
 

幹部、幹部はこのままじゃイカンです!

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月19日(日)02時15分28秒
  地区・支部・本部・区・県幹部のあなた。

あなたも人間として良心の声をあげてください。
お願いします。

いま声をあげなくて、いいんですか?


池田先生の御指導を長年聞いて歓喜してきたあなた方に、上の幹部がどういう指示を出そうとも、これ以上は許されない、線引きをしてほしいのです。


もしも、組織と公明党の欺瞞や異変に確信を持ち、なんとかしないとまずいと気付いて、
おかしいものは、おかしいと、いま声をあげず通りすぎてしまったら、後悔しませんか?

気持ちよく生きたい方は、どうか自分に正直に。
誰かのいうことに追随ではなく、自分の考えで。
 

ユカコはいま?

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)02時00分39秒
  原田会長(空き家名誉会長誕生)の際の「禅譲」を期待しそれにはさすが女犯会長では就任の邪魔になると判断。数年前に馬が食うむぎあたりのマンション、勿論、家賃は負担ということで、近未来世界宗事務総長からユカコさまへと今迄の功労を称えポケットマネーかなんかしりませんが寄進されました~。年収2千万以上なら月十数万の出だしなんてどうってことない。なんなら一般会計から捻出?大丈夫、総長からすれば経理局なんかちょろいからね。末端には新聞の一面使って隅っこに一言、了承されたと記事にすればいいのです。  

まさしく彼らは元祖アンポンタンです。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)01時33分9秒
  信濃町の人びとさん。
仰る通りです。今はなぜか掲示板運営サイトから閉鎖されてしまい(笑)一部、魚拓でしか見れませんが本当に酷い書き込みでした。くじ●板や反板の比ではないくらいえげつない内容でしたよ。
先生のお召し物も関係者しか知りえないようなブランドを具体的に書き込みしては悦に浸ってましたから。

ある方が中上元連絡局長に触れたときの過剰反応は凄すぎでした。
 

裏メニュー いかがですか~

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月19日(日)01時30分3秒
  違和感寿司 人気です~

ウワサのゴールデン街 店長オススメの裏メニュー
いかがですか~

今夜は、激辛ワサビ辛子マーク5つの、拷問巻き平家ガニ味噌トッピングでっせ~
臭ささがクセになります~
拷問巻き平家ガニ味噌トッピング いかがですか~  ワッくっさー

御贈答に~
あのお方とか~
いろいろ~
 

出版社ではなく。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)01時17分53秒
  何かと仕事をまわしている大手のD印刷でした。訂正いたします。

反板の諸君、そうだよね(笑)
 

案外おばちゃん様

 投稿者:池田門下のはしくれ  投稿日:2016年 6月19日(日)01時14分55秒
  大賛成です

安保法案、安倍さんとのポスター
多宝会は戦争を知っています
本能的に危険を感じているのだと思います
 

ハンドルネーム ほしのしずくチャンネル

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 6月19日(日)01時13分20秒
編集済
  2014年8月から9月にかけて
ほしのしずくチャンネルのハンドルネームで妨害をしていた輩がいました。関係者でしょうか?

もっとも、この輩はその投稿内容の特徴から、多重ハンドルネームを使い嫌がらせをしていた元祖アンポンタンと私は見ています。
また、内容と馬鹿さ加減から、委員長しゃくらいとの関連性ありとも見ていました。

今はク○ラ板あたりに常駐しているでしょうか。
 

ユカコの紅茶は美味。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)01時10分23秒
  彼は信濃町に出勤して、彼女、ユカコの淹れてくれる紅茶が彼の楽しみであった(笑)ようですね。
創価文化センターはユカコと彼の嗜好性を徹底して調査した外部大手出版会社とのコラボです。
 

ほしのしずくちゃんねるとは。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)01時01分51秒
  つまり、創価ネットリスク対策室草創期のメンバーが関与していた掲示板だったと思います。
沖浦氏を徹底的にかばいながら、正木さんを徹底的にマークしてました。子息のパチンコ事件なんて職員関係者しかしらない話を延々と。長身だった佐藤芳氏の足切れ発言とか。たまに谷川氏やヒロシのことも触れてましたが当たり障りない内容でしたね。シャクライが関与していたとの疑惑もあります。
 

イケディアンの住人さま ユカコさん 寿司屋の店員でしたか~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 6月19日(日)00時53分7秒
  >違和感寿司店の売り子さんです。シワシワになって惨めな姿になりました(-_-)ヨシキは、浮気症でここには寄りつきません。関西に上玉いるとか言って、何処ぞの文化会館地下に新たなゴールデン街作ろうと画策しています<

ユカコさん
偽装寿退社のあと、行方知れずになっていましたが~
違和感寿司に居たとは~

ヨシキの浮気癖は治りませんね~
びょーきだろうね~ 彼は
昔は銀座で目撃情報ありましたが~
次は関西ですか~
西口利権の後釜狙いかな?
 

太さん。違います(*^_^*)

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 6月19日(日)00時49分32秒
  ほしのしずくさんって実は沖浦氏の被害者なんです。
当時の沖浦氏、長野オリンピックを演出したT山氏と手を携え、熱原劇をやりながら創価ネット界の重鎮として崇められ(笑)ていました。当初、あの王道で有名な斧君まで巻き込んだ活躍は創価系ネットの寵児でした。ほしのさんは創価系ブログや掲示板で有名な方でしたが沖浦氏に抗議するも手のひら返しをされてしまいました。大勝利さん、そうですよね?
沖浦氏は長野の教宣部長からお墨付きをもらっているのだと主張し、TOYODAとの法論を決行しておりました。
そのころ、沖浦を糾弾する富士宮ボーイのあべひ氏(笑)や斧氏、河内氏、ほしの女史などを揶揄する掲示板が突然立ち上がりました。斧氏もどうやら本職系とみていた様子です。
 

修利槃特と提婆達多の相対の平仮名るび

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 6月19日(日)00時48分46秒
編集済
  >はじめまして、グリグリです。 了解しました。どうぞ!>
早速の許可をありがとうございます。
流れをしるします。
スマホ、アンドロイドタブレット用で、ブログなど読上げツールで、聞いてもらえるように、平仮名で、書き込みします。
次に、漢字の読みがな( )つきで出します。
次に、本文、平仮名で文章で交互に出して、誤字、誤ルビの検討してください。
各文章ごとに、質問等別解釈等をお願いします。
すでに、ダイバダッタの出家のことで書き込みがありました。
大阪の人と思っていますので、きついおちょくり、いじり、つっこみ、などが、あるやもしれませんが、解釈を深めるためだと、おもい、堪忍してください。
娑婆世界は、堪忍世界だと仏も言っています。
宵寝から起きて、散歩してきました。
ばりばり元気です、さあ3時まで頑張ります。おれ「がんばろうよ~」(^_-)-☆
嫁「がんばらんでえ~よ、早朝勤行あるんやで」( `ー´)ノ (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

/925