この本、率直にすごいです。
書かれていることがいいことだらけで、買い物に出かける前にまるまる1冊読んじゃいました!
書かれていること自体はどこかで読んだことのある感じなんですが、表現の仕方から心にくるような書き方をされています。
読んでみるとエネルギーをもらえることまちがいなし。
不調のときに読めば、スランプから抜け出すカギになるでしょう。
好調のときに読めば、正のサイクルをますます加速させてくれるでしょう。
それ以外にも表現の仕方の勉強にもなるので、読んでおいて損はありません。
パパっと読めるわりには色々と勉強になります。
固定観念を捨てよう!
周囲に振り回されないコツは簡単だ。
頑固になるのではなく、柔軟になることだ。
「かくあるべし」と奮闘するのではなく、「何でもあり」とリラックスすることだ。
「振り回されたくない」
「自分らしく生きたい」
こういうのは誰もが思うことでしょう。
しかしすぐにムリだと感じてしまい、あきらめてしまうもの。
それは「じぶんはこうでなければならない」という、凝り固まった思考があるからです。
ほかにも自由を阻害する原因はたくさんあって、階級意識だとかプライドだとか、わたしたちを縛り付けるものは無数に存在します。
そのような「べき論」によって不快感を感じているのであれば、捨ててしまうのが手っ取り早い。
何でもありだという考えのもと、変化を受け入れる考え方で動くのが得策でしょう。
あなたを縛って苦しめているのは、「かくあるべし」という固定観念なのです。
たしかに今まで自分が「こうあるべき」と思ってきたことをやめるのには勇気がいります。
しかしそこで素直に捨てられないからこそもがき苦しむのであって、サッと捨ててしまえば「なんで今まで自分は苦労していたんだろう」みたいに思うはず。
マイノリティのコミュニティにいるひとほどこういうのには気づくもので、一度くだらない固定観念を捨ててしまえば、どうしようもない自分、みんなとちがう自分を受け入れられるようになります。
根拠のない自信は強い
自信をもつことに、根拠は必要か否かの議論は無駄だ。
なぜなら、根拠ほど怪しいものはこの世に存在しないからだ。
クラスでいちばん俊足だという根拠があっても、学年ではいちばんとは限らない。
学校でいちばんの俊足であっても、市内、県内、全国、オリンピックとなると、いずれどこかで挫折する。
つまり、根拠ある自信は一瞬にして脆くも崩れ去るのだ。
根拠なんていい加減なものに振り回されるよりも、圧倒的な「勘違い」こそが、あなたを成功に導くのだ。
ものごとがうまくいく時って「なぜか自信が湧いてくる」みたいなのがあるはずです。
全部が全部ではないものの、いけそうと思ってやってみたら意外とうまくいったパターンは結構あるでしょう。
つまりはそういうもので、自信というのは根拠がいらないものなんです。
今まであなたが自信を持てたときって、そこには「なんとなく」があったことでしょう。
そしてその自信がリソース全投入を可能にし、結果としてうまくいってしまう。
すなわち根拠なき自信がかえってパフォーマンスを上げることにつながり、結果としてカベを超えてしまう。
よくわからないロジックですが、大きなことが成功するときってこういうのがほとんどです。
そもそもの話、根拠ある自信を簡単に持てたら苦労しません。
根拠ある自信というのは未来予知と同じ。
未来のことが誰にもわからない以上、その「根拠ある自信」というのもあんまり信ぴょう性がありません。
結局はどこかで思い切って決断するしかなくて、その際には中二病になるしかないのです。
学問というのは、実は完璧ではありません。
元をたどっていけば公理や原則みたいな「こういうものだ」というのがあって、最初からある程度条件を限定しているのです。
物理学を見てみればすぐにわかることでしょう。
「光は粒子であり、かつ波でもある」という定義が、物理学には存在します。
それは「わたしは男であり、かつ女である」といっているのと同じこと。
学問というのはそのような「定義にならない定義」によって成り立っています。
そして自信に根拠を求めるというのは、そのような不安定な土台をもつ「学問」をあてにするということ。
どう考えても合理性がありませんよね。笑
つまり自信に根拠を求める行為そのものがナンセンスなんです。
結局、いけそうという直感のもと、ひたすら頑張ってみてあとは運次第というところまでやるしかありません。
極限まで努力すれば50パーセントぐらいまで成功率を上げられます。
あとは運にまかせるだけ。そうするしかないのです。
プロとアマチュアはどこがちがうのか
自称プロと本物のプロの違いは、絶不調のスコアで簡単に判別できる。
プロは絶不調のときに、セミプロが絶好調のときのスコアを叩き出す。
それに対してセミプロは、随分と昔に出した絶好調のスコアを自分の実力だと吹聴する。
時間的、物理的に不利な状況や小さな仕事でこそ、プロとアマの差がもろに出る。
プロとアマチュアのちがいというのはしばしば話題になります。
極論をいってしまえば、お金をもらっているかどうかのちがいでしょう。
それをちょっと変えてやれば「いちばん不調のときのアウトプット」と言うことができます。
結果を出すにあたり、言い訳は不要です。
成功者はたとえ不利な状況といえども言い訳をせず、ノルマ達成のためにひたすら取り組んでいるもの。
どんなに忙しくても、どんなにキツくてもとにかく一定以上のアウトプットを出そうと努力。
むずかしい言葉をならべて言い訳するなんてことはしません。
時間がない、体力がもたない。
ならば生活のどこかに問題があって、それを改善すれば済む話です。
たとえば移動時間というのは時間も体力も持っていくので、知的生産をするうえではかなり邪魔になります。
もしそれが原因で一定以上のアウトプットができないというのなら、移動時間をなくせばいいだけ。見栄やプライドなんていりません。
もっといえば、そのような改善をさまたげる存在から距離を置くというのもいいでしょう。移動時間とか出席を重視するひとってたいしたことないですし。
このようにアウトプットを改善する方法はいくらでもあって、あとはそれを実行できるかどうかだけ。
そしてこの実行できるできないがアウトプットを左右し、それが絶不調のときの結果を決めるのです。
信頼に担保はいらない
信託会社に就職した同級生と、信用と信頼の違いについて語り合ったことがある。
彼の答えは明確だった。
「担保が必要なのが信用。担保が不要なのが信頼」
仕事では信用は大切だが、その1億倍も信頼が大切だ。
なぜなら、信頼は証拠が残らないからこそ、その人の真価が問われるからだ。
信頼というのは担保がなくても成り立ちます。
それゆえに信用以上に扱うのがむずかしいです。
担保という「根拠」があれば、相手を信用して任せることができます。
しかし信頼にはそのようなものがなく、判断する側も勇気が必要。
だからこそみんな前例という「根拠」を重視するのであって、信頼や賭けといったことは行わない。
結果として、安全地帯でごくわずかな差を観測しては大喜びしているのです。
わたしは信用はしませんが、信頼して賭けることはあります。
むしろ信用でできることなんてたかが知れていて、そこまで大きな結果は出てきません。
ひとを信頼する、目の前の相手に賭けるというのはそれだけ見る目がないとできないことですが、その「根拠なき自信」によってイノベーションが起こっているのも事実。
結局はひとを見れる方が強く、前例や担保にこだわることの何倍もの結果が出ています。
時間は最高のプレゼントだ
そしてここが大切なのだが、お金持ちになる人たちの多くは、名もなく貧しい頃から時間を大切にしてきたということだ。
自分が遅刻しないのはもちろんのこと、遅刻する人とも関わらないように注意していた。
「忙しくて勉強する時間がありません」
そうやって不満を漏らす人は、例外なく同じような人種で群がっている。だから勉強する時間がなくなるのは当たり前の話だ。
どうして魅力的な人間は単独行動をしているかと言えば、時間を最大限に生み出すためだ。
時間はリソースです。
それを自覚しているひとは努力して成功しますし、自覚がないひとは仲間どうしで群れて成長しないままです。
成功できるか、そのひとが魅力的かというのには、そのような自覚が絡んでいるといっても過言ではないでしょう。
成功するひとは時間の大切さをわかっているからこそ成功するわけで、その辺の認識が一般人とはぜんぜんちがいます。
そうであればこそリソースを大切にし、しかるべきところで全投入できる。
成功には運による部分が大きいですが、その運とやらにも考え方や仕組みといったものが関係しているのは否定できません。
そして天才が単独行動するにはわけがあります。
それは機動性を確保するため。またそれによって時間を確保するため。
つまりは自分が使える時間を最大化したいというわけで、そのためにはどうでもいい人間との関わりは避けるという、非常に合理的なものです。
もしあなたが誰かに避けられていると感じているのであれば、今一度自分を見なおしてください。
避けている側が今のあなたに魅力を感じないから避けているのです。
たしかにそういうのは言葉には現れませんし、避けている本人も自覚がなかったりするもの。
しかしあなたが魅力的であればあちらは気になって仕方がないはずです。
そしてそのような魅力的な人間になるには、時間を大切に扱うということが欠かせない。
時間を大切にし、必死で打ち込んでいる姿というのは魅力的に映るものです。
そのためには友達どうしでつるまず、ひたすらやるべきことをこなすだけ。
そこを言い訳なくこなせるようになれば、魅力は倍以上になっています。
ヒソヒソ「される」側になろう
古今東西を問わず、人生のステージが上がるということは、大衆から陰でヒソヒソ話をされるということなのだ。
天皇や将軍は、足軽や百姓からヒソヒソ話をされ続けていた。
反対に、天皇や将軍は足軽や百姓のヒソヒソ話などしなかった。
つまり、人間には二通りしか存在しないことに気づかされる。
ヒソヒソ話されながら成長し続ける勝者と、ヒソヒソ話しながら人生を終える敗者だ。
陰口は必要経費として割り切りましょう。
成長するとは多かれ少なかれ、陰で言われるようになることです。
むしろ自分のいないところでどれだけ話題になれるかといってもいいでしょう。
成長している人間や有能な人間というのはいるだけで存在感があり、いるといないのとでは空気がぜんぜんちがいます。
ここでいう「いる」というのは、視界に入ったりして大衆が気づいている状態ということ。いるときといないときの差がまんまヒソヒソ話の源となるのです。
そして、ヒソヒソ話をしている時間というのはムダです。
成功者はヒソヒソ話をする余裕もないほどの生活をしたからこそ成功したのであって、ヒソヒソ話という何の生産性もない時間をなくすようにしています。
結果を出せないひと、魅力的でないひとというのはそこら辺の合理主義が苦手。
すなわちヒソヒソ話が何も生まないという事実を認識できないのです。
結果を出したかったらまずはヒソヒソ話をやめ、結果を出しやすい体質になりましょう。
生産性をともなわない時間をできるだけ排除し、また生産性をなくす思考そのものを封じてしまう。
それによってようやくスタートラインに立てます。
名言を名言と感じるためには?
名言は、受験勉強のようにわざわざ意識して暗記しようとするものではない。
むしろ無意識のうちについ憶えてしまったことが、あなたに必要な名言なのだ。
名言を覚えるのに、記憶力は関係ない。必要なのは、普段どれだけ一生懸命に自分の人生を生きているかである。
普段から喜怒哀楽の激しい人生を送っていれば、あなたの人生は必ずあなたの心の琴線に触れる名言であふれることになる。
言葉というのは、ひとそれぞれ感じ方がちがいます。
そのため印象に残りやすい言葉というのもひとそれぞれちがうもの。
そしていいと感じたものは一度聞いただけでも頭に残るものです。
わたしたちは日々行っていることによって、同じものでも見え方がちがってきます。
フィルタリングのされかたがちがうとでも言えばいいでしょうか。
名言を名言と感じるためにはそれ相応の生活が必要で、必死に生きているひとほどその言葉のよさを感じられるもの。
与えられた名言に対してふさわしい生活をしていれば「それな」と、その言葉のよさに気づけますが、必死さが足りないと「ふーん」で終わってしまいます。
名言を目の前にして、あなたは何を思うでしょうか。
名言や金言を「ふーん」と感じるのはよほど努力して本質をわかっているか、まったく努力せず価値が感じられないか。
そして「ふーん」と思うひとの大半が後者なはずです。
「それな」というのは、あなた普段感じているものが言語化されたからそう思うのです。
言いかえれば、言葉を理解するにはそれ相応の生活や経験が必要ということ。
わたしたちは経験したもの・しているものについてはすぐに理解できるのですが、経験のないものについてはあまり実感が湧きません。
名言に対して素直にすばらしいと思うためにはそれなりの経験が求められるのです。
買い物はフィーリングで
貧乏な人を観察していると、面白いことに気づかされる。それほど欲しくない物でも、つい買ってしまうのだ。
これに対してお金持ちは、本当に自分が欲しい物だけしか買わない。
私の周囲のお金持ちは、ビビッ! と全身に電流が走った物しか買わないと口を揃える。
だからお金持ちは数日や数週間、1円もお金を使わないことも珍しくない。
その代わり、ビビッ! ときた物があれば、それが何百万円でも何千万円でも即購入する。いらない物は、それがたとえ100円でも断固、買わないのだ。
高いものをすぐに買っているのを見て、あなたはどのように思いますか?
お金があるから考える必要がない、と思うでしょう。
ですが実際にはちがって、買うべきかどうかを即座に判断しているだけなのです。
そう、お金持ちは買うものの値段は高いのですが、買い物の回数自体はあまり多くありません。
自分の判断基準に照らし合わせてみて、いいと思えば買う、そう思わなければ買わない。
つまりはフィーリングで買い物をしているようなものなのです。
わたしの祖父は会社を持っていましたが、かといって孫のわたしに何でもかんでも買ってくれるというわけではありませんでした。
こっちがねだってもねだっても買ってくれないばかりで、厳しいというほかない。
子供のころはその考え方に気づけなかったわけですが、今思えばそういうことだったんだなぁと思えます。
祖父が買ってくれたものは高いものばかり。
それも思い出として残るようなものを買ってくれました。
これは「価値があると感じたもののみを買う」というのと整合性がとれます。
お金持ちがお金持ちであるのは、そのような判断基準や思考回路によるものだと考えることもできます。
お金持ちになるにあたっては賭けをしなければならず、賭けるポイントも見極めなければなりません。
それがリスク感覚という言葉で表されるもので、どこで何を取るかの判断力に優れていたからお金持ちになれた。
このように考えることも可能です。
もっといえば、こういうのはミニマリストとも関係します。
ミニマリストはお金持ちになることを保証しませんが、お金持ちになるにはミニマリストになる能力が欠かせません。
言いかえれば、何を選んで何を捨てるかというのと同じ。
その取捨選択がうまいひとがお金持ちになれて、下手なひとが凡人で終わってしまうのです。
お金は最高の「ありがとう」だ
超一流の「ありがとう」は、黙ってお金を払うということだ。
「ありがとう」と口にするのは大切だが、「ありがとう」だけで済ます人が世の中には多過ぎる。
誠にいやらしい話だが、「ありがとう」と口にするのは、所詮無料だ。
つまり、「ありがとう」を濫用する人は、サービスへの対価を、何ごとも無料で済ませたがるというのが、本質なのだ。
あなたはよく値切るひとですか?
店員さんに価格交渉するひとですか?
もし安易に値切りをするのであれば、それは注意した方がいいでしょう。
なぜなら金銭感覚がマヒしているからです。
あなたが価値があると感じたものに対しては、それ相応の対価を支払う。
これが誠実さというものであり、それによって金銭感覚が磨かれます。
極端に高い評価をされている場合はさすがに反論してもいいですが、不必要に値切ってはなりません。
お金には信用、信頼、誠実、評価という意味が含まれます。
なぜわたしたちがお金を払うかといえば、値段相応の価値があると感じているからです。
価値に対しておかしいぐらいの値段がついていれば買わないでしょう。そういうことです。
安易に安く済ませようとするひと、無料で済ませようとするひとは、このような考え方が欠落しています。
価値があるものにはそれなりのものを差し出すのが当たり前で、無料で踏み倒すというのは誠実さゼロです。
「ありがとう」という言葉を使っていい場面というのは限られています。
生まれた環境など、お金ではどうにもならない、自分ではどうにもならない場合においてのみ、「ありがとう」というべきです。
それ以外では「ありがとう」といいながら、どこかでお金を渡すべき。
お金をともなわない「ありがとう」は誠実さに欠けるのです。
個性は作るものではない
その昔「個性教育」というのが流行った。画一化された教育ではなく、文字通り、子どもの個性を尊重せよという教育だ。
なるほど個性は大切には違いないが、意図的に人と違ったことをやるのが個性ではないのはもちろんのことである。
では、個性とは何かと言えば、本人としてはこれが普通だと思ってやっているのに、無意識につい滲み出てしまうものだ。
隠そうとしても隠し切れないのが個性なのだ。
新しいことをはじめれば個性が変わってしまうように思えるでしょう。
しかしその程度で変わってしまうのは個性とは呼べません。
個性というのは場所を選ばず、どこにでも出てくるもの。
いくら同じことをしても、その細部にはそのひとなりの個性が出てきます。
これは無為自然と同じような考え方。
どんなことをしようとも変化には一定のルールがあり、ひとはその軸に沿って変化します。
そしてその軸こそが個性であり本質であり、変えようがないのです。
ブログをやるにしても、いつまでも似たようなことばかりやっていてはおもしろみに欠けます。
しかし「新しいテーマを扱うと、個性が崩れてしまうのではないか」というのはナンセンスで、新しいことに手を付けても個性や本質は変わりません。
そして新しいことに挑戦するというのは、それだけヒットする確率が上がるというもの。
だからこそチャレンジし続ける姿勢は重要なわけで、そこで個性が失われると考えるのは本質的にまちがっているのです。
エネルギーをもらえる1冊
1つ1つの項目は短いですが、その分内容が凝縮されています。
簡潔は機知の精髄といわんばかりに名言だらけ。
この本や文章そのものは短時間で読めますが、内容は結構深い。
考え方がすばらしすぎてエネルギーをもらえます。
また編集のされ方もいいものがあって、言葉では言い表せないような何かが文章にあります。
編集を学ぶうえではいい手本となるでしょう。
ブロガーは読んでおくべきです。
この本には上記にあげた以外にも、いいフレーズや文章がたくさんあります。
記事に合う文章があれば、適宜その内容を引用していきます。