麻生氏「90歳で老後心配、いつまで生きてるつもりだ」:朝日新聞デジタル
話題になっているこの記事について、考えていることを述べる。
要約
- 麻生太郎副総理兼財務相が17日、小樽市での講演で某発言
- 高齢者への配慮に欠けた発言として批判噴出
- 麻生氏、貯蓄より消費が重要とする発言も
- 民進党岡田克也代表がこの発言に対し激おこ「人間の尊厳をどう考えているのか。血も涙もない」とまで述べる
以上ざっくり。岡田氏の発言を見る限り、そんなに酷い発言をしたのかと思ってしまうが、その実はどうなんだろうかということで、以下麻生氏の発言詳細を引用して考えてみたい。
麻生氏発言詳細と所感
思ったより伸びなかったのは、個人の消費です。間違いなく1700兆円を超す個人金融資産がある。すさまじいお金。そのお金が消費に回らない。①買いたい物がないとか、将来が不安だからとか、いろんな理由あるだろうが、いずれも伸びない。金なんてね、あれ見るもんじゃねえんだ。触るもんでもねえ。あれは使うもんだから。使って回さないとどうにもならねえ。じーっとしているのが最大の問題だ。 従って消費税、このまま、さらにじーっとなられるよりは、2年半先に延ばすという結論がなされたのが10日ぐらい前の話です。(2014年衆院選で)信を問うて今回は信を問わないのは筋が通らないということで、意見が分かれましたが、最終的に消費がこれ以上冷えこむのはまずいと。2年半延ばすという結論が出されたから、組織としてはそれに従う。当たり前のことだ。決めきらないのが一番問題だ。決めきらないんだったら、それは民主党になっちゃう。決めるというのは大事なこと。 ぜひ、みなさん方にお願いしておきたいのは、このお金を何に使うのかだけは、ぜひ考えといてもらいたい。俺も75歳だから、俺が考えてもしょうがないの。みなさん方は何に使うんです、この金。さらにためますか? 金ってのは、ない時はためるのが目的になるさ。しかしあったら、その金は使わなきゃ何の意味もない。金ってそういうものだ。従って何に使うのか決めてもらいたい。どうしたいんです? さらにためてどうするんです? ②90歳になって老後が心配とか、訳のわかんないこと言っている人が、こないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながらテレビを見てましたよ。 わたしのばあさんは91歳までピンとしてましたけど、この人は、金は一切息子や孫が払うものと思って使いたい放題使ってましたけど、ああ、ばあさんになったらああいう具合にやれるんだなと思いながら眺めてました。(17日、北海道小樽市の自民党支部会合で)
長い引用になったが、詳細の全文を載せさせていただいた。①②下線及び強調をあしらった部分について
①消費せず貯蓄していることを問題視
若いうちなら使い道があるので貯蓄するのもひとつの金の使い道だが、老い先短い高齢となった際に使うことを前提としない貯蓄をすることは非生産的である。このように述べていると思われる。
おおむね同意なのだが、高齢者が「将来が不安」という気持ちになることを否定するのは良くない。というのも、発言にもあるように現在の生活を維持するだとか病気になった際にどれくらいのお金が必要なのか?という試算ができる人がすべてではない。「お金はあればあるだけ安心だ」という思い込みがどこかにあって、それでひたすらにため込むことでそれを担保として「安心」を得ている高齢者もいるだろう。
政情が安定すれば、高齢者だって安心して消費できる社会が構築されるかもしれない。でも、今はそれが実現していないとも言える。今あるお金を消費してしまうと、将来、衣食住や医療費すら脅かされるような危機にさらされてしまうのではないか。そのような不安から貯蓄に走る高齢者も少なからずいるのではないかな。
言いたいことは解るのだけど、政治を動かす立場としては、まず高齢者が安心してお金を支払える国を構築しよう!というのが第一であり、公の場で誤解を生むような発言をするべきじゃなかったのかなと思う。
②皮肉と誤解
ここについては「命根性が汚い」「金を吐き出さない老害」これらの誤解を生むことは避けられぬ発言。もう皮肉たっぷりなんだもの、一般庶民が思っていても口には出さないような思いを、モロに口に出しちゃっている。
TVに出ていた高齢者が90歳を超えていて、それで不安を抱えるということに何の問題もない。その人が将来、どれくらい生きるかというのはわからないわけだし、いつ新たな病気になるかもわからない、お金もどれくらいかかるかわからない。
年齢で将来に対する抱える不安についてあれこれ言われるのは不要なバイアスであり、人それぞれの状況に応じて必要な貯蓄なども変わってくるわけだから、それに対してこのような皮肉めいたことを言わないほうが良い。
誤解は「はよ逝きなされ」と受け取ること。これは違う。麻生氏は高齢者が消費できないことを憂慮し、その気持ちを(やや穿っているが)正直に口に出してしまっただけ。人間の尊厳を貶めようとする発言ではない。ただ、それを口に出していい立場でもないし、そんなことよりも先述した「高齢者が安心してお金を使い切りながら逝ける社会の構築や法整備」が先立たないといけない、というだけ。
あの世にゃもってけない
僕個人としては、麻生氏と考え方が似ている。「お金はあの世にゃもってけない」役職などの肩書も一緒だし、あらゆる「モノ」もそう。自分が亡くなった時に綺麗さっぱり身の回りからなくなって、清々しい気持ちで何の未練もなく浄土へ旅立ってほしいと思っているし、自分が逝く際には、そのような最後でありたいと思う。
「終活」という言葉が話題になって久しい。役職や肩書を捨て、徐々に人生を細らせていく。後続の若い人間にしっかりと引き継いで、自分は勇退を図る。このようなことが奨励される世の中になっているけど、高齢者の消費が弱いという現実は間違いなくある。
人生の最後はスリムであれ!このようなことを個人に全て委ねることは難しい。やっぱり、みんないくつになっても不安、今はそんな社会なんじゃないかな。だから、国民が穏やかな終末を迎えられるような社会の構築を、どうか進めていただきたいと思う。