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 沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、5月6~13日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。

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■1945年5月6日@東京

 4日からの日本軍の反転攻勢は失敗に終わった。第32軍は再び持久戦に転ずる。これを本土で聞いた大本営陸軍部の戦争指導班は、業務日誌にこう残す。「これにて大体沖縄作戦の見透は明白となる。これに多くの期待をかくること自体無理(略)これ本土決戦への覚悟なり」

■5月7日@真和志(?=正確な場所不明)

 第1海兵師団の狙撃兵マイケル・フェントン一等兵が戦死した。19歳。父のフェントン大佐も同じ師団にいた。星条旗に包まれた息子の前で、荒野と化した地に父はひざまずく。「命を落とした他の兵士に比べて息子は幸せだ。最後の場面で、こうやって父に祈ってもらえる」

■5月8日@石垣

 旅団司令部にある松の木には、当番で学徒兵が登り、米軍機が近づくと「敵機来襲」と大声で知らせていた。もちろん相手は機銃掃射を浴びせてくる。吉田久一一等兵は「根本に爆弾が落ちても落付いて服務し、兵隊より勇敢との声がある」とこの日、書き記す。