誰もが読める可能性のある場所に、本当の意味では誰にも理解できないことを書くものだという認識で、。多少は読み手を意識した文体になるが本質的には同じ。
目的は様々だが、根源として「何かを発露したい」という欲求がある。
なので付加価値によって、これら三つを使い分けている。
自分やその周囲で構成された文を、自分のためにしたためることを主目的とする場合。
何かを発露する上で様々な目的で利用することができ、得手不得手がほぼなくバランスに優れる。
ただ今日び、SNS目的ではお世辞にも優れているコンテンツとはいいにくい。
イメージとしては「誰もが読める日記帳」で、媒体として典型的だと思う。
人は何かを発露するとき、それによって発生する付加価値を重視していて、「何かを発露することそのもの」の欲求に関しては重視していなかったと自分では思っていた。
だが、ブログが普及するずっと前に世に出た「シルバー事件」などでは、既に「発露すること自体」に本質があるのではと言及されており、劇中のセリフでもその行動原理を「つぶやき」と称している。
なので「何かを発露したい」という欲求を手軽に満たしたいときに適していると思う。。
反面、腰を据えて一つのまとまった文章として何かを書きたい場合は、長所であった「軽さ」が文字数制限もあって足を引っ張る。
トップページに書かれた「名前を隠して楽しく日記。」のとおり、匿名性が特徴。
IDすら表示されないため、トラバを利用した一人芝居、成りすましもやりたい放題。
サイトのデザインのせいもあり、ユーザーや文章の「個」すら希薄。
なので、「何かを発露したいけれど、文章や書き手自身の扱いを軽くしたい」ときには増田を利用する。