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孤高の凡人

悪魔が憐れむ雑記

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娘のカタツムリ

今日は土曜日。

世間のお父様方はお休みなのだろうか、公園で子供と遊ぶ姿を見ると、つくづく格差社会を痛感してしまう。

でも私は大丈夫、前職場では日曜日も当たり前のように出勤していたので、土曜日が仕事だろうが痛くも痒くもないのだ。

ただ今日はいつもと違う。

今朝早くから、嫁と娘が実家へ帰ったのだ。

私に愛想を尽かした訳ではない、彼女達は定期的に実家へ帰るのだ。

今日は一人で御飯を食べなくてはいけない。嫁に渡された2日分の食費、2000円を財布に仕舞い、私は仕事へ出掛けた。まだ6月も中旬、18日だというのに私の財布は空っぽだった。どうやら財布の底に穴が空いているようで、決して私がお菓子を大量に買っているからではない。

財布には2000円ジャストが入っていた。

 

梅雨とは思えない、真夏のような天気に救われ、現場作業は順調に進行した。

 

仕事の帰り道、私は思い出した。

明日は釣りに出掛けるのだ。

ちゅうとほら、仕掛け、つまり疑似餌、ルアーね、欲しくなっちゃったの。

私は釣具店に寄り、疑似餌を物色。お、この色よさそうやないかい。お、このプロペラかっこよろしいやないかい。とブツブツ言いながら、気に入った疑似餌を持ってレジへ行き、1800円を支払って、帰路についた。

 

あれ?1800円?

 

やらかした。私は後先考えない小学生のような脳しか持ち合わせていないので、残金が200円になってしまった。

これでは御飯は食べられない。

仕方なく私はその残金で、ジンジャーエールとうまい棒を3本買って、家に帰った。

 

家に到着すると、机の上にこのような物が置かれていた。

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『みずびたしはだめ』と書かれたメモが貼られたこの虫カゴには、娘が可愛がっているダンゴムシと、カタツムリが入っている。

どうやらこれに霧吹きで水分を与えなくてはいけないようだ。私はうまい棒を食べながら、霧吹きで土や石を湿らせた。

 

いつものようにブログを書き始めた私は、空腹感で集中出来ずにいた。

うまい棒3本で大の大人が満腹になるはずがなかった。

冷蔵庫や棚を開き、食べるものを探したが、何もなく、空腹に耐えかねた私は考えた。

 

 

 

カタツムリってエスカルゴだよね。

 

 

 

しかし調理方法が分からない。焼けばいいのか、蒸せばいいのか、さっぱりである。

しかし文明の力とは素晴らしいもので、電子レンジ、これは全ての食品をええ具合にしてくれる万能の家電である。私はエスカルゴを作ることにした。

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幸いな事に、餌のキュウリも入っていたので、一緒にチンしようと思っていたところで、電話が鳴った。

 

電話は下請け業者の方からで、来週の天候が良くない為、工程を打ち合わせしたいという内容であった。約20分ほど電話で打ち合わせをして、私は台所へと戻ってきた。

 

 

 

 

カタツムリがおらぬ。

 

 

 

 

人間は、失ってはじめて、その大切さが分かるのだ。

娘が可愛がっているカタツムリが行方不明になってしまい、私は賢明に探した。食べようとしていた事を棚に上げて、私は娘のカタツムリを賢明に探した。どうか出てきて欲しい、食べるなんて私はどうかしていた。どうか、姿を現して欲しい。

 

 

捜索の甲斐虚しく、カタツムリは出てこなかった。

 

 

やばいぞ、やばいぞ、明日になれば嫁と娘が帰ってくる。なんと言い訳すればよいのか。こんな事ならいっそ食べておけばよかった。

何とかして、その代用品を探さねばならぬ。

さもなければ、帰ってきたはずの嫁と娘が、今度は本格的に実家へ帰ってしまう。

 

カタツムリのような物を家中探したが、見つからない。なんでこんな形なんだよ。固いなら固い、柔らかいなら柔らかいではっきりしてくれればよいものを、中途半端な生き物め。

どうする、どうする。

 

 

 

 

作るしかない。カタツムリを。

 

 

 

 

と、私はテーブルに向かって筆を走らせた。

 

 

 

 

 

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できた。カタツムリが完成した。これを虫カゴに入れておけば、絶対に気付かれないであろう。

そう思いながら、私はカタツムリを虫カゴに入れた。

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あかん、これではあかん。チョンバレである。

こんなものはカタツムリでも何でもない。

ただの絵である。しかし、絵と、本当のカタツムリの違いは何なのだ。何だというのだ。

この哲学的な問いに答えを出すのに時間はかからなかった。

 

答えは『余白』である。

 

本当のカタツムリには余白など無いのである。

 

というわけで、私はこの絵のカタツムリを本当のカタツムリに近づける為、余白を丁寧に切り抜いた。

 

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いける。

自信は確信に変わった。

これで間違いなく、嫁と娘が実家へテイクミーホームカントリーロードすることはなくなる。

そして、このカタツムリを虫カゴへイン。

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完璧である。

お釈迦様でも気がつかねぇべ。

キュウリを食べるカタツムリ、その違和感の無さは神をも騙す。

私は自身の描いたカタツムリに満足した。同時に腹も満たされた。

 

 

もし明日以降ブログの更新がなければ、恐らく私は富士の樹海に埋まってると思うので、探さないで下さい。

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