2016年06月18日

本来の面目

Pinoさんのコメント

>いろんな人格を持ってるのはいけない事だと思ってました。


同じように感じてきた人も少なくないと思います。

一貫性がある人が、実直で、誠実だと思われているからです。

しかし実際には、自然は刻々と移り変わっていて、何事も同じ状態にとどまることはありません。

もし一貫しているとしたら、そこには作為があるということです。


社会は意見をコロコロ変える人を、信用ならない人として扱います。

そのことを知っているので、我々は一定の人格を保ち、一定の意見を持ちます。

それは社会を生きる上では必要なことなので、子供のころから少しずつ「自分」を作り上げてきました。

そこに不純さを感じてしまいます。

内側で感じていることと、外側に発揮している自分が違うからです。


これは人間が社会的な生き物である以上避けられないことです。

ですから社会に向けては完全に演じ切る・・・そのことに問題はありません。


これは対人関係にも言えることです。

昨日、我々は人によって顔(人格)を使い分けている話をしましたが、特定の人に対して、その人用の同じ顔でいることは、社会に対するのと同じです。

コロコロ変われば、その人からも信用されなくなると知っています。


一日中いろんな仮面をとっかえひっかえしていますが、ずっと仮面をつけている必要はありません。

そうでないと、人生そのものが偽物になってしまいます。


人によっては、仮面を外した本当の自分が分からなくなってしまったという人もいることでしょう。

分からなくて当然です。

本当の自分には、顔(人格)などないからです。

あえて言うとしたら、「誰でもない人」です。


瞑想中の静寂がそれであり、ただあるがままにある存在の本質です。

禅では「本来の面目」と呼びます。

その自分(あえて自分と呼びます)を根底に持っていられたら、どんな顔を演じていても、生きるのが容易くなります。

舞台上の役者が、この役はあくまでも舞台上のことだと知っているのと同じです。

もしそれを忘れてしまったら、物乞いの役は自分を卑下することになるでしょう。


顔(人格)を持つ前の本来の面目を知り、その上で社会が求めるあなたを演じて生きればいいのです。

その切り離しができていないと、人生が根っこのない空虚なものになってしまいます。



どうってことありません。

今日もシンプルに生きていきましょう(^^)


・・・・・・・・・・


6月26日の名古屋講演会は、残り席わずかです。

3時間の前半は僕のソロ講演、後半は智子さんを交えて、先日の「all about Meditation」の中から、瞑想のイロハと実践をご提供します。

詳細、お申込みはコチラから。


名古屋でのマントラ伝授をご希望の方はコチラからお入りください。

現在、すべて満席となっていますが、それぞれに数名分の枠を追加しましたので、お申し込みが可能です。



Posted by Toshiro Abe at 10:01│Comments(14)
この記事へのコメント
時と場合によって

いろいろな服を着てもいい

だけど

ありのままの裸の自分は変わらない


ということですね^^
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年06月18日 10:12
一貫性がないことを、ダメだと思っていました。
とても気持ちが楽になりました。
ありがとうございます。
Posted by Marine at 2016年06月18日 10:25
誰でもない人ってすごい自由ーd=(^o^)=b(笑)
Posted by AYAKO at 2016年06月18日 10:27
なーんだ。そうなんだ。
本当の自分って、いったいどういうことなんだろ?かなり長年の疑問でしたよ(笑)
自分でもびっくりするくらいいろんな自分がでてくるので、いったいほんとの自分ってどれなんだろ?本当の自分を生きないなんて、そんな人生いやだ。ほんとの自分になりたい!とか、密かに思ってました。
あー、よかった^_^
阿部さんありがとう。
Posted by popo at 2016年06月18日 10:30
いつもありがとうございます。
 
今日も善き一日になりますように
Posted by ほったん at 2016年06月18日 11:00
小学生くらいの頃から自分はこういう性格みたいな認識が自分の中にあって、それがなんか苦しかったなぁって思います。

学校でもそういう風に振舞わなきゃいけない感じとか。


私はすごく無理をしていました。
もっと自由に生きたかった。
しがらみから解き放たれてもっとありのままに勝手に振舞いたかった。


ところがどっこい、自分は誰でもなかったし、出てくる言葉もどこにも向かっていなかった(笑)

他者を創り出して、すごく気にしていたのが自分だったから、苦しかったし、無理しちゃってたんですよね。

それでもって、みんな 誰でもないんですよね。ほんとうは。
だから本来は最初から安心の中にいるってことだったんですよね。
Posted by 薄茶色 at 2016年06月18日 11:37
阿部さん、とても興味深く読ませていただいてます。

昨日の記事も、読むたびに違う思いが起きましたが、

今日の記事も、この内容はもちろんのこと

他にも私という現象に起きていることと照らし合わせ

自分なりに理解が深まります…


より、ひとつになるために生かされていることがわかる思いを感じます。
Posted by ようこ at 2016年06月18日 12:12
今日も起きていることが起きている、シンプルな日です。
Posted by 創宮 at 2016年06月18日 13:26
唯一の自分、それは「あるがまま」の自分(真我)です。
無数の自分、それは思考が想像した無数の自分(自我)ですね。

無数の自分に疲れたら、唯一(あるがまま)の自分に帰りましょう!^^
Posted by 近藤 at 2016年06月18日 14:23
☆!
ありがとうございます(^^)
瞑想します。
Posted by 徳永 恭子 at 2016年06月18日 14:52
根底は何も無いから色々と演じてもいいんだ。。。

どれがありのままなのか年々全くわからなくなり、ありのままでいたい、いたいと思いながらも何がどれがありのままなんや。。と疲れていた所でした。。

本当は何も無いんだ。

演じてる自分を責めたり卑下したり知らず知らずしていたので、ようやくこれでええんやと言ってあげれます

あー楽だぁーーーー!!


阿部さん大好きです。。。
Posted by サラ at 2016年06月18日 16:13
素敵なメッセージです。

いつもありがとうございます。
Posted by Sleeping B. at 2016年06月18日 17:06
いつも、ありがとうございます。
「本来の面目」という言葉。初めて知りました。ご説明ありがとうございます。
「どうってことありません。」というフレーズを拝読して、心から、ほっとしてます。今日も無事に暮れそうで、感謝しております。
Posted by 林ゆみ子 at 2016年06月18日 18:42
熟睡中も誰でもない人…ですよね

以前に買ったムージさんの本を読み返していたのですが
おっ!というところがあったのでご紹介します



絶対なるものの息☆ムージ P211より


私達が目覚めている状態を大好きなことは確かですが、
深い眠りの状態もまた大好きなのです。

深い眠りではただ愛だけを感じていますが、
それは二元的意味での愛ではありません。

あなたは、愛と一つになっているのです。

存在するすべてのものは、
「私」さえ存在しないその状態でいることが好きです。

あなたもそれが大好きなのです。

………………………………………………………………


愛☆愛☆


それではおやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2016年06月18日 20:13
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。