論説委員・谷津憲郎
2016年6月17日15時00分
沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、4月28日~5月5日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。
◇
■1945年4月28日@嘉手納
特攻隊第3草薙(くさなぎ)隊の大塚晟夫(あきお)さんが戦死した。23歳。1週間前にはこう書き残していた。「はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない」。そしてこの日。「散れよ散れよ桜の花よ、俺が散るのにお前だけ咲くとは一体どういうわけだ」
■4月29日@浦添
山本義中少尉の率いる小隊8人が戦車5両と対峙(たいじ)した。陣地右に潜む知念盛一2等兵のそばに戦車が迫る。「来たぞ」。その時。「知念の頭が動いたようにみえた。そして、あっという間もない程(ほど)の速さで、対戦車爆雷をもったまま戦車に突っ込んだ」。肉弾攻撃。火柱があがった。
■4月30日@首里
父親の病気のため、県立二中の仲間たちと別行動をとっていた岩本兼一さんが情報集めに首里へ。小学校で同級生だった女性たちが軍属になっているのを見つける。「新しい軍袴(ぐんこ)、軍靴を履(は)いて颯爽(さっそう)と歩く彼女らをみると乞食(こじき)同然の自分のぼろ制服姿が情けなかった」
■5月1日@一日橋
全身を負傷した山本義中少尉は陸軍病院に運ばれる。その途上。川を渡る要所は、米軍の集中砲火を浴びていた。照明弾の明かりに地獄絵が浮かぶ。「足だけがある。手だけが飛ばされている。首のない体が横たわっている」。死んだ母親にすがる赤ん坊の姿が目に焼き付いた。
残り:1006文字/全文:1700文字
新着ニュース
おすすめコンテンツ