MTR(マルチトラックレコーダー)が音楽制作に欠かせない機材だったことも今や昔。 現在はMTRに変わってMac/PC上で動作するDAWが音楽制作の中心となっています。
そのためか、音楽制作の現場においてMTRを使う人も少なくなり、その流れにともなってMTRを販売していたメーカーは次々と市場から撤退しています。 現在もMTRを販売しているメーカーはフィールドレコーダーと呼ばれる映像制作向けのMTRを販売しているところぐらいでしょうか。
確かにDAWでの制作ってなんでもできるし便利ですけど、だからといってMTRがDAWよりも劣っていると考えるには早計です。 DAW全盛期時代の今だからこそ、MTRの優れた部分を活かした音楽制作法もあるのではないでしょうか。
MTRの概要と現状
MTR(マルチトラックレコーダー)とはその名の通り、トラック(音を再生/録音する概念や仕組みのこと)を複数備えたレコーダーです。
MTRがあればそれぞれのトラックに楽器の音を録音し、それらを同時に再生することで一つの音楽を作り上げることができます。 また、それぞれのトラックを録音後に別々に編集できることもあり、MTRの登場によって作り上げられる音楽のクオリティが向上しました。
Mac/PC上で動作するDAWが一般的になる以前は、MTRが音楽制作の中心にありました。 昔バンドをやっていた経験があったり、ミュージシャン活動をしていた人にとって、MTRはどこか懐かしさを感じる言葉ではないでしょうか。
そして現在、コンピューター上でDAWを動作させるシステムが安価に導入できるようになり、それに伴いMTRはDAWに置き換わりました。 そのせいか、今時のミュージシャンにはMTRという単語の意味を知らないという人も少なくありません。 MTRという機材と言葉は、かつてのミュージシャンが若かりし青春の日々を再現するための補助記憶装置になりつつあります。
MTRの特徴
いやいや待ってください。 MTRを過去の遺産にしてしまうには早すぎます。 MTRにもDAWより過ぎれている部分はありますよ。
まず、操作が簡単であること。
MTRはDAWに比べてできることは少ないですが、その分操作がシンプルです。
録音したいトラックを選択し、録音ボタンを押して演奏すれば、これでもうレコーディング完了です。
DAWはできることが多いために操作が複雑になります。いや、その前にDAWで録音する環境を構築する事自体が大変でしょう。
次に、動作が安定していること。
MTRは機能として謳われている以上のことはできません。
その代わりにその機能をフルに活用しても、例えば8トラック同時に録音できるMTRで8トラック同時に録音してもちゃんと録音できます。
一方、DAWだとほぼ無制限に様々なことができますが、コンピューターの性能以上のことをすると途端に不安定になります。
だったらコンピューターの性能を把握しておけという話ですけど、コンピューターの性能を把握するためにも前提となる膨大な知識が必要です。
DAWはMTRに比べると色々面倒くさいものです。
そして、導入費用が安いこと。これは性能に対するコストパフォーマンスという意味ですね。
例えば、「8トラック同時録音、32トラック同時再生」という環境を作りたいとします。
DAWでこれを実現するなら、8トラック同時録音しても問題ないストレージと32トラック同時再生をこなせる性能のコンピューター、さらには8トラック同時録音可能なオーディオインターフェースが必要になり、これらを揃えようとすると数十万円はかかるでしょう。
一方のMTRの場合、今なら6万円弱で上記の環境が手に入ります。
録音する環境だけが欲しいというなら、MTRに軍配が上がるのは火を見るよりファイヤーです。
とりあえずDAWと比較した際のMTRの利点を挙げてみましたが、逆にこれら以外はDAWが圧倒的に便利で高性能です。 宗教上の理由でもない限り、音楽制作にDAWを用いない理由なんてありませんね。
MTRの活用例
ですが、DAW中心の音楽制作環境にMTRを導入することで、制作がよりはかどることもあります。
以下にその自体として考えられるものを挙げてみました。
プレビュー版デモの作成に
頭のなかに音楽のアイデアが降臨している。でも、DAWで形にするには曖昧すぎる。 そんな時にこそMTRは役に立ちます。
完成品のクオリティは問わない。ただ誰かとアイデアを共有したい。 例えばバンドメンバーに聴かせるプレビュー版レベルのデモでいい時なんかがそうでしょう。
そこでMTRを取り出してすぐさまギターの弾き語りを録音。 弾き語りを録音し終えたらトラックを切り替えてベースの録音、ベースは取り敢えずギターの低音側で代用。 リズムは机を叩いたり手拍子なんかでいいや。 こうやって取り敢えずの完成形をアイデアが頭に残っているうちに吐き出す作業って、いくらでも詰められるDAWだとやりにくいものですが、機能が限られているMTRだと詰めることも難しいので、割りきって作業を進められるものです。
こうやって作り上げた歪な完成形でも、所属しているバンドのメンバーとのアイデアを共有するぐらいなら十分でしょう。 そこから完成度を揚げる作業は、バンドのメンバーと協力して進めればいいですから。
この場合に役に立つのがポータブルなMTR。 性能も機能も限られていますが、取り回しやすさはピカイチです。
ポータブルなレコーディングシステムに
レコーディング機材をスタジオに持ち込むような場合が多いミュージシャンにもMTRがおすすめです。
機材持ち込みでのレコーディングにおいても、モバイルコンピューターとオーディオインターフェースなどのレコーディング機材一式を持ち込んでレコーディングというのが一般的になりつつあります。
そして、こういう場合に起こりがちなトラブルとして、自宅では動いていたのに持ち込み先で急に動かなくなったなんてことが良くあります。 そのトラブルに対処している間にレコーディングできるテイクがあったと思うともったいないです。 スタジオを借りている時間、ずっとトラブル対処をしているだけだったなんて場合には目も当てられません。
その点、MTRはそのシンプルさ故にトラブルがありません。 電源を入れれば即座にレコーディング開始できるスピード感も魅力です。 録音したトラックはレコーディング終了後にコンピューターに移動し、そこからはDAWで編集すればMTRとDAW両方のメリットを活かせます。
このケースの場合、求められるMTRの性能は人によって様々ですが、例えば、バンドの一発録りがしたいという場合には同時録音数が多いほうが良いです。 一発録りは個別のパートごとにレコーディングするよりもグルーブ感あるレコーディングが可能なのはご存知のとおりです。 この時に同時録音数が多ければ、バンドの一発録りにしてもステレオマイクだけでなく各パートごとの録音もできるようになり、より一層のクオリティ向上に寄与できます。
ハードウェアシンセサイザーのお供に
近年ではハードウェアシンセサイザーが再び脚光を浴びていることは、情報に敏感なミュージシャンなら知っていることだと思われます。
特に最近アツいのはアナログのシンセサイザーやリズムマシンでしょうか。 コンピューター上で動作するバーチャル音源には出せない音に魅力を感じるミュージシャンも少なくありません。
また、小型のガジェット楽器も勢いを増しています。 ガジェットと侮るなかれ、チープと一蹴するにはためらわれる音が出てきます。 そしてそれらは総じて魅力的で独特な音で、楽曲を彩ることでしょう。
さらには、自分の手でモジュールを組み替えたり接続を工夫することで、世界に一つだけのオリジナルシンセサイザーを作り上げられるモジュラーシンセサイザーというものも流行の兆候を見せています。
さて、これらの楽器をコンピューターと連携してDAWでコントロールできればいいのですが、全てが全てそうもいかないところです。 そういった楽器からの一時録音先としてMTRを利用するのは、一つ一つの楽器をDAWでちまちまと録音していくよりも効率的です。 なにせ、楽器を同期して再生しながら同時録音数が多いMTRを用いてレコーディングすれば、一発で全パートを録音できますから。
サウンドコラージュの素材録りに
上記の発展形的なアイデア。
シンセサイザーの音作りは様々なパラメータを編集することで実現します。 シンセサイザーに慣れているミュージシャンは最終的な完成形を思い描いて、それに対して適切なパラメータを編集していきますが、もしかしたらそうした編集過程の中で意図していない新しい音に出会えるかもしれません。 そうした音を記録して置けないのはもったいないです。
また、新たな音楽性を模索するために手持ちの機材で実験をすることもあるでしょう。 こういった時は制作のことを全く考えないものですので、当然レコーディングの準備すらしていないのが大概です。 そんな時に新しい音に出会って、それをホットなうちに楽曲にしたいなんてこともあるでしょう。
そんな時に役立つのがMTR。 新たな音に出会えるチャンスに備え、音作りや実験の過程をずっとレコーディングし続けるのです。 複数の機材を用いるのなら、それら全部MTRに接続すればあまさず録音できます。 そうやって何時間ずっと録音し続ければ、後から素材を切り出してサウンドコラージュで楽曲を構築することだってできます。 マイク用のトラックを用意して、音作りや実験を実況しておくと、後から何をしていたかを確認することもできますね。
DAWで多チャンネルのレコーディングシステムを構築するには知識と投資が必要なのは前述のとおり。 ですが、安定した動作と導入コストが安いMTRなら、こういった用途にも十分耐えられるレコーディングシステムになりえます。
いっそフィールドレコーダーとして販売されているMTRを選択するのもありでしょう。 現行品の音楽制作向けMTRと比べると値が張りますが、その音質と耐久性には眼を見張るものがあります。
MTRは過去の遺物ではない
ここまででご覧頂いたとおり、昨今のDAW中心の音楽制作環境であってもMTRを使うことでより便利になります。
MTRはDAWに駆逐される存在ではありません。 互いのいい部分を活かしながら、効率的な楽曲制作を進めるためのツールです。 旧来の機材だからといって軽んじるのではなく、特徴をしっかりと把握した上で利用していくというのは、音楽制作に限らず仕事にも生きてくる考え方でしょう。
こうやってMTRのことを書いていたら、なんとなくMTRが欲しくなってきました。 現在、MONTAGEをいろいろ弄くって見てることもあり、それを記録するためにも1つあってもいいかもですね。