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>ぐりぐりさんの法華経解釈は、ほとんどが須田晴夫著『新法華経論』のパクリですね。
>匿名だからといって、人の思索の中身を自分が考えたもののように発表するのはまずいのではないでしょうか。
>他人の業績と自分の見解を区別するのが、最低限のルールでしょう。
>須田氏の本の該当箇所を見れば一目瞭然ですよ。それ以上、申し上げる必要もないでしょう。
よしのりさん、まずはご指摘ありがとうございます。
「法華経の智慧」に出てくる対談者の一人、
須田晴夫氏の著作「新法華経論」「日蓮の思想と生涯」の二冊は、すべて精読しております。
それだけではなく、日蓮大聖人御書講義録全編、三代会長(牧口・戸田・池田)の全集全編、
その他あらゆる教義書の類を知るかぎりにおいて、すべて目を通しております。
なかでも須田晴夫氏の法華経解釈の論考に大変感銘を受け、尊敬に値する人物の一人です。
また、須田晴夫氏が上記二冊の著作を出版したがために、学会本部から処分されたことも聞き及んでいます。
これは人伝えに聞いた話なので本当のところはわかりませんが・・・・。
そんな折でもあり、匿名で須田晴夫氏の著作を引用すれば、
本部からは「グリグリは須田氏だろう」とレッテルを張られ、須田晴夫氏が危険にさらされるはめにもなります。
よって、ハンドルネーム「よしのり」氏は、須田氏本人かその関係者ではないかと推測します。
また、ハンドルネーム「大仏のグリグリのとこ」は、
須田晴夫氏本人ではないことをここではっきりと宣言しておきます。
グリグリはどこにでもいる無名の末端の学会員です。もちろん民間人です。
この際ですから、グリグリの教学論考に対する考え方を述べたいと思います。
現在、学会の第一線の現場組織では、教学研鑽に使われる時間は「ほとんど」と言っていいほど取られていません。
学会幹部は言うでしょう。
「何を言う。二か月に一回『教学の日』をとっているし大白蓮華でも半分は教学のことが書いてある。
教学を勉強するために必要な参考書が学会から出版されている。
教学は自分で『剣豪の如きの修行』をするものだ。本を読め、自分で勉強しろ」と。
しかし、第一線で戦う会員さんの話は、毎日の活動に追われて、
教学を学ぶ気持ちの余裕がない。
何から学んでいけば良いのかわからない。
御書講義録は読んでも難しい。
教学書の論考を読んでも表現が難しすぎて理解できない。
幹部の御書講義を聞いてもただテキストを読んでいるだけでおもしろくない等々――いろんな意見を聞きました。
グリグリも現場にいてそう思います。
まず、論文調の文体は専門書という性質から、一般の庶民には理解しにくいし、
本にしては比較的高価な値段なので好きな人でないと買わない。
それに今の若者は御書講義録を全巻持っている人は皆無に等しい。
今の経済状況では、それらの教学本を全巻、買うのもむずかしい状態の人も多い。
しかし、池田先生から我が地域の広宣流布を任されたからには、何としても智勇兼備の人材を育てなければならない。
教学を学ぶおもしろさや仏法の道理を学べば、
自分が得をするし迷わなくなるという事を後輩に教えなければならない、ではどうする――。
人知れずグリグリはそのように悩んでいました。
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