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 沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、4月18~27日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。

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■1945年4月18日@伊江島

 ピュリツァー賞も受けたジャーナリストのアーニー・パイルが日本軍の銃撃を受けて死亡した。海の向こうのヨーロッパ戦線の勝利にそなえた予定稿だったのだろうか。ポケットにはコラムの下書きが入っていた。「ついに終わった。世界の片側は破滅の道を歩んでいる」

■4月19日@嘉数

 機関銃隊の松川正義さんが立哨にあたった。もう一人の当番である古参兵は、ひさしのある壕(ごう)入り口に。突然、迫撃砲の攻撃を浴びた。古参兵は即死。「その顔がまるで小学生のように小さいんです(略)後頭部は骨も何かかもふっとんでいて、顔の皮が縮んでいたんですね」

■4月20日@浦添

 米軍に囲まれた友軍を救うべし。山本義中小隊長らが伊祖高地への夜襲を命じられた。その際、戦死傷者の収容は禁ずるとも。「いやはや、万に一つも、生きて帰るなどとは考えられない」。ふるさとの母、妹のおかっぱ頭、子供のころ遊んだ山や川。次々と脳裏に浮かんだ。