◆女性週刊誌に堕した週刊新潮の皇室記事


 三島由紀夫言ふところの週刊誌天皇制を唾棄する私は、週刊誌天皇制の忠実な推進役である女性週刊誌の皇室記事を一切読まないが、週刊新潮の皇室関連記事だけはよく読む。それは週刊新潮の皇室記事がもつてゐる独特のスタンス、右でもない、左でもない、真ん中でもない、皇室ネタに対しても一般ネタを追ふときのやうな皮肉をきかせた切れ味で事実に迫る、そのスタンスが面白いからである。皇室を持ち上げるだけの記事、皇室をけなすだけの記事なんて読んでもしようがない。

 普段はコンビニで立ち読みするだけの週刊新潮も、皇室記事が載つてゐたので、早速買つて読んでみた。タイトルは《「雅子妃」「紀子妃」の被災地ご訪問競争に「美智子さま」の苦言》。失望した。「なんだこの記事は、一体いつから週刊新潮は女性週刊誌になつたんだ」

 記事の概略はかうだ。タイトルの如く(週刊新潮はタイトルをつけるのが本当にうまい)、皇太子妃と秋篠宮妃の「震災被災地ご訪問」に皇后が強い懸念を抱かれてゐて、先の陵墓問題に関する発表にも、両妃へのメッセージが込められてゐる―。

 震災以来の、両妃の震災関連行啓競争について、《行くことはもちろんよろしいのですが、あのように、まるで競争する形で、というのは、いかがなものでしょうか》といふ皇后の感想が紹介される。

 皇后の懸念は、皇太子妃のみならず、秋篠宮妃にも及び、皇室への「過剰適応」とまでいはれる秋篠宮妃は《ちょっとやりすぎのところはありますね》といはれた由。
 
 秋篠宮家ではこんな具合に行啓日程が決まるといふエピソード。

《ご訪問の日程もすべて妃殿下が提案しておられました。“ここへ行くべきです”と、場所やタイミングまで殿下に示し、矢継ぎ早のご提案に殿下がためらいを見せようものなら、妃殿下は上目遣いでじっと凝視なさる。最後は殿下が折れ、妃殿下主導でことが進められるのです》
 
「皇室関係者」の口から語られる様々な両妃批判を紹介し、記事はかう続ける。

《東宮家のみならず、秋篠宮家でもまたご当主を差し置き、妃が実権を握っておられるといふわけだ。そんな現状から皇后さまも、先述した「畏れ多い」とのお言葉を用いて、“戒め”をご発信なさったというのである。同時に、これまで折に触れ“震災地にどこまでも寄り添う”と公言されてきた皇后さまのまなざしは、おのずと険しくなるばかり―。》

 皇后と、両妃のふるまひをこのやうに単純に対比させていいものかね、“震災地にどこまでも寄り添う”国母のやうな皇后に対し、専横なふるまひを続ける息子の嫁たち。女性週刊誌の手法そのもの。女性週刊誌はいつもこんな単純な色分けで皇室記事を仕立てあげてゐる。

 この記事を書いた記者さんは御存じないのかな。天皇の皇太子時代、行啓日程などを決める際、皇太子妃が強い発言力を有してゐたことを。そしてこんな皇太子妃の「専横ぶり」を週刊新潮がさんざん書きたててきたことを。天皇皇后におなりになつてからも然り。天皇は側近を通じて皇后におうかがひをたてるのを常とした。天皇と皇后の逆転した力関係は、週刊新潮の最も好きなテーマだつたはずだ。 

 その意味で、両妃は、皇后が築かれた「伝統」に則つて、ふるまはれてゐるといふ見方もできる。

 
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プロフィール

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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