つまづきを長所に変えて~『ダンボ』のたどった苦難の道(後編):高橋ヨシキ連載3
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(おことわり)旧作映画の映画表現に現代では一部不適切なものがあります。作品の時代背景やその意図を検証することが目的のため、文中の表現はそのままといたしました。何卒ご理解いただければ幸いです。(編集部)
あの映画に隠された、禁断の魅力とは? 現代の「神話」の深淵に迫る!
高橋ヨシキのディズニー大好き!
第3回 つまづきを長所に変えて~『ダンボ』のたどった苦難の道(後編)
前週に引き続き『ダンボ』評をお届け! 前編こちらから。
http://bucchinews.com/geinou/5774.html
おっといけない、また話を急いでしまいました。
他のゾウに何を言われようとも、強い愛情で結ばれていたダンボと母親ジャンボの前に、今度は心ないクソガキが現れます。彼らはダンボを囃し立て、嘲笑し、いじめますが、これを見たジャンボは激昂します。しかし、クソガキどもを蹴散らしたジャンボは、「狂ったゾウ」と見なされて、牢屋に繋がれてしまいました。
ここで初めて、ダンボに新たな友だちができます。鼓笛隊の服を着込んだネズミのティモシーです。ティモシーは自分の体躯を活かしていじわるなおばさんゾウたちを震え上がらせますが、これは「ゾウはネズミを怖がるものだ」という物言いに基いています。物言いといってもこれは出典がはっきりしていて、西暦77年にローマの大プリニウスことガイウス・プリニウス・セクンドゥスが、著書『博物誌』に書いたのが始まりです。
ティモシーはダンボをこう言って元気づけようとします。
「ダンボ君、君のママは狂ってなんかいないよ、ただ悲嘆にくれているだけなんだ。それに、君の耳がでかいのは誰のせいでもない。だいたい、君の耳はとても美しいとぼくは思うね。実際、とても見栄えがするだろう。それに、デカい耳の有名人だって沢山いるんだ。ここは一芝居かまして、君をスターにしてやらなくちゃならん」
ティモシーは、7頭のゾウでピラミッドを作り、そのてっぺんでダンボが旗を振るというアイディアを思いつき、これをサーカスの団長の耳に吹き込みます。
ところが、その「ゾウのピラミッド」は、ダンボがまたまた自分の耳につまづいてしまったため、テントが崩れてゾウたちも怪我を負うという大惨事に終わってしまいます。まあ、怪我をしたのは意地悪なおばさんゾウばかりなので、あまり同情できないというのが正直なところですが、このとき、患部に包帯を巻いたり、氷をあてたりしているおばさんゾウの中に、一匹、生肉をほっぺに当てているものがいるのにお気づきでしょうか。あれは通称「ビーフ包帯(Beef Bandage)」といって、打ち身や殴られた場所などに生のステーキを当てて冷やすという民間療法です。元はギリシャ時代の四体液説(「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の四つを人間の基本体液と考える説)によるもので、ステーキ肉は赤くて「血液質」なので、腫れを吸い取る力があると思われていたのです。
サーカスでのダンボの立場はますます悪くなり、ついにはクラウン(ピエロ)たちと組んで危険なドタバタ・コントを演じさせられる羽目に陥ります。
高い塔のセットが火に包まれ、最上階にいる白塗りのダンボを助けようとクラウンたちが消防隊の格好でやってきます。しかしクラウンたちの消火活動はまったくの滅茶苦茶で、まったく火を消すことができません。
この場面で、大人数のクラウンが一台の消防車にぎゅう詰めに乗ってやってくるところは、「キーストン・コップス」のパロディになっています。「キーストン・コップス」はサイレント時代のドタバタ喜劇のシリーズで、毎回大人数のお巡りさんが右往左往するのですが、彼らもまた一台のパトカーに大勢で乗るのが売りでした。「キーストン・コップス」をアニメーションでパロディ化した例としては、アンチ・ディズニーの急先鋒にして大人向けのアニメーションを作り続けている鬼才ラルフ・バクシの『クール・ワールド』などがあります。
幼いダンボが、みじめで悲しく、おそろしい思いをしたにも関わらず、クラウンたちは「火事ショー」の成功に浮かれて祝杯をあげ始めました。
母親はまだ牢屋の中ですから、このときダンボはまったくの孤立無援です(ティモシーのことはいったん置いておきます)。立場としては身寄りのない子供です。そんなダンボが、サーカスの中で、白塗りの滑稽なメイクを施されて、クラウンたちにすら嘲笑されるみじめな役をあてがわれる……これこそ、「悪い子はサーカスに売っちゃうぞ!」と言われた子供が想像し得る、最悪の事態です。子供でない例もあります。それが1930年のドイツ映画『嘆きの天使』ですが、この作品では、世間知らずの老教授が巡業サーカスの歌手(マルレーネ・ディートリッヒ)に夢中になった挙句に身を持ち崩し、サーカス一の笑われ者のピエロ役にまで身をやつした挙句に死んでしまうというひどい話ですが、ダンボの状況もそれを思わせるところがあります(『ダンボ』は結末が『嘆きの天使』と180度違って本当によかったと思います。もちろん『嘆きの天使』は素晴らしい映画ですが、可哀想なダンボちゃんが救われなかったら映画館で暴動が起きていたでしょう)。
クラウンたちが誤って水桶の中に落としたシャンパンを飲んで、ダンボとティモシーは泥酔してしまいます。泥酔というより、明らかにトリップしています。このトリップ場面は伝説的なもので、かつまた『ファンタジア』を思わせる創意に溢れためくるめくシーンですが、このトリップ描写についてはいずれ別の原稿でしっかりと分析したいと思います。今回の原稿はトリップ描写に主眼を置いていないので、あえてこの部分をスキップすることをお許しください。
ダンボとティモシーが目を覚ますと、そこは木の上でした。
耳が大きいってだけで、なぜ彼をフリーク呼ばわりする?
寝ている間に何が起きたのか……。物珍しげに集まってきたカラスたちの軽口をかわしつつ、ティモシーが推理します。そうだ、きっとダンボがその耳を使って空を飛んだのに違いない!
それを聞いて、カラスたちが歌い出します。
「どんなおかしなことが世の中にあるとしたって、ゾウが空を飛ぶことなんてありっこないさ」<When I See an Elephant Fly/もし象が空を飛べたら>
ティモシーはカラスたちのからかいに憮然として、こう言い返します。
「君たち、自分を恥じるがいい。
大の大人がよってたかって、小さな子供をいじめるなんて!
子供のときにお母さんから引き離されたことがあるかい?
夜になっても、誰も抱きしめてはくれないんだ。
この冷たく、残酷で、心ない世界の中で、
彼を包み込んでくれる大きな鼻はないんだよ。
何がいけないっていうんだ。
耳が大きいってだけで、なぜ彼をフリーク呼ばわりする?
なぜこの子がサーカスの笑いものにさせられなくちゃならない?
お母さんはこの子を守ろうとしただけなのに、
牢屋に閉じ込められたんだ。
その上、奴らはこの子をピエロに仕立てあげた!
この子にはもう、社会に居場所なんかないんだ。
そんな子をいじめて何が楽しいっていうんだ?
いいよ、もう勝手にしろよ。
楽しむがいい。あざ笑うがいい。
この子の背中を蹴っ飛ばすがいいさ」
ダンボ自身が言葉を発しないこの映画において、ティモシーのこのセリフが主題を明確に浮かび上がらせます。ここでもわざわざ「フリーク」という言葉が使われていることは重要です。他人の「奇形」を差別することを、これほど舌鋒鋭く批判したセリフは『ダンボ』以外にちょっと思いつきません。というか、『ダンボ』が子供向けのアニメ作品だからこそ、ここまでストレートに、しっかりとセリフにして言うことが重要だったし可能だったのでしょう。
魔法の翼はもう必要ない
ひとくさり言い終えたティモシーがダンボと帰路につこうとすると、カラスたちがそれを止めに入りました。「そんなこと言って去るのはよしてくれよ」「お前らはクールだよ」「なんとかしてやろうじゃないか」。そしてカラスたちはダンボに「魔法の羽」を与えます。これを持っていれば空が飛べるというのです。
カラスたちは自分の残酷さを恥じて(そしておそらく自分たちも同じくマイノリティであることを自覚した上で)ダンボに救いの手を差し伸べます。カラスたちは流れ者のようでもあり、またピンプ(売春婦の元締め)のようにも見えます。そのカラスたちがダンボの置かれた境遇を理解する、というのは説得力があります。意地悪なおばさんゾウたちは、サーカスのスター、という立場、つまりエスタブリッシュメント側ですから、最後までダンボのことを理解せず、謝りもしないのですが、それとカラスたちは好対照になっているわけです。
『ダンボ』の物語も終わりに近づいてきました。
再び「火事ショー」に駆りだされたダンボは、しかし今回は地面に墜落するぎりぎりのところでふわりと飛翔します。カラスにもらったプラシーボとしての「魔法の羽」はもう必要ありません。ダンボが高い塔から墜落し、地面が迫ってきて「もうだめだ!」と思った瞬間、奇跡のように舞い上がる場面には最高に高揚させられます。これを上手に換骨奪胎したのがスピルバーグ監督で、『E.T.』で警官隊に追われて「もうだめだ!」となった子どもたちの自転車が一斉に大空へと舞い上がる場面は、明らかに『ダンボ』のこのシーンを下敷きにしています。スピルバーグは『1941』でもアメリカの将軍が映画館で『ダンボ』を観て涙する、という場面を挿入していました(観ていた場面はジャンボが牢屋から鼻だけ出してダンボをあやすところでしたが)。
「空を飛ぶ奇跡のゾウ」ダンボは大評判となり、特別待遇で、ジャンボ・ダンボ親子専用の豪華な客車も与えられました。 サーカスはまた旅を続けます。客車のデッキには解放された母親ジャンボの姿もありました。空を自由に飛ぶダンボの耳は、もはや自分をつまづかせる「奇形」ではありません。それはダンボの持つ最大の武器であり、ダンボをダンボたらしめる大事な自分の一部です。
ダンボはついに、自分が相手に合わせるのではなく、世間が自分を見る目を変えさせることで、自分自身と、自分の居場所を確立したのです。
<木曜連載>
イメージ画像:Jumbo feeds a laxative called Castoria to a baby elephant in an advertisement(1882/Public Domain)
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たかはし・よしき
映画ライター、デザイナー、悪魔主義者。雑誌『映画秘宝』にアートディレクター、ライターとして参加する傍ら、テレビ、ラジオでも活躍中。NHKラジオ第1放送で『すっぴん!』にて毎週金曜日「高橋ヨシキのシネマストリップ」を担当。近著に「暗黒映画評論 続悪魔が憐れむ歌」。
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