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zoom RSS 皇室にまつわる噂話の嘘 @皇室とキリスト教

<<   作成日時 : 2016/03/11 15:53   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 53 / トラックバック 0 / コメント 15

ネット上には、以前から囁かれている皇室にまつわる噂話で、今では2ちゃんねるでさえも「捏造認定」されているものが、まるで真実であるかのように独り歩きして、皇室バッシングブログやTwitterなどで拡散されているものが多々ありますね。「ヤフオク事件」もそのひとつです。今日はその中でも皇室とキリスト教に関する噂話の嘘について書きたいと思います。

皇室とキリスト教に関する噂話でもっとも多いものは、


  @皇后陛下がキリスト教を持ちこんで、皇室に馴染ませてはならない思想を植え付けた。
  A皇后陛下が皇室でキリスト教の話をしたとして、昭和天皇に叱責された(いわゆる宮中聖書事件)


なんというメジャーな話w
このお話はすでに事実ではないことが一部では語られているものの、「嘘も百回言えば真実になる」を実践している皇室バッシングブロガーたちは、時々思い出したようにさらっとブログ記事に盛り込んだりします。

こちらは拙ブログではお笑い担当としてお馴染みの、あの伏見氏のブログからです。


伏見顕正(あきまさ)の時を斬るブログより
【国難としての美智子皇后B】国体破壊に最後の命を燃やす赤い異教徒、転載フリー2015-04-22 18:42:46

(一部抜粋)

有名な「宮中聖書事件」というのもありました。常陸宮がカトリックに傾きかけた。その時美智子さんが聖書を皇居に持ち込んでいたのが、発覚し、昭和天皇が激怒して、美智子さんはひれ伏したそうです。この事件には諸説ありますが、日本の神道の総本山の皇室に聖書を持ち込むのもどうかな〜と思います。

私はキリスト教に関心もないし、知識もないので、敬虔なクリスチャンの女性の聖書に対する気持ちは、良くわかりませんが、状況を聞くと如何にもまずかったのではないかと思います。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/7533696288881df97052d74ea3dd9fea



  >日本の神道の総本山の皇室に聖書を持ち込むのもどうかな〜と思います。


伏見氏は「どうかな〜」と危惧されているようですが、皇室とキリスト教との関わりは戦前からあったということを、皇室ウォッチャーが知らないとはどういうことでしょうか?


皇室にキリスト教を持ち込んだのは皇后陛下?

皇室批判をネット上で展開している方々は、当然、皇室に関心がある層で、皇室を思うがための批判であるはずですね。それなのに、彼らは「昭和天皇実録」に関するニュースや、実際に発売されている「昭和天皇実録」を購入して読んでみることもしないのでしょうか?

皇室では明治時代から宮廷でクリスマスを祝っていたことがわかるのにねー。


明治40年12月18日
水曜日・皇太子・同妃よりクリスマスの靴下に入った玩具を賜る。(迪宮御日誌、桑野鋭日記)

(昭和天皇実録 第一 p428)


明治41年12月17日
木曜日・午後、雍仁親王・宣仁親王と共に東宮御所に御参殿になり、皇太子・同妃に御拝顔になる。クリスマスプレゼントとして玩具を賜り、御夕餐を御会食になる。(迪宮御日誌、迪宮御言行録、東宮職日誌、貞明皇后実録)

(昭和天皇実録 第一 p311)


例として2つの記述を引用しましたが、明治以降、日本に入ってくる西洋文化、そして西洋思想を理解する上でキリスト教を学ぶことは大変重要なことでしたし、皇室も柔軟に受け入れてきた様子がわかりますね。

「昭和天皇実録」が公開された2014年秋には、この手の記事がいくつか配信されていました。それらの記事を見ると、昭和天皇や香淳皇后のキリスト教に対する関わりもわかります。

昭和天皇、キリスト教に関心の理由
ライブドアニュース 2014年9月27日 7時0分

(一部抜粋)

敗戦後の占領期、天皇はキリスト教、とくにカトリックに接近しました。キリスト教徒に頻繁に会い、たとえば牧師の植村環(たまき)からは香淳皇后とともに聖書の進講を受けています。植村が訪米する前後にも会い、トルーマン米大統領への伝言を伝えている。

 実は皇后は戦前からキリスト教徒と親しかった。開戦後の42(昭和17)年から44(同19)年にかけて、皇后はキリスト教徒の野口幽香(ゆか)を宮中に招き入れて定期的に聖書の講義を受けています。天皇はこれを黙認していました。

http://news.livedoor.com/article/detail/9297003/



こちらは小田部雄次氏の著書より。

ところで、戦時中に香淳皇后に聖書を進講した女性がいた。野口幽香である。野口は慶応二年(1866)2月1日、姫路藩の代々の砲術藩士の家に生まれた。父母を失った悲嘆もあって教会に通うようになり、明治22年に受洗した。

(中略)

野口は大正11年に学習院を退職し、二葉保育園の経営と聖書研究の道に入る。この間、野口の影響を受けた女官の伊地知幹子(ミキ)が受洗したりした。この伊地知や保科武子、皇后宮丈夫の広幡忠隆らが尽力して、昭和17年、野口の香淳皇后への聖書進講が実現したという。

野口は、伊地知に「かつて御手許に差し上げた筈のあの聖書をおすすめ申し上げたいのです」と手紙を出していた。

野口は香淳皇后の恩師として毎年地久節に招かれ、対面していた。昭和17年3月6日、香淳皇后は野口の「やわらかな心のぬくもりを感じる話をぜひ聞いてみたい」と思い、野口は「戦争で御心労の多い皇后様を、すこしでもおなぐさめしたい」と願い、宮中修養講和進講が実現した。

第1回は4月17日で、同年5月21日、6月18日にも開かれた。昭和18年には5月13日、6月18日、7月31日、12月2日の4回。昭和19年には4月26日、5月25日、7月12日、10月26日、11月16日の5回がなされた。しかし昭和20年は野口は空襲から逃げる日々が続き、参殿進講はなかった。戦後の昭和21年になって再開し、10月21日、11月19日、昭和22年にも5月21日に行われた。計15回であった。(貝出寿美子「野口幽香の生涯」)。

<「昭憲皇太后・貞明皇后」(ミネルヴァ書房) 小田部雄次・著 P315〜316 より>



また、実録にはさらに興味深い事実も記載されているようです。この部分はまだ一般に発売されていないので私は読むことは出来ませんが、こちらも実録にある事実です。


いわゆる「宮中聖書事件」について


“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?
週刊朝日 2014/10/30 07:00

(一部抜粋)

 ところでなぜ、佳子さまと眞子さまの姉妹は、キリスト教精神に基づく大学を選んだのか。天皇は天照大神の子孫とされ、一切の神儀祭事は神道にのっとって実施されている。だが、皇室とキリスト教の関係を調べると、公開されたばかりの「昭和天皇実録」に興味深い記述がいくつか見受けられる。

 まずクリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争のころにすでに皇室にあった。戦後、A級戦犯が処刑された1948年ごろには、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたと記されている。

 また、実録ではこんなエピソードを伝えている。皇太子(いまの天皇陛下)が結婚する際、皇太子妃(美智子さま)がミッション系の聖心女子大出身だったことから、「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

http://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html



皇后陛下が昭和天皇に皇居内でキリスト教の話をするなと叱責された、いわゆる「宮中聖書事件」などという話も皇室バッシングブロガーらは度々引用していますが、「当時の雑誌が書き立てた噂話」であり、事実ではないと昭和天皇自身がおっしゃっていますね。ちなみにその“雑誌”というのは1987年1月発行の文芸春秋ですw

こういった週刊誌などの雑誌なんて、いつの時代も売れるなら何だっていいという姿勢は同じなんですねー。


昭和天皇とキリスト教

ところで、今上陛下が学生の頃に、家庭教師としてクエーカー教徒のヴァイニング夫人が赴任したことについて、今上陛下もまたキリスト教徒に“洗脳”されたと主張する皇室バッシングブロガーがいます。

なんでも今上陛下に「べったりと」張りついて「西洋式の考えを刷り込んだ」という主張です。しかしその主張に沿えば、昭和天皇もキリスト教徒に“洗脳”されたことになってしまいますよw


捏造記事の一例 ↓↓

BBの覚醒記録より
美智子様入内に、キリスト教共産主義者グループの暗躍あり 【転載可】 2015-08-28

二重橋を初めてキリスト教徒とバイブルが渡りました。そして、大目的は次代の天皇である明仁皇太子の洗脳です。クェーカー教徒がべったりと、皇太子に張り付き、「ジミー」と皇太子を呼んで、西欧式の価値観を刷り込みつつ、一方GHQは、戦犯たちの処刑を皇太子の誕生日にぶつけて、恫喝したわけです。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/536a7657afc14269be981f9fbb1716c3



   >二重橋を初めてキリスト教徒とバイブルが渡りました。(キリッ!

いや、初めてじゃないからwww

   >クェーカー教徒がべったりと、皇太子に張り付き

   ・1946年10月〜  週1回(1時間)の個人授業   週2回 学習院クラスでの授業
   ・1947年1月〜   週2回(各1時間)の個人授業 週2回 学習院クラスでの授業

これが彼らにかかると「べったりと張り付いた」ことになるんですねw
ちなみに香淳皇后も週2回の英語の授業をヴァイニング夫人より受けていましたが、これも「べったりと張りついて」皇后陛下を“洗脳”したことになるのでしょうか?www

※実際には誰も“洗脳”されていません。誤解無きように(笑)


昭和天皇の養育係の一人、足立たか(後の鈴木貫太郎婦人)の両親はキリスト教信者ですし、足立たか自身もキリスト教徒でした。足立たかは、明治38年から大正4年までの10年間、昭和天皇が14歳の時まで養育係を務めました。昭和天皇は、昭和55年12月の記者会見で、「鈴木(足立)たかは、本当に私の母親と同じように親しくしたのであります」と語っています。

また、昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパを外遊した際に供奉長として付き添った珍田捨巳(メソジスト派牧師)は、1927年から1929年にかけて昭和天皇の侍従長を務めています。

下記は珍田捨巳氏のWikiより。

(一部抜粋)

1921年(大正10年)の皇太子裕仁親王の欧州訪問に際しては、宮内大臣の牧野伸顕が「霞ヶ関で一番の切れ者」との評価を得ていた珍田に訪欧供奉長の重責を任せる決定をした。

訪欧後はその流れで宮中に入り、東宮大夫などの立場で皇太子の指導教育に携わった。昭和天皇は幼少期から少年期に足立たか(クエーカー派クリスチャン、後に鈴木貫太郎の後妻)、少年期から皇太子期に山本信次郎(カトリック、海軍少将、訪欧供奉員、別名「軍服を着た修道士」)、そして皇太子期終盤から即位後にかけて珍田(メソジスト派牧師)というように全く切れ目なくクリスチャンによる一貫教育を受けたことになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E7%94%B0%E6%8D%A8%E5%B7%B3



さらに、先述した今上陛下の家庭教師ヴァイニング夫人についてですが、皇室バッシングブロガーらは「外国人家庭教師をGHQが押し付けた」と主張していますが、これも誤りです。

以前の記事にも少し書きましたが、皇太子殿下(今上陛下)に外国人家庭教師をあてることについては、昭和天皇の強い意向も働いていたのです。むしろ積極的に関わっていました。


戦後のキリスト教

ここで少し戦後のキリスト教について書いておきたいと思います。

日本におけるキリスト教の割合は、カトリックとプロテスタントを合わせても百万人程度で、人口の1%にもなりません。戦後、新憲法のもとで信教の自由が確立され、自由に布教できるようになったために一時的に増加したものの、敬虔なクリスチャンであったマッカーサーの期待したようには広がらなかったのです。

マッカーサーは「キリスト教の寛容と正義という人間関係は、日本占領に当たって降服した敵の処遇を律する一つの政策の基調となる」と信じ、日本をキリスト教化したかったようで、ポケット版聖書連盟に要請して一千万冊の日本語の聖書を配布させたり、戦後5年で2500人の宣教師が来日させたりとずいぶん頑張ったようです。ですが失敗に終わりました。

GHQが日本をキリスト教化させたかったことは間違いありません。しかし戦後のキリスト教にはもっと重要な役割がありました。それは「反共(反共産主義)」です。

前述したように、日本のキリスト教信者は人口の1%にもなりません。しかし保守政治家にクリスチャンが多いのは、戦後、脅威を広げる共産主義に対する国際的な防波堤としてのキリスト教の役割があったからとも言われています。韓国でキリスト教信者が多いのも、反共の防波堤として普及したからというのも理由のひとつです。

マッカーサーも「アジアを共産主義の魔の手から守るにはキリスト教しかない」という信念を持っていたそうです。
また、カトリックが反共主義なのはとても有名な話ですね。

戦後、極東委員会や米国国内でも天皇の戦争責任を追及する声が大きかった中で、マッカーサーが「天皇制」を存続させようと考えたのは、ひとつには日本国民の精神的支柱である天皇の存在を利用して安定した社会や政治を行えるようにした、ということがあげられますが、これは同時に、激化する米ソ冷戦の最中で対共産圏戦略として、なんとしても日本国内を早期に安定させなければならなかったということも意味します。そして皇室や政治に多くのキリスト教信者が採用されたのも、これらの理由によるもの、と考えることができます。

前述のようにGHQのもとで布教活動を発展さていたキリスト教ですが、そんな中でキリスト教信者である賀川豊彦や前田多門らが直接政治に関与して、天皇制擁護に尽力しています。賀川氏は社会運動家であり、日本社会党を結成した政治家でもありますが、昭和天皇・皇室の熱烈な支持者でもありました。

また、賀川氏だけでなく、戦後に皇室に関与したキリスト教信者も同様でした。
その中には、「陛下をお救いなさいまし」で知られる河合道氏や一色ゆり(旧姓・渡部)氏もいたし、昭和天皇や皇后に聖書の講義を行った植村環氏もいました。

現在、キリスト教というと「反天皇制」やら「反日」のイメージが強いけれど、戦後はまったく逆だったのです。
そして「反共」という意味では、東宮参与になった小泉信三氏の存在も忘れてはいけませんね。


小泉信三氏とは

バッシングブロガーたちが「美智子様を皇太子殿下(今上陛下)に引き合わせた中心的存在」の「キリスト教信者」として糾弾している人物ですw

小泉信三氏は昭和天皇から厚い信頼を寄せられていたこともあり、東宮参与(皇太子殿下の教育)に抜擢されました。その小泉氏は反共産主義でも大変知られている方ですね。昭和24年、日本の論壇の中でも共産主義礼賛が広まる中、「共産主義批判の常識」という書籍で、現代では当たり前になっているような共産主義の欠点を冷静に指摘してベストセラーになっています。

前述しましたように、当時の社会背景は共産主義が広まりを見せるような混沌とした時代の中で、「反共」である小泉氏が皇室内にいた。さすがは昭和天皇・・・ 今も昔も、日本の皇室を破壊しようと工作しているのは共産主義者たちであるということは、賢明な皆様はよくご存じのことと思います。



おっと、大部分を端折ったつもりですが、ついまた長い記事になってしまいました(;´Д`)
これ以上は、またいずれw


最後に、キリスト教徒である内村鑑三の著書を読んで、貞明皇后が詠じたこの御歌をご紹介して終わります。


     異国(ことくに)のいかなる教え入り来るも
     溶かすはやがて大御国(おおみくに)ぶり



キリスト教も日本に入ると外国の宗教にならない。必ず日本人が消化するところとなり、「大御国ぶり」を発揮するでしょう・・・





※参考 → 真島久美子先生 特別寄稿「皇室とキリスト教」



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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
去年BBの覚醒ブログから覚醒した報告して以来ご無沙汰しております。

伏見クンとうとうファビョって馬脚を現しましたね。
余命さん応援ブロガーを敵にまわして…
句読点の使い方が怪しくて、すぐカッとなり易い性格と思っていたらば、
案の定でした。
読むの気持ち悪くなっていたのですが、どう終息していくのか興味が湧いてきたので
暫く監視しようとおもいます。

myco
2016/03/12 14:56
ぴよ様、再度失礼いたします。

どうも過激さが増してきたようです。
憎き相手を倒すためなら民団に協力を呼びかけるくらいだから。
自分に反対する者を絶対許せないようですので、
どうかどうか、ぴよ様十分お気をつけください。
myco
2016/03/12 17:17
<miyoさん>
こんばんは!お元気そうで何よりです〜!

>余命さん応援ブロガーを敵にまわして…

何やら余命ブログさんのことを認知症とか罵っていたようですが(笑) 言っていることもやっていることもめちゃくちゃですねぇ。

>句読点の使い方が怪しくて、すぐカッとなり易い性格と思っていたらば、
>案の定でした。

日本語力が乏しい上に感情の羅列で、あんなのそれこそニラヲチか小作しか読んでいないのではないでしょうか?

>どう終息していくのか興味が湧いてきたので
>暫く監視しようとおもいます。

もう落としどころも見失っているようだし、どうなるやら?という感じですよね。私もたまには覗いてみよう〜!
ぴよ
2016/03/12 17:34
<mycoさん>
>どうも過激さが増してきたようです。

今見てきましたー。豆腐おかかさんが集中的な攻撃にあっているのですね・・・ しかし伏見くん、そろそろ本気で医療機関を受診することを考えたほうがいいんじゃ?w いや冗談ではなく伏見氏はちょっとやり過ぎましたね。あれは通報されても仕方のないレベルですよ。

>どうかどうか、ぴよ様十分お気をつけください。

私のほうはぜっんぜん大丈夫です。ここのところメッセージでの荒らしすらもきません(笑)お気遣いありがとうございます。
ぴよ
2016/03/12 17:46
ぴよ様お返事ありがとうございます。

実は本文をよまずにコメントしていたのですが、
改めて本文を読んだら伏見クンの話題がいかに場違いだったか理解できました。
こういうのをスレチというのですね。申し訳ありません。
貞明皇后の御言葉が胸に沁みます。











myco
2016/03/13 01:37
訂正です。
御言葉では無く御歌でした。
もう恥ずかしいので暫く静かにしております。
御返事は無用で。
myco
2016/03/13 02:20
ぴよさん、興味深いお話、ありがとうございます。

そして、伏見くんのブログに行ってみました。
完全に逝っちゃっていますね・苦笑
そして「でれでれ草」もコメント書いて応援しているってことは、
完全にあの勢力が余命さんに戦いを挑んでいるって理解ですね、
伏見くんだけの独走ではなくww

一時期は余命さんのネームバリュー利用しようとしたくせに、
相手にしてもらえずに逆切れですか、いかにも朝鮮風味wwwwwww
完全に自爆ですねw
ららら♪
2016/03/13 09:04
ぴよさん、なじぇか気持ち玉をポチ出来ないニダ・・・
昨夜(日本時間だと今朝)もメンテナンス中と出て、今もそう・・・
また後で、ポチして見ますミダ。

伏見クンはどいつもこいつも朝鮮人!という感じで、朝鮮人認定が凄まじいニダね。
ウリもぴよさんも朝鮮人認定されたニダし、今は豆腐おかか様と余命さんもw
ららら♪さんは凶暴な女と言われたんでしたっけ・・・どこまで暴走するのやら・・・
Mansikka
2016/03/13 17:11
ぴよさま、こんばんは(^^)

今回も詳細な検証を、ありがとうございます。
戦後のキリスト教の役割に「反共」
があったとは知りませんでした。
そもそもソースがないってところから怪しいと思うべき話の羅列にもかかわらず、ネットであれ週刊紙であれ、拡散されてしまえばいくらかの人たちは誘導できてしまうという怖さ。
先日、電車の中で「なでしこ、負けちゃったねー」「なんか監督と選手の仲が悪いらしいね」と話しているご婦人方がいらして、まざまざとその一例を見た気がしました。
そのような記事は私も読みましたが、何の裏付けもない単なる印象だけの記事でしたので。
…と、言いつつ自分も100%流されていないという自信はないんですが…(-""-;)
Pica
2016/03/13 19:42
<mycoさん>
いいえー!皇室関連の話題に繋がる話ですし、完全なスレチでもないです。それに教えていただいてありがたいと思っているので気にしないでくださいね。

貞明皇后の御歌は深いですね。これには内村鑑三も感服するはずです。
ぴよ
2016/03/13 19:50
<ららら♪さん>
>そして「でれでれ草」もコメント書いて応援しているってことは、
>完全にあの勢力が余命さんに戦いを挑んでいるって理解ですね、
>伏見くんだけの独走ではなくww

確かに独走ではないですよね。独創的ではあるけど(笑)しかし伏見くんといい、でれでれ草の人といい、BB氏といい、脚本家さんといいw、どうしてスピ系ばっかりなんでしょ?(笑)

>一時期は余命さんのネームバリュー利用しようとしたくせに

あれだけ余命さんのメールにぃ〜♪って喜んでいたくせにね。
この見事な掌返しwww 豆腐おかかさんも大変でしたね。
ぴよ
2016/03/13 19:54
<Mansikkaさん>
>なじぇか気持ち玉をポチ出来ないニダ・・・

あれー?メンテナンス?すみません(^^; でもいつもありがとうございます。

>伏見クンはどいつもこいつも朝鮮人!という感じで、朝鮮人認定が凄まじいニダね。

確か以前D草の人が、「擁護派の連中はすぐに朝鮮人認定してきます」と書いていたような気がしますがー お仲間の行動には目をつぶるんですかね?(笑) でもどんどんやってもらったほうが、ありがたいですw

>どこまで暴走するのやら・・・

捨て駒としての役割を終えるまでですかね?
ぴよ
2016/03/13 20:01
<Picaさん>
>戦後のキリスト教の役割に「反共」があったとは知りませんでした。

こういうことを話すときは、時代背景を頭に入れておくことが重要ですよね。反共については私も詳しく知らなかったのです。今回調べてみて良かったと思いました。

>そもそもソースがないってところから怪しいと思うべき話の羅列にもかかわらず、ネットであれ週刊紙であれ、拡散されてしまえばいくらかの人たちは誘導できてしまうという怖さ。

言ったもん勝ち、というところがあるので怖いですよね。一度広められたら、それを打ち消すのはとても大変です。

>何の裏付けもない単なる印象だけの記事でしたので。

なでしこの報道は、さすがに監督が苦言を呈していましたね。酷い話です。

>…と、言いつつ自分も100%流されていないという自信はないんですが…(-""-;)

それは私も同じですー(^^; お互いに気を付けましょう(^▽^;)
ぴよ
2016/03/13 20:09
こんばんは(*^^*)

皇后陛下がキリスト教を持ち込んだとかなんとかって、はぁ?という感じですね。mansikka様のブログ記事でも取り上げられていましたが、カトリックを持ち込んだと叩いたておきながら、カトリックのルールを破っていると文句を言ったりと忙しい人たちですよね。

確か、大正時代か昭和初期には皇室でもツリーが飾られていたという記録があるとどこかで読みました。だから、皇后陛下がキリストを持ち込んだというのは矛盾しているんですよね。

貞明皇后の御歌からみると、昭和天皇のエピソードも違和感を感じますが、バッシングブロガーはそこには気がつかないんでしょうね(;・ω・)
ミケの友達
2016/03/13 20:52
<ミケの友達さん>
こんにちは!

>カトリックを持ち込んだと叩いたておきながら、カトリックのルールを破っていると文句を言ったりと忙しい人たちですよね。

なんせ主張が一貫しない人たちですからw 捏造ありきで叩くことしか考えてないから、書けば書くほどほころびが出てくるんですよね。

>確か、大正時代か昭和初期には皇室でもツリーが飾られていたという記録があるとどこかで読みました。

明治からクリスマスの行事をやっているくらいですからねぇ。皇室のことを何も知らない皇室バッシングブロガーたちっていったい何なのでしょうね?w

>貞明皇后の御歌からみると、昭和天皇のエピソードも違和感を感じますが、バッシングブロガーはそこには気がつかないんでしょうね(;・ω・)

たぶん貞明皇后の御歌すら、知らないと思います。
ぴよ
2016/03/14 14:23

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