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zoom RSS 皇室にまつわる噂話の嘘 A小和田家のルーツ

<<   作成日時 : 2016/03/14 13:41   >>

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「皇室にまつわる噂話の嘘」シリーズ第2弾は、小和田家のルーツについて検証していきます。

小和田家に関する噂もネット上ではいろいろと囁かれていますよね。
小和田家は同和地区出身、小和田家の祖先は朝鮮人、小和田家は創価学会信者など、小和田家も大変ですねぇ。朝鮮人にされたり創価学会信者にされたり、忙しいです(笑)

これらの噂のもとを辿って行くと、たいてい「日本が好きなだけなんだよ」というブログにたどり着きます。皇室バッシングブロガーは、そのいい加減な皇室バッシングネタの多くを、今は更新が停止されているこのブログから持ってきて、さらに捏造を加えて拡散させているようです。

小和田家のルーツについて「日本が好きなだけなんだよ」の記事はこちら。

  → 雅子妃と小和田家の闇 2011.05.20 Fri 00:00更新

また、「日本が好きなだけなんだよ」は下記のサイトより引用して記事を作成しています。このサイトのコピペは、あちこちの皇室バッシングブログで見かけますね。

  → 小和田家と江頭家


これらの記事を読んでみてまず思うのは、その情報の「確かなソースはどこですかぁ?」ということです。話の核心に入れば入るほど、ソース元が記載されていません。仕方ないので記事内容の出どころをさらに辿ってみましたら、行き着く先はなんと「2ちゃんねる」でした。 なるほどそれで記事中にソースが示されていないわけですねw

拡散されている噂話を調べてみたら、ほとんどの話が捏造であることがわかりました。それらをすべてこの記事中に収めようと思うとかなり長くなりますので、ここでは主要部分をいくつか検証していきます。主要部分だけでも、いくつもの捏造で創り上げられていることがわかります。


富田メモについて

謎のバッシング内容はこちら。

「富田メモ」で、「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答

反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのでは、と言われている

いきなり前後の文章がどう繋がるのかわからない不思議な書き方ですが、「富田メモ」→「反対の理由は〜」と繋がるということは、これは昭和天皇が雅子さまとのご結婚を反対されていた、ということを言いたいのでしょうか?

日経新聞が富田メモの中で、皇太子殿下のご結婚について報道した内容はこちらです。

 昭和天皇は現在の皇太子さまの結婚について、一九八八年四月六日付の手帳で「私は本人同士がよいならそれでよい」と述べている。さらに「浩宮(現在の皇太子さま)のことについては、慎重には大事と思うが、慎重にすぎて好きな人がいなくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」とある。皇位継承者の結婚は重みを持つものの、本人の意思を尊重したいという思いがにじみ出ている。

 その後も「浩宮のこと、その後は?」(同年五月二十六日付手帳)という問いが再三記されており、晩年の天皇が皇太子さまの結婚を常に気に掛けていたことが分かる。

(日本経済新聞 平成18年7月24日朝刊より)


これがどうやったら「反対」になるのでしょうか?

小和田家の身元調査について部落解放同盟が抗議→身元調査打ち切りについて

宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)そのため、身元調査は打ち切りになった。

わざわざ部落開放同盟が抗議。


この件については、「週刊新潮(10月9日号)」工藤美代子氏のレポート 『「皇后美智子さま」の秘録 第18回「正田家と小和田家」』 にも同じようなことが書かれていました。

一方、ご成婚前に、小和田家の家系図を遡って用意しようとしていた宮内庁は、部落解放同盟から思わぬ抗議を受けた。雅子さんの父方、三代前の金吉以前が繋がらず、調査に行き詰っていた時である。

今の時代、出自で人を云々することは、もとより許されない。だが、一般とは違う立場の歴代の皇太子妃たちはこれまで厳密な系図が準備されてきた。

「身元調査は差別である」との抗議が、部落解放同盟中央本部の機関誌『部落解放』(平成5年6月号)に掲載された。抗議文から一部引用しておこう(部分引用)。

「本年1月6日の『皇太子妃内定』の報道以来、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに小和田雅子さんの『家系図』の掲載や『家柄』賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして『皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査』などと、宮内庁が公然と身元調査を指示していたことが報道されています。」

抗議文は3月16日付で、宮澤喜一皇室会議議長(内閣総理大臣)、衆議院議長、参議院議長、宮内庁長官ほかにも送付された。

(引用元 → http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1412739806858.jpg


工藤氏は原稿を書きながら、自身の文章の中の矛盾に気が付かなかったのでしょうか?

部落解放同盟が宮内庁に抗議したのは、小和田家の身元調査が終わった「後」だということに。
そして抗議内容は「身元調査を打ち切れ」ということではなく、「家柄を賛美するような報道内容」や「身元調査は条例で禁止されている地域もあるのに宮内庁が行ったこと」に関してであるということが、工藤氏が引用した抗議文からもじゅうぶんに読み取れる内容です。

また、引用文中にある『皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査』についても少し調べてみればいいものを・・・

ドキュメント・皇太子妃内定(2)専門興信所が四代前まで徹底調査(連載)
読売新聞(東京) 1993/01/09朝刊より

「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。

宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。(中略) 小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた。両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細を極めた。経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。

結論は「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありませんでした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。この五年間で十人以上にのぼる。


以下、時系列にまとめてみます。

  1988年       宮内庁の依頼で興信所が小和田家の身元調査
  1993年1月6日   皇太子妃内定の報道
  1993年1月9日   読売新聞より「四代前まで徹底調査」の報道
  1993年3月16日  部落解放同盟が抗議文を送付

部落解放同盟から抗議が来た時には、すでに調査が終わっていたことは明白です。


小和田家の家系は三代目から遡れない?

金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、表に出せないということがわかる。


「四代前まで徹底調査」しているのに、どうして突然、曽祖父から繋がらなくなるという話になるのでしょうか? 「繋がらない」理由を具体的に説明する記述はどこにもありません。小和田家は本家から分家した一族になりますが、いくつかの書籍にある記載やネット上でも確認できる情報によると、兵五郎から分家したようです。まとめると、下記のように繋がります。

      兵五郎 → 道蔵匡利 → 金吉 → 毅夫 → 小和田恆 → 雅子様

(※参考 → 越後国村上小和田家  村上市郷土資料館など)

唐突に宮内庁がでっちあげたことになる家系図

地方では割合先祖のことを調べることは容易である。新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。


「宮内庁がでっちあげた」の情報元はどこでしょうか? 拡散されているこれらの文章を読むと、こんなふうに突然、話が飛躍するものが多々ありますが、そのソースは例によってどこにも示されていません。

小和田家の家系図には途中、詳細が不明な部分がありますが、これは戊辰戦争や火災により資料が紛失したことが大きいです。戊辰戦争により村上城・居館が焼失したり、新潟大火による菩提寺の火災など、度重なる不運により公式な資料として確認できるものが少ないということです。

(※参考 村上の歴代藩主概略史 「皇太子妃雅子さま」河原敏明著 など)

しかしそれでも金吉が旧村上藩士の家系であることがわかる決定的な証拠は、金吉の本籍が「村上本町」におかれていたこと、旧村上藩士の独占となっていた鮭の漁業権名簿に金吉と毅夫の名前があるからです。

村上市では藩政時代の階級意識が根強く残り、昭和21年まで「村上本町は士族の町」、「村上町は町人の町」というように分裂していました。役場も学校も2つ存在したのです。また、旧村上藩士族の団体、「村上城址保存育英会に保存されている明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏、大正13年の名簿に毅夫氏の名が記載」されていました。

(※参考 村上の歴代藩主概略史 村上市郷土資料館

いきなり現れた、もう一人の金吉っていったい・・・

小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。

何のソースもなく突如として金吉さんが2人に増えましたw 意味不明過ぎて倒れそうです・・・

  >小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。

下記の記事はなぜか無視されているようです。

小和田嬢の曽祖父にあたる金吉は新潟市をへて高田市に移り住んだ。この金吉は前述のように高田市の税務吏員だったといわれるが、無類の学問好きだったらしい。本家に連なる小和田ケイは、祖母からこんな話を聞いている。「分家には金吉さんという人がいて、この人は人に教えるのが好きだし上手だったという話がありました。とても熱心で、近所の子供に勉強を教えていて、子供があきて逃げだしてしまうと、追いかけていき、つかまえて教えたそうです」

金吉の妻・竹野はいつも髪を後ろでしばり、背中に伸ばしており、 気丈な女性だったと語り伝えられている。金吉は毅夫が二歳のとき、 三十三歳と九ヶ月で病死した。そこで竹野は実家(上越市黒井の庄屋、 熊倉家)に戻り、助産婦をしながら毅夫を育てた。

(「諸君!」1993年3月号 天皇家の「生存への選択」 保坂正康)


生年月日が不明なのに、「金吉は道蔵が14歳の時の子」と断言

「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」 金吉が匡利の子なら匡利12〜13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている

皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)
そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??


金吉の父にあたる道蔵匡利は、没年はわかっているものの生年月日は不明です。それなのに、なぜ金吉が道蔵の14歳の時の子だとわかるのか不思議ですw 見えないものが見える人たちなのでしょうか?

もう一人の金吉さんがいつの間にか密航してきたことになりましたw

問題は小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。

だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)

朝鮮から密航してきたX=金吉。明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。

X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない


  >本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。

逆に村上市を調べたら士族だということがハッキリするのですが、大丈夫ですか?

  >もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。

では、ホンモノの金吉さんはどこに行ったんです?

  >小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後
  >村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない

なりすました金吉さんwが日本に密航してきたのは明治以後?で、ホンモノの金吉さんwから家系図を購入して成りすました? その証拠が「小和田家の世代の年齢があわない」なのですねw

それで道蔵の生年月日が不明にも関わらず、
「金吉は14歳の時の子」と捏造した訳ですね、わかりますw


それにしても捏造のレベルも低すぎて、こちらのほうが疲れてしまいます・・・

ところで、こちらのサイトには帝国海軍だった柴田義之助氏と一緒に写る小和田金吉氏の写真がありますが、これも彼らにかかると偽物になるんでしょうねw

   → http://wehigeg.web.fc2.com/index-yosi01.html


その他の細かい件も検証できていますが、ここまででもかなり長い記事になっているので、母方の江頭家についての捏造についても少し書いておきたいと思います。

今度は同和出身にしたいらしいw

江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。エガシラ→エタガシラ ※全ての江頭さんがそうだというわけではない。江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに部落民に遡る可能性は高い

この都市伝説レベルの話を信じる人はいないと思いますが。江頭という姓は近江国野洲郡江頭村が起源(ルーツ)で、大村藩の士族に多いそうです。また、穢多頭(えたがしら)は穢多・非人身分の頭領のことですが、代々、長吏頭(ちょうりがしら)矢野弾左衛門と名乗っていました。
(参考 → 弾左衛門

また「江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)」の部分は2ちゃんねるの捏造です。
こちらの書き込み。

皇室御一行様★アンチ編★part792
570 名前:可愛い奥様 :2007/02/19(月) 16:59:03 ID:xe4UdMKj0
>>254
遅レスなうえ、話の流れ切って悪いんですけど、私は婚約記念が成婚記念のワイドショーで
「村上水軍記念館」の館長のインタビューが生放送で流れたのを覚えているんです。
レポーター(女性)ははっきりと「マサコ様のルーツは村上水軍」と言って
館長(初老の男性)は「光栄なことです」
で、村上水軍のルーツやら絵巻物やらを紹介といった流れ。
私はマサコさんと同世代だけど「ちょ、おま、こんなの流していいの!?」って思ったから
はっきり記憶に残ってる。水軍て海賊だし、もっと言っちゃえば水の賤民。
流れたのはそれ1回きり。どなたか覚えてる方いませんか?


明らかな嘘は以下の通り。

  1.「村上水軍記念館」は存在しない。「村上水軍博物館」は存在する。
  2.皇太子殿下と雅子さまの成婚は1993年6月9日
  3.存在する「村上水軍博物館」は2004年10月22日にオープン

ご成婚時には存在しなかった館長が、どうやってインタビューに答えるのでしょうか?w

(参考 → 村上水軍博物館 イベント&トピックス )

以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が自分のルーツ探しに九州へ行った。そこで知った現実に相当のショックを受けたという。


これもソースはどこにも存在していません。あるのは上記と同じ内容のコピペばかりです。それなのに、出自に絶望して亡くなられたと書いている皇室バッシングブロガーもいました。皇室を叩くためなら亡くなった方までも利用する・・・わかってはいたけれど、つくづく最低だなと思います。


最後に、これは前述した工藤美代子氏の記事が週刊新潮に掲載される際、ジャーナリストの水間政憲氏がブログに記したものです。ネットのみ全文掲載で転載フリーとのことですのでお借りします。
(※色文字は私が付けたものです)

日本人必読レポートが週刊新潮(10月9日号)に掲載されています 2014年10月04日 19:06

●《日本人必読レポートが週刊新潮(10月9日号)に掲載されています》

■知る人ぞ知る小和田家の情報が発売中の『週刊新潮』(10月9日号)
工藤美代子レポート “「皇后美智子さま」の秘録” 第18回「正田家と小和田家」に記載されてます。

実際、ここに書かれている情報は承知していましたが、ほとんどの国民は知らないことです。

小生の最新刊『ひと目でわかる「大正・昭和初期」の真実』の41ページに「そして、昭和天皇の侍従長・入江相政の母親は、白蓮の姉・信子でした。」と、入江侍従長に唐突に触れたことに、「????」を感じた方は洞察力が優れていらっしゃいます。保守層の国民にとって入江侍従長で記憶に残っているのは、最初に「小和田雅子さん」が皇太子妃の候補に名前が挙がったとき「小和田家は江戸時代まで家系がたどれない」として、反対され「雅子さん」は候補から外されたのですが、昭和天皇が逝去され入江侍従長が皇居から去ってからまた「小和田雅子さん」が皇太子妃候補に復活したのです。

小生が、入江侍従長のことで、書きたかったことをすべて工藤美代子氏が、論述しています。
この工藤美代子氏の連載は単行本になるでしょうが、この号の一部は収録されない可能性がありますので、前々号の本多勝一氏が捏造写真を認めたグラビアページと同じファイルにストックする価値があります。

現在、雑誌に価値のない情報が溢れていますが、歴史的な価値のある記事は、小生もストックしていますが、
今回の工藤美代子氏のページはストックしますよ。

まさか、この小和田恒家の秘密が白日の下に晒されるとは思っていませんでした。工藤美代子氏が「墓の件にこれ以上分け入るのは今回は避けたい。」と、記していますが、「墓石を新しくしたとき一部を処分して移設した件」のことなのでしょうが、天皇家に直接係わることですので明らかにするべきだったと思います。

工藤美代子氏は、「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」とのレポートを『SAPIO』に連載していましたが、単行本は別の出版社が発行していました。また、小生の「朝鮮版朝日新聞の研究」も徳間書店から発行になりました。
いま戦前のタブーに斬り込める出版社は限られてますので、興味のある方は今週号の週刊新潮は必読保存版です。

http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-1817.html


水間氏はいったい何が言いたのでしょうか?
雅子さまのお名前が最初にお妃候補に挙がったのは、入江侍従長がお亡くなりになった「後」です。
以下、時系列です。

  1985年09月  入江氏 80歳で死去
  1985年12月  宮内庁より中川融氏がお妃探しの要請を受ける
  1986年7〜8月 雅子さまの名前が初めてお妃候補に挙がる(小和田家には知らされず)
            中川氏の手記では雅子さまが外交官試験に合格した頃(8月以降)
  1986年10月  スペイン エレナ王女のレセプションにて皇太子殿下と雅子様が初対面

水間氏の記事にあるような、
時空を超えた記憶を持つ「保守層の国民」がいらしたら、ぜひお知らせくださいw



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コメント(10件)

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ぴよさん、
盛大にお茶吹きましたわ〜〜〜www

今回は、匿名でネットバッシングしている連中ばかりではなく、
名前のある二人のジャーナリストまでが関わっているとは、いったいどういうわけなんでしょうかね。
工藤さんは皇室ジャーナリストとして有名だし、水間さんは言うまでもない、
保守の言論人の「はず」。
なのに、雅子妃殿下憎し、小和田家憎しで、情報をねつ造とは、許されることではありません。

ご自身が書いたことには、きちんと責任を取っていただきたいですね。
ららら♪
2016/03/14 15:21
<ららら♪さん>
>名前のある二人のジャーナリストまでが関わっているとは、いったいどういうわけなんでしょうかね。

そういえば以前、BB氏がせっせと水間氏の書籍をブログで宣伝していましたっけw 工藤氏はノンフィクション作家という肩書きなのに、こうやって調べもせずに記事を書くような人なんでしょうか? 三笠宮殿下へのインタビューは面白かったのに。

>雅子妃殿下憎し、小和田家憎しで、情報をねつ造とは、許されることではありません。

単なる好き嫌いで、事実を歪曲してはいけませんね。水間氏には何も期待していませんが(笑)、せめて工藤氏には訂正してもらいたいです。
ぴよ
2016/03/14 19:21
工藤氏に関しては、以前に「関東大震災での朝鮮人虐殺について」の著作があること、それがあいまいな取材によって書かれている、デマ記事を並べているだけ、と糾弾しているブログをいくつか読んだことがありました。
http://01sep1923.tokyo/lies-in-20min/article5/

ららら♪
2016/03/14 23:16
ジャーナリストの工藤さんはなじぇ時系列がわからないニカねぇ・・・
そういやremmikki氏も法要とフィンランド大統領との面会が同じ時間帯にあったと気付かずに、法要に出ないことを叩いてたニダなぁ。
BB氏もあの「キツネ憑きの帽子」で時空を飛び越えてたニダね。
皇室叩きブロガーにはシニア層が多い印象ニダが、それとも関係してるのかしら・・・・w
Mansikka
2016/03/15 06:35
<ららら♪さん>
工藤氏の著書を読んでいないので、この件については何とも言えませんが、ららら♪さんご紹介のそのサイト、そしてリンクしている本も「???」という感じですよねw
ぴよ
2016/03/15 06:46
<Mansikkaさん>
そういやMansikkaさんのブログに時系列がうまく認知できないブロガーのことが書かれていましたねw 調べてみると、バッシング内容のいくつかは時系列がめちゃくちゃで、しかも否定されてもまた蒸し返す、の無限ループだったりします。嘘も言い続けていればいつか真実になるっていうやつですねぇw

>皇室叩きブロガーにはシニア層が多い印象ニダが、それとも関係してるのかしら・・・・w

認知症かどうかの診断は問診などの他にMRIなどの画像診断も欠かせないニダが、陛下をネットの写真や動画だけで認知症と診断できる不思議ブロガーが多いけれど、自分たちが医療機関を受診したほうがいいんじゃ?と思ってしまいまスミダ(笑)
ぴよ
2016/03/15 06:54
ぴよ様、こんばんは。

ついにこの話がきましたね。
バッシングブロガー達の反応が楽しみです。
日本が好きなだけなんだよは、私が騙されてしまったブログですw
今思い出しても恥ずかしいですwww
工藤さんと水間さんの記事は、私も読みました。
工藤さん、なんだか歯切れの悪い締めくくりで読者の不安を煽るような書きかたはどうなんだろうと疑問を持ちました。
水間さんはいうまでもなく、何故先にお亡くなりになった入江侍従長がと不信に思いました。
衣装被りの話にしろ、時系列がめちゃくちゃですよね。
いうまでもなく、印象操作ですよね。

ところで、土日の休みにかけて何か面白い事が起こったようですが……
F見君がゴルゴ13だったとか……
なんだかね、モサドとか片目のダヤンとか
出てくるし、URLはスペイン語らしい単語でデュークだし、マニアかなとは思ってたけど……か弱い女性をいぢめるな!で、珈琲吹きましたw

最近はMansikkaさんのブログも拝見してとても面白かったんですけど、コメはまだ遠慮してます。
だって、ウリは名古屋弁不得意ニダなので。
そういえば、F見君は猫の鐘を猫の瞳って書いてたみたいだけど?
なんだか確認するのも面倒です。
あのブログには、あんまり近づきたくないですね。


そら
2016/03/15 21:10
<そらさん>
こんばんはー。

>バッシングブロガー達の反応が楽しみです。

たぶん反応無しだと思います。反応するとまずいでしょうからw いつもだったら喜々としてブログに取り上げ批判して読者を扇動し叩かせるけれど、私のところもMansikkaさんのところも当たらず触らずのようです(笑) でもおかげでのびのびと書けますw

>衣装被りの話にしろ、時系列がめちゃくちゃですよね。

そうそう!まるで同じ日に被ったかのように画像を並べているけれど、私が見つけた中で酷いものだと3年も離れているものもありました。

>土日の休みにかけて何か面白い事が起こったようですが…

たぶんまだ発狂中だと思いますw 伏見くんをお仲間にしたのが大きな間違いですよね。あれでまたまた皇室叩きブロガーのおかしさが露呈されましたし。

>だって、ウリは名古屋弁不得意ニダなので。

伏見くん曰く「名古屋弁」は「しお韓語」というニダよ。蕎麦国(韓国)の小作に荒らされない対策らしさ〜ウリも未だに使いこなせていないけど(笑)

>猫の鐘を猫の瞳

かなり日本語が不自由なようでw 私もあまり近づきたくないので必要な時以外は見ていないです。しかしまさかこれだけ自爆してくれるとは。予想外でしたw
ぴよ
2016/03/16 18:15
こんばんは( ^∀^)

小和田家や江頭家だけでなく、皇后陛下も同和出身にしたり、朝鮮人にしたりしたい人がいるようです。ほんと、めちゃくちゃです。家系が繋がらないねぇ。水間氏からの文章だと、工藤氏がお墓だけで、推測したともとれます。ほんとにそうだったら、びっくりぽんや〜。私の実家も、父が亡くなり、母がお墓を作り直しましたから建立した氏名は母の名前です。ちなみに母は嫁です。しかし、過去帳があるから、2代前から繋がらないなんてことにはなりません。そんな感じですから、お墓から推測って難しいと思います。なんだか、雅子妃憎しの感情が先で、分家かもなんて考えなかったんですかね 。

本家で、金吉さんを知らないってそりゃそうでしょうよ。いとこまではなんとかなっても、それより先はほぼ、親戚づきあいなんてないんですから。そんなのあんただけよと言われたら、それまでですが。

ミケの友達
2016/03/16 21:20
<ミケの友達さん>
こんばんは!

>皇后陛下も同和出身にしたり、朝鮮人にしたりしたい人がいるようです。

これ読みましたー!「噂の真相」がソースのようですw この人たちはサヨクだろうが何だろうが、利用できれば何でもいいみたいですね。そういえば例の伏見くんがブログに「民団に協力要請」したものを読みましたw (自称)保守が民団に協力要請wwwこの界隈は終わっていますね。

>なんだか、雅子妃憎しの感情が先で、分家かもなんて考えなかったんですかね 。

ネット上の煽っている人たちはアレでも、せめて工藤氏は感情だけで動いてほしくなかったですね。

>本家で、金吉さんを知らないってそりゃそうでしょうよ。いとこまではなんとかなっても、それより先はほぼ、親戚づきあいなんてないんですから。

私の父方の実家は本家になりますが、私も分家の人まで知りません。本家だけでも親戚が多いのに分家のことなんてわからないです(笑)うちは父方、母方共に親戚が多くて、ミケの友達さんと同じく付き合いがあるのはいとこくらいまでですよ。
ぴよ
2016/03/17 18:53

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