「皇室にまつわる噂話の嘘」シリーズ第2弾は、小和田家のルーツについて検証していきます。 小和田家に関する噂もネット上ではいろいろと囁かれていますよね。 小和田家は同和地区出身、小和田家の祖先は朝鮮人、小和田家は創価学会信者など、小和田家も大変ですねぇ。朝鮮人にされたり創価学会信者にされたり、忙しいです(笑) これらの噂のもとを辿って行くと、たいてい「日本が好きなだけなんだよ」というブログにたどり着きます。皇室バッシングブロガーは、そのいい加減な皇室バッシングネタの多くを、今は更新が停止されているこのブログから持ってきて、さらに捏造を加えて拡散させているようです。 小和田家のルーツについて「日本が好きなだけなんだよ」の記事はこちら。 → 雅子妃と小和田家の闇 2011.05.20 Fri 00:00更新 また、「日本が好きなだけなんだよ」は下記のサイトより引用して記事を作成しています。このサイトのコピペは、あちこちの皇室バッシングブログで見かけますね。 → 小和田家と江頭家 これらの記事を読んでみてまず思うのは、その情報の「確かなソースはどこですかぁ?」ということです。話の核心に入れば入るほど、ソース元が記載されていません。仕方ないので記事内容の出どころをさらに辿ってみましたら、行き着く先はなんと「2ちゃんねる」でした。 なるほどそれで記事中にソースが示されていないわけですねw 拡散されている噂話を調べてみたら、ほとんどの話が捏造であることがわかりました。それらをすべてこの記事中に収めようと思うとかなり長くなりますので、ここでは主要部分をいくつか検証していきます。主要部分だけでも、いくつもの捏造で創り上げられていることがわかります。 富田メモについて 謎のバッシング内容はこちら。 「富田メモ」で、「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答 いきなり前後の文章がどう繋がるのかわからない不思議な書き方ですが、「富田メモ」→「反対の理由は〜」と繋がるということは、これは昭和天皇が雅子さまとのご結婚を反対されていた、ということを言いたいのでしょうか? 日経新聞が富田メモの中で、皇太子殿下のご結婚について報道した内容はこちらです。 昭和天皇は現在の皇太子さまの結婚について、一九八八年四月六日付の手帳で「私は本人同士がよいならそれでよい」と述べている。さらに「浩宮(現在の皇太子さま)のことについては、慎重には大事と思うが、慎重にすぎて好きな人がいなくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」とある。皇位継承者の結婚は重みを持つものの、本人の意思を尊重したいという思いがにじみ出ている。 これがどうやったら「反対」になるのでしょうか? 小和田家の身元調査について部落解放同盟が抗議→身元調査打ち切りについて 宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)そのため、身元調査は打ち切りになった。 この件については、「週刊新潮(10月9日号)」工藤美代子氏のレポート 『「皇后美智子さま」の秘録 第18回「正田家と小和田家」』 にも同じようなことが書かれていました。 一方、ご成婚前に、小和田家の家系図を遡って用意しようとしていた宮内庁は、部落解放同盟から思わぬ抗議を受けた。雅子さんの父方、三代前の金吉以前が繋がらず、調査に行き詰っていた時である。 工藤氏は原稿を書きながら、自身の文章の中の矛盾に気が付かなかったのでしょうか? 部落解放同盟が宮内庁に抗議したのは、小和田家の身元調査が終わった「後」だということに。 そして抗議内容は「身元調査を打ち切れ」ということではなく、「家柄を賛美するような報道内容」や「身元調査は条例で禁止されている地域もあるのに宮内庁が行ったこと」に関してであるということが、工藤氏が引用した抗議文からもじゅうぶんに読み取れる内容です。 また、引用文中にある『皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査』についても少し調べてみればいいものを・・・ ドキュメント・皇太子妃内定(2)専門興信所が四代前まで徹底調査(連載) 以下、時系列にまとめてみます。 1988年 宮内庁の依頼で興信所が小和田家の身元調査 1993年1月6日 皇太子妃内定の報道 1993年1月9日 読売新聞より「四代前まで徹底調査」の報道 1993年3月16日 部落解放同盟が抗議文を送付 部落解放同盟から抗議が来た時には、すでに調査が終わっていたことは明白です。 小和田家の家系は三代目から遡れない? 金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、表に出せないということがわかる。 「四代前まで徹底調査」しているのに、どうして突然、曽祖父から繋がらなくなるという話になるのでしょうか? 「繋がらない」理由を具体的に説明する記述はどこにもありません。小和田家は本家から分家した一族になりますが、いくつかの書籍にある記載やネット上でも確認できる情報によると、兵五郎から分家したようです。まとめると、下記のように繋がります。 兵五郎 → 道蔵匡利 → 金吉 → 毅夫 → 小和田恆 → 雅子様 (※参考 → 越後国村上小和田家 村上市郷土資料館など) 唐突に宮内庁がでっちあげたことになる家系図 地方では割合先祖のことを調べることは容易である。新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。 「宮内庁がでっちあげた」の情報元はどこでしょうか? 拡散されているこれらの文章を読むと、こんなふうに突然、話が飛躍するものが多々ありますが、そのソースは例によってどこにも示されていません。 小和田家の家系図には途中、詳細が不明な部分がありますが、これは戊辰戦争や火災により資料が紛失したことが大きいです。戊辰戦争により村上城・居館が焼失したり、新潟大火による菩提寺の火災など、度重なる不運により公式な資料として確認できるものが少ないということです。 (※参考 村上の歴代藩主概略史 「皇太子妃雅子さま」河原敏明著 など) しかしそれでも金吉が旧村上藩士の家系であることがわかる決定的な証拠は、金吉の本籍が「村上本町」におかれていたこと、旧村上藩士の独占となっていた鮭の漁業権名簿に金吉と毅夫の名前があるからです。 村上市では藩政時代の階級意識が根強く残り、昭和21年まで「村上本町は士族の町」、「村上町は町人の町」というように分裂していました。役場も学校も2つ存在したのです。また、旧村上藩士族の団体、「村上城址保存育英会に保存されている明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏、大正13年の名簿に毅夫氏の名が記載」されていました。 (※参考 村上の歴代藩主概略史 村上市郷土資料館) いきなり現れた、もう一人の金吉っていったい・・・ 小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。 何のソースもなく突如として金吉さんが2人に増えましたw 意味不明過ぎて倒れそうです・・・ >小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。 下記の記事はなぜか無視されているようです。 小和田嬢の曽祖父にあたる金吉は新潟市をへて高田市に移り住んだ。この金吉は前述のように高田市の税務吏員だったといわれるが、無類の学問好きだったらしい。本家に連なる小和田ケイは、祖母からこんな話を聞いている。「分家には金吉さんという人がいて、この人は人に教えるのが好きだし上手だったという話がありました。とても熱心で、近所の子供に勉強を教えていて、子供があきて逃げだしてしまうと、追いかけていき、つかまえて教えたそうです」 生年月日が不明なのに、「金吉は道蔵が14歳の時の子」と断言 「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」 金吉が匡利の子なら匡利12〜13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている 皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生) 金吉の父にあたる道蔵匡利は、没年はわかっているものの生年月日は不明です。それなのに、なぜ金吉が道蔵の14歳の時の子だとわかるのか不思議ですw 見えないものが見える人たちなのでしょうか? もう一人の金吉さんがいつの間にか密航してきたことになりましたw 問題は小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。 >本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。 逆に村上市を調べたら士族だということがハッキリするのですが、大丈夫ですか? >もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。 では、ホンモノの金吉さんはどこに行ったんです? >小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後 >村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない なりすました金吉さんwが日本に密航してきたのは明治以後?で、ホンモノの金吉さんwから家系図を購入して成りすました? その証拠が「小和田家の世代の年齢があわない」なのですねw それで道蔵の生年月日が不明にも関わらず、 「金吉は14歳の時の子」と捏造した訳ですね、わかりますw それにしても捏造のレベルも低すぎて、こちらのほうが疲れてしまいます・・・ ところで、こちらのサイトには帝国海軍だった柴田義之助氏と一緒に写る小和田金吉氏の写真がありますが、これも彼らにかかると偽物になるんでしょうねw → http://wehigeg.web.fc2.com/index-yosi01.html その他の細かい件も検証できていますが、ここまででもかなり長い記事になっているので、母方の江頭家についての捏造についても少し書いておきたいと思います。 今度は同和出身にしたいらしいw 江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。エガシラ→エタガシラ ※全ての江頭さんがそうだというわけではない。江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに部落民に遡る可能性は高い この都市伝説レベルの話を信じる人はいないと思いますが。江頭という姓は近江国野洲郡江頭村が起源(ルーツ)で、大村藩の士族に多いそうです。また、穢多頭(えたがしら)は穢多・非人身分の頭領のことですが、代々、長吏頭(ちょうりがしら)矢野弾左衛門と名乗っていました。 (参考 → 弾左衛門) また「江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)」の部分は2ちゃんねるの捏造です。 こちらの書き込み。 皇室御一行様★アンチ編★part792 明らかな嘘は以下の通り。 1.「村上水軍記念館」は存在しない。「村上水軍博物館」は存在する。 2.皇太子殿下と雅子さまの成婚は1993年6月9日 3.存在する「村上水軍博物館」は2004年10月22日にオープン ご成婚時には存在しなかった館長が、どうやってインタビューに答えるのでしょうか?w (参考 → 村上水軍博物館 イベント&トピックス ) 以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が自分のルーツ探しに九州へ行った。そこで知った現実に相当のショックを受けたという。 これもソースはどこにも存在していません。あるのは上記と同じ内容のコピペばかりです。それなのに、出自に絶望して亡くなられたと書いている皇室バッシングブロガーもいました。皇室を叩くためなら亡くなった方までも利用する・・・わかってはいたけれど、つくづく最低だなと思います。 最後に、これは前述した工藤美代子氏の記事が週刊新潮に掲載される際、ジャーナリストの水間政憲氏がブログに記したものです。ネットのみ全文掲載で転載フリーとのことですのでお借りします。 (※色文字は私が付けたものです) 日本人必読レポートが週刊新潮(10月9日号)に掲載されています 2014年10月04日 19:06 水間氏はいったい何が言いたのでしょうか? 雅子さまのお名前が最初にお妃候補に挙がったのは、入江侍従長がお亡くなりになった「後」です。 以下、時系列です。 1985年09月 入江氏 80歳で死去 1985年12月 宮内庁より中川融氏がお妃探しの要請を受ける 1986年7〜8月 雅子さまの名前が初めてお妃候補に挙がる(小和田家には知らされず) 中川氏の手記では雅子さまが外交官試験に合格した頃(8月以降) 1986年10月 スペイン エレナ王女のレセプションにて皇太子殿下と雅子様が初対面 水間氏の記事にあるような、 時空を超えた記憶を持つ「保守層の国民」がいらしたら、ぜひお知らせくださいw ※この記事はリンクフリーです |
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ぴよさん、 |
ららら♪ 2016/03/14 15:21 |
<ららら♪さん> |
ぴよ 2016/03/14 19:21 |
工藤氏に関しては、以前に「関東大震災での朝鮮人虐殺について」の著作があること、それがあいまいな取材によって書かれている、デマ記事を並べているだけ、と糾弾しているブログをいくつか読んだことがありました。 |
ららら♪ 2016/03/14 23:16 |
ジャーナリストの工藤さんはなじぇ時系列がわからないニカねぇ・・・ |
Mansikka 2016/03/15 06:35 |
<ららら♪さん> |
ぴよ 2016/03/15 06:46 |
<Mansikkaさん> |
ぴよ 2016/03/15 06:54 |
ぴよ様、こんばんは。 |
そら 2016/03/15 21:10 |
<そらさん> |
ぴよ 2016/03/16 18:15 |
こんばんは( ^∀^) |
ミケの友達 2016/03/16 21:20 |
<ミケの友達さん> |
ぴよ 2016/03/17 18:53 |
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