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全力でのし上がりたいと思います。 作者:聖音

第一章

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「アイラ、アイラどこにいるの!」
 庭の木の下で魔法書を読んでいると、母の声がしたのでゆっくりと立ち上がる。
 風は少しばかり熱気を含んでいるが、もう夏も終わりのこの時期は夜になると少し冷えてくるのだろう。

 サフィルにいさまがいなくなって、二ヶ月が過ぎた。
「お母様、アイラはここです」
 木陰から出て、ガーデンテーブルに近づくと、ほっとした表情を見せた母が私を手招きする。
「アイラ。あまり無理して勉強してはいけないわ」
 母が心配そうに私を覗き込んで言うが、私は視線を外しこくりと頭だけ下げた。小さなため息が聞こえるが、特に無理をしているつもりはないのだけれど。
 何度もそう言っているのに聞いてくれなくて、最近はただ頷くだけだ。
 母に連れられて屋敷に戻る途中で、剣を振るい一心不乱に稽古しているガイアスとレイシスが見えた。
 彼らは最近一層訓練に打ち込むようになったらしいが、サシャやカーネリアンの相手をして外を駆けているのもよく見かける。
 サシャは一時ひどく不安定になり、よく泣き喚くようになっていたが、最近では少しばかり双子の兄にべったりとくっついて離れないものの落ち着きを取り戻したようだ。急にお姉ちゃんになったようで、カーネリアンもいつも引き連れている。
 今も、ガイアスとレイシスが見える位置でカーネリアンと共に絵本を広げて読んでいるのが見えた。カーネリアンはサシャが常に傍にいるせいか、最近はとてもおしゃべりが上手くなったようで、今も絵本を声に出して読みながらサシャに笑いかけているのが見えた。

 私だけだ。ずっと、こうしてあの日から時が止まっているのは。ガイアスとレイシスが、サシャが、カーネリアンですら前を向き始めたというのに、私は……私だけが誰も傍に寄せ付けずに、あの時のまま。

「アイラ。お父様が少しお話があるそうなの」
「……わかりました」
 怒られるのだろうか。そう考えて、俯く。わかっている。実の兄弟であるあの三人が、必死に落ち込んでしまっている私を気にかけて声をかけてくれているというのに、私は上手く言葉を返すことができないでいた。
 私一人だけ、動けないでいる。


 ベルティーニの屋敷は、一見貴族の屋敷と見間違う程に立派なものだ。
 それは、国内外にベルティーニ商会が商売を成功させている証でもある。
 だがしかし、屋敷内に置かれているものは質のいいものでありながら、雰囲気は質素に見える。屋敷に余分なものは置かず、無駄なものは購入しない。それがベルティーニ家の主でありベルティーニ商会社長である父の方針だ。
 使用人も、やる気がありながら職に恵まれず困っていた者を優先的に雇っているせいで、この地、マグヴェル子爵が領主となり治める領地では、我が家の評判は高い。そのせいか近いうちに王から領地を賜るのでは、と噂されている程だ。……精霊情報によると、だが。
 実際には、確かに国に利益をもたらした大きな商人の家が王家から爵位を賜るのは稀にある事だが、父によるとうちにそういった話は来てはいないらしい。
 父の書斎の扉を母が軽く叩き、お待たせしましたわ、と声をかけると、室内から父の声で入るように促される。
 ぐっと口を一度噛み、室内に入ると、目が合った父はふっと一瞬困ったように笑った。
「アイラ、掛けなさい」
 素直に向かい合ったソファの端に腰掛けると、正面に父、横に並んで母が座る。
 少しばかりの沈黙を破ったのは、父だ。
「最近随分と勉強に打ち込んでいるそうじゃないか。以前から熱心なほうだとは思っていたが、何かなりたいものでもあるのかい」
 尋ねながら、ほぼ確信を持っているだろう声音に私は視線をさ迷わせた。
 黙っている私に無理矢理聞きだそうとはせず、数分の沈黙が訪れる。
「……、漠然としすぎていて目標を掴みきれないかい? 植物の知識だけではなく、魔法も学んでいるんだ。医師になりたいんじゃないのかい?」
 しばらくたって言われた言葉に、私の肩が意図せずぴくりと揺れた。
 ふう、と大きく息を吐いた音が聞こえて、かっと頭が熱くなる。
「お、お父様は悔しくないのですか! 医師は、医師はいたのです! 目の前で見殺しにされたなど……貴族しか見ないなど、医師が! この国はおかしいです!」
 立ち上がって叫ぶように声を荒げた私に、父はただ目を合わせただけだった。怒っていない。笑ってもいない。真剣な表情で目を合わせられ、ぐっと言葉に詰まる。
「悔しいに決まっているだろう……!」
 何かを押し殺したような声に私の視界はじわじわと滲んだ。隣にいた母に抱き寄せられて、とうとう頬に涙が伝う。
「お父様、お母様! 私、悔しい! 何が『緑のエルフィ』よ、私は助けられなかった! サフィルにいさまはあの木を助けてくれたのに、私は何もできなかった。貴族でないから、何なの! どうして目の前で苦しんでいる人の為に何もできないっていうの!」
 母の胸に顔を埋めて泣く私の頭を、父の大きな手が撫でる。
 前世の私は得られなかったもの。今は簡単に手に入っていたせいで、平和だと信じきっていた。でも彼はもう二度とこの幸せを味わえないのだ。……違う、私はもう二度と彼に抱きしめてもらうことはできないのだ。
 結局私は自分の事ばかり考えていたから、だからこの二ヶ月ガイアスやレイシスたちとも話せていない。
 それでも、動けないのだ。今ならわかる。初めての感情。私の身体は確かに幼い、が、前世の記憶はそのまましっかりとこの脳内に残っている。初めて味わう甘く幸せなあの感情は、理解する前に散ってしまった。
「アイラ。ありきたりな言葉で悪いのだが、サフィルは君がそうしている事を望んではいないと思うよ」
「……、はい」
「アイラは、クレイおじさんをどう思う?」
 突然変わった話題に、私はぐっと涙を一度拭いて、父を見る。
「……? すばらしい、方だと。常に患者を治す為に最善を選んでいると、思います。……王都で、専属医の話を断ってきたと聞きました」
「ああ、そうだ。その代わり彼は、知識を捨てたんだ」
「え? どういう事、ですか?」
 父が何が言いたいのかわからず、首を傾げる。
 クレイおじさんは母の兄で、とても優秀な医者だ。それこそ優秀な医者ばかり選ばれる貴族専属医の打診がきていた程ではないか。
 知識を捨てたの意味がわからず母を見ると、母は困ったように苦笑するだけで。
「アイラ。一般の人間には、貴重な植物や特殊な病についての情報が開示されない」
「え……?」
「つまり、貴族専属医になった医者や、もとから学園で深い知識を学んだものにしか伝えられない情報が多いのだよ。クレイは専属医を断った時点で、医者としては二流どまりになってしまったんだ」
 言われた言葉に、頭が真っ白になる。
「そ、そんな。おじ様は立派な方です! 二流だなんて、そんな」
 父はクレイおじ様と親友だと公言するほど仲がいいはずだ。そんな父が彼を悪く言うのに、衝撃で口が戦慄く。
「わかっている。あいつはとても立派なやつだ。専属医にはないものを持っているだろう。だけれど彼は国が情報を開示していない薬草については、エルフィの力で学ぶことはできても手に入れることはできない。未知の病気の治癒の仕方が研究されても知る事もできない」
 母が抱き寄せる腕にぐっと力を入れたのがわかった。どうやら私は震えていたらしい。
 クレイおじ様が、あの知識が豊富で立派な医師であるクレイおじ様ですらそうなら、私が目指すものというのは一体なんなのだろう。いつか、今度は私が、貴族でないせいで誰かを助けられない日がくるかもしれないものを目指すというのか。
 動けないでいる私に、父はふっと息を吐いて笑みを見せた。
「やるなら、徹底的にやりなさい、アイラ。中途半端でなくてね」
「お父様……?」
「魔法学園を目指しなさい。それも、狙うなら王都がいいね。王都の魔法学園なら、成績優秀者ならほとんどの情報の開示が約束されている。あそこもまた、貴族の入学が優先されてはいるが、才能がある者はその限りではないと聞く」
「王都の、魔法学園」
 呟いて、とても遠いところにあるそこに思いを馳せる。
「あなたは一人ではないもの。きっと大丈夫だわ、アイラ。あなたには私達や、精霊もいるのだから。精霊はエルフィを裏切らない」
「本当は無理をするなと叱りたいところなのだがね、私も出来うる限り応援しよう。ただし、一人でやろうとしないこと、今後は無理し過ぎない事だ。頑張る事と無理をする事を履き違えてはいけない。いいね、アイラ」
 ふと、サフィルにいさまが「人に頼む事を覚えろ」と言っていたのを思い出す。……ゆっくり考えて、私はしっかりと頷いた。
「はい、お父様」
 ほっと息をついた母に、安堵した笑みを浮かべる父。
 父はふと立ち上がると、机から小さな箱を持って来た。
「アイラ、君のだ」
 渡された箱を首を傾げつつ開けて……息を呑む。
「桜……!」
 箱に収められていたのは、ふかふかの布で包まれた台座に置かれた石であった。直径二センチほどの真ん丸の透明の石の中に、小さな桜の花が一輪閉じ込めてある。
「魔力で花を閉じ込めた宝石だ。王都で流行っているそうだが」
「おとうさま、これって」
 どくどくと心臓が大きく音を立てている気がする。まるで耳のすぐ横に心臓があるみたいに煩くて、父の言葉を聞き逃しそうでじっとその目を見つめた。
「サフィルが君に渡そうとしていたものだそうだよ。ガイアスとレイシスの二人が、サフィルがそう言っていたと覚えていた。桜を知っていたのか、アイラ。大事にしなさい」
 ぎゅっとそれを握り締めて、私は言葉にならずこくこくとただ、頷いた。



「集合よ集合! ガイアス遅いってば!」
 二階の窓から叫ぶと、外で剣を振るっていたガイアスが「やべ!」と声を漏らす。
「もうそんな時間か?」
「そうよ、早くしないとお菓子あげないから!」
「お菓子!?」
 私の言葉を聞いたガイアスが、大慌てで屋敷に入ってくるのが見える。
 その間に私は子供部屋のテーブルに用意したお菓子を並べ、自分の席に本を積み上げ羽ペンにインク、紙も用意する。
 メイドがお茶を入れて部屋を出て行くのと入れ違いにガイアスが部屋に飛び込んできた。全員揃ったな、と見回す。
 子供用の小さなベッドで寝ているカーネリアンに布団をかけてやり、サシャを椅子に座らせる。レイシスとガイアスが席についたのを見てから、私は椅子に座った。

「で、一体どうしたの? 会議するーなんて言い出して」
「なぁ、このお菓子もう食べていいのか?」
「お兄ちゃん、めっ! さくせんかいぎが先なのー!」
 テーブルのお菓子に手を伸ばしたガイアスを、今テーブルについている中では最年少のサシャが叱り付けて、笑いが零れる。

「では、これより作戦会議を始めたいと思います!」
 私はぐっと手を握り締めて、高らかにそう宣言したのだった。
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