知的財産権を専門とする者です。
内容は分かりました。少し調べてから、本日の午後にご説明させていただきます。
先ほどの者です。
ご質問に対する回答につきましては、「著作物」と「引用」の両面からご説明させていただきます。
まず、「著作物」についてですが、
著作権は「著作物」に生じます。「著作物」でなければ著作権は生じません。
ここで著作物とは、著作権法上、以下の様に規定されています。
「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(著作権法2条1項1号)。
すなわち、著作物といえるためには、「創作的」な「表現」であることを必要とします。そのため、ご質問にありますように「事実の伝達に過ぎない雑報及び時事の報道」は、創作性がなく著作物に該当しないものの一例として、著作権法(10条2項)に規定されているわけです。
ただし、この規定に該当するのは事件や事故の要点の報道、時事問題の簡潔な報道、死亡記事、叙勲記事等であって、誰が書いてもその内容になるといった創作性のないものについては、著作物とはならないのであり、雑報及び報道記事であっても創作性のあるものは著作物となります。
例えば、単なる事実を述べたに過ぎない文章、「東京タワーの高さは333メートルです」とか、、定型的な挨拶文章、「拝啓 猛暑の候、貴社におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。」など、その文章を作成するに当たり、作者において独自の表現の選択の幅が少ない場合において創作した文章等は、創作性が低く著作物にはならない可能性が高まります。
また、著作物として保護されるのは「表現」であって、アイデアは保護されません。
そのため、実質的には他人の文章と同じことを意味する文章であっても、その表現(文章表現)が異なっていれば、他人の文章の複製や翻案とはならず、別個の著作物として保護されます。
この複製とは、著作権法上、以下の様に規定されています。
「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいい・・・」(同法2条1項15号)。
また、複製概念を確立した有名な最高裁の判例では、複製とは「既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるもの」と判示しています。
一方、「翻案」につきましては、翻案とは、先行する原著作物に修正増減を施し、新たに創作性のある表現を付加しても、それが、原著作物に依拠し、かつ、原著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができる場合をいいます。(この場合、後発の制作物に創作性が認められると原著作物に対する二次的著作物となります。)
すこし、ややこしい表現で理解し難いかもしれませんが、大雑把に言いますと、複製といえるほどには原著作物と近似していないが、全く別の著作物ともいえない著作物。あるいは、複製といえるほどではないが、それでもなお、二次的著作物から原著作物を直接想起させるほどに似ているといったような感じです。
実際には、どのような行為が翻案に該当するかは、著作物の種類や表現態様などによって異なり、確定的な基準は存在せず、ケース・バイ・ケースで判断せざるをえません。また、複製と翻案の厳密な境界も存在しないのが実情です。
要するに、著作物とは、「創作的」な「表現」をいいますので(同法2条1項1号)、他人の文章を利用する場合であっても、そもそも創作性がなく、著作物と認められないものを利用しても、著作権と抵触することはなく、また、他人の文章と実質的には同じ内容であっても、著作権法ではアイデアが保護されず、「表現」を保護するものなので、先にご説明した「複製」や「翻案」に該当しない程度に改変をした表現であれば、著作権と抵触しないことになります。
ですので、Wikipediaに、事実に基づいて記載された「文献・雑誌・論文・ネット情報」等を元に記事を書くにあたりましては、それが著作物ではないと判断できるものや、著作物であっても、複製や翻案に該当しない程度に改変して、掲載することで著作権とは抵触しないことになります。
ただし、創作性があるのかないのか、あるいは、複製や翻案に該当しないほどの改変であるか否かの判断は難しいというのが実情ではないかと思われます。
そのため、他人の文章を利用する場合には、本来であれば、創作性がなく著作物に該当しないかもしれず、また、他人の文章が著作物であっても複製や翻案に該当しない程度にまで改変した表現を用いているにもかかわらず、その判断が難しいため、安全策をとって、著作権法上、他人の著作物の利用が認められている「引用」の要件に合致するような態様で利用するというのが実情ではないかと思われます。
そこで、次に「引用」についてご説明します。
質問者様もすでにご存じのようですが、著作権法上、「引用」とは、以下ように規定されています(同法32条1項)。
1.公表された著作物であること。2.公正な慣行に合致していること、3.報道・批評・研究その他の引用の目的上正当な範囲内であること、の3つの要件を満たす必要があります。
この要件を踏まえた上で、裁判上認められた引用基準というものがございます。以下の5つの要件を全て満たした場合です。
①明瞭性→引用する側の著作物(質問者様のWikipediaと、引用される側の著作物との区別が明瞭であること。例えば、引用部分をかぎかっこで括るなどです。記号、図形、写真のように引用した範囲が明確であれば線で囲むなどをしなくても明瞭の要件を満たすと思われます。
②付従性→引用する質問者様のWikipedia上の文章・写真・図形等が主体で、引用される元の著作物が従たる存在であること。要するに引用した文章等の内容部分が質問者様のWikipediaの中に吸収されており、引用部分がメインであるような内容になっていないということです。
③必要最小限→引用の範囲が引用の目的上必要最小限の範囲であること。例えば、美術作品・写真・俳句のような短い文芸作品であれば、全部の引用が可能ですが、学説・論文等については全部の引用はできないというようなことです。
④人格権への配慮→著作者の人格権侵害や名誉棄損とならないように配慮する必要があります。
⑤質問者様のWikipedia内の記事も著作物であることを要します。高度な独創性は不要ですが、説明文などにおいて何らかのご自身の表現を用いていればいいという程度のものです。この要件は満たすものと思われます。
結構、細かい条件ですが、この判例の条件を全部満たすことで引用が可能になると思われます。
また、元の著作物を引用するにあたりましては、出所を明示する必要があります(同法48条1項1号)。
ご質問にある「モネの池」と「根道神社」のWikipediaを拝見させていただきましたが、引用した箇所がはっきりしなかったのですが、少なくとも、「根道神社の歴史」に記載されているような、時系列に事実が記載されているだけのような部分につきましては、それが「著作物」と認められる可能性はあまり高くないのではないかとの印象を受けます。
「概要」等におきましても、自己の表現に置き換えても、実質的な内容が同じであれば、「中立性」というルールにも反しないと思われます。
ただし、他人の文章を利用した箇所の特定が難しいのですが、他人の著作物に該当する部分(どの部分かははっきりしなかったのですが)の利用に関してましては、総じて上述したような「引用」の要件のうち、少なくとも区分明瞭性、引用元については、満たしていない感じがしないでもありません。
仮に訴訟となった場合には、著作権法上の「引用」に該当しない場合には、先に述べました、利用部分に創作性はなく「著作物」に該当しないとか、複製や翻案に該当しない程度にまで改変しているので同じ「表現」ではないといった反論を展開していくことになると思われます。
先に述べました「引用」の要件も時代とともに少しづつ変わりつつあるのですが、やはり、この場では、先に述べました引用の要件を満たす形でWikipediaの記事を書いていないと、勝訴を勝ち取るのは難しいのではないかと予想されます。