column コラム

2016年6月13日

コツコツと丁寧に。五輪最終予選で米山裕太が魅せた意地、これからへの提言。

米山裕太の闘う姿は、見る者の心を揺さぶった。
写真・©Michi ISHIJIMA

 次世代に何かを伝えるために戦っていたわけじゃない。

 オリンピックに出たかった。

 目指し続けて来た夢を叶えたかった。

 だから、最後の最後、1%の可能性が潰える瞬間まで必死で戦った。

 オーストラリアにストレートで敗れ、リオデジャネイロ五輪への出場が消滅した後、米山裕太は真っ直ぐ前を見て言った。

 「この4年間何をしてきたんだろう、という気持ちです。結果を出せなかった自分に腹が立ちます」

 北京五輪の翌年から全日本に選出され、ロンドン五輪を逃がし、これが最後、という覚悟を持って臨んだ五輪予選。4年後の東京五輪は、と問われても「今はまだ考えられないです」というのが精一杯だった。

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 昨季のVプレミアリーグではコートに立つ時間よりも、ベンチで待つ時間のほうが圧倒的に多かった。それがチームの戦略であり、自分に求められる役割があると頭では理解できていても、試合に出られず悔しくない選手はいない。短いタイムアウトの間にアップする米山の表情はいつも晴れなかった。

 シーズンが終わり、全日本での活動がスタートしてもなかなか実戦の機会は巡ってこない。大会前、唯一の海外遠征となったアメリカとの試合でも米山の出番はない。日本に戻ってから、実戦形式の練習が続く中でも、Aチームに入るのは石川祐希や柳田将洋か福澤達哉。「このメンバーで行くんだろうな」ということは理解できた。

 だからといって諦めたわけではない。

 大会前最後の練習試合となったフランスとの試合では出場ポイントは限られたが、特に攻撃面ではチーム1と言ってもいいほどの好調さをアピール。大会前日の会場練習を終えた米山の表情は明るく、「調子は?」の問いに「普通っすよ、普通」と軽くかわす。だがそんな短い言葉の中にも、充実感が溢れていた。

 ワールドカップと五輪最終予選は違う。ポーランドやフランスといった世界ランクや近年の国際大会の実績で遥かに上回る国々の選手たちにとっても、これが五輪出場に向けた最後のチャンスであり、かかるプレッシャーも、チームの完成度もワールドカップとは比にならない。

 とはいえ日本だって準備は万全だ。誰もがそう思っていた。いや、思おうとしていた。

 米山は言う。

 「チームが完成するのが遅かった。海外遠征や海外勢と試合をする機会が少なくて、相手のブロックの高さやサーブに対する経験値がない。試合をやってみないとわからない、というのは不安でもありました」

 初戦のベネズエラ戦は3-1で勝利したものの、2戦目の中国。高さに加え、前日のフランス戦ではミドルからの攻撃を多用しながら、日本に対してはサイドの攻撃を軸としてきた相手に対し、日本のディフェンスシステムはリードブロックなのか、それともコミットか、どこを捨て、どこを抜かせるのかが定まらない。相手ブロックに対しての攻撃も、リバウンドを取ってチャンスをつなげるはずが、相手ブロックに当てようとしたボールやフェイントボールを叩き落され、結果はストレート負け。第3戦のポーランド、4戦のイランにも敗れ、後のない状況へと追い込まれた。

 イランに敗れた直後、控え室で緊急ミーティングが行われた。「これからの戦いは4年後につなげるものにしよう」。もはや奇跡と呼ぶようなわずかな可能性しか残されていないこと、そしてその状況を招いたのは勝てなかった自分たちだということ。頭ではわかっていても、涙が出た。

 「俺たちには4年後なんてない。これが、最後なんですよ」

 悔しさとか、悲しさとか、簡単な言葉では表せない。ただ、心からの叫びだった。

 たとえわずかな光でも、まだ消えたわけではない。そう信じて、自らを鼓舞してコートに立つ。決して派手なプレーではなく、ごく当たり前のレセプションやディグ、ブロックフォローや二段トス。高さで勝るブロックに対して攻撃する、十分な助走を取るための間を確保すべくファーストタッチは高めに上げることを徹底し、前衛に限らず、バックアタックにも積極的に入った。

 抜群の安定感と守備の人。それが米山の果たすべき役割と認識され、確かに清水邦広や石川、柳田のような爆発的な攻撃力を兼ね備えた選手というイメージはない。だが裏を返せば、たとえ日陰でもそれが自らの果たすべき役割であるなら徹するだけ。

 「どんなチームにも穴があって、自分たちでそのウィークポイントを消しながら、強みを生かしたバレー、特徴を持ったチームが最後は勝っているんです。だから、『石川や柳田が出ていないから負けた』と言われるのは悔しかったし、僕の決定率が低かったり他と比べて打数が少なかったとしても、『それでも勝てるんだぞ』って。その言葉を、勝って言いたかったです」

 オーストラリア戦後の記者会見で米山は「競り合った場面、日本がリードした場面での清水への二段トスがもう少し清水にとっていいトスだったら、結果は違っていたかもしれない」と言った。結果論とはいえ、やや辛辣にも聞こえる敗因分析だが、あえて発した理由がある。

 スパイクが決まった、止められた。結果論ばかりに目が向けられがちで、そこに持って行くまでのレシーブやフォローに目が向けられることはない。だが、その細かなプレーの精度こそが、日本が世界と戦うために高めるべきポイントだと米山は指摘した。

 そしてだからこそ、自分の姿で見せる必要があった。

 フランスとの最終戦、24-23と日本がマッチポイントとし、ベンチに近いバックレフトの位置から米山がライトの清水をめがけて、高く、丁寧にトスを上げる。後方からの難しいボールではあったが迷わず清水は打ち切り、日本がストレートで勝利した。

 最後の二段トスは米山にとって、意地と覚悟、これまで積み重ねて来たすべての努力の結晶だった。

 4年前のロンドン五輪最終予選の頃までは実力差も拮抗していたはずのイランやカナダが、長い年月をかけて築き上げて来た盤石の体制で臨み、オリンピック出場を決めた。数々の対戦機会を重ねて来た米山は、その現実を誰よりも重く、そして冷静に受け止めていた。

 世界で戦えるチームになるために。強いチームになるために。日本は何をすべきなのか。

 「大きくて動ける選手を探すことも大事だけれど、今いるメンバーで勝って行くことを考えたら、世界の高さやサーブ、それがスタンダードになる環境をつくらないと難しい。リオに向けてやってきて、結果が出せなかった責任は100%僕たちにあります。でもロンドンの時から根本的な問題は改善できていないし。現場と、強化と、今いる選手でどう勝つかを真剣に考えないと東京オリンピックに向けては厳しいと思うんです」

 柳田や石川、関田誠大、出来田敬といった若手選手も五輪予選の厳しさと難しさを知り、各々が「これから」に向けた責任や決意を口にする。

 だが、これが最後、とすべてを賭けて臨んだ「ベテラン」に区分された選手に対しては、五輪出場が途絶えた瞬間から、若手に対するメッセージを、とか、日本戦はリザーブの選手が中心だったフランスをどう思うか、等々、矢継ぎ早に質問が浴びせられる。

 すべてを出し切った、とは言い切れない。でもできることはやりきった。だからこそ、思う。

 「『Bチーム相手でどうですか?』って、心ないなぁ、と思いますよ。でも今ここで結果だけを見ている人からすれば映るだろうし、僕自身だって悔しい。チームは1人1人の役割があって成り立っているものだと思うから、最後、相手はBチームでしたけど、僕たちの形は残せた。それは、次につながる1つの結果として結びついたと思います」

 悔恨は消えない。

 それでも、夢が潰えてもなお、1人の代表選手として、必死で戦い続けた。見る者の心を揺さぶるその姿は、これからを担う世代に、きっと、色褪せることなく受け継がれていくはずだ。

 叶えられなかった、夢と共に。

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