学問はひとを自由にするもの。
勉学によってできることが増えるのは事実です。
しかしながら、学問は幸せな生活を保証してくれるわけではありません。
大半の場合にはできることが増えて幸せというパターンですが、たまーにそうはいかない場合も。
勉学によって知識をつけたがために、かえって不安が増大してしまうというパターンもあります。
読書をする。実際に体験してみる。試行錯誤をくりかえす。
これらによって、わたしたちは多くのことを知れます。
しかし、いちど知ってしまったものは忘れられないという点には気をつけるべきでしょう。
時としてそういうのはストレスの原因になりますので、知らないほうがいいことというのも存在します。
たとえば、ひとたび使う側の思考が身についてしまうと、もう使われる側の思考には戻れません。
忘れようとしても脳には思考回路そのものが残っていて、それがあらゆるところに出てくるものです。
話を聞いてはその裏にある意図が見えてしまい、ワクワクの欠片もない。
まわりと話が合わず、ひとり孤立する。
こんなのは奴隷の文化に染まっていれば起こりません。
使われる側の人間が多いところで、使う側の思考が身についてしまう。
こういうのがあると、マジメな性格そのものがイヤでしかたがないことでしょう。
周囲と同じように生きるのが希望であれば、自分だけ飛び抜けた能力を付けるというのはかえってデメリットにつながることもあるのです。
いちど知ってしまうと戻れない
「俺たちはいろんなことを知りすぎた‥。もう昔には帰れない‥‥。」
セリフ/【俺たちは…もう昔には戻れない…】 - ファイナルファンタジー用語辞典 Wiki*
何かを知るということによって見える世界が変わるのは事実。
子供のころは純粋で気づかなかったあれやこれも、オトナになると見えてくる。それと同じです。
何も知らなければ純粋に楽しめたことも、いろいろと勉強していくうちに見える世界が変わってしまい、純粋に楽しめなくなってしまう。
そのため、知らないほうがいいことも世の中には存在します。
勉学をするにあたり、「いちど知ってしまうと元には戻れない」というのは覚悟すべき点でしょう。
自己投資によってあなたは便利な知識と出会えますが、便利なものを知ってしまった以上はもう元には戻れない。
贅沢な暮らしをやめられないように、いちど快適さを覚えてしまうとそれなしにはやっていけなくなります。
学問を勉強することにより、知識を獲得できるでしょう。
学問を勉強することにより、技術を習得できるでしょう。学問を勉強することにより、視点を獲得できるでしょう。
しかしながら、いちど知ってしまうとそれらは手放せません。
忘れたくても忘れられず、便利さの感覚は体が覚えているもの。
もう無知だったころの自分には戻れないのです。
こんな記事とか書いちゃうように、わたし自身は下手に読書をしてしまった感があります。
もとから下手だったゴマすりがさらに下手になっていますし、中学のころからやっていたプログラミングにも今はそれほど快感を感じません。
使う側の考え方に触れなければ、おそらくこういうのもなかったんでしょう。こうなってしまってはもうただのニート。お役所にはいらない人材です。
中途半端に知ってしまったが最後、もうあとには戻れません。
使う側の人間として自分を尖らせまくるしかない。
下手に勉強したがためにいらないものが見えてしまい、不安にさいなまれる典型例です。
学問は本当にわたしたちを幸せにするのか
つまるところ、みんなといっしょの生き方で生きていればそこまでの不安は感じないでしょうし、一生涯レールの外を見ることはないでしょう。
一般的にイメージされる幸せな生き方をしたいのであれば、マイノリティになるという選択肢をとってはならないのです。
一生使われる側の価値観で生きれば、搾取されても「このブラック企業め!」と不満に思うだけで大したことも起こらない。
普通を追い求めては消費するだけ、それも搾取そのものに気づかないという生活で生涯を終えられるはずです。
柵の中で過ごしていれば、オオカミに食べられるということもないでしょう。
大抵のひと、特に器用でないひとにとっては、柵の外の世界なんて知らないほうが幸せになれます。
ぬるま湯に浸かっているのであれば、そのままぬるま湯で人生を終えたほうがいい。まちがっても外の世界を知ろうとしてはなりません。
学問はたしかにできることを増やしてくれます。
今の便利な暮らしがあるのは学問のおかげです。
しかしながら勉学によって、できないこと、自分には実現しえないものまで見えてしまうのも事実。
少なくともレールに敷かれた生活をしたいのであれば、与えられた学問を指示された範囲だけやっていれば問題ありません。むしろ下手に力をつけてはならないのです。
まずは自分と向き合え
あなたが読書をしたり勉強したりして自己投資に励むのであれば、今一度「なりたい自分」と向き合ったほうがいいでしょう。
はたしてその学問は本当にあなたを幸せにするのか、よく考えてください。
使われる側の人間として一生を終えるなら、政治経済や経営なんて学問に手を出してはいけません。
それらを勉強することによって、自分が使われているという実感が湧いてきてしまうでしょう。
いつものようにまとめサイトを見て、いつものようにニコ動とFC2を見ていればよく、まちがっても学問の本質を知ろうだとか思ってはならないのです。
帝王学そのものは2万円もあれば買えます。
AmazonやTSUTAYAを探せばすぐに手に入ることでしょう。
最近ではブログも増えてきており、探せば無料で手に入れることも可能。
しかしながら、その2バイト文字の羅列があなたを幸せにするとは限りません。
たった1冊でも、たった1サイトでも本質を正確に描写したものに出会うことで、あなたの人生そのものに影響がおよぶ可能性はゼロではないのです。
マイノリティというのは文字通り「少数」派で、孤立しています。
世の中は使われる側の考え方の人間がマジョリティで、孤立している人間は人種差別のように扱われることも少なくありません。
やはりマイノリティは多かれ少なかれ叩かれるもので、ラクな暮らしではない。
つねに差別に耐える必要があり、安易にマイノリティになろうとしてはダメなのです。
まとめ
知るということは幸せなことばかりではありません。
時としてグロテスクなものをこれでもかというほど見せつけてきたり、残酷な現実を突きつけてきたりします。
そしていちど知ってしまうと、知らない状態には戻れない。
「自己投資だ!読書だ!」なんて勉強するのが、必ずしも幸福を保証するわけではないのです。
あなたの身の回りに、どんなことでも瞬時に片してしまうひとがひとりやふたりいることでしょう。
そのような天才は、あなたからすればとても魅力的かもしれません。
しかし天才は天才で、尋常じゃないストレスを抱えているもの。
あちらはあちらで上がいることを知っていますし、マイノリティということで苦労している面もあります。単にそれを表に出さないだけです。
勉強する・しないは個人の自由でしょう。
もしあなたが読書をして勉強しようというのなら、見えるものが変わるという点は注意すべきです。
楽なぬるま湯人生を送ろうというのなら意識高い系の本なんて邪魔になりますので、開いてはなりません。かえって無知なほうが幸せな生活を送れます。
勉強するというのはそういうことであって、いいことばかりではないのです。