「左遷」は日本独特の言葉
河合:楠木さんが書かれた『左遷論』を読ませていただきまして、左遷という言葉は、組織の中にいる人から出てくる特有の言葉なんだなと感じました。
楠木:たしかにそうですね。左遷って、明確な定義があるわけじゃなくて主観的な言葉なんです。左遷であるか否かは、本人の受け止め方次第です。たとえば横滑りと思われる異動でも希望した部署でなければ左遷と表現されがちです。
河合:仕事なんて理不尽なことの連続ですよね。特に…
楠木:人事異動はその代表例でしょう。人事部にいた私が言うのだから間違いありません(笑)。まずは業務上の必要から空いているポストに人をあてはめるというのが基本なので、どうしても本人にとって意に沿わないことになりがちです。
「左遷」は個人ベースでは非常によく使われる言葉なのですが、実はメディアで使われることは極めてまれなんです。日本経済新聞の2010年7月から2015年6月までの5年間の朝刊・夕刊を対象に「左遷」という言葉を検索してみたんですが、わずか38件しかなかった。客観的に左遷かどうかを判断しづらいのでメディアとしては使いにくい言葉なんだと思います。
河合:一つの人事が、ビジネスパーソンのキャリア人生を大きく変えることはよくわかります。フィールドインタビューでも、釈然としない人事への恨みつらみはよく聞きますし、異動させる側の上司も苦渋の選択を迫られ、悩むことも多い。ただ、人事異動って、単に所属や仕事が変わるだけではなく、内部の事情という係数が加わることで意味合いが大きく変わるんだなぁと…。楠木さんの著書を読んで改めて感じました。
私の連載の編集担当さんも異動で替わったりしますが、本人からしたら、私の担当を外れるというだけの単純な話じゃないのかもしれませんね(笑)
ただ、私は自分に経験がないので、「はずされた」とか、「とばされた」という感覚がいまひとつ理解できない。落ち込むだけトコトン落ち込んだら、あとはネガティブな感情をエネルギーに変えて、前に進むしかないじゃん、踏ん張ろうよ!って思うわけです。リストラされた人の方が、直後のショック度は大きいけど、開き直りも早いように感じます。