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田岡俊次の戦略目からウロコ

中国軍艦の接続水域航行への抗議は自分の首を絞める行為

田岡俊次 [軍事ジャーナリスト]
2016年6月16日
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6月9日、中国軍艦が尖閣諸島付近の接続水域に入り、政府に緊張が走った

 今月9日未明、中国軍艦が尖閣諸島付近の接続水域に入ったことに対し、日本政府は午前2時に中国大使を外務省に呼び抗議するなど激しい反応を示した。

 だが領海の外側に設けられる接続水域は公海であって、どの国の軍艦も自由に航行できる。日本政府の対応はまるで自宅の前の公道を他人が通行したのに怒って、深夜にどなり込むクレーマーじみた行動だ。もしこれが先例となれば、日本の艦船が他国の接続水域を通ることを妨げられても文句は言えなくなる。政府要人もメディアも海洋法条約に関する知識を欠き、それを知っているはずの外務官僚は政治家に諫言せず、胡麻すりで保身をはかるから、こうした騒ぎになるのだろう。

 接続水域(Contiguous Zone)は元は1920年に禁酒法を制定した米国が酒類の密輸入を防ぐために設けたものだ。当時の慣習的国際法では領海は3海里(5.5km)だったから、当時英国自治領だったカナダなどから酒を積んだ船が来て、海上では目と鼻の先の3海里沖に投錨し、買い手の小船を待っていても米国沿岸警備隊は手を出せない。そこで海岸線から12海里(22km)を「接続水域」と宣言し、密輸の取り締まりを行うことにした。だが領海外で警察権を行使することは本来できないから、例外的措置として英国など関係国の了承を得て行った。

 英国、日本などの「海洋国」にとっては航海や漁業を自由に行えることが望ましいから、18世紀の大砲の最大射程を根拠とした領海3海里の慣行が保たれたが、そうでない「沿岸国」にとっては他国の漁船が沿岸に来て乱獲したり、軍艦が目の前の海で我が物顔に振る舞うのは不利、不愉快だから領海を拡大したり海上の管轄権を求めようとし、第2次世界大戦前から論争が起きていた。

 この戦争で海洋の覇者となった米国は大海軍国ではあっても漁業、海運など民間の海上活動はさほど振るわず「沿岸国」に近いから、終戦直後の1945年9月にメキシコ湾の海底油田を開発するため、一方的に領海幅を3海里から12海里に拡大し、米国領土から海底にのびる「大陸棚」の管轄権を宣言した。

 また1976年には日本、ソ連などの漁船団のアラスカ沖での操業を防ぐため200海里(370km)の漁業専管水域を設定した。

 海洋の支配者である米国がこんな模範を示したから、多くの沿岸国は「得たりやおう」とそれに続いた。英国と日本は3海里の原則を守ろうとしたが多勢に無勢で1982年に作られた国連海洋法条約で、領海は12海里と定められ、さらにその外側12海里が「接続水域」となり、また海岸から200海里の「排他的経済水域」も認められた。

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田岡俊次 [軍事ジャーナリスト]

1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、編集委員、筑波大学客員教授などを歴任。動画サイト「デモクラTV」レギュラーコメンテーター。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』など著書多数。


田岡俊次の戦略目からウロコ

中国を始めとする新興国の台頭によって、世界の軍事・安全保障の枠組みは不安定な時期に入っている。日本を代表する軍事ジャーナリストの田岡氏が、独自の視点で、世に流布されている軍事・安全保障の常識を覆す。さらに、ビジネスにも役立つ戦略的思考法にも言及する。

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