祭祀つかさどって83年 琉球王府から続く「ノロ」は96歳

2016年6月14日 16:05 伝統行事 注目 地域 大宜味村
白鉢巻きと勾玉を身に着け、笑顔を見せる山城トヨさん=大宜味村田港

白鉢巻きと勾玉を身に着け、笑顔を見せる山城トヨさん=大宜味村田港

 【大宜味】約400年前、琉球王府から辞令を下されたことに始まるという田港ノロ(祝女)。大宜味村田港の山城トヨさん(96)は13歳の時にノロになってから実に83年間、祭祀(さいし)をつかさどっている。

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 昭和の初め、前任のノロ、當山ウシさんが90歳代で亡くなり、山城さんは年が近い2人とともにノロ殿内に集められた。当時、塩屋尋常高等小学校を卒業したばかりだった。

 「一人一人ウコール(香炉)に線香を立てさせられた。すると私の線香が折れたので私がノロになった」。白鉢巻きや勾玉(まがたま)は當山さんから引き継いだ。初代のノロは琉球王府から「ノロクモイ辞令書」、かんざし、金の皿を渡されたと伝えられている。

 山城さんは戦前、同じくハミンチュ(神人)であるニガミ(根神)を伴って屋古、塩屋、田港、白浜の4カ字の神事をつかさどっていた。戦後はさらに大保、押川、江洲が加わった。

 「毎月のチータチジューグニチ(旧暦1日と15日)、アブシバレー、ウマチー、アクウイミ、ウンガミ、八月十日ウイミ、マーラニ(麦穂準備)など忙しいよ。だけど根神が4人になってしまった」と、少し寂しそうだ。

 沖縄戦中は家族や親戚と押川に避難した。護郷隊に入隊させられたきょうだいは戦死した。1945年8月15日の終戦で押川から田港へ戻ると、くしくも塩屋のウンガミ(海神祭)の時期を迎えていた。「隠れることしか考えていなかった。でもウンガミはやらなければならない」と、無事やり遂げた。

 今年もウンガミの季節がやって来る。田港区の前田福也区長は「山城さんがいなければウンガミも何もできない。とても感謝しています」。実行委員会も感謝状を贈っている。(玉城学通信員)

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6月16日(木) 紙面

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