小さなお話

和菓子の日
6 月16 日は「和菓子の日」。この記念日は、昭和54 年(1979)に全国和菓子協会が制定したものです。
そのルーツは「嘉祥(かじょう)」という行事にあります。菓子が主役の行事で、始まりは平安時代ともいわれ、江戸時代には公家や武家から庶民まで厄除招福を願って菓子を食べました。
江戸幕府では、江戸城の大広間に2万個を超える菓子を並べ、将軍が大名・旗本へ下賜(かし)しました。

画像:楊洲周延「千代田之御表 六月十六日 嘉祥之図」
歴史
京都
とらやは室町時代後期の京都で創業。後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の御在位中(1586~1611)より御所の御用を勤めてまいりました。関ヶ原の戦い(1600)で、西軍の石河備前守(いしこびぜんのかみ)をとらやがかくまったという故事が京都 妙心寺の『正法山誌(しょうぼうさんし)』に見られ、また、寛永5年(1628)に現在の虎屋菓寮 京都一条店の敷地を買い増したことが、当時の証文からわかります。明治2年(1869)の遷都の際、明治天皇にお供して東京にも出店いたしましたが、京都一条の地での菓子づくりは、今日に至るまで変わることなく続いています。
歴史
夜の梅
とらやを代表する商品のひとつといえば、小倉羊羹『夜の梅』です。菓銘は、元禄7年(1694)の古文書に見ることができますが、形や原材料については書かれていません。羊羹としての最初の記録は文政2年(1819)です。また、文久2年(1862)には原材料に小豆、寒天などを記した文書が残り、この頃には煉羊羹としてつくられていたことがわかります。
歴史
とらやの菓子づくりは、餡づくりから始まります。御膳餡(こし餡)、白餡、小倉餡、味噌餡など、種類はさまざま。それぞれの菓子に合わせて硬さや糖度なども調整しています。また、とらやの餡づくりの特徴の1つとして、渋きり(注)の回数の少なさがあります。回数を少なくすることで、小豆の味が損なわれず、風味がしっかりと感じられる餡になります。

(注)小豆を煮た際に出る煮汁を捨てること。アク抜き。
製法
ゴルフ最中
ゴルフ最中の誕生には、三菱財閥の総帥・岩崎小弥太(いわさきこやた:1879~1945)が関わっています。大正15年(1926)、三菱各社の幹部を集めたパーティーを開催するにあたり、小弥太の妻、孝子夫人が宴席を盛り上げるために、当時最先端のスポーツであったゴルフのボールを模した菓子を注文しました。これが後に改良され、最中として販売されるようになります。

詳しい誕生秘話は、「歴史上の人物と和菓子」の『岩崎小弥太とゴルフ最中』をご覧ください。
歴史
羊羹製
羊羹製とは、餡に小麦粉・寒梅粉(注)を加えて蒸し、もみ込んだ生地のこと。製法が蒸羊羹に通じており、とらやでは「羊羹製」という名称ですが、一般的には「こなし」と呼ばれます。木型を使ったり、手で成形したり、布巾で茶巾絞りにしたりと、仕上げ方法はさまざまです。

(注)餅を薄く伸ばして白焼きし、粒子の細かい粉にしたもの。
製法
つくね芋
つくね芋は山芋の一種です。とらやの薯蕷製の菓子には、芋の風味が強く適度にコシがある石川県産のつくね芋を用いています。丸くゴツゴツした芋の皮をむき、すりおろして菓子に使用します。
原材料
和三盆糖(わさんぼんとう)
和三盆糖は、「竹糖(ちくとう)」と呼ばれるサトウキビを原材料に徳島県、香川県の一部で生産される、日本独特の砂糖で、さらりとした口どけと上品な風味が特徴です。その名は盆の上で三度研ぐ(手で練る)ことに由来するともいわれています。とらやでは昔ながらの製法でつくられている徳島県・岡田製糖所製の和三盆糖を使用しています。
原材料
白小豆(しろあずき)
白小豆は気候に左右されやすく生産量が限られている希少原材料です。種まきから収穫までほぼ手作業で栽培されます。とらやで使用している白小豆の主な生産地は、群馬県と茨城県。すべて契約栽培で、独自の品種です。とらやの白小豆栽培の歴史は古く、昭和2年(1927)、15代店主・黒川武雄が群馬県の利根郡農会(農協の前身)へ栽培を委託したことに始まります。
原材料
小豆
小豆は和菓子のいのちである餡の質を左右する大切な原材料です。とらやでは、北海道十勝産の「エリモショウズ」という品種を使用。北海道は国内最大の小豆の生産地で、特に十勝は昼夜の気温差が大きいため、風味が豊かで、色艶、舌触りの良い上質な小豆が育ちます。
原材料
羊羹
「羊羹」の「羹」は訓読みで「あつもの」、つまり、とろみのある汁物を指します。中国では「羊羹」は羊の肉を使ったスープのことだったのです。日本には、鎌倉~室町時代に中国に留学した禅僧によって「点心(てんじん)」(食事と食事の間に食べる小食)の一つとしてもたらされました。しかし、禅僧は肉食が禁じられていたため、小豆や小麦粉、葛粉などの植物性の材料を使い、羊肉に見立てた料理がつくられたと考えられています。時代とともに甘みが加わり、蒸羊羹が誕生、江戸時代後期(1800年頃)には、現在の主流である、寒天を用いた煉羊羹がつくられるようになりました。
歴史
小形羊羹
小形羊羹は、15代店主・黒川武雄が考案したものです。大正時代、六大学の野球をよく観に行っていた武雄は、観戦の帰り道にいつも、「こんなに大勢の人にたやすく買ってもらえるお菓子をつくりたい」と考えていました。そんな折、たまたまフランスのコティ社の香水をもらい、化粧箱の大きさや洒落たデザインを見て「これだ!」と思いつきました。こうして、昭和5年(1930)、『夜の梅』と『おもかげ』を一本ずつアルミ箔に包んで、小さな箱に入れた小形羊羹が誕生。香水から想を得ただけあって、清楚でありながら、どこか華やかさもあるパッケージでした。
※現在の形で販売するようになったのは平成20年(2008)のことです。

詳しい誕生秘話は、「歴史上の人物と和菓子」の『黒川武雄と小形羊羹』をご覧ください。
歴史
黒砂糖
独特の風味が特徴の黒砂糖は、サトウキビの絞り汁を煮詰めてつくったもので、ミネラル成分が多く含まれています。とらやでは、「沖縄黒糖」(注)のひとつで、丸みのあるやさしい味が特徴の西表島(いりおもてじま)産の黒砂糖を使用。定番羊羹の『おもかげ』をはじめ、さまざまな菓子に使われています。

(注)沖縄の8つの島(西表島・与那国島・小浜島・波照間島・伊平屋島・粟国島・多良間島、伊江島)で、サトウキビ100%で作られる黒糖を指す。
原材料
寒天
羊羹に欠かせない寒天は、天草(てんぐさ)などの海藻を原材料とした日本の伝統食品です。とらやで使用する天然の糸寒天は、雨や雪が少ない寒冷な山間地である長野県伊那地方・岐阜県恵那地方の指定工場にて、昔ながらの製法でつくられています。特性が異なるいくつかの種類の海藻をブレンドし、とらやが指定する品質(粘度等)に仕上げていただいています。
原材料
道明寺(どうみょうじ)製
道明寺製とは、道明寺粉(注)を使った生地を指します。道明寺粉に上白糖を加え蒸した生地で餡を包んだ道明寺饅頭や、寒天を加え型に流した夏向きの涼しげな道明寺羹など、さまざまな表情を持っています。

(注)もち米を蒸した後乾燥させ、粗挽きしたもの。
製法
薯蕷(じょうよ)製
薯蕷製とは、つくね芋を使った生地を指します。芋のほのかな香りと、しっとりとした食感が特徴です。とろろ状にすりおろした芋に上用粉(じょうようこ)(注)と上白糖を少しずつもみ込み、芋のこしを切るように力強くもむことで、ふくらし粉を使わなくても、やわらかい食感になります。この生地で餡を包み、蒸しあげると、真っ白な薯蕷饅頭のできあがりです。

(注)うるち米から作られる粒子の細かい粉。
製法
きんとん製
きんとん製とは、餡玉を煉切(注1)や求肥(注2)で包み、そのまわりに網でこしてそぼろ状にした餡をつけた菓子をいいます。そぼろ餡が潰れないように、餡玉は手で持たず台の上に置き、箸でふんわりとつけていきます。切ると美しい断面が現れます。

(注1)餡に求肥や山芋などを加えて煉りあげたもの。とらやでは求肥を使用。
(注2)水溶きした白玉粉を蒸し、火を入れながら砂糖蜜を加えて煉りあげたもの。
製法