ゆとり世代の批判が止まらないことに最近悩んでいるゆうゆです。
またゆとり世代から大人に対しての批判が起こることにも憤りを感じています。
ゆとりVS大人の構図は本当に正しいと思いますか?
大人からゆとり世代に対しての批判は?
◆打たれ弱い
◆言われたことしかやらない
◆プライベート優先
◆教養が無さすぎる
◆社会をなめている など・・・
確かに僕たちゆとり世代にはこのような特徴が見られる場面も多いです。
実際僕の知人にも「アルバイト面倒だからバックれちゃえ♪」と信じられない言葉を発する方もいました。
どう考えても社会をなめていますよね。
それに僕自身も「言われたことしかやらない」ということには十分に心当たりがありますし打たれ弱いのも事実です。
ゆとり世代から大人に対しての批判は?
◆ゆとり教育を始めたのは大人だ
◆好きでゆとり世代になった訳ではない
◆大人でも常識の無い人はいるじゃないか
◆ゆとり世代と一括りにされたくない など・・・
事実僕らゆとり世代は望んでその教育を受けた訳ではないですし実際大人でも目に余る行動をする人はたくさんいると思います。
そのことを認めようとしない、もしくは「それとこれとは話が別だ!」と話を逸らすことへの怒りも含まれています。
また「これだからゆとり世代は!」というように一括りにされ注意とも教育とも取れぬその言葉に不満を感じています。
これらは正直僕も例外ではありません。
この2つは論点がズレている。
大人からゆとり世代への批判は基本的には能力や常識などの社会的成熟度の低さへの不満ですね。
ゆとり世代から大人への不満は叱り方や言い方などの気遣いの無さや理不尽への不満が多いです。
この2つの思想で討論されているのはおかしいと思いませんか?
ではなぜ論点がズレてしまったのでしょうか。
それはお互いがお互いを批判しているうちに、相手の悪い部分を見つけてその言葉で相手の批判へ対抗しようとした結果です。
とても哀れだと思います。
批判し合う必要は無いじゃないか!
そもそもなぜ批判し合うのか。
その理油の根本は相手の成長を望んでいるからです。
大人たちからすれば、ゆとり世代の僕らが色々な意味で先輩である大人に対し成長を望むのはおかしい!と思うかもしれません。
しかし聞いてください。
僕らが大人に望むのは、僕らにできないことを望んでいるのです。決して上から目線で言っているわけではありません。
尊敬する上司として、人生の大先輩として僕らが到底思いつかないような考えを聞かせてください。
ただ「ゆとり世代」と罵るだけではなくそういった考えを持って欲しいという意味で成長という言葉使いました。
それを望むからには僕らゆとり世代も大人の想像以上に努力し成長しなければなりません。
いつまでも、大人が勝手に「ゆとり教育」を実施したんじゃないかと言っていられません。
「ゆとり教育」を実施したのは大人ですが積極的に勉強しなかったのは僕らです。
いつまでも変わらぬままでは大人たちは怒って当然です。僕らから変わるくらいの意気込みを持ちましょう。
以上から批判が必要ないことがわかりますか?
互いが互いを尊重し相手を不快にさせないように努力すれば良いだけなのです。
まとめ
ゆとりVS大人では何も解決はしません。そもそも協力し合うべき立場なのですから。
互いに協力・尊重し合い会社や世の中を良くする方向に視点を向ける方がよっぽど有意義ですよね!
そんな世の中が来ると信じていますし、そのようになるために努力したいと思っています。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。