参院選の主な政党の選挙公約が出そろった。どんな政策を、どんな優先順位でめざすのか。有権者との「契約書」だ。

 だがその作られ方、内容を見るにつけ、「契約書」の名に値するか、疑問がぬぐえない。

 例えば政権与党の自民党だ。

 安倍首相が消費増税の再延期を表明した翌日に、政府が介護・子育て支援の拡充など「1億総活躍プラン」を閣議決定。その翌日、プランの具体策を盛り込んだ公約を発表した。

 驚くのは、以前から強調してきた社会保障事業がずらりと並んでいることだ。

 増税延期によって、国・地方をあわせて年に4兆円を超える税収が見込めなくなる。どう穴埋めするのかと思ったら、公約には「赤字国債に頼ることなく安定財源を確保して」とある。

 社会保障と税の一体改革のメニューについて、首相も「すべてを行うことはできない」と明言した。ならば何を残し、何をやめるのか。具体的な項目は選挙後に先送りしてしまった。

 一方、民進党は増税を延期しても一体改革による社会保障の充実策は予定通りに実施するとしたほか、保育士らの月給5万円引き上げや給付型奨学金の創設も掲げた。

 財源は行財政改革などで捻出し、不足した場合には国債でまかなうと言うが、それが責任ある姿勢なのか疑問が残る。

 自民、民進両党の公約のもうひとつの特徴は「推進します」「全力で取り組みます」といった表現の多さだ。どこまで実現すれば、公約を果たしたことになるのかわからない。

 政策を裏付ける財源や達成時期を明記し、実行し、検証して改善する。それを有権者が評価のモノサシに使う。それが公約の意義である。

 21世紀になり、民主党が数値目標や工程表を示した「マニフェスト」をつくり、公約は進化したと言われた。

 だが09年総選挙で、民主党は予算の見直しなどで16・8兆円の財源を確保するというバラ色の公約を掲げて政権交代を果たし、破綻(はたん)し、批判を浴びた。それ以後、各党の公約は再び、目を引く政策を並べた希望リストに先祖返りしたかのようだ。

 財政には限りがあり、政治の取り得る選択肢は多くはない。

 そんな時代の政党の公約にとって死活的に重要なのは、何を実現し、その代わり何はあきらめるのか、政策の優先順位を示すことにほかならない。

 投票日まで、各党には公約の物足りなさを埋めるような具体的な論戦を求める。