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 沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、4月8~17日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。

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■1945年4月8日@東京

 午後5時。ラジオから久しぶりに軍艦マーチが流れた。大本営は、初の戦艦特攻で米空母など15隻を撃沈と発表。作家の海野十三は「敵艦船は遂(つい)に沖縄本島の周辺から逃げだしたとある(略)決戦の決をみるのも、もうわずかの後に迫った」と翌日の日記に書いた。

■4月9日@首里

 第32軍司令部が命令を発した。「爾今(じこん)、軍人軍属を問わず、標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間諜(かんちょう=スパイ)とみなし処分す」。ウー、ワカヤビタン……ヤシガ ヌーンチガヤー?(はい、わかりました……でもなぜ?)機密漏洩(ろうえい)に疑心暗鬼になった結果だった。

■4月10日@豊見城

 持久戦か攻勢か。八原博通作戦主任と長勇参謀長は反目していた。驚くべきことに、その雰囲気は前線にも伝わっていた。「司令部内の対立が伝えられてくる」と野村正起一等兵は日記に残す。「この対蹠的(たいしょうてき)なコンビで第32軍は果たしてどのように戦っていくのであろう」