舛添都知事辞職 苦い経験を次に生かせ
ほぼ全会派から不信任決議案が提出されるという前代未聞の事態の末の退場だ。舛添要一東京都知事が辞職願を提出し、議会も同意した。
家族同伴のホテル代に政治資金を充てるなど、公私混同ぶりが相次ぎ、説明責任すら果たさなかったのだから辞職は当然だ。
就任から2年4カ月での辞職だ。混乱が都政にもたらした弊害は大きい。都議会与党だった自民、公明両党も責任を重く受け止めるべきだ。
土壇場での対応は見苦しかった。
知事の資質を欠いた
舛添氏は、今辞職すればリオデジャネイロ五輪・パラリンピックと選挙が重なることを理由に、不信任案の提出を待つよう議会に要請した。だが、信頼を失った知事が国際舞台に登場することの方がむしろ東京の不利益になる。
舛添氏は2014年2月の都知事選で、211万票を得て圧勝した。当時の猪瀬直樹都知事が、医療法人から5000万円を受け取っていた問題で辞職したことを受けたものだ。2代続けて知事が政治とカネの問題で辞職を余儀なくされた。
舛添氏はクリーンイメージに加え、政策通で介護問題など社会保障にも明るいとして、都民は都政再建に期待を込めたはずだ。
だが、週刊文春の報道に端を発した一連の疑惑は「公と私」の区別に対する感覚がいかに世間とかけ離れているかを浮き彫りにした。
舛添氏は、公用車で神奈川県湯河原町の別荘にひんぱんに通っていた。だが、公用車を「動く知事室」とたとえ自らの行動を正当化した。さらに海外出張時のスイートルーム利用も「要人との急な面会に備えて」と強弁し、都民の不信を招いた。
その後、ネットオークションでの美術品購入など、自ら依頼した弁護士の調査でも不適切とされた公私混同が次々と明らかになった。
舛添氏は第三者の調査を口実に、都民への説明から逃げた。その弁護士による調査も、主眼は「違法性はない」とのお墨付きを得て、続投する狙いにあったと思われる。
こうした問題はテレビのワイドショーでも取り上げられ、劇場化した側面があるのは確かだ。だが、多くの人が怒りを増幅させた真の原因は、ことを甘くとらえ、開き直った舛添氏にある。
自民、公明両党は、知事の公私混同問題が浮上した当初、責任を追及する姿勢に乏しかった。とりわけ自民党は集中審議の開催にも煮え切らない態度をとり続けた。
ところが、国民の関心が高まり、与党にも火の粉が降り注ぎそうになると対応を一変させた。参院選にも影響しかねないとの空気が自民党本部に広がり、収拾に走った。
ただし、自民党が政治とカネをめぐる問題を本気で正そうとしているのかどうか疑問だ。口利き疑惑で辞任に追い込まれた甘利明前経済再生担当相は国会を長期間、欠席していたが、先月末に東京地検特捜部が不起訴処分にすると、さっそく活動を再開した。自民党は甘利氏の問題についても厳しく臨むべきだ。
政治資金の使い道に法律上制約はない。これがルーズな使用の温床となっている。とりわけ税金が原資の政党交付金は厳しくチェックされるべきである。国民の政治不信を招く制度の改善策について、与野党で議論を深めるべきだ。
人気投票から脱却を
舛添氏の後継を選ぶ都知事選は参院選後の7月下旬か8月上旬に予定される。11年4月に石原慎太郎氏が4選されて以来、5年半で都政の顔選びが4回行われる異例の事態だ。
20年の東京五輪への対応はもちろん、さまざまな課題で都政の立て直しを迫られる。人口1360万人の首都の顔でもある都知事の役割は大きい。首都直下型地震などの危機に備えた防災対策の取りまとめや、国の経済戦略と連動した中枢機能整備などの担い手でもある。
舛添都政が欠点だらけだったわけではない。石原都政の負の遺産だった新銀行東京の他行との経営統合を成し遂げ、障害者雇用や五輪施設の建設費圧縮でも実績を残した。韓国を訪問して朴槿恵大統領と会談するなど都市外交にも積極的だった。
1995年に作家の青島幸男知事が当選して以来、都知事選は知名度が決め手となり、政党が主導できない状態が続く。かつて自民党を離党した舛添氏を自公両党が支援したのもその知名度を頼ったためだろう。
だが、今回の混乱劇は、知名度競争選挙の苦い教訓になった。
人気投票に終わらせず、どんな知事を後継で選ぶべきだろうか。
2代続けて都知事が政治とカネで失脚した経緯を踏まえれば、政治とカネにクリーンで、公私の区別に厳しいことは最低限の条件となる。
そのうえで、全国の自治体の中でも突出した巨額の予算を扱うに足るリーダーシップが求められる。20年五輪開催都市のトップとしての国際感覚、都市計画や社会保障など、構想力が欠かせない。一方で、舛添氏の失敗は、市民が疑問に思うことをきちんと判断できる感受性の大切さも痛感させた。
政党は今度こそ慎重に、重責にたえる人材を有権者に示すべきだ。