今やインターネットを見れば、いかに創価学会によって被害を受けている人が多いかという現状がよく分かります。
それは私自身が同じような思いを抱いてきたからこそよく分かるのです。
しかし、創価学会と直接関わりのない第三者の中には、この現状がよく分からない人もいるようです。
ネット上にあふれる創価批判を見て、創価学会を批判・攻撃している側こそ異常だと書いているブログを先日見ました。
このブログ主は学会員なのか学会部外者なのか当人もあいまいにしか書いてないのでよく分からないのですが、ブログを読んだ印象としては部外者のようにも思えます。
このブログ主を部外者として仮定して書くならば、当人は直接学会から被害を受けたことがないからそういうのんきなことが言えるのではないでしょうか。
創価を批判・攻撃している側こそ異常だと書いてますが、創価がそれだけ批判されるだけのことをしているからこそ批判されているわけです。
批判されるようなことをしている創価を問題視しないで、批判している側を問題視している考え方こそ問題だと思いますよ。
もちろん、創価批判している人の中には遊び半分の暇つぶしの人もいるかもしれません。
しかし、そういう直接創価から被害を受けたことのない暇つぶしの人は、すぐ飽きてしまい、いつまでもそれに関わることはありません。
創価学会に対する批判がいつまでも続くのは、創価にこそ問題があるからであり、今もその創価によって被害に遭っている人がいるからです。
そこのところを考えるべきでしょう。
創価の実態をよく知らない 外部の第三者に、いかにもよく分かっているかのような調子で創価問題について書いてもらいたくない、というのが私の考えです。
また、このブログ主はその記事を見る限り、創価学会を積極的に擁護しているわけではないですが、しかし、創価批判している側を批判することによって間接的に創価を擁護していることになります。
私が危惧するのは、このブログ主のような外部の第三者による間接的に創価擁護しているブログ記事などを「世間では創価学会についてこういう見方をしている」と、創価から利用されるかもしれないということです。
そしてネット上で不当に非難中傷されていると、さも被害者は我々の方だと主張することでしょう。
これまでも創価は「我々は謂れ無き非難中傷を浴び迫害されてきた。それはひとえに我が創価学会が正しい宗教だからである」などと屁理屈を言って自分たちの悪行を正当化してきたことでもわかります。
創価批判を「異常だ」と批判している外部の第三者は当人にそのつもりはなくても、創価の擁護をしていることになるのです。
そういう点を踏まえて、外部の第三者にはブログ記事など書く場合は、慎重な発言をしてもらいたいものです。