ルイです。
金なし覇気なし男なしのアラサーです。
人生の袋小路とはまさにこのこと。
いつか脱出できる日が来るのか心配な限りです。
この年代になると「友達の結婚式ラッシュ」という恐ろしいイベントがありますよね。
あれですか?今はジューンブライドってやつですか?梅雨だというのにご苦労様です。
招待状が届くたびわたしは頭を抱えてうめき声をあげています。
もうやめて!メンヘラのHPは0よ!
「病めるときも健やかなるときも」って重くない?
アラサーの凶悪兵器「結婚式」ですが、わたしもこれまでいくつかの結婚式に出席してきました。
披露宴だけではなく結婚式から参加したものもあります。
結婚式って、荘厳な雰囲気ですよねー。
神父さんがよく言う結婚式でも有名な言葉、
汝◯◯は、この女/男△△を妻/夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻/夫を想い、妻/夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?
(wikipedia「結婚式」より)
を聞くと、身が引き締まってしまいます。
病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで愛を誓い、想い、添う……結構な覚悟ですよね。結婚式を挙げるような人たちって、それほど強い気持ちを持ってお互い愛しあって結婚するのでしょうか。わたしにはいまいちピンときません。
「健やかなるときも辞めるときもずっと一緒にいる」って、相当しんどいことですよ。本当にみんなそんな覚悟を持って誓っているんですかねえ。わたしの周りは結婚してすぐ離婚した人たちが多いので、「重たい誓いを軽い覚悟でする人が多いんだなあ」と思いますね。
病めると人は離れます
うつになってしみじみと経験しました。病んだ人に対して人間は離れていきます。健康な時に近寄ってきた人たちは、簡単に消えていきます。逆に病むと近寄ってくる人間もいます。それはマルチ商法の勧誘だったり、人の心の弱っている部分を利用して利益を吸い取ろうとする悪者たちです。
友達だと思っていた人、恋人だと思っていた人、あっさり消えていきましたねー。しょせん「元気だったころに一緒に暇つぶしができる」存在でしかなかったんですね。
人間ってわかりやすいもんです。相手にメリットがある間は一緒にいてくれるんですが、足枷にしかならなくなった瞬間、驚くべき速度で消えていきます。
「だってルイちゃんうつ病でしょ?うつの人なんかと一緒にいたくないよ。だって遊んだって楽しくないし。そりゃ誘わないよ」面と向かって言われたこともあります。
彼ら彼女らが言うことは真実です。それにしたって厳しいお言葉です。自分の楽しみのために消費できない人間なら用済みってことでしょう。
病んだ人間に対して人とはこんなに冷たいものなのかと肌で感じました。
そう思うと結婚式の「病めるときも健やかなるときも~」ってすごい誓いだと思うのです。わたしみたいに病んでしまった人間相手でも、一生面倒見ます、って言ってるようなものですからね。本当に愛した人間相手なら、それを誓える覚悟があるのかな?
わたしは人への愛情が薄かったり人への猜疑心が非常に強かったり、常にフィルターをかけて人を見てしまう悪癖があるので、結婚に対しても穿った見方をしてしまいます。
もっと素直に人を好きになれたらいいんですけど…。
「別れるつもりで結婚なんかしないから」
知人夫婦が先日離婚しました。夫の不倫が原因でした。彼はプロポーズの際も、結婚の際も、「別れるつもりで結婚なんかしないから」と言い張りました。彼女はそれを信じ、短い結婚生活を過ごしました。「別れるつもりで結婚なんかしないから」と言い張った彼は、その舌の根も乾かないうちに不倫し、あっという間に別れました。
離婚の報告を聞いたとき、「やっぱりな」と思いました。彼は浮気者の遊び人だったので、「別れるつもりで結婚しない」という誓いもうすっぺらく聞こえたのです。
結婚していない人間のひがみと言えばそれまでです。それにしても、みんなどうしてそこまで簡単に結婚し、離婚できるんだろう、と不思議です。愛って儚いものですねえ。それとも私の方がおかしいんでしょうか。どっちかというと「私がおかしい」説が濃厚です。人間は誰かに恋をして結婚するのが当たり前らしいので。
もしわたしがラッキーにも結婚することができたなら、「病めるときも健やかなるときも」お互いを支えられる相手と結ばれたいものです。
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