「黒焦げの少年」身元判明か 長崎原爆 妹2人名乗り出て鑑定 「71年かかりやっと会えた」 [長崎県]
長崎原爆の写真調査を続ける長崎平和推進協会写真資料調査部会は13日、長崎原爆の投下翌日に爆心地近くで撮影された「黒焦げとなった少年」に写っている人物が、長崎市岡町の当時中学生の13歳、谷崎昭治さんの可能性があると発表した。昨夏、写真を見た谷崎さんの妹2人が「兄ではないか」と名乗り出たため、同会が専門家らに依頼し鑑定した。被爆から71年、原爆の悲惨さを世界に伝えてきた写真の少年が誰なのか、解明に近づいた。
写真は1945年8月10日、写真家の故山端庸介さんが撮影。故伊藤一長前長崎市長が95年、オランダ・ハーグの国際司法裁判所で写真を掲げて陳述し「この子たちに何の罪があるというのでしょう」と訴えたことで世界的に知られた。長崎原爆資料館でも常時展示されている。
被爆70年の昨年、谷崎さんの妹で長崎市大宮町の西川美代子さん(78)と同市住吉町の山口ケイさん(76)は長崎市であった原爆写真展を訪れ、写真を見るなり「兄ちゃんだ」と声を上げ、思わず2人でなでたという。引き延ばされた写真だったため、顔がはっきり確認でき、兄昭治さんの面影と重なったという。
主催した同部会の深堀好敏会長(87)が、昭治さんの生前の写真を基に、日本法医学会理事長の池田典昭・九州大大学院教授ら複数の専門家に調査を依頼。輪郭や目鼻立ちに矛盾がなく、同一人物の可能性があると鑑定された。
13日に記者会見した西川さんは「兄と信じていた。71年かかって、やっと(きょうだい)みんなで会えたという気持ち」と感慨を語った。
昭治さんは45年4月、実家の旧瀬戸町(現長崎県西海市)から下宿し、旧瓊浦中(長崎市竹の久保町)に進学。8月6日の広島原爆を受け、父の故己ノ作(みのさく)さんが帰省を促したが「9日に試験がある」と断り、原爆で亡くなったという。
=2016/06/13付 西日本新聞夕刊=