話は、今日の朝日新聞の「ひと」欄に載っていたシリア出身で日本に帰化し、東京で眼科のクリニックを開いた女性に始まります。
言葉の壁を乗り越え、日本で医者になるというのもすごいと思って読んでおりましたら、この方の育ての親(※ 彼女を連れて母親が再婚)というのが、シリアで獣医(家畜衛生)として40年も働き、5年前にその地に骨を埋めたという方でした。
名前を折田魏朗といい、鹿児島大学で獣医となり、日本獣医師会からの要請もあって、海外技術協力事業団(OTCA)の一員として奥さん(※前妻)とシリアに渡る。
今や内戦の混乱状態にある国ですが、日本の経済援助や日本製品の品質の高さもあってか、きわめて親日的な国だそうです。
然るに、この折田先生(※ 先生ですよ!)の業績もまた高く評価されているようです。
※ して、この方のことをいろいろ調べてみたのですが、いかんせん資料が少なく、毎日新聞jpの記事を参考にしております。(NHK・BSでも放映されたことがあるとか)
シリアも含めた西アジア一帯は、遊牧民が多く生息しております。
何というか・・・、あっし的には聖書の世界ですねえ。
彼らの生活は全て羊で成り立っていると言っても過言ではない?
折田先生は、そんな彼らの貴重な財産である羊のために日夜駆けずり回った。
その深い知識と熱心さは広く伝わり、隣国からも遊牧民がバスで大挙して教えを請いに来た(!)、とか。
しかるに、シリアに関して言えば長く続く紛争のニュースは時々目や耳にしておりましたが、こんな方がいたとはつゆ知らなかった!
車に大きく「ドクトル・ヤパーニ」(日本人医師)と書いて、紛争地域一帯にも家畜の治療に出かけ、この時は、彼の乗った車が通る時だけ銃撃戦が起こらなかったというエピソードまである。
大臣から八百屋のおじさん、遊牧民にも愛された
言ってみれば、よそ者、外国人でありながら、彼のシリアの人々のための努力と、情熱はもはや、思想や宗教、民族や国境まで越えて高く評価されたらしい。
後継者となる獣医も育て、その数は着任当時50人程度しかいなかったのが、今は80倍の4,000人(!)に。羊は三倍の1,400万頭に増えたとか。(※ こちらは、日本獣医師会誌に投稿された記事)
特攻隊で死のうと思っていた
拾った命。他人のために何かしたかった
この言葉には頭が下がりました。
その努力の甲斐があって、シリアの羊肉は中東でも抜群に旨い、とか。
遊牧民(ベドウィン)から、「神様」とさえ呼ばれていたという折田先生。
その遺言どおり、今はその生涯をかけたシリアの地に眠っているそうです。
いろんな生き方、人生がありますが、そしてその苦労も並大抵のことではなかったと思いますが、あっしが深く敬意を表したい方の一人であります。 |
この記事に
素敵な方ですね。知らない土地に行くのは同じ国内でさえも
難しいと思います。住めば都といいますが、土地の人から愛されるのは大変なことでしょうね。
私もいつか 終の棲家で その土地の人になりたいです。
どこが私の最後の場所になるか? 運命の人のいる所へ
2013/6/17(月) 午後 10:25 [ ferini815 ] 返信する
「置かれた場所で咲きなさい」− 渡辺和子。
どこだっていいと思います。
置かれた場所に根をおろせばいい。
2013/6/17(月) 午後 10:32 [ ねずみ男 ] 返信する
置かれた場所で咲きなさい この言葉を胸にしまっておきます。
花に生まれたかった ひっそりと強く そこに咲く花
人間はいや と思った時もありますが、この言葉のように
人が教えてくれる ねずみ男さんは百科事典のようです
2013/6/17(月) 午後 10:41 [ ferini815 ] 返信する