読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うつのキセキ。

うつで休職した会社員が社会復帰をめざして奮闘したりぼやいたりするブログ。

なぜわたしは小さな頃から「生きづらさ」を抱えているのだろうか。

雑記

  スポンサーリンク

f:id:deperessionnote:20160601141223j:plain

ルイです。

うつ病です。ひきこもりです。休職中です。三重苦です。

そんなわたしでも、うつ病になる前はまともに働いていました。

社会人として普通に生活していました。

相対的に見れば順調な社会人生活を送れていたと思います。

だけど、わたしは小さなころから自分の存在に不自然さを抱えていました。

率直に言えば「生きづらさ」を感じていました。

なんとなく「自分はまわりとは違う」気がしていた

うつ病になる前から自分の存在に違和感がありました。

近所の子と遊んでいても、なんとなく、「違う」感じがするんですよね。

友達が少ないとか、いじめられた、とかそういうエピソードはなかったんですけど、「私ってほかの子たちとなんか違うのかもしれない」という感覚が昔からありました。それがなぜなのかは自分でもわからないんですけど…。

 

見た目とか、考えていることとか、話すこととか、いつも「周りとずれている」ような気がしました。たぶん大人たちからは相当変な子供だと思われていたでしょう。こんな変な子供を育てる親の苦労は大きかったんではないでしょうか。

「普通の子ども」がなんなのかはよくわかりません。だけど、わたしはいつも自分が「普通の子ども」ではないんだろうな、と思っていました。周りになじむのが苦手でしたし、人見知りは極端にありましたし(大人になってからようやく治しました)、スポーツや細かい動きも苦手。あと注意力散漫。

 

授業なんかほとんど聞いていませんでした。授業を聞いているのが時間の無駄だと思っていたので、勉強はいつも一人で勝手にやっていました。内職していると先生に「前を向いて授業を聞きなさい!」と怒られるのですが、前を向いて話を聞いていても、つまらなくて仕方ないのです。

あまりにもつまらないので前を向いたまま寝ていたら「真面目に聞け!」と今度は教科書の角で頭を叩かれました。つまらない授業をする方が悪いんじゃん!勉強は自分でしているんだから暴力ふるわないでよ!てかわたし叩くなら後ろで騒いでるあいつら先にしばいてこいよ!

そんなことを言ったところで「なんだこの変なこと言うガキ」と睨まれてさらに絡まれるのは予測されたので、仕方なく授業を聞いているふりをすることにしました。わたしは高校までの授業は嫌いです。ためになった!と感じる授業をしてくれた先生なんてほとんどいません。みんな教科書のうわっつらを読み上げてるだけ。

教科書の内容はわかってるから、もっとそこを深堀りして生徒の興味が出るようなことを言えばいいのに。もしくは受験に役立つようなポイントを強調してくれたらいいのに。

そう思いながら授業を聞いていたので、はっきり言って学校は好きじゃなかったです。「授業を聞く」なんて気はさらさらなかった。「授業をBGMにしながら自分で勉強をする」のが一番はかどりました。

うちはお金がないので公立学校に通っていましたが、私立の学校だとまた教育体制が違うのでしょうか?良い先生がそろっているのでしょうか?

 

授業関係で「つまんねーな」って思うのにつれ、自分は学校になじまない変な人間なんだなーってことも自覚していきました。文化祭も体育祭もつまんねーよー。運動音痴に体育祭とか地獄だよー。文化祭のダンスはみんなといつもワンテンポずれるよー。怒られるよつらいよー。

とにかく、なんかしらいつも「自分はおかしい」という気持ちを抱えていました。世の中の人たちはこういう気持ちを抱いたりはしないのでしょうか?ちなみにうつになった今でももちろん、「自分はちょっと変」という自覚はあります。永遠の中二病なのでしょうか。

 

わたしは発達障害なのかな?

とにかく世間ずれしている、いつも他人の見よう見まねをして、どうにか「変なやつ」だと思われないように偽装している。これがわたしの生き方です。

正直、変な生き方をしてきたなあと思います。もっと自分らしくふるまってもいいんだよ、とカウンセラーの方に言われたことがあるんですが、「自分らしさ」というものが、わたしはよくわからないのです。人マネをしたり「これは変な子供だと言われるからやめよう」と自分の中でフタをしたりしてきた部分が多すぎて、どれが本当の自分らしい振る舞いなのか判断がつかないのです。

大学時代、ネットサーフィンをしていて「発達障害」という言葉を知りました。アスペルガー症候群ADHD自閉症スペクトラム、LD……いろいろなカテゴリーがあることを知りました。その中に自分が該当している気がして、セルフチェックを受けたことがあります。

セルフチェックでは発達障害には該当しませんでした。思い切って精神科に診断をお願いしたこともあります。それでも「20歳前後までの精神的に未熟な状態なら、発達障害に類似する行動がみられるのは一般的なこと。今あなたから聞いたことだけでは、あなたはこういう発達障害に該当しますよ、とは断言できません」とのことで、特に結論は出ませんでした。

人間の成長過程で、他人の行動をマネしたり、自分の欠点を改めたりするのはよくあること。だから、ネットで書かれている症状が当てはまるからといって、自分が発達障害であると思い込む必要はない、とのことでした。

 

正直、今でも自分がなんらかの発達障害に該当しているのじゃないか?って疑いがあります。この記事へのブコメで「発達障害の可能性はありませんか?」とのご意見がありました。わたしもその可能性は否定できません。なんか知らんけど、いつも生きづらいんです。人の輪の中にいると、窮屈で仕方ないんですよね。

www.depressionnote.com

 

「生きづらさ」と決別したい

べつに発達障害だと診断されたいわけではありません。発達障害であろうとなかろうと、これまで過ごしてきた人生の価値は変わりませんし、わたしが「変なやつだと思われないようにしよう」と積み重ねてきた努力は無駄にはなりません。今までの自分の人生を肯定したい気持ちは変わりません。

ただ、それにしてもわたしは昔から「生きづらい」と感じて育ってきた子どもだったなあ、と最近思うのです。うつになってから感じたならともかく、物心ついたころから、「自分は世間とずれた存在だから、はぐれものにならないようにしなきゃ、しなきゃ」って焦っていた記憶があります。世の中で一般的に生きている人たちって、こんな気持ちを抱えていたりはしないんでしょうか。わたしが考えすぎてるだけでしょうか。

とりあえず、やるべきことはこれからのことです。わたしはまっとうに生きていきたいです。億万長者のような大成功はいらないし、かといって「病気」の名の下に努力を放棄したいわけでもないです。

この先の生活のために、どうすればこの「生きづらい」感覚を修正できるのかなあ、と、模索中です。同じように考えている方はいらっしゃいませんか…?

もうちょっとラクに、生きていけるようになりたいです。

  スポンサーリンク