修道高等学校1960年卒業/広島大学政経学部(現 法学部・経済学部)卒業/
広島ガス株式会社代表取締役会長/広島商工会議所会頭/
修道学園(中・高)同窓会会長
深山 英樹 さん
修道中学校・修道高等学校に籍を置いた6年間で得たもので、今も私の中に生きているものは、人に対する時に自分を飾らず、まっすぐな気持ちで相手と向き合う姿勢です。男子校ならではのざっくばらんな友人関係、そして修道ならではの自由な校風の下で培われたものでしょう。女子生徒がいたらきっと格好をつけてしまっていたでしょうね(笑)。
私は現在、広島ガス株式会社の経営を預かり、また広島商工会議所の会頭という公職を務めていますが、修道で得た、相手と真の信頼関係を築く力があったればこそだと思っています。逆にいえば、裏表を使い分けることは苦手なわけです。例えば、時に自分を大きく見せる必要に迫られる政治家などに修道出身者が比較的少ないのは、このあたりが影響しているのかもしれませんね。
私は仁保小学校から修道中学校へ進学したのですが、中学受験を意識し始めたのは、5年生の頃だったでしょうか。当時の修道の制服は木綿生地で、上着の袖には白線を巻いていました。スマートというよりもバンカラな感じで、そんな雰囲気に憧れを抱いていましたね。
修道時代は人間性のすばらしい先生方に出会いました。当時のことですから、原爆や特攻隊などそれぞれに重い戦争体験のある先生ばかりなのですが、そうした人生の大きな出来事を踏まえて、私達生徒の糧となる多くの話をしてくださいました。また運動会の仮装行列など、学校行事の楽しさも良い思い出です。班活動では、中学時代は剣道、高校ではヨット部に所属していました。中古のヨットを買って、宇品の沖へ出て練習していましたよ。国体に出場した先輩もいらっしゃいました。
卒業後は地元・広島大学の政経学部(現在の法学部・経済学部の前身)へ進みました。私は8人兄弟で、男兄弟の中では末っ子だったのですが、兄達が病気や原爆で皆若くして命を落としてしまったため、私が唯一の男子として実家のある広島にいる必要があったのです。就職も広島ですから、それから50年以上、海外出張などを含めても10日以上は広島を空けたことがないほど、生粋の広島人ですね。
修道は、校歌にも「知徳併進経(たて)となり 質実剛健緯(ぬき)となる」とある通り、学業と人間性の両方を磨き、そして飾らず誠実な人間であることを求められる学校です。そんな人間が集う学校ですから、困った時に助け合い、仲間を思いやる気持ちの強い同窓会があります。面識がない間柄でも修道の出身だとわかると一気に打ち解け、何とか力になりたいという思いが湧いてくるわけです。
また、私は赤バッジですが、学年色の同じ仲間には一段と強い思いがありますね。修道生である皆さんには、社会の各界に仲間の心強いネットワークとバックアップがあるのです。
藩学以来300年近くもの歴史を誇る学校の生徒である誇りを胸に、真摯な人間性と雑草のようなたくましさを持ち、時には先輩達の力も借りながら、社会に有為な人を目指してほしいと思います。