森達也監督15年ぶりのドキュメンタリー映画
佐村河内守“主演”の『FAKE』を語り尽くす。
森達也監督が15年ぶりに撮った映画『FAKE』(現在公開中)は、2014年に“ゴーストライター騒動”で世間の注目を浴びた佐村河内守氏を追ったドキュメンタリー。ドキュメンタリー映画が大好きなミュージシャンの岡村ちゃんこと岡村靖幸氏、ドキュメンタリーを方法論に映画やテレビで活躍する松江哲明監督が、『FAKE』をじっくり語り合いました。前編はこちらからどうぞ。
(*少々内容に踏み込んでいます。観る前に読むか、観てから読むかはアナタ次第!)
©2016「Fake」製作委員会
圧倒的な猫の存在感にノックアウト。
岡村 この映画で何が素晴らしかったって、猫ですよね。佐村河内夫妻が飼っているあの猫の存在感たるや(笑)。
松江 そう。猫はすごかった(笑)。
岡村 よくあんなにいい猫の映像を撮れたなと感心しますね。
松江 岡村さんはさっき、「ドキュメンタリーは神の視点」と言いましたけれど、この映画はあの猫の視点だと思いますね。
岡村 ああ、確かに! そうだ、猫の視点の映画だ。言われればそうですね。
松江 猫を撮影した時間軸はバラバラだと思うんですが、何か出来事が起こり、人間たちがワチャワチャしたあとに、猫の映像がスッと入る。あれが効いてるんです。
岡村 めちゃめちゃ効いてます。
松江 僕もああいう編集は大好きなんです。事件が起こってワチャワチャしているときに、ふっと花や動物を撮る。すると、「なにやってんの、この人たち」っていう、引いた視点ができるんです。だから今回も、猫の映像で我に返す、そういう効果があるんです。
岡村 あ〜、なるほど。ただね、僕は森さんのドキュメンタリーはほぼ観ているし、著書も読んでいる、そういった「森さんのカンジ」はわかっているつもりなんですが、そうではない人たちがこの作品に触れると、森さんがある種の正義を主張していると思うかもしれないですよね。
松江 森さんはもともとテレビの人だから、メディアへの不信感、危機感はずっとあって、それは今回もそうなんです。でも僕は、森さんのセンチメンタリズムがすごく好きで、今回はそれが出ているなと思うんです。最初に僕が、「タイトルだけは変えたほうがいい」っていうメールを送ったあと、「じゃあ、こういうのはどう?」って返してきたのが、「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」。サンボマスターの曲名だったんです。「それは違うと思います」って僕は返しましたけど(笑)。
岡村 面白いなあ(笑)。
松江 森さんはそういう人なんです。やっぱそこなんだなと思いました。メディアに対する不信感、そして小さな愛。ものすごくセンチメンタル。『A』や『A2』のあと、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(03年)という本を出したのもそう。9.11のテロのあとにそのタイトルをつけたと森さんは言っていましたけれど、森さんってやっぱり、すごくロマンチックで、そういう部分は本当に素敵だと僕は思うんです。
©2016「Fake」製作委員会
森達也だけには撮られたくない!?
岡村 新垣さんとか、疑惑を告発したジャーナリストの人とか、森さんは取材したいと会いに行くけれど、軒並み断られるじゃないですか。あれは、どうしてだったんでしょう。
松江 そりゃ、森さんに撮られるのはみんなイヤですよ。僕だってイヤです。
岡村 あはははは(笑)。僕は森さんとはお会いしたことがないですし、作品は全部大好きなんですけど、確かにそうかも。
松江 森さんに撮られて、容赦ないこと聞かれて、みんなイヤです、それは。
岡村 だけど、新垣さんは、拒否することで世間にマイナスイメージが生まれかねませんか? 森さんとしても新垣さんに拒否をされて、映画的にはそれでよかったんですか?
松江 たぶん、「断った」という事実が撮れれば、それはそれで森さんにとってはいいんです。新垣さんにとっても、取材を受けたら受けたでもっとダメージを受けますから。マイナスなイメージなんて微々たるもの。出ちゃったら、それこそ『ボウリング・フォー・コロンバイン』(02年)になっちゃいます。マイケル・ムーアにフルボッコにされるチャールストン・ヘストン状態です。だから森さんは、新垣さんが断ったという時点で、「ああ、そういうことか」とわかっているんです。
岡村 つまり、新垣さんは森さんの追究を受けたくなかったんだと。
松江 やましい部分を突かれたくなかったんだろうと思います。いまの社会って、面白キャラになったもの勝ちなんです。新垣さんもキャラになったことで、あやふやなものが全部チャラになって、本質を解決しないまま行けてしまった。だから、『FAKE』に出てあらためて真実を明らかにするより、あやふやなまま、自分のキャラクターを維持するほうが、いまのこの社会では勝ち組なんです。それがたぶん、いまのこの国なんですよね。
©2016「Fake」製作委員会
ドキュメンタリーがフォーカスするのは人間の面白さ。
岡村 あとはやっぱり、この対談ではネタバレになっちゃうんで話し難いんですけど、 “ラストシーン”について話をしたいんですが。
松江 この映画を観終えたあとは、あのシーンにどれだけ感動したか、というのが話の焦点になりますからね。まず、基本的に、ああいうシーンを撮るときは、映画のいちばんの盛り上がりになるわけですから、カット割りとかいろいろ考えるものなんです。でも、森さんはかなりダラッと撮っている。僕はあれは、森さんが本能にしたがって撮った画だと思うんです。森さん自身が感動してたからじゃないかなって。
岡村 そうなんだ! 徹頭徹尾、「嘘ついてません?」っていう目線で撮ってるのに?
松江 心底感動してたと思います。
岡村 なるほど。僕ね、猫、テレビ局の人、面白いシーンがいろいろとあったなかで、いちばん印象に残ったのは、実はケーキなんです。何か出来事が起こるたんびに、奥さんがケーキを買ってくるでしょ。何かが起こる、ケーキ、猫。何かが起こる、ケーキ、猫。何かが起こる、ケーキ、猫。それを最初からずっと伏線として刻んでいって、最後もケーキ。佐村河内さんが言うんです、「こんなに美味しいケーキは食べたことがない」って。
松江 うまいですよね、森さんは。
岡村 森さんって、『職業欄はエスパー』も『A』『A2』もそうだけど、ヘンテコリンな映像を引いた視点できちんと撮る人だと思うんです。それで観るものを惹き付けるというか。今回も、新垣さんは逃しても、ケーキは絶対に逃さないんだって(笑)。
松江 そうそう、そうなんですよ(笑)。
岡村 だから、ドキュメンタリーって、ジャーナリスティックな側面はもちろんあるんだけれど、なんだかよくわからない不思議なものを観てるぞっていう面白さ、それも大事だと思うんですよね。
松江 岡村さんの言ってることはまさにそう。僕もドキュメンタリーを撮る立場として、それはすごくそう思うんです。よく、「ドキュメンタリーなんだから、世の中の不正を暴いてくれ」と言われることがあるんですが、ドキュメンタリーと報道は違うんです。もちろん、報道の中にドキュメンタリーの要素はあるし、ドキュメンタリーの中にも報道の要素はある。でも、ドキュメンタリーがフォーカスすべきは、事件の経過や、真実か否かではない。人間なんです。そこに登場する人の人間味なんです。ドキュメンタリーは、人間の生々しさをいちばん撮りやすい手法だと僕は思っていて、ドキュメンタリーをやるのは、その人間味を観たいからなんです。僕が劇映画を撮らないのはそこなんです。役者に演技をつけて人間味を出してくれとやるんだったら、僕はそういう人を探して、ホントにそういう状況をつくり、人間味が出てしまうようにもっていく。僕の『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』(16年放送/テレビ東京)でいえば、伊藤沙莉さんと漫画家の大橋裕之さんに、カラオケで40分歌を唄わせて、最後に「キスしてください」と言ってしまう状況をつくるという(笑)。そこで出てくるプロレスっぽさが僕は好きなんです。
岡村 フィクションとノンフィクションのはざまにある“フェイクドキュメンタリー”が醸し出すプロレスっぽさ。
松江 そう。結局、人間味、人間臭さが観たいんです、僕は。そういうのが好きなんです。やっぱり僕はドキュメンタリーの人間だなって。
岡村 松江さんの『SAWADA』(12年)もそうですよね。ある映画監督が自殺した。彼は実在の人物で、亡くなったのも事実。で、彼と関係があったと称する女性たちがスナックに集まり、彼についての話をする。みんなすごく生々しい顔をしているから、彼女たちを観ていると、どこまでがフェイクでどこまでがリアルかがわからなくなってくるんです。
松江 女性たちは全員、演じてもらってる人たちなんです。
岡村 それはわかっているんだけど、なんだかものすごくドキドキしてしまう。あまりの生々しさに。松江さんとしては、ああいったドキュメンタリー手法を発展させ、『山田孝之の東京都北区赤羽』(15年放送/テレビ東京)や「おこだわり」といったフェイクドキュメンタリーにつなげているわけでしょ。
松江 僕、そういうのが好きなんです。映画ってやり出すとキリがないし、予算があるなら、いくらでも凝ることができる。でも、僕にとって重要なのはそういうことじゃない。ミニマムな予算で、いかにいままで観たことのないものが撮れるか。そこなんです。しかも、そういった人間味を追っていくと、劇映画では絶対に思いつかないシチュエーションが飛び出してくるんです。『FAKE』でいえば、豆乳のシーン。佐村河内さんは、奥さんが作ったハンバーグを目の前にしても、ずっと豆乳を飲んでるわけじゃないですか(笑)。
岡村 あれもものすごく印象に残るシーンなんですよねえ(笑)。
松江 さあこれから夕飯だ、っていうときに、豆乳。ああいうシーンを観ると、やっぱりドキュメンタリーがいちばん面白いなって。劇映画の台本で、「食事の前に豆乳を1リットル飲む」って書いても、役者は「意味がわかりません」って言いますよ。「演出意図を教えてください。監督、これってほんとに面白いんですか」って(笑)。でも、佐村河内さんは、そんなことはおかまいなしに飲むわけです。「豆乳が大好きですから」って。奥さんも「この人、毎日こうなんですよ」って。あれがものすごく面白いんです。
岡村 事実は小説より奇なり。頭ではああいう突飛なことは想像できませんもんね。
松江 もうひとつ言うと、あの空気感が許されるのが夫婦だなって僕は思うんです。だって、奥さんが一生懸命夕飯を作ってくれたのに、食べずにゆっくり豆乳を飲むんです。せっかくのハンバーグが冷めちゃう、奥さんに悪いなって、僕だったら思っちゃう。でも実は、このふたりだけの、ふたりだけにしかわからない幸せがそこにはあるんです。それがよくわかるシーンなんです。揺るぎない絆でこのふたりは結ばれているんだなって。
岡村 な〜るほどね〜。
松江 奥さんが独学で習得したという手話も、世間からは、デタラメだとか、それこそフェイクだとか、いろいろ言われることもあると思うんですが、でも、夫婦って、長く一緒にいれば言葉なんて少なくなるものじゃないですか。夫婦だから伝わる手話なんじゃないかなって。だからたぶん、奥さんは、佐村河内さん以外の人の手話通訳はできないんじゃないかなと僕は思うんです。夫にだけ通じる手話をやってるんじゃないのかなって。
©2016「Fake」製作委員会
なぜドキュメンタリーを撮るのか。
岡村 ドキュメンタリーって、劇映画とは違って、劇場公開されることが少ないですし、DVD化され商品化されるということも肖像権が絡んでくるので難しい。そうすると、作る側は潤いませんよね。そういう場合、ドキュメンタリー作家にとって、どういったところにモチベーションがあるのかなと思うんです。だって、これを撮ってヒットさせて大儲けようっていう考え方はあり得ないわけでしょ?
松江 それはやっぱり、使命感のようなものでしょうね。
岡村 でもそれでは食べていけないですよね。
松江 僕らより上の世代、60年代、70年代のドキュメンタリー監督たちは、フィルムだったからものすごくお金がかかってたんです。ドキュメンタリーはずっと撮ってなくちゃいけない。フィルム代が高くつくんです。だから、資金が尽きて本編は完成しないまま、という人はすごくたくさんいましたし、スタジオ代を払えないからフィルムを返してもらえないまま、という人もいました。だから、ドキュメンタリーを作る人にとって、映画は使命感であり、それこそ、「運動」のようなものなんですよね。
岡村 「運動」かあ。
松江 ドキュメンタリーがこんなふうに劇場で一般公開されるようになったのは、ここ15〜16年ぐらい前からの話で、実は森さんや僕らの時代からなんです。森さんの『A』が98年、僕のデビュー作『あんにょんキムチ』は99年、そこからなんです。それはなぜかというと、デジタルビデオでも劇場公開ができる時代になったからなんです。それまで、劇場公開作で大きな話題となったのは、原一男さんの『ゆきゆきて、神軍』(87年)ぐらいしかなかったんです。じゃあ、先輩たちは、一体どうやってドキュメンタリーを上映し、世に知らしめていたのか。講演会などでの上映なんです。左翼系の講演会とドキュメンタリーの上映がセットになっていたり、カンパで上映会を開いたり。とにかく、「知り合いのツテを頼って観に行く」のがドキュメンタリーのスタイルだった。だから、みんな、映画だけで稼ごうとは思ってないし、生活のための映画でもない。主義主張をアピールしたくてドキュメンタリーを撮る、そういうモチベーションのドキュメンタリー監督は多かったと思います。森さんや僕らのように、エンタテインメントとしての、報道とは違う、「人間味を描く」という部分でドキュメンタリーを撮るというのは、ここ最近のことだと思います。
岡村 エンタテインメントとしてのドキュメンタリー。確かにそうですよね。『FAKE』は、とにかく笑いが起こるドキュメンタリーですもんね。豆乳のシーンもそうだし、猫のシーンもそうだし、佐村河内さんがポコポコやる口太鼓のシーンもそうだし(笑)。
松江 口太鼓は最高ですよね(笑)。やっぱ、『FAKE』であらためて思ったのは、森さんはプロレスが好きなんだなってことなんです。観ていれば気づくと思いますけれど、森さんは、佐村河内さんと誰かが話をしているのを聞いている、というスタンスが多いんです、自分が直接話を聞くよりも。
岡村 確かに、確かに。
松江 あれって完全に、レスラーとレスラーを闘わせているレフリーの視点なんです。「さあ、次のラウンドは佐村河内VSテレビ局です!」「おっと、外国人ジャーナリストも現れたぞ!」って。森さん、盛りあげるのが大好きな人なんです。あれを撮ってるときの森さんの顔は相当イイ顔をしてたはずです。ニコニコしながらもシメシメって思ってたんじゃないですか(笑)。
岡村 テレビ局の人たちは、ものすごく真剣に、ものすごく神妙な顔をして佐村河内さんの話に頷いていたじゃないですか。彼らなりに精一杯の誠意をみせようと努力した結果だと思うし、そこに他意はないと思いますが、不思議な気持ちになりましたね。
松江 あれがメディアの人の顔なんです。あの人たちに限らず、メディアに関わっている人、誰かを撮る仕事をしてる人って、みんなあんな顔をしてると思います。僕もそういう顔をしてるときはあると思います。だからそれは、森さん自身も、自分もテレビ側だなと思いながら撮っていると思いますね。
岡村 ドキュメンタリーは、人間の生々しい部分をあぶり出すもの。そこが面白いところだし、僕が惹かれるところなんです。
松江 その通りです。劇映画を含め、相当数の映画を僕も観てますけれど、豆乳飲んでるだけであれだけ面白いって、やっぱりものすごいことだと思うんです(笑)。
岡村 ドキュメンタリーは最高ですね。
松江 最高です。
森達也監督:映画『A2完全版』(16年)より
佐村河内守と一緒に飲んでみたい!?
岡村 佐村河内さんはこの映画を観たんでしょうかね?
松江 どうなんでしょう。観ているはずだとは思いますけど。でも、この映画は本人にとってはうれしいんじゃないかと思いますよ。
岡村 そうかもしれませんね。
松江 白黒つけなかったのが良かったと思います。結局、大事なのは、聞こえるのか聞こえないのか、そういうことじゃなく、佐村河内守という男の人間味なんです。森さんが最初に言った、「守さんの悲しみ」が映っていたのかというと、疑問はありますけれど(笑)、でも、人となりはよく出てると思います。だって、この映画を観たあとに、新垣さんと佐村河内さん、どっちと一緒に飲みたいかといったら、僕は絶対佐村河内さんと飲んでみたいですもん。会いたくなるじゃないですか。
岡村 面白そうな人ですよね。
松江 絶対に面白い人だと思いますね。そうだ、岡村さん、『GINZA』で連載してる「結婚への道」対談で会いにいかれたらどうですか。佐村河内夫妻に。いい話がいっぱい聞けると思うなあ。この映画はある意味、「夫婦の愛の物語」でもあるんですから。
岡村 でも、コミュニケーションが難しくないですかね?
松江 奥さんが手話で通訳してくれますよ。美味しいケーキも出ますよ、きっと(笑)。
©2016「Fake」製作委員会
岡村 靖幸 Yasuyuki Okamura
1965年生まれ。ミュージシャン。『GINZA』の大人気連載「岡村靖幸の結婚への道」では“名インタビュアー”として活躍中。11年半ぶりのオリジナルアルバム『幸福』発売中。
松江哲明 Tetsuaki Matsue
1977年生まれ。映画監督。監督した松岡茉優主演のフェイクドキュメンタリードラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』(テレビ東京系)放送中。新作クランクインも間近。
森達也監督作品『FAKE』
渋谷・ユーロスペース、横浜ジャック&ベティにて公開中、ほか全国順次公開。
http://www.fakemovie.jp
『A2 完全版』上映決定!
映画『FAKE』の公開を記念し、森達也監督『A2 完全版』をユーロスペースにて上映決定! 2002年の公開時にカットされた幻のシーンを入れた完全版で初上映です。
6/18(土)ー24(金)連日21:00、7/9(土)ー15(金)連日21:00より
渋谷ユーロスペースにてレイトショー
http://www.eurospace.co.jp/
対談構成:辛島いづみ 撮影:藤原江理奈(GINZA2016年4月号撮影写真より)