学校の部活動の行き過ぎを問うなら、その位置づけから検討し直すべきだ。

 文部科学省が、教員の長時間労働の改善をめざす報告をまとめ、運動部の部活動の負担を軽くする取り組みを盛り込んだ。

 国として教員、生徒、保護者を対象に実態を調査する。スポーツ医学の観点を取り入れ、練習時間や休養日はどのくらいが適切かを研究する。

 それをふまえて、休養日の基準などのガイドラインをつくる。そんな中身だ。

 文科省は部活の実態について01年に調査して以来、把握してこなかった。休養日も旧文部省の有識者会議が1997年の報告書で目安を示したが、設定例でしかなく、守られていない。

 ここにきて取り組むのは、一歩前進といえる。

 だが、その内容は、対症療法にとどまっている。

 部活はどの生徒にも運動や文化に親しめる場を設け、人間関係を広げる機会をつくってきた。競技力を高め、選手を育てる役割も果たしている。

 その存在の大きさを否定する人は少ないだろう。

 しかし文科省は部活を「学校教育の一環」としながら、「生徒の自主的、自発的な参加により行われるもの」とし、正規のカリキュラムに含めていない。

 そのあいまいさが矛盾を生んでいる。

 たとえば教員は、多くの学校で全員が顧問を担う原則になっている。放課後や休日の勤務時間外も指導を求められるが、限られた手当しか支払われていない。

 これに対し、勤務時間外の指導が事実上強制されているとして、若手教員の有志が「顧問をする、しないを選択させてほしい」とネット上で問題を提起。2万人を超える署名を文科省に提出した。今回の案は、この訴えにも応えていない。

 中央教育審議会は現在、2020年度から始まる新しい学習指導要領を検討している。部活の位置づけについて、正面から議論してもらいたい。

 部活は、教員の労働や生徒の健康面だけが問題ではない。

 生徒に多様な経験の場をどう設け、豊かではない家庭の子どもに機会をいかに保障するか。

 地域のスポーツや文化活動と、どんな関係を持つのか。

 これらを考えるには、部活を社会のなかでとらえ直すことが必要なのではないか。

 学区ごとにその答えは異なるだろう。生徒、教員だけでなく、行政、地域住民も含め、議論を広げたい。