[最終目標は天皇の処刑][日本の掠奪を読んで

           (⇒[民族絶滅の危機]へ)

 チベットから亡命され、日本に帰化された著者のペマ・ギャルポ氏が、日本の危機を憂えながらも、日本人民共和国への陰謀について、自身の経験を元に優しく丁寧に多角的に、しかも的確に説明されておられます(2012年著)。加えて[「日本の掠奪」知ったら怖くなる中国政府と人民解放軍の実態][中国人民解放軍知られたくない真実]からも抜粋し、こんなことも知らなかったのかと、驚かれることが多く有り、真剣に政治に向かい合う必要を痛感させられました。是非、一読されることをおすすめいたします。 (⇒[シナの謀略と弾圧]へ)



はじめに

 「日本が危ない。既に中国の半植民地に成り下がっている」「中国が日本の財界とマスコミ界を牛耳っている。独立国家であるはずの日本で中国を批判する言論はマスコミによってふるいにかけられ、中国に対しての批判的な記事は掲載しないだけでなく批判的な出版物に対しては書評の対象にすらならない」「日中友好の名の下、当たり前のように日本の言論の自由、思想の自由を間接的にコントロールしている」
 こう書くと、大半の日本人は「何を大袈裟な!」と一笑に付すでしょう。しかし、中国に侵略されたチベットに生まれた私にとっては、事態が、その様に進行しているとしか思えないのです。というのも、一九七二年に発掘された『中国共産党・日本解放第二期工作要綱』という文書に添う形で、日本社会が変容しているからです。この文書については後段で詳述しますが、チベットが中国に本格的に侵略される以前と同様の現象が、この日本でも起きているのです。また、中国が、日本国内の土地や資源を買い漁っていることは「資本主義社会における自然な商業行為」との意見もありますが、日本人が中国の土地を自由に購入出来ない以上(中国の土地はすべて国有で七〇年以下の貸借)、外交における相互主義からは疑問が残ります。しかも、それが自衛隊基地周辺の土地に集中しているのは決して穏やかな話ではありません。
 更に、二〇一一年三月の東日本・東北の災害で政府が混迷し、政治が空自を生んでいる時期を狙って、中国は火事場泥棒のように日本固有の領土内に入り挑発的な行為を続けているだけでなく、今や南シナ海の諸島に対して領有権を主張し武力的な実力を発揮して、周辺諸国と摩擦を起こしています。
 一時、財政難や接受国の国民感情を考量し東アジア及び北太平洋におけるプレゼンスを減少させていた米国も、各国の強い要望を受け再びこの地域における存在感を強めようとしています。接受国の世論もそれを歓迎するまでには至らないにしても、反対する人も少なくなりました。理由は言うまでもありません。中国の脅威を間近に感じているからです。
 祖国を追われた私が第二の故郷である日本が同じ目に適わないことを祈る気持ちでこの原稿を書いている間にも、中国による日本への文化的、精神的侵略はどんどん進んでいっています。個人の観光客への数次ビザの発給などは正にその一例です。
 一部の日本人は中国の正体に気付き始めているものの、中国の潜伏の仕方は深く計画的であるため、日本のあらゆる業界、分野に中国の息の掛かった者が存在し、忠犬のように中国の機嫌を取りながら頑張っています。
 今アジア諸国が中国の覇権主義的態度に強く反発し始め、米国もようやく対話から強硬姿勢に政策転向し、西側メディアは中国脅威論を堂々と主張し始めています。もう日本のメディアも見て見ない振りは出来なくなるでしょう。
 私が日本と日本人に感謝し愛しているのは、私に無償の愛を注ぎ、教え育ててくださった日本人の恩人達が大勢おられるからです。私達チベット人難民を日本に受け入れて大学教育を修めるまでのきっかけを作り、日本での生活の仕方を一から教え、育てて下さった倉前盛通先生。倉前先生のご友人で戦中チベットに密かに入りチベットと日本のために青春を費やした木村肥佐生先生。この二人の先生に共鳴し、実際私達難民の子供達を受け入れ保護者となり大学の学費まで援助して下さった、毛呂病院医院長(後の埼玉医大の創設者兼理事長)丸木清美先生と私達の母親的存在の丸木希代先生。亜細亜大学で日本思想史をご教示頂いた、吉田寅次郎(松陰)の血縁の小田村寅二郎先生。大学卒業後私の保証人となって下さり、公私共また物心両面において大変お世話になった、初代内閣情報調査室長の村井順先生。入管局長として私達の入国に許可を出して下さった元日本国大便、元拓殖大学総長の高瀬侍郎先生。チベットと正義のため移動大学を創設し中国のチベットでの虐殺行為に抗議し続けた、文化人類学者の川喜田二郎先生。ほか岸信介先生、中川一郎・昭一先生、野呂田芳成先生、坂田道太先生、灘尾弘舌先生、長谷川唆先生など、多くの日本人にお世話になりました。
 この先生方の共通点は日本をこよなく愛し、正義を重んじ、真の人道主義者で平和主義者であったということです。私は先生方が日本の現状をご覧になっていたら、どう考え何をなさっただろうと考えます。そして、決して座して死を待つようなことはなさらなかっただろうと思うのです。
 私は今では友人も日本人の方が多くなりました。私はチベットに命を授けられましたが、難民となつて危機にある時、その命をインドに救ってもらいました。そしてその後、日本がその命を育んでくれたのです。おかげさまで今の私があると思っています。日本とインドに感謝しています。そしてこの本は上記の恩人の先生方に捧げたいと思います。
 この本を手にして下さった読者の皆様一人一人に私の思いが伝わらんことを心から願い、この美しい国、伝統と高度な文明が香る国、祖先が命懸けで守り続けてきた国を守って頂きたいと思います。それがこの本を執筆した理由であり、同時に一帰化日本人としての私の叫びと決意でもあるのです。                    (2011年12月 ペマ・ギャルボ)
                                   下図Netより
  


◇チベット軍の号令は日本語

 当時のチベット軍隊にはイギリス式が採用されていましたが、矢島が訓練した部隊は特に精強だったといわれ、辛亥革命後に中国軍をチベットから追い出すのに大活躍したというイギリスの記録も残っています。
 一方で、ダライ・ラマ法王の信頼が厚かったため、法王の身辺警護にあたる親衛隊長、今ならSP隊のような部隊の教官、顧問にもなりました。
 チベット軍は大別すると近衛隊と国境警備隊の二つに分かれていて、近衛隊は五〇年代の中国侵略以降、徐々に人民解放軍に編入されていきますが、少なくとも近衛隊の場合は、それまで「気をつけ」「直れ」という号令はそのまま日本語でかけていたそうです。
 これは、チベットが中国に侵略される直前までの、近衛隊の最後の隊長だった、ダライ・ラマ法王の義兄の、プンツオク・タクラ閣下から私が直接聞いた話です。
 単にチベット語に訳すのが面倒だったのかもしれませんが、私が想像するに矢島保治郎は自分がチベット軍に貢献したことの一つの証として、日本語をそのまま残したのではないでしょうか。
 また、チベット国旗のデザインをしたのもこの矢島保治郎、あるいは青木文教といわれています。チベット国旗は「雪山獅子旗」と呼ばれていて、そのデザインは雪山を背景に唐獅子に守られた観音菩薩を描き、山の頂からは赤と青の光が輝いているというものです。日本人によるデザインと聞くと、確かにどこか日本海軍の旭日旗を連想させるものです。
 チベットは第二次世界大戦時に孤立しても、あくまで友好国として緊密な関係を持ち続けた。だから、チベットは表だって日本に味方することはなかったものの、中立の立場を維持し間接的に日本の見方をしていました。それ故、戦後にはチベットは準敗戦国と見なされ、中国に侵略された際にも、国際社会の支援が消極的であったことは否定できません。




◇ラサ蜂起と法王亡命

 それでもラサで起きていた悲惨な事件を思えば、まだ私たちは幸せだったのです。
 一九五九年になると、チベット国内のゲリラ活動は収拾がつかない状況になり、中国側はゲリラの動きを封じ込めるために、チベットの最高指導者であり象徴でもあるダライ・ラマ法王の身柄を押さえようとしました。法王を観劇に招待するといい、ラサの人民解放軍駐屯地に拉致しようとしたのです。
 そのことを知ったラサの民衆は、三月一〇日、ついに立ち上がります。当時の市の人口の半分に相当する三万人が、ダライ・ラマ法王の夏の離宮であるノルプリンカ宮殿を取り囲み、法王が招待に応じないように叫びながら「チベット独立」「中国人は帰れ」とシュプレヒコールを続けました。ダライ・ラマ法王は観劇を中止して、民衆には解散するように説得しましたが、彼らは法王の身を案じて立ち去ろうとはしません。市内ではデモ蜂起などもあり、中国軍とチベット軍および民衆は一触即発の空気の中、不穏なにらみ合いが数日間続きました。こうした状況に人民解放軍は武力排除を示唆、戦力の増強を始めます。
 そして一九日、「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺が始まりました。人民解放軍はノルプリンカ宮殿に向けて一斉に大砲で砲撃を開始したのです。数十発の砲弾が撃ち込まれ、宮殿は周囲にいた民衆もろとも完全に吹き飛ばされました。同時にセラ、ガンデン、デブンの三大寺院も砲撃され、壊滅的なダメージを受けたのです。この弾圧では、三日間で一万から一万五〇〇〇人のチベット人が殺されたといいます。
 中国側の攻撃は、ダライ・ラマ法王の命をも省みない過酷なものでしたが、法王は政府の判断で数日前の三月一〇日に極秘裏に脱出。そして四月二〇日、八万人の民衆とともにインドに到着。政治亡命に成功したのです。法王は九日後にはチベット亡命政府を樹立、一七力条協定の破棄を宣言しました。この宣言について、国際司法委員会は法学的見地から次のように結論づけています。
「中国が一七力条協定に違反したことで、この協定の拘束力は失効し、チベットは条約下で失われた独立国としての主権を回復したと見なすことができる」


◇経済的侵略と文化的大虐殺

 チベット亡命政府は、中国による侵略の結果として一九五九年から七九年までの間に死んだチベット人は、一二〇万人以上になるとしています。内訳は次の通りです。

  合計一二〇万七三八七人

 この数字は四半世紀以上前のものであり、八七年や八九年、あるいは北京オリンピック直前の二〇〇八年に起こつた大規模蜂起での犠牲者は含まれていません。また、今なお数千人のチベット人が政治犯として獄に繋がれており、その中からも死亡者は出ていると思われます。
 このように人的被害だけでも膨大な数にのぼりますが、さらに恐ろしいのは国際司法委員会の言葉を借りれば「文化的大虐殺」が今でも進められているということです。
 現在のチベット人にとって、最も重大かつ差し迫った問題は、チベット人としてのアイデンティティが消滅する危機に瀕しているということでしょう。
 中国のチベット侵略の歴史を振り返ったとき、大まかに三つの時期に分けることができると思います。まずは一九五〇年の人民解放軍の侵攻から始まる「軍事的侵略」です。東チベットでの抵抗や、一九五九年のラサ蜂起における圧倒的な武力鎮圧のように、力を見せつけることでチベット人を屈服させようとしました。一九六五年にチベット自治区を作り、一九六七年に共産党支部を設けたあたりでは、思想統制、宗教弾圧のような「政治的侵略」に力を入れます。そして二一世紀になつて中国の経済力が高まると、「経済的侵略をベースにした同化政策がかなりの効果を上げています。
 チベット亡命政府によると、首都ラサの人口は五五万人で、チベット人はその内の四五%に過ぎず、かなり以前から中国人が優勢になつています。
 中国人ならば自由に移動できるのに対して、チベット人は別の町や村にいくためには公安当局の許可が必要です。巡礼や地方からデモに参加する場合は、リスクを背負って身分を隠しながら行っているのです。
 言語教育も絶望的な状況にあります。中国政府は、表面上は公用語に加えたりして、チベット語の使用や教育を禁止しているわけではありませんが、学校の試験は中国語なのでチベット語を勉強しても意味がない。仕事も中国語が喋れないと何もできない。事実上、チベット語が使われなくなるような政策を実行しているのです。
 同化政策は言語以外でも、チベット音楽には特有の音階がありましたが、中国風に変えられてしまいました。また、チベットの民族衣装は、帯を取ればそのまま布団になるように長く作られていましたが、それを作らせないように長い生地を売らないようなことまでしました。
 さらに言えば、チベット人の数を増やさないように、中国人男性がチベット女性と結婚するばあいには何も障害が無いのに、その逆は政府からの許可が必要になるときもあります。
 仏教国チベットの、生活様式、文化、伝統、自然環境などすべてを破壊しようとしているのです。もはや民族浄化といった方が良いのかも知れません。
 ラサに行くと腕や頭を切られた仏像が無造作に積まれています。しかし、そこでは信仰は強いと改めて思いました。ジョカン寺に参拝に向かう我々の周囲には、四万人の大群衆が集まっていて、我々が読経を始めると、まるで彼のようにお経を読む声が広がってゆきました。しかし、教典を手にしているのは私たちだけです。教典を持つことを禁止されていた民衆は、暗記して守り伝えようとしていたのです。
 中国の微笑み外交は、中越戦争の失敗で、ケ小平の権力が一時低下したという面もありますが、彼らは経済力がついて自信がついてくると話がどんどん変わってくるのです。一〇年後の一九九〇年になると「大チベットなんてとんでもない」と言いだし、二〇〇八年になると、「ケ小平同志がそんなことを約束した記録はどこにもない」と言う始末です。中国人入植者の八〇%を引き上げるなど、胡耀邦が約束した政策も、彼が失脚すると撤回されてしまいました。
 結局、中国が「微笑外交」を採った本当の理由は、文化大革命という国内混乱から回復するまでの時間稼ぎが必要だったということだと思います。


◇ダライラマ法王の理想主義と信念

 チベットと、私の個人史を述べたこの章の終りに、私が強調したいのは次の二点です。
 一つは、チベットが易々と中国に侵略を許してしまったのは、第一次、第二次世界大戦という激動の時代に「一国平和主義」に堕していたということです。国家の統治手法は宗教一点に集約されており、国防という概念は真剣に議論されておりませんでした。最初の侵略地となつた東チベットは、日本の戦国時代の野武士のような集団が群雄割拠するだけで、全体の統一も図られていませんでした。中央政府にも軍隊は存在していましたが、装備の面でも兵員数においても、広大な国土を防衛するには不十分でした。そうした中で段階的に人民解放軍の占領を許し、不平等極まりない「一七力条協定」を飲まざるを得ず、最終的に全土を躁潤される結果となつたのです。中国は当初の進駐目的を「外国勢力の脅威からチベットを守る」としていました。しかし、当時、チベット国内には数人の外国人しか存在せず、そのどこが脅威だったのでしょう。いずれにしろ「一国平和主義」の弊害は大きかったと言わざるを得ません。
 もうひとつは、当時の知識層であった僧たちの間に「テンダ・アメリカ」(宗教の敵、アメリカ)という言葉に代表されるような考えが蔓延したように、極端にキリスト教、西洋文明を忌避し、排外思想に走って、国連加盟というチャンスをみすみす逃してしまったことです。
 こうした事実は、私には、今の日本の「憲法九条」信仰と国防軽視という風潮と二重写しになつてしま、つのです。
 ちなみに、一九九七年の香港返還に際しサッチャー英首相とケ小平が交わした共同声明文は「一七力条協定」そっくりで、「チベット」の文字を「香港」と入れ替えれば、そのまま通用するような代物でした。つまり、中国が盛んに喧伝する「一国二制度」なるものは、チベット占領で実験済みだったということです。



◇「日本解放第二期工作要綱」

 冒頭に「日本が現在保有している国力の全てを、我が党(=中国共産党)の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」という基本戦略が掲げられています。中国は第二次世界大戦終結後のどさくさに紛れて、火事場泥棒のごとくチベットを武力併合しましたが、さすがにこの時代になると国際社会の目もありますから、そう乱暴なこともできません。そのため「基本戦略」は、まずは中国の意のままに動く塊偏国家を作るということが目標になっているのでしょう。ただし、チベットの例を見てもわかるように、その過程で日本固有の文化や価値観は徹底的に破壊されます。武力侵攻のように目には見えませんが、気がついたら行動を支配されているという文化的、精神的な侵略のほうが恐ろしいのです。
 工作員の具体的な任務は、第一期目標が日中の国交を正常化させること、第二期目標が日本に民主連合政府を成立させること、第三期目標が天皇制の廃止(天皇は戦犯として処刑)と日本人民民主共和国の樹立となっています。
 こうした「任務達成の手段」として、工作員は直接手を下すのではなく、日本人が自発的に行動するように仕向けることを強調していますが、この手法はチベットにおいて、僧侶たちに「キリスト教国主導の国連に入るのは反対」と言わせたのとまったく同じです。


◇教育面での戦略

 次に出てくるのが「教育面での奉仕」という項目で、そこでは全国の主要都市に「中国語学習センター」を開設することを謳っています。その教員は一名派遣する場合は女性限定、複数の場合は男女半々で、しかもすべて二〇歳代の若者を派遣するとしています。こうした具体的指示を見ると、メインターゲットである若者層に“下心”を抱かせる、ある種のハニートラップと言っていいかと思います。そして若者の間で中国語への関心が高まったところで、日本の大学に中国人教師の派遣を申し入れるのです。同様なことは日本以外の国に対しても進めていて、例えば現在、タイ、マレーシアなどにかなりの人数の若者を語学教師として送り込んでいます。この語学教師たちはほとんど例外なく、中国政府の代弁ができるように共産党によって教育を受けてから派遣されています。
 この戦略は、世界中に設立された「孔子学院」という形で結実したと言えるでしょう。孔子学院とは中国政府の公的機関で、日本では二〇〇五年、立命館大学に最初の孔子学院ができています。現在では一三カ所の大学で開設され、世界を見ると各国合計三三二力箇所にも及びます。しかし、欧米を中心として孔子学院に対する反発も少なくありません。何故ならそれが国策事業であり、教育の現場を通じて各国の青少年を洗脳しょうとする意志があるのではとの疑念があるからです。まさしくその通りなのですが、日本でこうした声がほとんど聞かれないのは、やはり中国による人心工作の成果なのでしょうか。



◇日中記者交換協定

 一九七二年時点において、工作要綱に第二期と名付けられていることからもわかるように、すでに日本国内に相当の工作機関員が潜伏していました。特にマスコミ工作に関しては、かなりの環境作りがなされていたようです。そうした環境作りの一環といえるのが一九六四年に結ばれた日中記者交換協定でしょう。この日中記者交換協定によって朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞、西日本新聞、共同通信、NHK、TBSの九社の報道機関が、国交がない段階で北京に常駐できることになります。ところが、六八年の改定で中国側から「政治三原則」が押しっけられ、各社は否応もなくそれを飲まされることになりました。

  1. 中国を敵視してはならない。
  2. 「二つの中国」を作る陰謀に加担しない。
  3. 中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない。

 これ以降、中国はジワジワと日本のマスコミに圧力をかけていくのです。例えば当時、日本のマスコミでは台湾の国民党政府(中華民国)と区別するために、北京政府を中共と呼んでいました。北京政府は、例えば「中共第○大会」などと自分たちでも中共と呼ぶのに、日本側が中共と呼称することに絶えず抗議をしていたのです。そのため国交が樹立して真っ先に要求してきたのが、“中共”という呼称を中国に変えさせることでした。本当の中国は自分たちであり、台湾ではないということを認めさせたのです。この協定が結ばれて以降、中国に不利益となる報道はできなくなります。例えば、林彪がモンゴルで墜落死した事件が大手新聞社で報道されたのは、事件後半年も経ってからでした。おそらく政権内部で権力闘争が続いていることが公になって、中国が推進する日中国交樹立に支障を来すことを危倶した新聞社が自主規制したのです。
 その後も朝日新聞などを中心として、“中国ブーム”のようなものを起こす動きが顕著になっていきます。国交回復を機に贈られたパンダブームもそうですが、中国は巨大市場であり、中国は膨大なエネルギー資源があり、日本は近しくならなければ損であるといった具合に、マスコミによって親中国の世論醸成がなされていったように私は感じます。当時、朝日新聞に中国には大油田があり、関係がよくなれば石油は心配いらなくなるという記事が書かれていたのをはつきり覚えています。そして一九七二年の日中国交回復から、一九七人年の福田内閣による日中平和友好条約締結を経て、翌年からは大平内閣によって莫大なODA供与が開始されることになるのです。
 この記者協定を楯にした、報道規制は現在でも明らかに残っています。二〇二年、北アフリカでわき起こつた「ジャスミン革命」の余波が、中国にも波及しました。中国各地で民主化を求める集会が開かれましたが、その際、中国政府は集会をインターネットで呼びかける市民を逮捕するなどの弾圧を加えました。そして、こうした動きを取材しょうとする日本や欧米のメディアに対しては、強制国外退去をちらつかせて圧力をかけるなど、いまだに自由がない国であるということを世界中に知らしめました。ところが、そのような事実があったことを、いつもなら「報道の自由」を口にする日本のメディアが積極的に報道したとは言えません。そうしたことも日本の大手マスコミが記者協定に縛られている結果だと思われます。また、先に述べたように、東日本大震災において台湾から過去最多の義援金が送られたにもかかわらず、中国ばかりが目立つような報道がなされたのも、記者協定という見えない圧力があったとみて間違いありません。
 私は二〇年ほど前から、TBSと読売テレビでコメンテーターをさせていたたいていますが、例えばチベット国旗を出す場合、わざわざ聞く必要もないのに、スタッフが中国大使館に電話をしてお伺いを立てるのです。当然ながら、いいと言うはずがないのですが、報道の自由を侵害することになるので、あまり強くは出てきません。
 その代わり何をするかと言えば、例えば親中派団体の人間などには番組あてに、また番組のスポンサーには番組編成局あてにクレーム電話をかけさせるのです。そしてその件と関係ないことでも、事あるごとに「ペマ・ギャルポを番組から降ろせ」といったクレームが来る。もしかしたら当の本人は、大事な日中関係にマイナスになるようなことはよくないという正義感から行動しているのかもしれません。が、本人も知らず知らずのうちに中国に利用されているというケースがかなりあると思います。それこそが二〇〇〇人の工作員の成果と言えるでしょう。
 ちなみに、人民日報の東京支局は朝日新聞本社内にあります。また、NHKの中にCCTVの事務局がある。中国の報道機関が、政府の諜報機関であることは公然の秘密です。それらを日本を代表するメディアが内部に迎え入れていることが私には信じられません。



◇新聞・雑誌

 紙面の論調は、台湾との関係断絶、北朝鮮などと国交樹立を肯定する方向に誘導し、紙面で繰り返し取り上げさせることで、世論の圧力を作り出して政府に実行させる。そして政府・与党のやることなすことを批判させ、野党寄りの記事を書かせます。さらに野党共闘を全面的に後押しして、民主連合政府を作りやすい環境を作っていくのです。
 また「人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調」という部分も注目すべきところです。それまでの日本を形作り、同時に戦後の驚異的な復興を成し遂げた原動力となったのが、共同体への帰属意識、公の精神、家族の粁、健全な競争心などですが、個の尊重云々という言葉の背後にある狙いは、それらを根こそぎ破壊して、日本を弱体化させようというものです。
 昨今の日本は何でも自由、自由で、自由が野放しになっています。個人の自由が他人の自由を踏みにじっても、それもまた自由だと思っています。昔は自由を行使するにしても、それが他人の幸せを壊さないかどうか、考えながらやっていたはずです。それが公の精神というものです。また、多くの人が自由と民主主義を混同してとらえているようですが、それは大きな誤りです。民主主義とは自由に対して一定の制限を加えるという制度です。皆でルールを決めて、皆でそのルールを守るというのが民主主義なのです。つまり、個人は社会を健全に維持するために自由を抑える義務があるのです。
 例えば、一時期、制服は個人を縛るものとして排除しようとする動きがありました。私の高校時代、日教組の考えで学帽が廃止されました。私は、学生が自発的にイヤだというならともかく、先生のほうから止めさせるのはおかしいと反発して、卒業まで学帽を被っていました。制服というものもよい意味での帰属意識、そして連帯感を高めるものだと思つています。でなかったら、スポーツの団体競技で同じユニフォームを着る必要はないでしょう。学校の制服にしても、校章やクラス章をつけていると、あまり変なことはできないという自分を律する気持ちが生まれてくるのです。
 「独立」というのも日本国民を煽って反米感情を強め、日米を離間させようという目論みですが、それに乗ってはいけません。二〇一〇年に、沖縄の基地移設問題で日米間がモメたのと時を同じくして、尖閣諸島事件が起きたのを見てもわかるように、中国は常に隙を狙っているのです。
 また、『巨人の星』や『あしたのジョー』のような、当時全盛だった「スポ根もの」のアニメや映画、あるいは歴史ドラマなどは好ましくないとしています。また、郷土愛や民族的な一体感を喚起させるような番組も、できるだけ少なくなるように誘導していきます。このことは逆に言うと、日本人が潜在的に秘めている精神的強さを、中国側が恐れているからともいえるでしょう。



◇自民党分裂と公明連立

 今日の政治の混迷状況は、一九七六年に河野洋平氏が主導した新自由クラブの誕生に始まり、ついで一九九三年の竹下派分裂による小沢一郎氏の自民党離反、この二つに起因するのは間違いありません。というのも、どちらの場合も直前の総選挙で自民党は勝っているのです。少なくとも国民の負託は自民党だったにもかかわらず、造反者が現れて自民党は政権を奪われ、野党に追い込まれてしまった。
 工作要綱には「日本の内閣総理は、衆参両院の本会純で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである」と書かれていますが、まさにその通りのことが起きたのです。
 このような政治家たちが、具体的に中国政府と打ち合わせしてやっているかどうかは別です。おそらくそこまで魂を売っているとは思いませんが、マスコミ業界の人間と同様、中国は何らかの形で政治家を遠隔操作して、彼らが自然に中国政府の思う方向に行動するように仕向けている。ある意味で、巧妙に洗脳されているということです。あるいは、工作要綱に書かれているように、議員が持つ弱点を突かれたのかもしれません。さまざまな手法を複雑に組み合わせた地道な工作がボディブローのように効いて、結果的に日本国民に大変な損害を与えているのです。
 その後の自民党はやむを得ず社会党と、あるいは公明党と手を組むという道を選択します。しかし、手を組むことによって他党に対する依存度が増して、結果として一党で政権を担当する力を失ってしまいました。今では公明党との連立ありきで選挙を戦う有り様になっています。
 政治家を縛る「友好」という呪文です。この言葉を日本が率先して唱えることが、日本が先の戦争の罪悪感を払拭する方法であるかのような印象を与えてしまった。その象徴が二〇〇九年、小沢一郎氏が一四〇数人の国会議員を引き連れて、胡錦躊に謁見≠オた一件でしょう。
 残念なことに有権者も、国際間題についてあまりにも無関心過ぎます。国際問題が、実は自分たちの生活に直接つながっているのだということを、ほとんど理解していないのです。そこに大きな問題があります。
 小沢氏に関してはもう一つ気になつたことがあります。天皇陛下に習近平副主席との謁見を強引に押し付けた際の、天皇陛下を軽視するかのような言動です。あるいは、民主党の岡田克也幹事長(当時)が天皇陛下のお言葉にまで注文をつけたことなども、天皇を廃止する動きの前兆だと思うのです。“開かれた皇室”を持ち上げるマスコミのキャンペーンも、本当に皇室を愛してやっているのか、それとも実は逆の意図を持ってやっているのか、一度検証してみる必要があると思います。もし皇室が世俗的権力を持っているならば、透明性や合理性を求めるのもいいでしょう。しかし、皇室は神話にまで繋がる、世界でも稀有な権威です。ひと頃メディアが取り上げた、男系であるべきとか、女系を認めるべきとかいう論議もする必要ありません。それは、伊勢神宮の社殿を二〇年に一回建て替えのが合理的かどうかと言うのと同じことなのです。中に入って相手を撹乱、分断するの中国の常套手段です。


◇周恩来・キッシンジャー会談

 日本解放第二期工作要綱の存在が報道される直前に、キッシンジャーと周恩来との問でニクソン大統領訪中のための第四次会談が行われていました。後にキッシンジャーの回顧録で明かされていますが、この会談では、当時、米中が、経済大国化しつつある日本にどう対応しょうとしているかが読み取れ、貴重です。更に、日本に対する、ある種の“密約”とも受け取れるような内容も話されています。
 七〇年代に入って、“日米繊維摩擦”が激しさを増していました。そして東アジアにおける日本の発言力が増し、経済的にも円経済圏ができつつあるなど、アメリカはその存在感が強まることを危倶していました。一方の中国も、その経済力が軍事力に結びつくことを懸念していました。そうした中で、アメリカ政府を動かしていたのが、キッシンジャー国務長官という“日本嫌い”の人物だったのです。キッシンジャーは、当初自分は日本人と価値観を共有できると思っていたが、実際は中国のほうがはるかにアメリカ文化に近かったと酷評しています。さらに、周恩来にこう語りかけます。
「強い日本は強力な軍事機構を創造し、やろうと思えば膨張主義的な目的のためにそれを行使する経済的社会的土台を持っています。在日米軍はこの点ではまったく意味がないのです。それは日本の潜在能力と比べれば、なんの役にも立ちません。実際、在日米軍はパラドックスを作り出しています。なぜならば、我々と日本との防衛関係が日本に侵略的な政策を追求させなくしているからです。(中略)もし日本が自分の軍事機構を作れば彼らが我々から見捨てられたと感じればそうするでしょうがそしてもし核兵器を作ればたやすくできるでしょうがあなたが表明した心配が現実のものとなるでしょう。日本に関しては、貴国の利益と我々の利益とはとても似通っています。どちらも日本が大々的に再軍備した姿を見たくはありません。そこにある我々の基地は純粋に防衛的なもので、彼ら自身の再武装を先送りにすることができます」
 キッシンジャー発言は、戦前の“強国・日本”の再来を、目前にある危機として周恩来に印象づけ、日米同盟を警戒し、日本の中立化を望む周恩来に「自力で自らを防衛する日本は、周辺にとって客観的に危険な存在となるでしょう。より強力になるでしょうから。それゆえ私は、現在の日本の対米関係が、実際には日本を抑制しているのだと信じています」と畳み掛け、次のような言葉を述べ、中国を牽制するのです。
「アメリカの政策について(中略)具体的に繰り返しましょう。第一に、我々は日本の核武装に反対します。(中略)第二に、我々は、日本の通常兵器が、日本の四島を防衛するのに十分な程度に限定するのが好ましいと考えています。我々は日本の軍事力が、台湾や朝鮮半島、またこれまでの協議で指摘したほかの地域であれ、どこに対しても膨張することに反対します」
 実際に日本はこの会談が行われる以前の一九六〇年代に、核武装を検討していました。二〇一〇年にNHKで放送された『“核”を求めた日本 被爆国の知られざる真実』という番組で、村田良平元外務次官がインタビューの中で明言したのです。一九六四年に中国が初の核実験を行い、日本政府は安全保障上で大きなショックを覚えました。そのため当時の佐藤栄作政権は、プロジェクトチームを作って核兵器開発を検討したのです。ただしその結果は、「核兵器の保有は、我が国にとって技術的には極めて容易だが、政治的には困難である」という結論に達しました。
 ただ、一つ強調しておきたいのは、この会談で交わされている内容というのは、ごく自然なものだということです。ほかの国々では国益の追求が第一です。そして国益のためならどんどん立場を変え、場合によっては前言を翻すなど当たり前なのです。
 しかし、日本の外交はある意味硬直化していて、自分が約束を守れば相手も守るはずだと信じているところがあり、それが大きな間違いなのです。日本に同情すべき点があるとすれば、冷戦時代は独自外交というものがほとんどできなかったことでしょうか。この会談を見てもわかるように、例えば安全保障一つとっても、アメリカの了承なしには何もできなかった。佐藤首相が核開発を放棄した「政治的困難」の一つに、アメリカの意向があつたのは、いうまでもありません。
 しかしながら、核武装の是非は置いておくとして、れっきとした独立国である日本の安全保障が、他国の思惑だけで決まっていくというのは、正常な姿とはいえません。
 関岡英之氏は著書『中国を拒否できない日本』の中で、村田元次官が番組で語った次のような言葉を紹介しています。
「日本という国の至高な利益が脅かされるような緊急事態になつたら、核兵器を持つというオプションも完全にはルールアウトしない。(中略)日本において核に関する真剣な、まじめな、しかも実体の脅威を頭に入れた議論を巻き起こすべきなんです」
 今日の中国の動きを見れば、とうに議論をするべき時にきていると言えるでしょう。



◇印中首脳会談

 二〇一〇年一二月に中国の温家宝首相が訪印しましたが、その際、四〇〇人のビジネスマンを伴って一四の大きなプロジェクト契約に合意しました。また、二〇一五年までに貿易額を一〇〇〇億米ドルまで引き上げることで合意するなど、経済的な結びつきを強化する方向で一致しました。しかしその一方で、政治的にはインドがこれまでにない強硬な姿勢を表したことで、両国関係に大きな変化が見られました。
 インドは五〇年代から一貫してチベットが中国の一部であることを前提に共同コミュニケを発表してきました。印中会談の度にその合意を踏襲してきたのですが、今回はインドはチベットが中国に含まれるという合意を成文化することを拒否したのです。同様に、台湾が中国の一部であるという文言も入らなかった。日本のメディアでは報じられませんでしたが、これは非常に注目に催する事実です。中国は今、国際社会、とりわけアジアにおいて積極的に自己主張、力の誇示を展開していますが、これはインドなりのささやかな抵抗だと感じました。
 インドが独自性を打ち出してきた背景には、昨年、国連安全保障理事会の常任理事国がインド詣でをしたように、経済的な発展に伴い国際社会における発言力も増してきたこともあります。オバマ大統領が二〇一〇年一〇月に訪印した際に、広範囲にわたる米印の協力関係、特に軍事・外交の面で協力することについて基本的に合意することができました。しかも、それが一時的なものではなく、今後少なくとも二〇年から三〇年にわたって協力していける確信を得ることができたのです。これらの裏付けがあってこそ、インドは今回、中国に対してこれまでにない強気なスタンスを打ち出せたのです。
 インドの元外務次官シャム・サランが、それまでインドと中国には国境などなかったと述べた。つまりチベットという国家が存在していたからだということです。彼は一つには世界の軍事的緊張の中心がアジアにシフトしつつあり、中印国境地帯についても軍事衝突の可能性が出てきたからだと考えられます。チベットの独立性を認めることで、有事の際にチベット人の支持を得ようというインドなりの打算があるわけです。
 一九五四年に周恩来とネルーは相互不可侵を約した「平和五原則」に合意しますが、チベットを完全に掌握した一九五九年になると、突如としてインド領内に攻め込みます。一九六二年には中国が大規模攻勢にでますが、これは世界中の視線がキューバ危機に向いているすきを突いた火事場泥棒でした。インドは中国の硬骨な手法を知り尽くしており、「友好」だけに惑わされないインド外交を日本は見習うべきです。


◇二〇五〇極東マップ

 中国外務省から流出したものとして、少し前にネット上で話題になつたものですが、この地図を見ると朝鮮半島は「朝鮮省」となり、日本列島は分断され「東海省」と「日本自治区」になつています。出生率低下で日本の人口はどんどん減少するので、日本列島の西半分に中国人を移住させて「東海省」とし、少数民族となつた日本人を東半分に強制移住させて「日本自治区」にするのだそうです。この地図自体偽物との声もありますが、あながち荒唐無稽とも言い切れません。というのも、「SAPIO」二〇〇九年一二月二三日・二〇一〇年一月四日合併号において、浜田和幸参院議員は次のように語っています。
「私が初めてこの手の地図を目にしたのは、騒ぎになるよりも前、今から二年ほど前である。中国に駐在していた経産省の知り合いの官僚が帰国したので、久しぶりに会って話をしたのだが、『中国外務省の役人からこんなものを渡された』と地図を見せられた。地図に込められた禍々しい野心に、強い衝撃と怒りを感じたことを今でもよく覚えている」

     
 海洋国家を目指す中国の戦略はまずは台湾を、次に沖縄を版図に組み込む。そして、最後は日本列島ということになります。第二期工作要綱に書かれているように、もし日本人民民主共和国が誕生したら、このような事態になっても不思議ではありません。少なくとも中国政府の中に、いずれはこの地図を実現させたいという意識があるのは確かです。
 ■『中国、太平洋の東西分割提案か』ワシントン・タイムズ記事全訳
 米軍の総司令官が訪中した際に、人民解放軍の当局者から太平洋を東西分割して管理する事を提案され米国が拒否したというニュースが産経新聞で報じられ話題になっている。この共同通信の記事は、キーティング太平洋軍司令官が訪中した際に中国から太平洋分割を提案された事、米軍が中国に覇権を譲る事はないという太平洋空軍のヘスター司令官の記者団への発言、そして米国政府の親中派では前向きな動きもあるが国防当局は「大きな過ち」として断ったとの内容が書かれているが、これは元々はワシントンタイムズのビル・ガーツ記者の2007年8月17日の記事が情報源となっている。この記事で太平洋分割案について触れられているのは最初のセクションで、共同通信の記事の内容は全てこれが情報源となっていると見られるが、その他には北朝鮮やイランに対抗する米国のミサイル迎撃戦略、最近中国が旧ソ連各国との軍事連繋を強め米国を除外している事への警戒、そして中国の将来の経済的台頭や米国との経済的結びつきや、台湾問題に関して書かれており、記事の主なトピックは米中関係である。⇒[元URL


◇沖縄、今そこにある危機

 今、中国資本によって日本の土地が買われているといいます。中間に日本の会社や個人を入れるなどの偽装工作をしているので、実体は明らかになっていませんが、例えば水資源を狙って北海道の土地を買い進めています。沖縄の土地も相当買収されているようです。
 日本政府が沖縄を無視してきたとアピールします。そうして県民に中央への反感を抱かせる一方で、中国との交流によっていかに沖縄が潤うかを味わわせる。そして県民によって、良好な関係の中国を牽制する米軍基地は県に不利益を与えると主張させて撤退させる。長期的には沖縄に自治を要求させ、日本からの分離、独立。そして最終的には中国への併合までにらんでいるはずです。中国の沖縄に対するアプローチは、東チベットで行ったことと非常に似ています。チベットの場合は、独立自尊の気風が強い東チベットの豪族、藩王の反中央感情を巧みに操りました。
 私は沖縄に行った際、県議会議長や商工会議所会頭などいろいろな方とお会いしましたが、政財界の人たちは完全に洗脳されていると感じました。私が非常に危険だと感じたのは、中国の総領事館を作って二〇〇万人の中国人観光客を呼び込むという話が既定路線になっていることです。特に政治家たちは、それが地元の振興になるとさえ考えています。確かに最初のうちは計画通りに事が進むでしょう。なぜなら、中国政府の指導があれば、年間二〇〇万人の観光客を送ることなど簡単だからです。しかし、毎年二〇〇万人の観光客が来て、その間にいろいろな拠点を作って、気が付けば日本から沖縄を分離するような環境を整えているはずです。そのとき中国は、それは沖縄市民の意志によるものであり、我々は請われて動いていると自分たちを正当化するでしょう。
 大量の観光客は「アメとムチ」の役割を果たすことも忘れてはなりません。中国人観光客によって一時的に潤っても、それに依存する経済になつてしまうと取り返しがつきません。昨年、尖閣諸島問題が起きるとパタツと中国人観光客が来なくなりましたが、送り出すだけでなく、政府が観光客を止めることも自在なのです。こうなると、仮に沖縄で中国を警戒する気運が出てきたとしても、簡単に封じ込めることができます。要は沖縄を麻薬漬けにして、言うことを聞かなければ麻薬をあげないよという狙いも隠されているのです。


◇チベットの戦略的重要性

 今日の日本では「平和」ということが金科玉条となつています。これはチベットが中国の侵略を受けた一九五〇年当時、チベットでさかんに口にされた「仏教を護る」ということに酷似しています。何にもまさって正当化されてしまう。その結果はと言えば、二章に述べた通りです。
 同時に当時のチベット人、特に指導者層は残念ながら自分たちの権益のことしか考えておらず、国家という観点からものを考えていませんでした。今、日本も状況が似ていると思います。企業の利益、あるいは一地方の利益が優先されるべきという考えが主流になつてきています。一つ例を挙げれば、民主党が掲げる「地域主権」などという言葉には、幕末以来、日本の近代化に貢献してきた人たちが墓の下で嘆いているはずです。自分たちは一生懸命国内を統一して中央集権を確立し、強い日本を作ろうと頑張ってきたのに、今、それをどんどん分離し弱体化し、国家を解体していこうという勢力が発言力を増しているのです。
 また、武力による侵略だけでしたら、チベットもそれなりに抵抗できたと思います。アメリカがゲリラの抵抗でイラクやアフガニスタンから手を引かざるを得ないように、地の利を生かして戦えばそれなりに頑張れるものです。しかし、中国はチベット内部を撹乱し、分断させ、そして脅したり懐柔したりしながら、時間をかけて巧妙に侵略していったのです。日本においても、解放工作要綱に書かれているような心理的な侵略が進行しているということをしっかりと認識しなければなりません。
 是非、世界の人たちに知ってもらいたいのは、チベット問題はチベット人だけの問題ではないということです。特にアジアの人々に理解してもらいたいのは、チベットの戦略的、地政学的な重要性です。中国がアジア全体を支配しようとする覇権主義を進める上で、チベットはその第一歩だったと思います。チベットはミャンマー、インド、パキスタンと国境を接していますし、かつてはアフガニスタン、モンゴルとも国境を接していました。つまり、中国にとって、南アジアおよび南西アジアに進出するための、地政学上の非常に重要な拠点だったのです。
 もう一点は、中国の三一億人の人口のうち、一二億人近くがいわゆる漢人ですから、その人々を養っていくためには食橿を始め相当の資源が必要です。その意味ではチベットは地下資源が豊富であり、また、アジアの大河の源流が全てチベットにあることからもわかるように、水資源も豊富です。それら資源の獲得ということが目的にあったと思います。
 そして今、尖閣諸島周辺や日本各地の森林で起きていることは、その資源収奪の領域が拡大しつつあるということなのです。




資料編 「日本解放第二期工作要綱
     (各種のテキストを参照し国民新聞に準じたものである)
      ⇒([2012年の李春光スパイ事件]へ)


A.基本戦略・任務・手段
(一)基本戦略
 我が党(中国共産党)の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。

(二)解放工作租の任務
 日本の平和解放は、下の三段階を経て達成する。
 第一期目標 我が国との国交正常化
 第二期目標 民主連合政府の形成
 第三期目標 日本人民民主共和国の樹立−天皇を戦犯の首魁として処刑
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、右の第二項、すなわち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。

(三)任務速成の手段
 本工作組の上記の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。すなわち工作者は最終行動者ではなく、隠れた使吸音、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
 本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。


B.工作主点の行動要項

第一.群衆掌握の心理戦

 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感をいだかせる、という、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感をいだかせる目的は、我が党、我が国(中共)への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する「中共を警戒せよ! 日本支配の謀略をやっている」との呼び掛けを一笑にふし、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。

(一)展示会・演劇・スポーツ
 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人大衆がシナ大陸に対し、今なお持っている「かがやかしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージをかきたて、更に高まらせることである。我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然ふれなくてもかまわない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンのごとく、試合に勝つものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。

(二)教育面での奉仕
 @中国語学習センターの聞役
 全国都道府県の主要都市の全てに「中国語学習センター」を開設し、教師を無報酬で派遣する。教師は、一名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て二〇歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
 A大学への中国人中国指教師派遣
 中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。申し入れをえん曲に拒否した場合は「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。しかし、第一回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
 B留学生奨学金
 毎年、二〇〇〇名の高校卒業生に対して、必要費用全額無条件給付の奨学金を発給し、わが国の大学へ留学せしめる。第一年度の応募状況により、第二年度の人数を五〇〇〇名以内まで増加してよい。
 補足:下記の日本が国費でシナ人・韓国人留学生を支援しているが、
    彼らは卒業後2年で日本国籍を取得し、一族郎党を呼び寄せ、人民解放軍日本支部に
    変貌する。反日国家への支援を止め、日本人学生と友好国への支援に切り替えよう!
     



(三)「委員会」開投
 「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
 なお、本項の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。


第二.マスコミ工作

 大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と呼んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞・雑誌が世論を作った。今日では、新聞・雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉大なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、まずイデオロギー面の活動を行う」と教えている。田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。
 日本の保守反動政府をいくえにも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは、日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等みずからの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。
 田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。


(一)新聞と雑誌
 ■接触線の拡大
 新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余 の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「一〇人の記者よりは、一人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
 ■「民主連合政府」について
 「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。「民主連合政府」反対の論調を上げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式とを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の督戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。「極右の悪質なデマで、取り上げるにも催しない」という形の否定が望ましい。
 ■強調せしむべき論調の方向
@大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
A朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
B政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支援する。特に、在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して政舞すべきである。大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政肘樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
C人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
 ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定をいう。「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の解放をいう。「民主」とは、国家権力の排除をいう。「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進をいう。「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。


(二)テレビ・ラジオ等
 ■これらは、資本主義国においては「娯楽」
 政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を刺激する音楽、歌謡等は好ましい。反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、映像、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
 ■テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。
 画面は事実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
 ■時事解説・教養番組等について
 新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。

   (略)


第三.政党工作

(一)連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
 一九七二年七月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約六〇名、参議院では一〇余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する
 しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この二点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻困となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立のための手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貢的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義はまったくない。


(二)議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下におく。
■第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少四線設定する。
■右のほか、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の三者に、個別に接触線を最少二線設定する。
■右の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏らさず了解する。
■右により各党ごとに議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
■「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。


(三)招待旅行
 右の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
 ■各党別の旅行団
 団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法をとらしむるよう、工作せねばならない。
 ■党派を遇えた議員旅行団
 議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
 ■駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低一回、我が国へ旅行せしめねばならない
 自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を極秘裏に行う。


(四)対自民党工作
1.基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。自民党より、衆議院では六〇名前後、参議院では一〇余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、また表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。

2.手段
 自民党内派閥の対立を激化せしめる。自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。今回はそれを許してならない。
 田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派・三木派・三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。
 総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となつて政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
 政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから議員又は団体というがごとくに間接的に行うのはいうまでもない。

3.先に述べた議員個人の掌撞は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。


(五)対社会・公明・民社各党工作
 ■基本方針
 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
 ■手段 自民党の項に同じ。


(六)「政党工作租」で親和
 対政党工作は「連合政府樹立工作」の中心をなすものであり、本工作組に政党工作部を設け、その下部機構を、自民党班、社会党班、公明党班、民社党班の四班に分かち、各班毎に派閥名を冠した派閥小組を設ける。

(以下略)


 ■産経:台湾のクリミア化を断固阻止!、台湾学生ら議場占拠。2014/03/20
 台中間のサービス分野の市場開放に反対する学生達数百人が警官の警備を突破し、議事堂内に乱入し、占拠した。一般市民による議場の占拠は史上初めて。また、一時は議事堂周辺を約千人の学生らが包囲し、撤回を要求した。…中国批判だから、NHKは報道しない。(⇒[台湾のクリミア化を断固阻止!]参照願います)
 ◇学生と青年側の主張はこうだ。 Netより
 ただ今、国民政府は台湾を丸ごと中国に返還する同然の法律を強行通過させようとしています。幸い我が台湾の新世代有志青年達はそれに対抗して、国会議事堂を突破し、それを阻止することにしたが、国民政府は逆ギレで警察に命じ、学生と青年達を逮捕しようとしています。
 どうか日本のメディアにこのニュースを公開して下さい。この台湾を助けて下さい。我が愛する日本よ!
 ◇台中間のサービス分野の市場開放への反対理由
  1. 中国にのみ有利な自由貿易法案で、中国からの輸入は大幅に増えるが、台湾からの輸出には得はありません。
  2. 医療については、台湾医師が中国に行ってしまい、台湾に残る医師のほとんどが中国人になり、医療の質が落ちる。
  3. 中国人が自由に台湾の土地を買い占めることができ、中国人ばかりが地主になる。
  4. 台湾人の給与が減り続け、中国人と同じになってしまう。増えるのは税金と生活費だけ。
  5. 中国の毒入り食物が食べられるようになる。毒入り餃子とか。
  6. 台湾の銀行株の60%以上が、中国人為買い占められる。
  7. ネット通信の全てが、中国政府に監視されるようになる。
  8. 中国人は莫大な利益を得ながら、無条件に台湾に移民できるようになる。
  9. 衣食住に加え、交通機関他全てのものが中国に浸食されます。
  10. 学校教科書や本屋の書籍で、共産党思想を潜ませ、洗脳教育を行おうとしている。




「日本の掠奪」知ったら怖くなる中国政府と人民解放軍の実態
       〜(元中国共産党エリートの独白)〜桜の花出版:鳴霞(メイカ)著


はじめにから抜粋

 私の叔母は看護婦で日本語をよく喋っていた。満州国時代に勤務していた病院には日本の医師が沢山いて、よく日本語で会話をしていたそうだ。日本人についての話は子供の頃から祖父母にもよく聞いていたものだ。
 祖父は戦争中は関東軍に野菜を売りに行ったりしていたそうだが、日本兵は真面目で礼儀正しかったといつも言っていた。お金が少し足りない時など、また今度でいいと言っても「いやすぐに払うから、ちょっと待ってくれ」と言ってお金を用意してきたという話だ。
 それに比べ蒋介石の国民党は乱暴で、自分達の為に民間人や中国共産党員を殺したり酷かったという。同じ中国人でも八路軍(華北方面で活動していた中国共産党軍の通称)はそれより礼儀正しかったとも聞いている(※それはシナ人を味方に付けようとしたから)。いずれにしても、祖父は日本が大好きだった。…
 日本に来て思うのは、日本には満洲のような良さがあるということだ。満洲国の発展は当時の日本のお陰だった。今の日本は不景気と言うが、それでも豊かで世界中から人が来る。当時の満洲国も同じような状態だったそうだ。祖父はよく、満洲に大陸中の各省、特に南方の貧窮した省からどんどん人が集まって来たと言っていたものだ。ロシア人も、朝鮮人も、南方からも、多くの人が集まって来たそうだ。そして、随分平和だったとも聞いている。
 しかし、戦争が終わる1945年頃には、ソ連軍が入って来て目茶苦茶になった。祖父の働いていた工場も、機械どころかカーテンまで一枚残らずソ連に持って行かれたそうだ。だから、私の父などはソ連が一番悪者だと言っているくらいだ。
 かつて、満洲が発展したのは、日本が力を入れたからだ。日本人のお陰で満州は発展したと言ってよい。年輩で満州国時代を知っている人は、今でもあの時代は幸せだったと皆言うのだ。現在と比べても、やはり満州国の時代が良いという。…
 今も日本は中国を援助しているが、あのような援助は百害あって一利なしである。日本はODAなどやめた方が良いのだ。中国の本当に困っている人民の為にはならず、また日本のためにもならない。
 満州国を作った当時の日本は素晴らしかった。しかし、今の日本人は平和ボケだ。日本の資金で人民解放軍はどんどん増強されている。人民解放軍という世界平和への脅威を育てて来たのは日本のカネと技術だと言って間違いない。日本人は、日本の援助が結果として何を齎してしまったのかを知らなければならない。日本の国を侵略する為の軍隊のスポンサーになっているのが、平和ボケした日本人の姿なのである。
 中国共産党は理念とは裏腹に、内部の権力闘争に明け暮れ、目を奪うばかりの腐敗にまみれている。その結果、中国内の8割以上の人民は、搾取され、貧困にあえぎ、しかも政府への意見を言う権利まで奪われている。このような共産党にとって最も有難いサポーターは日本だ。日本は中国を援助することで、世界平和の破壊に加担し、中国人民や周辺諸国への弾圧に加担してもいるのだ。
 その結果、中国は周辺国を軍事力で侵略し、チベットやウイグル名の二は今も理不尽で残虐な弾圧を加え続けている。また国境のないブータンからはこっそり国土を奪い、隣国のインドとも領土紛争を起こし、尖閣諸島や南沙諸島など他国の領海は、平気で侵犯し、あわよくば自国の領土に組み込もうとしている。
 このままでは日本はいつか、自分の所為で中国に呑み込まれることになるだろう。満洲にソ連軍がやって来た時には本当に悲惨な状況だったそうだ。それと同じことが日本に起こるかも知れない。
 私の故郷の満州では満州語を話す人も少なくなった。今の高齢の人がいなくなれば全滅だろう。新疆もチベットも弾圧され、文化は無くなり民族は滅びようとしている。日本はこの現実を認識しないといけない。ただ「日中友好」と言えば平和が来ると思っていたら大間違いだ。
 日本は東日本大震災で大変なダメージを受けた。しかし、日本は近いうちにそれよりも恐ろしい状況になるかも知れないのだ。震災や原発事故では政府の対応のまずさが被害を大きくした。中国問題も同じことだ。日本政府は中共の侵略行為に対して、世界から笑われ馬鹿にされるような対応をしている。日本人はもっと本当の中国がどのようなものかを知って、中国共産党にも毅然とした態度で臨まなくてならない。またそうすることが、今共産党の下で苦しんでいる大多数の中国人民の為にもなるのである。
 中国を支配する共産党の真実を知る日本人が増えることは重要だ。日本人は、日本と世界に未来について真剣に考えて行動して欲しい。そうすれば、やがて中国を変え、虐げられた人々が救われることにもなるだろう。それが、満洲で生まれ、日本に帰化した私の願いである。

 1946年
第二次世界大戦終結後、共産党と国民党軍の内戦により、一般人を含む死者の総計はシナ事変を上回る。
 1949年
東トルキスタン共和国侵略、占領、大虐殺、近年も40回以上の地上核実験あるいは強制堕胎を行い民族浄化(虐殺)を現在も継続中。
 1950年
大躍進政策で自国民3千万人餓死、文化大革命で1千万人以上と言われる自国民大虐殺開始。
 1950年
朝鮮戦争参戦
 1951年
チベット侵略、占領、大虐殺、民族浄化(虐殺)を現在も継統中。
 1954年
第一次台湾海峡危機 金門島の守備に当たっていた台湾軍に対し砲撃。
 1955年
一江山島を侵略・占拠、台湾軍の指揮官である壬生明は手榴弾により自決。
 1958年
第二次台湾海峡危機 台湾の金門守備隊に対し砲撃を開始、44日間に50万発もの砲撃。
 1959年
インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領。
 1965年
台湾との間で三つの海戦−東引海戦・東山海戦・烏丘海戦。
 1969年
珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突。
 1973年
中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射。
 1974年
ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略し占領。
 1976年
カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援。
 1976年
第一次天安門事件 民主化を求める2万人近くの群衆を警官隊が襲撃。
 1979年
ベトナム侵略(中越戦争)、中国は懲罰戦争と表明。
 1988年
スプラトリー諸島(南沙諸島)を戦車や機関銃などの武器で軍事侵略、占領。
 1989年
天安門事件(第二次天安門事件)で学生や市民たちを虐殺。
 1992年
南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言。
 1995年
フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領。
 1996年
台湾総統選挙桐喝、台湾沖にミサイル攻撃、米空母2隻が出動。
 1997年
日本領土である尖閣諸島の領有を宣言、フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言。
 2003年
スーダンのダルフール大虐殺を強力支援。
 2005年
日本の排他的経済水域内の天然ガス資源を掘削。
 20O8年
チベットで200名以上が虐殺、弾圧される。
 2009年
広東省の玩具工場で強制労働に従事するウイグル人が銃殺、撲殺される。
 他多数 現在も進行中

終わりにから抜粋

 中国は古い歴史と文化を持ち、本来であれば、堂々たる大国になれるはずだった。しかし、中国共産党の独裁支配下にある現在の中国は、お世辞にも立派な国家とは言えない。周辺国を軍事力で侵略し、チベットやウイグルなどにはいまも理不尽で残虐な弾圧を加え続けている。また国交のないブータンからはこつそり国土を奪い、隣国のインドとも領土紛争を起こし、尖閣諸島や南沙諸島など他国の領土領海は、平気で侵犯し、あわよくば自国の領土に組み込もうとしている。
 日本はこのような中共の暴虐を容認している。それどころかODAをはじめとして、各種の経済協力や技術協力によって中共を助けているのだ。中国軍(人民解放軍)という世界平和への脅威を育てたのは日本の金と技術だと言って間違いない。
 日本人は、日本の援助が結果として何をもたらしてしまったのかを知らなければならないだろう。南京大虐殺記念館などが日本のおかげで出来ていることなどまだマシかもしれない。自分の国を侵略するための軍隊のスポンサーになっているのが、平和ボケした日本人の姿なのである。
 中国共産党は理念とは裏腹に、内部の権力闘争に明け暮れ、目を穫うばかりの腐敗にまみれている。その結果、中国内の8割以上の人民は、搾取され、貧困にあえぎ、しかも政府への意見を言う権利まで奪われている。このような中国共産党にとって最も有難いサポーターが日本だ。日本は中国を援助することで、世界平和の破壊に加担し、中国人民や周辺諸国への弾圧に加担してもいるのだ。
 本書は、中国共産党と人民解放軍について、あまり日本のマスコミが報道しないような情報を中心にまとめている。現在の日本と中国の真実を知るために、できるだけ多くの日本人に読んで欲しいと思う。
 中国を支配する共産党の真実を知る日本人が増えることは重要だ。日本人は、日本と世界の未来について真剣に考えて行動して欲しい。そうすれば、やがて中国を変え、虐げられた人々が救われることにもなるだろう。それが、満州で生まれ、日本に帰化した筆者の願いである。

* * *

 2012/11/11の産経「米中新体制への対応を考える」で、シナからの資金流出(ホットマネー)が昨年末から異常に増大中だ。しかも人民解放軍4名が武器を持ちだし脱走し、家族が中共から理不尽に土地を取り上げられたことへの仕返しを計画していたことが発覚している。だから、人民と軍部の不満による暴動を恐れ、貴族は財産と家族を海外に移住しているのだ。日本企業も貴族に習うべきだと思う。

 人民大会開催中の2012/11/10に、広東省書記長が尖閣シナ領土を前提に、日中友好に期待できると述べ、胡氏が所得倍増計画を発表し、その中で日本に触れて、20年までにGDPを2倍にすると狂気の発言をした。だが日本人は中国の軟化を期待できないし、騙されてはならない。
 なぜなら、現在の利権独占社会では、結局、貴族に富が集中し、貧乏人には富だけではなく、人権までもが存在しないのは何ら変わらない。しかし、軍事力は三隻の空母及び原潜他近代兵器の増強により、米国と並び、世界支配に手が届く所まで行き着くことだろう。
 ではどのようにして実現すると目論んでいるのだろうか。日本の人口は約1億人、シナの人口は10億人以上、足せば簡単にGDPは2倍になる。シナは棄民してでも、今後20年で日本乗っ取りと、世界制覇を本気で企てている!(一方、米国は約2億人で、もし日本が属州になれば、日本人大統領が誕生する可能性も有り、絶対に属州にはしない。)
 というのは、シナの多くの都市では水と食糧が不足しており、水・森林を日本から買い漁っている。それ以上に、余分の人口を日本に捨てることを真剣に考えているのだ「棄民」。大量の貧民層が日本を占領する可能性がある。これで、共産党大会の、20年までに所得倍増が可能なわけだ?!だからこそ、憲法違反の人権委員会、憲法違反の外国人参政権が成立すれば、日本は戦わずして占領されてしまう可能性が大きいのだ。
 また、中共は世界中で資源を買いあさっているが、豪、加、露などでは、外国人が森林水源などの不動産を買うことを法規制している。これはシナ人を排除するためだ。だからこそ、スパイ防止法、移民法、外国人土地取得に欧米並みの法律が絶対に必要なのです。加えて、日元直接取引、シナ国債、日中スワップ債の中止、シナへの投資を暫時減少させて、日本人の意思を明確にしたい。


 ■[日本掠奪]より抜粋
 ■毛沢東崇拝の周近平氏の時代
 周近平は高級幹部の子だが、地方に流され、学識も無く、地方での凡庸な業績しか無かった。江沢民と胡錦濤はそれぞれ後継者を指名したが、江氏の後継者が失脚し、江氏は共青団派の拡張を恐れ、太子党の習氏を担ぎ出した。2007年、江氏は多数派工作に成功し、胡氏は全面対決を避けて、習氏が副主席に指名された。尚、彼の妻は現役少将で、実績も学識も無い彼は基盤の脆弱で、やはり軍部に依存するしかないかも!? 尚、習氏の親族の資産を3億7600万ドル(約305億円)規模、他にも家族はカナダに資産と国籍を持っています。
 周近平氏は、2009年7月5日のウルムチにおけるウイグル人大虐殺の総責任者です。当時は、国家主席の座を狙ってた。

◇1万人が暴徒化、警官隊と衝突!! 習近平氏の元勤務地で:2012/11/18毎日
 中国福建省寧徳市(習近平・共産党総書記が1988〜90年に党委員会書記を務め、腐敗摘発に力を入れたとされる場所)で17日夜、交通事故を取り締まった。公安当局が約5万元(約63万円)で偽のナンバープレートを売っており、住民は事故を起こした車が偽プレートを付けていたと疑い、公安当局に不満を持つ約1万人が警察車両を破壊するなど暴徒化し、警官隊との衝突で少なくとも20人が負傷したという。党宣伝部門は中国版ツイッター「微博」から関連の書き込みを削除するなど情報統制に躍起となっている。
※だとすれば、高級幹部子弟の習氏が苦渋の青春時代を送り、勉学もできずに、努力を重ね、周囲から持ち上げられ共産党へと云う履歴は、金親子同様にフィクションだったんですね。

 ■日本はシナの暴力には屈しない 産経2012/11/11
駐仏シナ大使の尖閣領有寄稿を掲載したルモンド紙は、駐仏日本大使の寄稿も掲載した。小松大使は、シナ側主張は「戦後の国際的法秩序を一方的に改変しようとする」と批判し、反日活動で在留邦人が危害を受けたことについて「日本は暴力には屈しない」と強調した。
 ■「シナの政治は硬直している」ダライラマ十四世 2012/11/11北国
 訪日中のダライ・ラマは10日、近く発足する習近平氏ら中国の新指導部について「少し(評価の時期が)早すぎるが、ある人たち、指導者は希望的な観測は持てると思う」と指摘。その上で「中国の民族というよりも、政治、社会体制自体が硬直している」と語り、変革が必要との考えをにじませた。
 ダライ・ラマは中国に追われ、1959年にチベットからインドに亡命した。チベットの「高度な自治」を求めるダライ・ラマを、中国政府は「分裂主義者」と位置付け、今回の訪日についても中国外務省が日本政府に抗議している。
 中国国内で、自身の帰遭などを求めてチベット族の焼身自殺が相次いでいることに「大変、残念だ。中国政府はなぜこういうことが起きているか、原因を探るべきだ」と沈痛な表情を見せた。その上で、「中国は『ダライ・ラマが(自殺を)やらせている』と言っているが、人のせいにしている。中国人の頭の硬い人たちはチベット人たちの原郷を意図的に壊滅させようとしている」と批判した。
 ダライ・ラマは昨年、チベット亡命政府の政治指導者からの引退を決めており、自身の立場について「議会のメンバーとはアドバイザーとして話を聞いたりしているが、公的な立場としては完全に引退している」とした。石川県にはチベット難民支援グループ「佛性会」の招きで8度、訪れている。
 ■今日もチベットでは焼身自殺が より抜粋
 11月8日に中国の次の10年間の指導者を決める「全国人民代表者会議」略して「全人代」が北京で開幕しました。しかし、この党大会の前日、11月7日の一日だけで青海省のチベット人自治区では5人が焼身自殺しました。この5人の中に23歳の遊牧民の女性、15歳の僧侶、16歳の僧侶が含まれていたことが分かっています。
 11月9日にはチベットのレゴンというところにある州立師範学校、民族高校、職業訓練校の生徒たち数千人(1万人という報道もあります)が行進しながら、ダライ・ラマの長寿を祈る「♪雪山に囲まれしこの浄土のすべての福利と幸福の源、観音菩薩であられるダライ・ラマ法王よ、濁世の終わりまで留まられますように♪」という詩句を唱え、「チベットに自由を!」「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!」というスローガンを叫んだそうです。
 レゴン市内のチベット人の数は2万人にもならないそうです。そんな場所で1万人近いチベット人が、それも若者がいっせいに立ち上がったのです。これはほとんど一斉蜂起と言ってもおかしくないと思います。
 「全人代」の前からこのような事態は予想されていて、チベットでは電話やネットがつながりにくくなっていました。焼身自殺の防止のためにガソリンや灯油の販売が制限され、ガソリンを買うためには許可証が必要という地域もありました。では、なぜ党大会の前後でこのような事態が予想されていたのでしょうか?
 党大会の最中に暴動が起き、それを鎮圧するために軍隊を出したら国内の混乱を国際社会に知られることになるので、さすがに中国政府も武力弾圧はできません。できることはせいぜい党大会が終わってから、ビデオを見て騒ぎの首謀者を逮捕することぐらいでしょう。そのことが分かっているからチベット人も抗議活動を党大会前後に集中させたのです。
 1950年、人民解放軍が突如、チベットに侵攻してからなんと120万人もの罪のないチベット人が殺されました。チベット仏教の寺院は焼かれ、僧侶は拷問され、処刑されました。中国政府はチベットに鉄道を敷いたとか、住宅を整備した、とか所得を増やした、などとチベット統治を自画自賛していますが、今年になってもう80人以上のチベット人が焼身自殺をしているのです。これでもチベット統治が成功したと強弁できるのでしょうか?
 日本に帰化した元チベット人のペマ・ギャルポさんの講演を聞きに行ったことがあります。チベットではトイレの中にも監視カメラが取り付けられているそうです。5人以上の人間が集まって話をしていると「集会」と見なされるので仲間と集まることもできず、一人で焼身自殺するそうです。焼身自殺、といってもただガソリンをかぶっただけでは死ねない可能性があるので、ガソリンを飲んでからガソリンをかぶり、自分の体に火をつけるそうです。
 以前は僧侶や尼僧の焼身自殺が多かったのですが、最近はごく普通の主婦、それも幼い子供を残して死ぬ女性もいるそうです。どれほど絶望して死を選んだのだろうか、と思うと胸が痛みます。
 ■ダライ・ラマが初めて国会内で講演 2012/11/14産経
 13日、国会内で講演し、中国国内で相次ぐチベット族の焼身自殺について「中国政府は何が原因かを調べるべき だが、地方政府は恐らく正確に報告していない」と指摘。「外国の議員団が訪問し、 現状を報告すれば、中国の高官も真の姿を知ることができるだろう」と語り、チベット族居住地域への国会議員団の訪問を要請した。
 13日に発足した超党派の「チベット支援国会議員連盟」は「チベットおよびウイグルなどに対する中国の不当な人権弾圧について、改善を中国政府に厳しく求めていく」とするアピール文を採択。安倍総裁は「チベットの現状を変えていくため全力を尽くす」とあいさつし、ダライ・ラマから白いスカーフ(白いスカーフは心からの敬意のしるしだそうです )を贈呈された。
 ■日中友好欺瞞と幻想の40年は終わった[石原慎太郎]より
ダライ・ラマ法王やその側近のペマ・ギャルポさんお二人によると、チベットからインドやネパールに山中を越えて亡命しようとする少年僧を中国国境警備隊はウサギ狩りをするように撃ち殺しているそうな。その様子がルーマニア登山家に撮られユーチューブに流れています。ダライ・ラマ14世は2012年12日、沖縄県八重瀬町で会見し、多くの米軍基地を抱える沖縄の現状について「外国の軍事基地があることは正しいことではないが、不幸にも世界にはそういう状況が存在している」と語った[時事]。


「中国人民解放軍知られたくない真実」
       〜(元中国共産党エリートの独白)〜桜の花出版:鳴霞(メイカ)著


■中国崩壊の兆し

 現在の中国では、退役軍人たちが全国各地でデモを繰り広げ、地方政府や警察との衝突では流血の事態となっており、その動乱は首都におよびつつある。北京新華門にある人民解放軍総部にまで退役軍人の抗議の怒声は響き渡り、内部崩壊の危機感は軍官僚を震え上がらせている。「対日戦争を開始して人民解放軍に対する批判の矛先を日本に向けよう」という結論に至るまで、そう時間を要するものではない。中国では法律を改正し、日本との合弁企業を軍の一存で収奪できるようにして戦争準備を着々と進め始めている。
 多くの退役軍人の生活費は、年金による1カ月200元(約2600円)だけである。そんな中で現役軍人の給与を引き上げたのは、退役軍人たちの不満の火に抽を注ぐ結果となつた。
 国防部長の梁光烈は、すべての問題を解決するために「東海艦隊は釣魚島(尖閣諸島の中国名)を奪還せよ」と叫び始めた。また、国内向けに軍の威勢を誇示している人民解放軍とすれば、国際社会が「中国の軍拡」「中国脅威論」などと騒いでくれることが嬉しくてしようがない。……
 白い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのが良い猫だと人民を教育した結果、中国には「利益集団」「利権組織」が誕生した。上から下まで官僚たちの腐敗は深刻な状態まで進み、共産中国には道徳も正義も完全に消滅している。
 他人を騙して自分だけ儲けようという行為が正当だと教育された人民は、中国共産党の「人減らし政策」によって海外に送り出されており、そこで現地人と結婚して国籍を取得し、鼠のように殖えてゆく。日本にはあと1000万人の中国移民を受け入れさせることになっているというが、そうなれば日本社会は中国と歩みをそろえて崩壊に向かうことになる。…中国国内では、3年間でじつに1000万件を超えるデモが発生し、社会崩壊は一気に加速している。
 中国はいま「水問題」「国土の基盤沈下」「食程問題」「失業者問題」「数億人の病人問題」を抱えている。国のトップたちは親族を海外に移住させ、いつでも国を棄てて逃亡する準備に、国の金を横領している。「愛国心」などは存在しない特権階級の人々が、共産党や解放軍を捨てて逃亡するとき、中国社会は崩壊し、不満をため込んだ現役・退役軍人たちが暴発することも考えられる。
 こうした問題への解決策として、梁光烈が主張する「中日友好を訴えながら、尖閣諸島や沖縄を掠奪することが、有効な緊急行動だと考えられている。そして、人民解放軍は、在日米軍がストレスであると明らかにしており、沖縄の駐留米軍が撤退すれば、それに代わって解放軍が駐留すると表明している。2011年9月、人民解放軍のスポークスマンが、日中領土紛争の解決策として、尖閣諸島周辺に軍艦を派遣すると発表した。それに加えて、日本円の為替レートを上げて、日本の輸出企業をたたきのめすと発表した。(※民主党政権と白川日銀総裁そのものだ)


■日本の技術・資金が中共軍の軍備を支えている

 1989年に天安門事件で解放軍が自国民を虐殺するのを見たアメリカは、ナから手を引いたためシナ軍戦闘機の開発が頓挫した。そこで中国はイスラエルに接近、その技術援助を得てようやく完成した。この戦闘機の製作には1機約2000万ドル〜約3000万ドルかかるという。天安門事件のあと各国が中国との合作を解消する中、日本の「親中国派」だけが積極的に合作を続けていた。高価な戦闘機を揃えるのには、日本の経済援助が必要だったのである。
 毛沢東の経済政策が崩壊する直前の1975年、それを救済したのは日本からの資金・技術・人材であった。このODAによって、中国は強国強軍に向けて突っ走ってきた。「親中派」の売国日本人たちは、一般の日本人が知らないところで現在も中国支援を続けているのである。
 中国ではもともと、軍艦用の鋼板を自国で製造することができなかった。現在の中国国産艦は、日本が提供した技術と設備で製造された鋼板を用いて、日本が指導した造船技術を使って建造されているのである。
 1977年に「上海宝山鋼鉄工場」(宝鋼集団の前身)の設備と技術が、日本の「新日鉄」から援助導入された。翌乃年に「中技公司」と「新日鉄」は北京で協議書に調印して上海宝山鋼鉄工場を創業することになった。これには「三井グループ」も深く関与し、「東芝」「石川島播磨重工業」も上海宝山を育てるために設備や技術の供給を続けた。
 「地下の万里の長城」は、深さ数百メートルで、日本のODAによって製鉄・鋼板製造技術を資金と共に供与した結果、地下トンネルは外部からの核攻撃にも耐える要塞となった。
 いわば日本の大企業が中国に空母を造らせて、自国に脅威を与えているのだ。「その時点では中国の覇権主義に気づかなかった」と釈明するのであれば、そのような人は企業経営者として失格であろう。


■人民ではなく「党」を守る軍隊

 中国には正規軍である人民解放軍230万人に加え、900万人の民兵組織がある。さらに予備役が4000万人おり、尖閣諸島の問題などは、民兵と予備役だけで十分解決できると言うものさえいる。確かに、正規軍と予備役を合計して5000万人という兵力を持っていれば、どこの国でも占領できるであろう。
 国軍ではなく中国共産党の党軍である人民解放軍は、党の命令があれば人民を虐殺する。中国は「党が国家を指導する」という一党独裁のファシズム体制であり、人民解放軍は「党の用心棒」として存在するのであって、国民を守る軍ではないのだ。
 1989年、北京の天安門広場に集まった中国の学生たちは、解放軍によって党に反逆する勢力として虐殺された。丸腰の学生たちに向かって、解放軍は銃を乱射し、戦車で轢き殺して制圧した。解放軍は中国共産党だけを守ればよいのであって国民の命を保護する義務はない。
 人民解放軍は毛沢東の時代から現在までも、目的のためには人民を平気で虐殺する。この史実を知らなくては、日本を守ることはできない。
 「人命」などは「党」の前ではゴミと同じだという中国共産党に対し、日本人はなぜ平気で「経済第こなどと笑いながら握手するのか。「日中友好」を提唱している経済界や進出企業は、共産党や解放軍を強化する一翼を担っている責任をどのようにしてとるつもりなのだろうか。
◇雄県県城の虐殺事件
 1967年の真夏の河北省雄県県城の虐殺事件を「記憶の中で最大の心の傷」と感じている中国人は多い。その時、町には男たちが上半身裸で1列に並び、もう一方には下半身裸の女たちが並んでいた。男たちは針金を鎖骨のあたりに通されて、その針金が一本につながれていた。女たちは針金が肛門から陰部に通され、それが1本につながれていたのである。
 時折、この世のものとも思えない悲惨な悲鳴があちこちで上がった。10メートルほどの針金につながれた男女は、悲鳴を上げながら町中を見せしめのために引き回された。
 2時間ほどの市中引き回しの後、針金でつなげられた男女は北門城壁の刑場まで連行され、一緒に銃殺された。この男女は「罪人」でも「敵国人民」でもなく、人民解放軍第38軍に従わない派閥組織の捕虜だというだけで殺されたのである。


■国防部長・梁光烈が狙う軍事覇権

 梁光烈は、1989年の天安門虐殺では、大学生の虐殺の指揮をとっている。

◇日本の中小企業を中国へ呼び込め
 東日本大震災の後、日本貿易振興機構(JETRO)が中国側と申し合わせて、日本の中小企業や自動車部品製造業を中国に多数進出させている。すでに数十社が中国企業との合弁契約をまとめているという。また、江蘇省丹陽の招商局(外国企業誘致局)は、同地に整備中の工業団地に日本の部品工業企業の一大基地を建設しようと、投資を呼びかけている。
 一方、2011年6月には、広東省東莞市の日本企業で労働者2000人のデモが起こり、人事労働管理や貸金の問題訴えた。これは自由アジア放送が報道したが、日本のマスコミは報じなかった。
 じつは現在の中国では、人件費や光熱費の高騰で企業経常が成り立たなくなっており、2011年6月までに中小企業7万社が倒産している。しかし、JETROや親中派経済人の工作により自分たちの利益にならない真実の情報は報道規制されているのだ。
 日本の中小企業が中国に進出して金儲けが出来るのなら、中国の中小企業が数万社も倒産しているはずがないだろう。中共とすれば、日本の基幹産業の基礎を支えている中小企業を呼び込み、貸金と技術を吸い上げたあとで倒産させ、日本経済を弱体化させるのが目的なのである。「中国に依存しなければ」というデマをまき散らすのは、親中派の政治家や経済人の役目である。御用マスコミがその片棒をかつぎ、中共の利益が日本の不利益に直結するのである。

◇人民の怒りの矛先を日本へ
 香港「明報」の記事によれば、2011年6月18日朝、人民解放軍の香港駐屯部隊の現役・退役軍人の家族ら100人余りが香港駐屯軍基地にデモをかけた。基地前で「軍の高官はわれわれの家屋をとるな!」という横断幕を広げたが、すぐに基地から数十人の兵士が飛び出し、横断幕やプラカードを取り上げたという。(※だから、円高を誘導し、騙して日本企業を誘致して、シナ人民の暴動を抑えたいのだ。)

◇梁光烈の沖縄に対する基本姿勢
 香港の学者によれば、梁光烈の今後の目標は、「沖縄群島を日本から奪還する」ということらしい。まず彼の以前のスピーチを紹介しよう。
 「世界の強国になり、地域の強国になるには、海軍力の強化が不可欠だ。強力な海軍力で沖縄を奪い取り、そこから台湾を奪い取り、それから朝鮮半島を奪い取って完全支配する」
 梁光烈は真剣にこのように考えており、東海艦隊には「沖縄先制攻撃権」を与えている。中国艦隊が何度も沖縄近海を通過して演習しているのは、日本の自衛隊に対する威嚇と挑発である。
 軍内部からの情報では、2010年9月7日に尖閣諸島近くで海上保安庁の巡視船に激突した中国偽装漁船の船長らが石垣島に拘留されたさい、梁光烈は、「特殊部隊を派遣して船長を奪還し、東海艦隊を釣魚島に派遣して占領する」という計画を立てたそうだ。その提案を受けて温家宝首相は、「24時間以内に不当逮捕した船長を釈放するように国連に働きかける」と約束した。
 中国のネットには、「温家宝首相と梁光烈の強硬姿勢に恐れをなした日本側は、無条件で人質を釈放した」と書かれていた。
 梁光烈は中央軍事委員会の席で、「必要があるのなら、いつでも第二次朝鮮戦争を開始する。アメリカが韓国や沖縄を守るためにわが国に立ち向かうなら、核兵器で先制攻撃する」と豪語している。この発言は、軍事委員会の公式の席での国防部長による「対米戦争での核兵器先制使用宣言」であり、「第二次朝鮮戦争は中国の意志で開戦する」という了解事項である。


沖縄奪取を狙う中国の秘密計画

■東海艦隊司令部の台湾移転計画?
 中共の「環球網論壇」が報道したのだが、尖閣諸島を日本から奪い取るため、中国海軍の東海艦隊の司令部を台湾に移転させるという計画が進行中である。これは「琉球群島の千年国家計画」によるものである。
 2011年末、中共は秘密裏に50万香港ドルを出して、香港や台湾のメディアに広告を出した。内容は「中華民族琉球特別自治区授助準備委員会結成」についてである。
 中共は香港や台湾の民間人を利用し、また沖縄県民をも利用して、「中華琉球自治区」なるものを勝手に宣伝しているのである。賛成・反対の意見が多く出るほど、この悪宣伝は既成事実として認められてゆくのだ。
 7年前の「沖縄華僑華人連合会」設立から、沖縄と中共の関係は深まっていった。2004年3月24日、中国人が尖閣諸島上陸に成功した裏には、沖縄在住の華僑や華人の協力があったという事実は、今も中国の愛国ネットに詳しく書かれている。
 今後は日本に在住する中国人、華僑、日本に帰化した華人などが沖縄に移住を進めて、中共の計画が順調に進むよう活動を展開するだろう。中共は沖縄だけでなく台湾も奪い取り、東海艦隊司令部を台湾に移転する計画を立てているのである。

■沖縄奪取のための「釣魚島五大方策」
 中国は沖縄を日本から短時間で切り離し吸収するために、「釣魚島五大方策」というものを掲げている。
 1.世論戦・文化戦
 1980年代中期、反日教育としての「南京30万人大虐殺」には日本人政治家たちが協力した。だから今回も、「中華琉球特別自治区援助会」を世界中に宣伝して、反日の日本人政治家たちに協力させる。中国民間人・沖縄在住の華僑と華人・親中派日本人たちを激励して、国際的に沖縄独立を宣言させるようにする。
 2.国際紛争への介入
 日本がロシアと領有権を争う北方領土問題、韓国と領有権を争う竹島問題、それらに介入して、中国はロシアと韓国の正当性を主張し支援する。それから、日本が中国領土の「琉球」を侵略していることをアピールする。ロシアには、北方領土の領有権がロシアにあると中国が国際支援する見返りとして北方領土への中国人の移民を認めさせ、現地の開発を急ピッチで行なう。
 3.日本への経済制裁
 台湾問題や釣魚島問題などの中国の核心的利益を妨害する行為を日本が行なうようなら、中国に進出している日本企業をすべて経済制裁として接収し、それらの日本企業を倒産に追い込む
 4.琉球を大虐殺被害者として認定
 「琉球人」の独立を支持する。琉球は1000年以上にわたり独立国家だった。琉球人の祖先は福建省からの移民であり、琉球人と中華民族は同根同源であるが、1879年に日本によって武力侵略され、琉球民衆26万人余が虐殺された。この数字は、南京大虐殺と遜色ないものである。琉球は日本から被害を受けており、「琉球革命同志会」の根拠地となるべきである。中国と琉球の親交は1100年前からであり、日本に再侵略されて以降、琉球人民の反日・反米の独立闘争が停止したことは一度もない。日本は、ただ琉球を信託統治しているだけで、主権は日本にはない。チャンスをつかんで、中国が完全に主権を掌握するべきだ。中国の学者は、国際学術会議において「琉球と中国」の主権論・国家論・歴史的地位関係などを、証拠を提示して訴え、釣魚島に関する国際的主導権を掌握しなければならない。「沖縄」と呼んではならない。「琉球群島」と表示する。
 5.釣魚島の軍事占拠を推進
 海軍と空軍の軍事力を拡充し、兵力の投入が迅速に行なえるようにする。釣魚島上陸作戦に備える。釣魚島上陸のため海軍・空軍・陸軍が合同で作戦を調整する。米軍が沖縄から撤退するときがチャンスであり、その時には釣魚島を武力で制圧する。そのために重要なことは、解放軍東海艦隊司令部を台湾に移転させることである。
 6.沖縄と呼ばず琉球というのにも意味がある
 これは中国の人民に対する教育の一環でもある。沖純県民を扇動して、反米・反基地運動を活発化させ、独立機運を高め、それを支援しながら沖縄に中国人を移民させるのである。沖縄にある華僑総会や華僑商工会などの中国人は、世界中の華僑・華人に呼び掛けて、沖縄と交流し貿易し、沖縄に会社を設立させようとしている。




◆嘘八百の中国外相「六百年間支配」ASEM首脳会議で発言(2012/11/07)
 温家宝首相に代わりASEM首脳会議に出席した中国の楊は「釣魚島は昔から中国の領土として、明の時代から600年間支配している。日本の行動は、戦後の国際秩序と原則への重大な挑戦だ」と述べた。
 首相は退席。外務省の斎木昭隆・外務審議官「中国の代表は、歴史的にも国際的にも疑いなく日本が有効に支配している尖閣諸島について、執拗に不当な主張と、過去60年の平和国家のあり方を否定し、歴史をねじまげてその名誉を傷つける悪意にみちた発言を繰り返しているが、そのような発言は全く受け入れられない。中国は自国の発言に同調する国はまったくないということを認識すべきだ」と返した。[各紙]
 ■「日本が中国と戦うなら一緒に戦う」 (2012/11/07)
 東京都内で、日本人ビジネスマンのところに、インド、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム人、そして中国人のビジネスマンが集まった。もちろん、商売上の話で集まったのだが、話が進むうちに、「中国の横暴ぶり」が議論になった。
 中国人ビジネスマンがいるのに、インド、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム人のビジネスマンは、こぞって、「中国にいじめられてばかりいる」「中国には、辟易している」などと悪口三昧。
 このとき、日本人ビジネスマンは、「日本の自衛隊は、強い。中国人民解放軍など物の数ではない。第一、兵器が違う。パルス兵器など最新兵器で、蹴散らすことができる」などと話すと、インド、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム人のビジネスマンは、口々にこう言って、日本を応援する覚悟を示した。
⇒抜粋元:http://bylines.news.yahoo.co.jp/eikenitagaki/20121107-00022324/


「日本は好き?」アジア10か国の人々に聞いてみた より抜粋
 2か国を除き、どの国民も8割以上が「日本好き」と応えている。ネット国民にとっては納得です。反日マスコミは、この2国を諸外国という言い方をして、今回も安倍自民党を極右だとか、戦争するとか批判してますが、実はこの2国は世界からの嫌われ者で、少数意見なんですね。
  










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