フットボールの最先端はヨーロッパだが、全ての革命がそこから始まる訳ではない。
英国ではイタリア人指揮官クラウディオ・ラニエリが文字通り「人生で最高の瞬間」を謳歌し、世界最高の舞台では、敗れはしたものの闘将ディエゴ・シメオネとアトレティコ・マドリードが再び世界の頂点に近づいた。
終盤のデータを抜き出せば「過去10年でもプレミア最高レベル」の守備力を誇ったレスター・シティ、バルセロナとバイエルンを緻密な守備で封じ込め「パスサッカーを狩る集団」と称されたアトレティコ・マドリード。
2つのチームが得意とする守備形態は、概念的には大きく離れたものではない。彼らの守備形式は非常に緻密化して細分化されているが、ある「文脈」に沿ったものだ。そして、「文脈」の開始点に立つ「知られざる名将」が、スポーツ大国で起こしたのは守備戦術における「密かな革命」だった。
“It’s emotional, I hope my old fans are happy with me”
Ranieri returns to Stamford Bridge: https://t.co/dayS980TXN pic.twitter.com/4IVCqWkY73
— Premier League (@premierleague) 2016年5月15日
Ahora toca poner todos los sentidos en el importante partido de Liga pic.twitter.com/GN6tlElQlG
— Diego Pablo Simeone (@Simeone) 2016年3月16日
ポゼッション・フットボールの支配
「クアトロ・フゴーネス(黄金の4人組)」を擁したEURO2008のスペイン代表は、圧倒的な影響力を誇ったチームだった。特に、セスクの代役として活躍し、昨季ニューヨーク・コスモスでのプレーを最後に現役を引退したマルコス・セナが、キャリアでも最高レベルのパフォーマンスを見せたのは記憶に新しい。
“Melhor do que Xavi”, Marcos Senna relembra título da Euro com a Espanha e aposta no Tri https://t.co/Itg0scVgob pic.twitter.com/zoLWOPTQou
— Goal Brasil (@GoalBR) 2016年6月10日
守備力を備えた献身的なマルコス・セナがバランサーとして天才達を支え、シャビ、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバの3人が自在なポジショニングで相手を振り回す。
最も特徴的だったのは、全てのMFが「最高のパサーであっただけでなく、最高の受け手にもなれた」点にあった。ボジションチェンジを繰り返すことによって中央でフリーになる選手が出来れば、そこから素晴らしいパスが飛び出す。飛び出しながらそのパスを受けるのが、マルコス・セナになることすらあった。
端的に言えば、「相手がパサーを抑えれば守れる」という流れを終わらせたのだ。シャビを封じても、イニエスタやシルバが下がって問題なくパスを捌き始める。抑えられたシャビは一気にFWを追い越し、パスを受ける側になることも出来る。
このパスサッカー隆盛の時代は、革命家ペップ・グアルディオラによって更に完成度を増す。世に知られる「偽9番」、もしくは「0トップ」と呼ばれる戦術の導入は、ボランチにとって悪夢に近い状況を生む。ただでさえ流動的なバルセロナの中盤を抑えつつ、下がってくるCFメッシの対策までしなければならない。「中央で数的有利を生む」システムこそが、パスサッカーを支えた。
UEFA CHAMPIONS LEAGUE: Barcelona 3-1 Milan (Messi 2 y Busquets), (Piqué, p.p.). #futbolmania pic.twitter.com/0Bgm3Lr6Ci
— Fútbolmanía (@futbolmania_9) 2013年11月6日
マキシミリアーノ・アッレグリは、単純に「中央を3枚にしなければバルセロナを封じるのは難しい」ということを証明した1人だった。彼の率いたACミランの3センターはバルセロナの攻撃陣を苦しめ、圧倒的な守備者がいない状態でも「ポゼッションサッカーの破壊力を抑制する」ためのヒントを示した。当然枚数だけで守れるほど簡単なものではなく、アッレグリの緻密な戦術が素晴らしかったことも事実だ。
しかし、2人のMFで中央を守る戦術は「数的有利」を生み出す仕組みの急速な進化によって危機に瀕していた。パスサッカーを得意とする相手による中央の支配は、守備的なサッカーを苦しめた。単純に引けば、中盤で優位を保たれて嬲り殺される。だからこそ、彼らは突破口を求めていた。
プラネット・サークルとの邂逅
Allez Bradley!
Former @ussoccer boss Bob Bradley takes up Le Havre role: https://t.co/CL60l3Fl4a pic.twitter.com/4TQRHnI0IL
— beIN SPORTS USA (@beINSPORTSUSA) 2015年11月10日
「フットボール後進国」と呼ばれることもあるスポーツ大国、アメリカ。そんなアメリカで生まれた指揮官が戦術的な革命を起こすことを予想するものなど、当時は存在していなかったはずだ。
しかし、アメリカ代表、マイケル・ブラッドリーの父であり、2006年から2011年にかけてアメリカ代表を率いたボブ・ブラッドリーが「中盤の守備」に革命を起こす。22歳で指導者としてのキャリアを開始したブラッドリーは、アメリカの名指導者ブルース・アリーナの下でコーチを任された彼の「愛弟子」としても知られている。若くして指導者としての道に踏み込んだ彼が、アメリカ代表の指揮官になったのは2006年のことだった。
「プラネット・サークル」。アメリカ代表の守備戦術を説明する際に日本のメディアが使用していた単語だが、英語圏で実際に存在する単語ではない。あくまで日本の戦術分析家が「陣形が円のように見える」ことから名付けたものであり、「ブラッドリー監督本人が戦術を円と関連させていたかどうか」は闇の中だ。
だが偶然にもガーディアン紙などに寄稿する戦術分析の専門家マイケル・コックス氏も「円」を使ってアメリカ代表の戦術を分析していた点は興味深い。
筆者は、「プラネット・サークル」という戦術名はセンスの良いものだと思っている。遥かなる宇宙をイメージさせる革新的な戦術は、現代サッカーの中でも生きている。
「2つの円をイメージして選手達を配置し、その円を縮めるように中央を圧迫する」。端的に言えば、プラネット・サークルという言葉は円のように中盤を圧迫する守備戦術を指し示す。
実際に選手達が円を意識していたかは兎も角として、重要なのは「縦と横の幅を急激に圧縮した」という面だ。中盤4人を並べた基礎的なゾーンディフェンスを、極端に中央に圧縮する。2009年のコンフェデレーションズカップにおいて、スペイン代表を封じ込めたのはアメリカ代表だった。
この圧縮によってスペイン代表にとっての主戦場は、屈強なアメリカ人によって囲まれる狭いスペースとなる。彼らは露骨な中央へのプレッシャーで縦のパスコースを塞ぎ、何度となく名手達のスルーパスを奪い取った。まるで罠の様に、縦へのパスが相手に引っ掛かるのである。スペインの匠達は何度となく首をかしげ、違和感の中で精度を失っていった。
当然、スペイン代表も手薄な外を使ってアメリカを揺さぶろうとする。しかし、それでもアメリカ代表は中央の密集を崩さない。スペインもサイドから何度となくセンタリングを放り込むが、空中戦はアメリカの土俵。高く宙を舞うボールは、狙い通りとばかりにフィジカル自慢のDFが跳ね返す。
ブラッドリー監督が率いたアメリカ代表は、大成功を収めた訳ではない。あくまでW杯の前夜祭に、ほんの少し彩りを添えただけに過ぎない。しかし、彼らの勝利は少しずつフットボール界を変え始める。静かに、革命の炎が揺らぎ始めたのだ。
革命の意思を継ぐ者達
アメリカ代表の試みは、世界中の指導者達を震撼させるものとなる。非常にシンプルなアイディアではあるのだが、「サイドハーフはサイドを守る」という常識を覆すような中央への密集は多くの指揮官にとって盲点となっていた。
また、どうしてもサイドアタッカーを攻撃に使いたいということも、このアイディアを死角へと追いやっていた原因なのかもしれない。「横に並んだ4人のMFを、中央に急激に圧縮する」
革命の意思を継いだオットマー・ヒッツフェルトは、スイス代表を率いた2010年W杯において1-0でスペイン代表を破る。彼は試合後に「ボブ・ブラッドリーが率いたアメリカ代表を分析し、模倣したことが鍵となった」と語った。最終的に2010年W杯を制覇したスペイン代表を、ボブ・ブラッドリーの哲学が苦しめたのだ。
「スペインが大会の初戦で、本来のパフォーマンスを発揮できなかった」という程度で簡単に纏められることも少なくなかった試合だが、守備戦術における重要な分岐点でもあった。
闘将ディエゴ・シメオネが率いるアトレティコ・マドリードこそ、ボブ・ブラッドリーの概念を体現したようなチームだ。サイドハーフは中央へと躊躇なく絞り、堅牢な守備を実現する。バルセロナやレアル・マドリードですら封じ込める守備は、中央の密集が可能にしているものだ。
Simeone’s training pitch. 6 vertical zones. Flank zones very wide. Tell me about this Juego de Posicion experts… pic.twitter.com/GZLEt7a9jP
— Jeremy Hurdle (@jeremyhurdle) 2016年5月5日
興味深いことに、彼の練習場は何本かの線でピッチが区切られている。外のスペースは広く空いており、中央にDF4人分の守るべきスペースが示されている。これこそ、ボブ・ブラッドリーが思い描いた「徹底的に中央を塞ぐ守備」を選手に教え込むためのアイディアだ。
FCバルセロナやバイエルン・ミュンヘンが目の前で華麗にパスを回している間、選手達の脳内には練習場で見慣れたラインが浮かんでいるのかもしれない。何度両翼を使って揺さぶられても、彼らは徹底的に中央を崩さない。外からであれば、強靭なDFラインで弾き返すことが可能だからだ。
アトレティコ・マドリードやレスター・シティは当然、2009年に世界を驚かせたアメリカ代表の戦術よりも遥かに進んだ守備を組織している。彼らは状況によって中央に密集させた守備をボックスに近い形に変化させたり、前からのプレスを組み合わせたりすることで「能動的に」守る。
相手がボールを持っているのに、「窮屈そうにボールを回さざるを得ない状況」をアトレティコ・マドリードやレスター・シティは巧みに作り出す。しかし彼らの原点は、ボブ・ブラッドリーの哲学と繋がっているのだ。
終わらない革命家の旅路
First conference for coach Bob Bradley in US version. →https://t.co/aipj8eooAL #HAC pic.twitter.com/AjEmfD4w4P
— HAC Football (@HAC_Foot) 2015年11月12日
アメリカ代表を率いた後、ボブ・ブラッドリーは旅を続けることになる。2011年にエジプト代表の指揮官に就任すると、「アラブの春」とも呼ばれるエジプト革命が勃発。騒乱の中にあった国内に留まることを選んだことで賞賛され、政情不安などで揺れるチームを必死に纏め上げた。
結果としてW杯出場を逃したものの、勝率66.67%という好成績を残したことは大きな分岐点となる。エジプト国内では賞賛を浴び、彼を題材とした映画まで制作された。
アメリカ代表とエジプト代表での功績が評価されたことで、ノルウェーリーグのスタバエクへ。2部から昇格したばかりのチームを2年で3位に入るまでに成長させ、アメリカ人指揮官としては初のヨーロッパリーグ出場も成し遂げた。選手的な部分を考えれば制約の多いクラブチームですら、その手腕を発揮してみせたのである。彼はエジプトでの厳しい経験を、初挑戦となる欧州の舞台でも最大限に生かした。
現在ブラッドリーは、フランス2部リーグのル・アーブルの指導者として活躍している。11月に就任すると、2部でも中位を定位置としていたクラブを昇格候補に変えた。今季は結果的に1ゴールの差で昇格を逃したものの、スペイン人指揮官ロベルト・マルティネスを解任した、エバートンが彼に興味を持っているという報道もある。
様々な環境で苦労しつつ、結果を出し続けた革命家は「知る人ぞ知る名将」として評価されつつある。「アメリカ人じゃなかったら、数年前に欧州のトップリーグチームを率いることになっていただろう」と多くのコーチが語る苦労人をトップリーグの舞台で見る日が、待ち遠しくてならない。