“黒焦げの少年” 身元判明か 長崎原爆投下から71年
原爆の恐ろしさを象徴するとして長崎の資料館で展示されている全身が黒く焼け焦げた少年の写真について、「兄に似ている」と女性が名乗り出て長崎市の団体が調査した結果、この少年が当時13歳の中学生である可能性が高いことが分かりました。戦後71年になることし、ようやく身元がほぼ確定されたことになります。
この写真は、長崎に原爆が投下された翌日、旧日本軍のカメラマンの山端庸介氏が爆心地付近で撮影した「黒焦げとなった少年」の写真で、長崎市の原爆資料館で展示され原爆の恐ろしさを象徴する1枚として知られています。
少年の身元は分かっていませんでしたが、去年、長崎市で開いた写真展でこの写真を展示したところ、会場を訪れた女性が「兄に似ている」と名乗り出たということです。
このため、長崎市の平和団体で原爆写真の収集と分析をしている調査部会が九州大学大学院の法医学の専門家に鑑定を依頼して調べたところ、当時13歳で付近に下宿していた瓊浦中学校の1年生、谷崎昭治さんである可能性が高いことが分かったということです。
鑑定では少年の顔の輪郭や目の形などが谷崎さんとよく似ていて、同一人物の可能性が高いという結論になったということで、戦後71年になることし、ようやく身元がほぼ確定されたことになります。
今回、名乗り出た谷崎さんの妹の西川美代子さん(78)は「兄の遺品は被爆した水筒と傘の骨だけでした。こんな形で写真が手に入るとは夢にも思いませんでした」と涙ながらに話していました。
少年の身元は分かっていませんでしたが、去年、長崎市で開いた写真展でこの写真を展示したところ、会場を訪れた女性が「兄に似ている」と名乗り出たということです。
このため、長崎市の平和団体で原爆写真の収集と分析をしている調査部会が九州大学大学院の法医学の専門家に鑑定を依頼して調べたところ、当時13歳で付近に下宿していた瓊浦中学校の1年生、谷崎昭治さんである可能性が高いことが分かったということです。
鑑定では少年の顔の輪郭や目の形などが谷崎さんとよく似ていて、同一人物の可能性が高いという結論になったということで、戦後71年になることし、ようやく身元がほぼ確定されたことになります。
今回、名乗り出た谷崎さんの妹の西川美代子さん(78)は「兄の遺品は被爆した水筒と傘の骨だけでした。こんな形で写真が手に入るとは夢にも思いませんでした」と涙ながらに話していました。
長崎 身元不明8964人
長崎に投下された原爆では、昭和20年だけで7万人以上が亡くなったとされ、長崎市の平和公園のそばにある無縁死没者追悼祈念堂には、身元が分からないなどの理由で引き取り手が見つからない8964人の遺骨が安置されています。
長崎市は、平成2年から毎年、遺骨を遺族などに引き渡そうと、氏名が分かっている122人の遺骨について氏名などをポスターに掲示して、情報提供を呼びかけています。しかし、問い合わせは年々少なくなっていて、平成18年に2人の兄弟の遺骨が親族に引き取られたのを最後に、遺骨の引き取り手は見つかっていません。
長崎市は、平成2年から毎年、遺骨を遺族などに引き渡そうと、氏名が分かっている122人の遺骨について氏名などをポスターに掲示して、情報提供を呼びかけています。しかし、問い合わせは年々少なくなっていて、平成18年に2人の兄弟の遺骨が親族に引き取られたのを最後に、遺骨の引き取り手は見つかっていません。
広島 身元不明は約7万人
広島に投下された原爆では、昭和20年だけでおよそ14万人が亡くなったとされ、広島市の平和公園にある原爆供養塔には、身元が分からないなどの理由で引き取り手が見つからないおよそ7万人の遺骨が納められています。
広島市は毎年、遺骨を遺族などに引き渡そうと、氏名が分かっている815人の遺骨について氏名などを記したポスターを作成して情報提供を呼びかけています。しかし、平成22年に男性1人の遺骨が遺族に引き取られて以降、遺骨の引き取り手は見つかっていません。
広島市は毎年、遺骨を遺族などに引き渡そうと、氏名が分かっている815人の遺骨について氏名などを記したポスターを作成して情報提供を呼びかけています。しかし、平成22年に男性1人の遺骨が遺族に引き取られて以降、遺骨の引き取り手は見つかっていません。