といっても ”私” の微分積分法ではなく、
吉田耕作著『私の微分積分法 解析入門』(ちくま学芸文庫)のことです。この本はもともと1981年に講談社から出版され、久しく品切れ状態であったのが、今年の四月にようやく文庫として再刊されたものです。
微分積分法の本には、だいたい二種類あって、一つは実数の話であるとか

論法を厳密に記した由緒正しいもの、そしてもう一つは微分積分法の機動性を重視した本です - 最近はこの二つとは別のタイプとして一般向けと称する触りの部分だけの本も流行っているようですが、これは除いて考えることにします。最初の二つのうちどちらが良いのかは読者のニーズに依りますが、純粋数学を専攻したいのであれば、前者の本で学ぶというのが常のようです。たいていは数学者に書かせると前者のタイプの本になり、応用家に任せると後者になる傾向があるようです。本書の執筆者はと言えば日本を代表する数学者の一人であり、しかもあのヒレ-吉田の定理で有名な解析学の大家、当然吉田先生が著わした本であれば前者に違いないと思うのですが、大方の予想をはずし、本書は後者のタイプとなっています。
よく耳にする話は、高校である程度微分積分法を学んだ人が、大学に入学してより進んだ微分積分法を修め、早い時期に高度な物理学であるとか工学、経済学を勉強したいと思っていると、大学の微分積分の講義では、やれ実数の連続性だとか上限、下限、その存在証明等々の話が延々と続き、「このようなことを、時間をかけて勉強したいわけではない」と思ってしまう。もう少し何とかならないのかということです。
このような学生には、本書が適しているといえるでしょう。
しかし、じつは厳密な理論にこだわるひとにこそ、計算の重要性も説いている本書を薦めたいと思うのです。
ともかく本書の概要を、特徴的な部分に焦点を当てて紹介しましょう。
話はガリレオの落体の実験から始まります。ニュートンの瞬間速度の概念、微分、原始関数、面積、微分積分の基本定理と解説が進みます。ここで要した紙数が文庫版で正味50ページという手際よさです。この部分は深みに填まればはまる程、遅々として講義がはかどらないところですが、著者はこんな基礎的な話は軽く流しましょうね、その代わり幾何的な理解、基本的な計算はしっかり抑えておきましょう、と言わんばかりに理論をスピーディーに展開していきます。
ここまでが第I部。残り200ページあまりが第II部にあてられ、本書の神髄の部分となっています。第II部は具体的な微分積分の公式と、物理、数値計算に関する多くの話題からなっており、とにかく、わくわくしながら読み進められるところです。
まず出くわすのがニュートン法による平方根、立方根の近似計算です。本書が出版された1980年前後、ポケット電卓が普及し始め特別にコンピュータの設備や知識がなくても、数学理論に従えば

や
![\sqrt[3]{2}](http://megalodon.jp/get_contents/279382900)
の具体的な近似計算ができるようになったわけです。この機を利用して著者は、本書とポケット電卓を片手に、微分積分を学びながら実際の数値に親しみ、それにより抽象数学とは違った、数値的なある種の数学感覚を伝えたかったように思えます。
数値計算以外で印象深いのが微分の応用例の一つとして紹介されている、

の臨界点が

をみたしているということです。これは「或る商品の生産についての限界費用」を表わしているのだそうです。
もう一つ、どうしても特筆したいのがテイラーの定理。ここには
さすが解析学のプロフェッショナルと思わせるところがあります。それは剰余項の箇所です。剰余項にはいくつかのものが知られていて、たとえば
ラグランジュの剰余

コーシーの剰余
そのほか、ローシュ・シュレーミルヒの剰余などがあります。
しかし、本書で採用しているのは、あえて
ベルヌーイの剰余
じつは解析学を研究していると、さまざまな評価式を導くのにこの剰余項が他のものに比べ圧倒的に扱いやすい、少なくとも私は個人的にそう感じています。ところが、微積分の多くの教科書ではラグランジュの剰余が採用されていることが多くかながね不満に思っていたところでした。私が言うのは不遜きわまりませんがここはやはり、解析学を極めた数学者が書いた微積分の本だ、と拍手をしたい部分の一つです。
微分積分の一般的な話題のあとは、関数の各論とその応用です。はじめは対数関数と指数関数。著者は自然対数を

により定義しています。また

を

をみたす実数がただ一つ存在することを示し、その実数として定義します。この設定でさまざまな対数関数、またその逆関数としての指数関数の性質がきれいに導き出されていきます。本当にすっきりとした理論展開が光っています。
そのあと、

や

の、やはり微分積分法とポケット電卓を使った近似計算があり、それから
対数微分法に入ります。
対数微分法は微分可能な正値関数に対して成り立つ

という公式ですが、関数の正負によらず、0 に値をとることがないならば

と書くこともあります。そしてこれを念頭に置きつつ、放射性物質の半減期、発展方程式、アメーバー増殖型の微分方程式、人口変動型の微分方程式などの解法が解説されています。余談ですが、本書の中の
「原爆などによる汚染がきれいになるまでの時間は長い!」
とか
「総人口が

を割ったーすなわち

より少なくなったときには,種族滅亡の徴候であるというのである.」
といった記述を読むと、現在の諸問題が絡んでいるような、そう言うとややこじつけがましいことは否めませんが、そんな印象もちらりと現れてしまいます。もちろん本書は1981年の微積分の入門書であり、扱っている微分方程式も単純化されたものであろうことはわかっているのですが。
対数関数、指数関数の話題が一通り出そろったところで、議論は三角関数に移ります。そして2階の線形常微分方程式の解法、定数変化法が扱われますが、ここでの物理的なバックグラウンドは振動の方程式、電流の方程式です。
次の数学的な山場は数値計算、特に数値積分、シンプソンの公式です。ここで著者が「
微分積分法における双璧」と称する定積分として

と

をあげているのが極めて印象的でした。
最終章は「二次元の力学(軌道と人工衛星)」という標題で、抛物体の運動と軌跡、ニュートンによる人工衛星の予想、ケプラーの三法則の証明が扱われています。
【まとめになっていないまとめ】 まとめるという行為は多くの微細な部分を端折るものでありますが、そういう微細なところがさまざまな光を放っており、そこを省いてしまうことは作品の魅力を語らないことに等しいので、私自身は好きではありません。よく何かの講演のあと、質問の時間にいかにも秀才タイプの方が「要するに先生の理論は***ということでしょうか」と得意満面に発言する場面を目にします。少なからぬ講演者は少し困った顔をされているように見えます。大筋も重要であることは確かですが、おそらくは細部にいろいろな苦労、工夫、努力が凝らされているので、そうまとめられてははなはだ心外なこともあるのではないでしょうか。特に本の執筆に際して多くの著者は、細部にもこだわりをもっているものと推察できます。
ここでは、こういった理由でまとめを書きません。といってもこういう紹介文自体がまとめになってしまうおそれもあります。いずれにしてもぜひ本書をひもとき、細部の輝きを味わっていただければと思います。