最近、アメリカ人の日本人の友人たちの間で、
Facebookの使い方の違いに気がついたので、
今回の記事では、そのことについて書いてみます。
大学教授の友人の投稿
最近、ブログで投稿した若きヒラリーや
ミシェル・オバマのビデオは、
アメリカの大学教授の友人のFacebookでの投稿で
紹介されていたものだ。
真面目な投稿が多くて勉強になる
以前の記事でも書いたように、
私は「他人の昼飯の中身なんて聞いて何が楽しいんだ?」と思って、
Facebookが苦手だったのですが、
Facebookを頻繁に投稿している大学教授の友人たちは、
さすがに真面目な投稿が多くて勉強になります。
良質な情報サイトをFacebookで発信
また学歴や社会的地位に関係なく、
勉強好きなアメリカ人の友人たちは、
良質な情報サイトをFacebookで発信していることが多いです。
Facebookの使い方の日米比較
Facebookの使い方が、アメリカの友人たちと、
日本の友人たちでは、全然違う気がします。
学びのアメリカ人・社交の日本人
その違いを、あえて言葉にするなら、
少し乱暴な言い方かもしれないが、
アメリカの友人たちは、
Facebookを「学びの手段」として捉えているのに対して
日本の友人たちは「俺・私はこんなに幸せなのよ〜」という
見栄に使っている気がする。
日常や娯楽の投稿が多い日本人
「見栄」という言葉が悪ければ、
日本の友人たちのFacebookの投稿は、
日常生活の些細なことの報告(食事の写真など)や
こんな場所に遊びに行ったなど、娯楽性の高いものが多い。
教育的な内容が多いアメリカ人
アメリカの友人たちも旅行先の写真を載せたりをするが、
普段の日常生活のランチやディナーの内容を投稿したりは少ない。
興味をもった新聞記事のリンクなど、
教育的な内容が多い気がする。
まとめ
今回の記事では、最近感じた日本人とアメリカ人の
Facebookの使い方の違いについて、書いてみました。
私のアメリカ生活の15年間は、アメリカの大学で過ごしたので、
私のアメリカ人の友人は、高学歴の人間が多いせいかもしれないが、
Facebookに限らず、英語のブログとかを眺めていても、
アメリカでは少しずつ「インターネットは公共空間である」との
社会的合意が形成されつつあるように感じる。