第119回 菊地 哲榮 氏 (株)ハンズオン・エンタテインメント 代表取締役社長
3. 渡辺プロダクション入社後、アーティストマネージャーに
−−菊地さんは大学卒業後、渡辺プロダクションに入社されますが、やはり先輩から誘われていたんですか?
菊地:そうですね。だって学生の時から、3〜4年渡辺プロに通っているんですからね (笑)。
−−渡辺プロダクションの同期は何人くらいいたんですか?
菊地:男が私を入れて4人、女性が3人でした。その年は渡邉美佐副社長が「女性を多く採ろう」という方針だったみたいです。渡辺プロに入ると新人研修を鎌倉の円覚寺で座禅をやるんですよ。朝の4時に起きて、掃除してね。
−−それはどれくらいやったんですか?
菊地:5泊6日くらいだったんじゃないですかね。私は応援部ですから、そんな研修、屁のカッパなわけですよ。でも、私だけ笑って楽勝ではまずいから、「こんなことやらされてたまんないよな」なんて言うんですが、心の中では「楽勝だな」って(笑)。みんなヒーヒー言っているんですから(笑)。
−−ちなみに落伍者はいたんですか?
菊地:いましたね。「こんなの耐えられない」って辞めた人はいました。馬鹿らしいって。確かに馬鹿らしいんですけどね(笑)。私はこの手の理不尽と矛盾には強いんです(笑)。
−−新人研修のあとは各部署に配属されるんですか?
菊地:新人研修後、「タイガースの現場に行け」と言われたんです。タイガースは昭和42年にデビューしたんですが、私はタイガースのことを全く知らなかったんです。もっと言うと髪の長いメンバーたちを見て「ああ参ったな、大学出てこいつらのマネージャーか…勘弁してくれよ」と。最初タイガースのことを「阪神タイガース」のことだと本気で思って、「渡辺プロは球団まで持っているのか」と思っていたくらいですから(笑)。
−−それが「ザ・タイガース」だったわけですね(笑)。
菊地:それでタイガースのマネージャーをやって、旅に一緒についていきました。大変でしたけど、面白かったですね。女の子が大挙大勢でワーって来るからとにかく大変です。今でこそ、駅とか空港には勝手に入れないですが、当時は楽勝ですからね。空港なんて柵がなかったんですから、タラップの近くまで女の子が来るんですよ(笑)。
−−渡辺プロの仕事は体育会系じゃないとこなせない感じがしますね。
菊地:そうですね。かなり肉体派じゃないと無理だと思います。あと、ホテルから出られないんですよ。今だったら上手く警備がついたりして脱出して、ご飯食べたら戻ってくるみたいなことができますが、あの当時はホテルから出られない。ですから食事も何もかもホテルの中で済ませるんですが、給料1万8千円の時代に何千円もするステーキを食べるわけです。もちろんそれは会社の経費ですが、アーティストと一緒に同じものを食べますから、ビッグ・アーティストと一緒にいるのもいいものだなと思いました(笑)。
−−(笑)。
菊地:現場マネージャーをやっていて、私は地元の営業の人と揉めるわけですよ。なぜ揉めるかというと、守るためにアーティストサイドに立ちますから、アーティストからクレームが出ないように準備するじゃないですか。その準備を事前に伝えてあるのに、それをやらないとか、お願いした楽器がない、似ているけど違うとか、言っているのにやっていないから怒るわけです。で、私があまりにも怒るから、営業会社から会社の上司に圧力がかかって、半年くらいでザ・タイガースの担当を外されました。
−−きっちり仕事をしているのに理不尽な話ですね。
菊地:次に伊東きよ子さんの担当になって、それから木の実ナナさん。実は事前にうちの班でマネージャーがついていないアーティストを調べていて、奥村チヨさんは売れていましたからマネージャーがついていたんですが、木の実ナナさんにはついていなかったので、楽屋に押しかけていって「もしよかったら私がマネージャーやります」と勝手にマネージャーになっちゃったんです(笑)。
−−そういうことが許される時代だったんですね(笑)。
菊地:そうですね(笑)。そのあと、園まりさんを担当しました。今はもうないですが、当時500〜1000人規模のグランドキャバレーが日本中にあって、そういった場所を回っていくんですね。ステージは一日3ステージあって一回目と二回目の間にキャッシュを回収するんですが、それが何百万にもなるんですよ。入社して2、3年の社員によくそんな回収をさせますよね(笑)。
−−まだ23、4歳ですよね。
菊地:ええ。そういうツアーを何回かやって、あるツアーのときに園まりさんに専属のギタリストをつけて、テンポとか音合わせ用に楽譜と何十箇所分の進行表のコピーを渡して「あとは頼むな」って。
−−つまり…菊地さんはツアーに帯同しなかったんですか?
菊地:「俺は東京で仕事が忙しいし、一緒についていても仕方ないし、このギタリストに全部任すから。付き人もいるし大丈夫だよね?」って園まりさんに言ったら「はい」って感じだったんですよ(笑)。そうしてアタマ一日だけ立ち会って、そのギタリストに言い含めて、私はトンズラしちゃったんですよ(笑)。
−−(笑)。
菊地:園まりさんたちが西日本のキャバレーを回っている間、私は大阪の梅コマにいたんです。そこで「布施明ショー」をやっていて、ゲストが奥村チヨさんと木の実ナナさんで、女房と一緒にナナさんに会いに行っていたんですね。それで夜どんちゃん騒ぎをしていたら、制作部長に何故か電話で捕まっちゃって「すぐ帰ってこい! お前なんかクビだ!」と言うわけです。でも、「そこまでにはならないだろう」と高をくくっていて、会社へ行ったら制作部長から「お前、クビだから。総務部長に言ってあるから」って言うんですよ。
−−それはピンチですね…。
菊地:実は総務部長は早稲田の先輩で、その人の所に行ったら、「今忙しいんだよ。夜、雀荘にいるから来いや」と言われて、夜、雀荘に顔を出したら麻雀しているんですよ。でも総務部長はヘタで「あっ、それ切っちゃ駄目。これでリーチですよ」とか言って、私は全然反省してない(笑)。で、麻雀が終わったあとに「お前、なんかチョンボやらかしたらしいな」と言われて、「お前はどうしたいんだよ」「いや会社は辞めたくないです」と。そうしたら「人事異動だな」と言われて、新人セクションに左遷させられたんです。