ニュー・エコノミーは大量の「負け組」を生み出します。

我々は「ニュー・エコノミー」と聞くと、いま眼前に展開している、インターネット革命だけをイメージしがちですが、ニュー・エコノミーという言葉は、過去に何度も使用されてきました。

たとえば1771年、アークライトが紡績工場を作ったことは、こんにちでは「産業革命」として理解されていますが、これはニュー・エコノミーの例です。

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そこでは綿花産業が機械化されました。コットンを衣服やシーツなどにすることが容易になり、コットン製品が廉価になったので、列強は安い綿花を求めて競ってアメリカ大陸などに進出したわけです。

その次のニュー・エコノミーの例として1829年、リバプール・マンチェスター間で鉄道が開通したことを挙げることができます。

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これは「蒸気機関の時代」の到来を告げるイベントでした。鉄道網が全国ネットワークを可能とし、そこではスケールの追求がなされました。巨大な港湾、巨大な操車場、全国郵便システムが確立されたのも、このころです。

三番目のニュー・エコノミーの例は1875年、ベッセマー法が確立されたことです。

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これは「鋼鉄の時代」の幕開けです。そこでは橋梁などの巨大な構造物の構築が可能となり、地理条件の克服を可能にしました。また産業の必要から垂直統合が盛んに行われました。

四番目のニュー・エコノミーは1908年に発売された、フォードの「モデルT」でしょう。

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これは「石油の時代」の到来を告げるイベントでした。馬車は駆逐され、経済は水平的に統合され、大量生産システムが確立されるとともに企業内ヒエラルキーが発生します。

五番目のニュー・エコノミーは1971年、インテルがマイクロプロセッサーを発表したことに代表される、「ITの時代」でしょう。

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そこでは標準的な作業はどんどんコンピュータに取って代わられるようになったので、知的労働者の淘汰がはじまり、むしろ「異能」が重宝される時代が来ます。それは多人種(Heterogeneity)の時代 多様性(Diversity)の時代 変化への順応(Adoptability)の時代でもあるわけです。強いて言うなら、これらはいずれも日本が不得意なことです。経済はグローバル化し、さらに「フラットな世界」が到来します。

ちょうど機械が肉体労働を淘汰したように、いまホワイトカラーは激しい淘汰の波に洗われています。

ファイナンスの世界だけに限って見ても、たとえばロボ・アドバイザー(=資産運用のプログラム化)により証券マンは要らなくなりつつあります。

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さらにETF(=投資信託の自動運転車)の登場で、ファンドマネージャーは要らなくなりつつあります。

そしてHFT(=属人的ノウハウに依らないトレーディング)の登場でトレーダーが要らなくなりました。

これらの技術革新は、現在ある労働力と、未来に企業が必要とする経営資源との間で、大きな齟齬を生じる原因となっています。もっとざっくばらんな言い方をすれば、社員なんか要らないのです。

低スキルな社員はもちろん要らないし、たぶんかなり高スキルな社員すらも要らないでしょう。それはどんなに筋骨隆々とした逞しい人でも自動車や機械に勝てないのと同じ理由です。

実際、人材への投資ほどリターンの低い投資もありません。

「生産性が上がらない」というのは、経営者に共通する悩みの種ですが、それは9時から5時まで会社に居ただけで(きょうは仕事した)という気分になっている、勘違いも甚だしい「生ごみ」社員を抱えていれば、自ずとそうなってしまいます。

世界の中央銀行が、どんなに金利を下げ「どんどん先行投資してください」と企業の尻を叩いても、企業は動こうとしません。これは馬を川に連れて行って無理矢理水を飲ませようとすることに似ています。

企業は、「人への投資」などしたところで、ぜんぜんリターンを生まないことを熟知しているので、終身雇用などの「約束事」を交わしてしまうと、とんでもない負債(liability)を抱え込む結果になります。

それを知っているからこそ、派遣で済ませるわけです。これは合理的な結論と言わざるをえません。なにせ人を解雇すると、世間からボロクソ言われるし、無能経営者のレッテルを貼られてしまいます。しかし派遣なら、切っても無能のレッテルは貼られません。だから新卒の採用には本当に慎重になった方が良いのです。

兎に角、世の中はどんどん変わっているし、とりわけホワイトカラーの仕事に関してはネットの普及などにより「仕事の進め方」が激変しています。世界の中で日本の経済成長が最も低い部類に入るのは、日本が「ホワイトカラー大国」だからです。

いま経営者に必要なのはSaaSに代表される「持たない経営」ならびに「柔軟性のある投資計画」なのであって、社員のアタマ数ではけっしてありません。

日本企業にとって正社員の人件費は「固定費」に他ならないのであって、そうである以上、ハードウェアに設備投資する際の投資リターンのソロバンと同じように、シビアに新しい固定費へのコミットメントの是非を熟慮すべきです。

徹底的に身軽な経営に徹し、配当だけはちゃんと払う……これが現在、成功している経営者の「秘密のレシピー」なのです!


もう一度強調すると、技術革新は、それまでの労働力や既得権を駆逐してきました。歴史を振り返ると、ニュー・エコノミーは大量の「負け組」を生み出してきました。そこでは、自分のせいではないのに「負け組」化してしまう悲劇が、沢山、生まれてきたのです。

その一方でSNSに代表される情報化社会では、リア充が誰かは、いやでも我々の目に入ってきます。それと同時に、貧困は我々の視野の中から完全に駆除され、invisibleになるのです。

すると、「人知れず、ひっそりと苦しむ貧困老人」にならないようにするには、こんにちの経済が「不釣り合いなほど手厚く報奨を与えている箇所」を、しっかり見極める他、ありません。ここまで書いてきた例の中にそれを求めるなら、それは配当です。

兎に角、いまの世の中、放っておいてもディケンズの小説に出てくるような格差社会がどんどん進行しているわけだから、あらゆる手を尽くして自分がその窮地に陥ることを防ぐことを考えるべきです。

ジェーン・オースチンやアンソニー・トロロップの時代には、それは「有利な結婚をすること」でした。



いまなら、それは雇われる側ではなく、投資家の側に回ることだと僕は思います。