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魔拳のデイドリーマー 作者:和尚

第11章 大監獄と紅白の姫

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第194話 『リュドネラ』

 

 翌朝、僕は研究室にネリドラを呼び出した。

 名目は、いつも通り実験と検査だけど……本当は違う。
 昨日の夜に気付いた『あること』を確認するために呼び出したのだ。

 そのため、途中までは僕はいつも通りに検査を行いつつ……ふと思い出したような感じで、本題を切り出した。

「そうだネリドラ、昨日よく聞けなかったんだけどさ……髪と目が水色で君にそっくりな女の子のことについてなんだけど」

「……いや、だから、昨日も言ったように、わからないんですけど……」

 戸惑ったような一瞬の硬直の後、しかし昨日よりは早くネリドラの返事が返ってきた。

 呆れたような、もしくは疲れたような感じで、はぁ、なんてため息のおまけつきである。

「ホントに?」

「本当ですよ……お役に立てないのは心苦しいですけど、私……」

 そんな言葉と共に、落ち込んだような表情になってネリドラが視線を伏せた……その時。

「ネリドラ」

「? 何です……っ!?」

 ふいに名前を呼ばれたネリドラが視線を上げるのと同時に、僕はポケットに入れていたおもちゃのボールを彼女の顔あたりに向かって軽~く投げた。

 突然のことにすぐに反応できなかった練りどらの額に、ぺこん、と間抜けな音を立ててボールがぶつかり、床に落ちる。やわらかいボールだから、大して痛くないはず。

「……ちょ、あの……何ですか?」

「ごめんごめん、それ、とってくんない?」

「……?」

 驚きや困惑、その他諸々が混じった感じの表情になりながら、ネリドラはぽーん、ぽーん、と弾んでいるボールを拾って手にとり、それをこっちに投げ――

 ――る前に、ぱしっ、と僕がその腕をつかんだ。
 彼女がボールをつかみ、今正に投げようと軽く振りかぶった……左手を。

「……えっ? あの……」

「ようやく出てきてくれたみたいだね……やっぱり鍵はあの幽霊の話題だったか」

「……? あの、何を言って……」

 
「……ねえ、君は誰?」

 
「! ……どういう意味ですか?」

「君……ネリドラじゃないよね?」

「っ!?」

 瞬間、明らかに目の前の少女の顔が強張った。

 ネリドラ、とは呼ばない。
 今僕が捕まえているこの少女は……彼女じゃないからだ。

「……あの、何を言っているのかよく……」

「ネリドラは右利きだよ、誰かさん」

「!」

 はっとしたような表情になって、少女は自分の手を……僕につかまれている左手を見た。
 今正に、投げ返そうとしていたボールが握られている手を。

 左手でボールを投げる。それは考えるまでもなく、左利きの人間がやることだ。

 だが、ネリドラの利き腕は右だ。左利きじゃない。

 これは間違いない。昨日のうちに、クロエにも確認してある。

 雑居房でクロエを看病した時は、ハンカチを右手に持ってクロエの汗を拭いてくれていたそうだし、刑務作業中も細かい作業は右手で行っていたそうだ。食事をする時、ナイフを右手、フォークを左手に持ってたところや、右手でスプーンを持ってスープを飲んでいたのは僕も見ている。

 僕は彼女の手を離すと、デスクに置いてある資料の中から1つを選んで拾い上げた。
 それは、ちょっと前にネリドラが提出してくれた、日課のレポートの1つ。

 その中の1枚の、日付のところを指差して彼女に見せた。

「これ、インクが左から右にこすれて伸びちゃってるでしょ? 左利きの人が、乾きの遅いインクを使って左から右に文章書いたりするとたまにこうなるんだけどさ……ネリドラは右利きだから、普通こんなことにはならない。実際、こうなってるのはこの一枚、この部分だけだったしね」

「…………」

「それに昨日も君、食堂から帰る時、テーブルの上の本を左手で拾ってたよね? だけどその直前、食器を片付けてる時に見た、トレーの上のスプーンの向きは、柄が右側……右利きの置き方だった。だから思ったんだ、その2つの間に入った『青い髪と瞳の女の子』の話題が鍵だって」

 この話題を出した時、ネリドラの身に何かが起こったのだ。昨日も今日も。
 そしてそれを確かめるために、僕は今、ボールを使った。利き腕を確認するために。

 それを話すと、途中から無表情の中に少しの不安さを含ませたような表情になっていた『彼女』は……さっきとは違った感じで『はぁ』とため息をついた。

 そして、

「最初からこのつもりだったのね……嫌な予感はしたんだけど、当たっちゃったな」

 そう言って、にっこりと笑った。イタズラっぽい感じで。
 正に、イタズラのばれた子供が、『ばれちゃった♪』とおどけてみせるように。

 この事実に気付いた時、僕は、いくらなんでもまさか、という思いを禁じえなかった。

 何せ、『剣と魔法の異世界』とは別の意味で夢物語、フィクションの中でしか見たことがない……しかし確かに実在する『あること』が、ネリドラに起こっているというのだから。

「……もう1度聞くね。君は、誰? いつからいるの? どんな時に出てくるの? ネリドラは君のことを知ってるの? っていうか、君が出ている時の記憶は……」

「質問増えてるわよ。もう……まずはそうね、名前かな」

 僕の問いに、さっきと同じ……観念したような『やれやれ』って感じのため息をつくと共に……彼女は、こう答えた。

「……『リュドネラ』。それが私の……もう1人のネリドラの名前よ」

 コレを聞いて、僕は『やっぱり』と思った。確信した。僕の予想が正しかったと。

 

 ネリドラ・プエロトニコワは…………『多重人格』なのだ。

 

 ☆☆☆

 ネリドラは右利きだ。しかし、たまに左利きになる。

 普通、人間の利き腕が生活している中で変わるなんてことはない。両利きで、気分で使う腕を変えるとかそういう人でもない限りは。

 しかし、1人の人間が利き腕が一時的に変わってしまうというケースがないわけじゃない。

 その1つが、人格の交代……いわゆる『多重人格』によるものである。

 説明の必要があるかどうか微妙だけど、日本人なら『多重人格』って言葉くらいは聴いたことがあるだろう。マンガなり小説なりで、昔から用いられてきたネタだから。

 その名の通り、1人の人間に2つ以上の人格があり、それが何かの拍子に入れ替わる。人格ごとの性格が違ったり、記憶が独立していたりすることで、様々な問題が起こたりする。

 学術的な解釈になると、その人格は決して全くの別人が1人の人間の中に宿っているわけじゃなく、確かにその人間の『一部』であるとかいう説明があったはずなんだけど……そこまで専門的に覚えてないのでその辺は飛ばさせてもらうとする。

 さて、1人の人間の中に別の人格が生まれる際には、必ず理由があり、そしてその人格には『役割』がある。

 例えばよくある話だと、虐待が原因で別な人格が生まれた場合、その別人格は虐待が行われている間に表に出てきて、その苦痛を引き受けたりする。主人格への負担を減らすために。
 まあ、その結果危険な性格の人格として成長したりすることもあるみたいだけど。

 そして、ネリドラの別人格……『リュドネラ』の場合も正にそうだったようだ。

 ネリドラは名門『プエロトニコワ伯爵家』の令嬢として生まれてきたものの、生まれてすぐに母親が死に、父が迎えた再婚相手――いわゆる継母ってやつか――と一緒に暮らしてきた。
 けど、その継母がまたテンプレ的に嫌な性格をしていたらしい。

 その後自分が生んだ、ネリドラにとっては腹違いだが弟・妹にあたる子供達を露骨にひいきしてかわいがった。父は仕事でほとんど家をあけていたため、ネリドラは家の中で孤立した。

 直接的な暴力を振るわれたりすることこそなかったものの、バカにされたり、無視されたりすることも多く、しまいには付き合いのある他の貴族家からもそうに見られることが多くなった。

 友達と呼べる者もおらず、孤独だった。親が決めた婚約者はいたものの、家と家の付き合いだけの関係であり、6歳になるまで会ったこともなかったとか。

 そんな彼女の心の中に、いつの間にか、誰も知らない話し相手が生まれていた。

 彼女が心の中に生み出したもう1人の自分『リュドネラ』は、確かに1つの人格として確立していた。誰にも姿は見えず、声も聞こえずとも、ネリドラのただ1人の友達であり続けた。

 間もなくしてネリドラがその才能を開花させ、百年に1人の天才とまで呼ばれるようになってからも、リュドネラはネリドラと共にいたそうだ。

 継母はネリドラの優秀さに気分をよくし、今度はネリドラの機嫌をとろうと露骨にひいきするようになり……相手にされなくなった妹達からは逆恨みの視線が飛んできたりした。

 貴族達にもてはやされるようになり、親が決めた婚約者が頻繁に顔を出すようになったものの、自分そのものを見てくれているわけでは無いことをネリドラはわかっていた。

 飛び級でどんどん上に上がっていったネリドラには同年代の学友など当然おらず、それどころかその才能に嫉妬する視線があちらこちらに。ここでもネリドラは孤独だった。

 だからこそネリドラは、リュドネラとずっと一緒にいた……あの事件が起こるまでは。

 ネリドラが、体目当てで襲ってきた貴族を劇薬で返り討ちにしてしまい、罪に問われたあの一件……この件に実は、リュドネラが絡んでいたらしい。

「詳しくは省くけど……あの時ソルドゥ侯爵を返り討ちにしたの、私なんだ」

「は?」

 ソルドゥってのは、加害者兼被害者の悪徳貴族の名前みたいだけど……どういう意味だ?

 そう聞くと、思い出しすように虚空を眺めながら、リュドネラは説明を続ける。

「ネリドラってば、あの貴族に襲われた時、恐怖でパニック起こして動けなくなっちゃってね……このままだとまずかったから、とっさに私が表に出たの。もっとも、ネリドラの代わりに体を動かすなんて初めてだし、出来るのかすら微妙だったんだけど、上手くいった」

「リュドネラが代わりに抵抗したのか。で、劇薬を?」

「あー、うん、そのへんの話はちょっと省くね。ともかく私、その時暴れたんだけど……その時を境に、ちょっと厄介なことになってね……」

 厄介なこと? 何だろう?

「……ネリドラが、私のことを忘れちゃったの」

「……え?」

「私の存在も、それまで一緒に過ごしてきた記憶も全部、ね。それだけじゃなく、それまでみたいに心の中での対話も出来なくなったし、もちろん私が表に出ることも出来なくなった。私は彼女の中に取り残されて、完全に1人で、ネリドラを見守ることしか出来なくなった……」

 視線を伏せ、さびしそうに言うリュドネラ。

「多分、苦しい記憶から少しでも逃れたくて、無意識のうちに私を切り離したんだと思う。あの男に反撃したのは、ネリドラじゃなくてリュドネラだからね。でも、その部分だけ切り離すことが出来ずに、私と私に関する記憶全部切り取っちゃったみたいなの」

 奇しくも……『解離性障害』のよくあるパターンの1つになったわけだ。何かの苦痛を別人格に肩代わりしてもらうことで、主人格の負担を軽減する、っていう。

 リュドネラの記憶を自分が『いらない』と判断したネリドラは、その記憶とそれによって降りかかる苦痛から逃れるために、記憶ごとリュドネラを切り離したというわけだ。
 そうすれば、自分はその男を傷つけたという苦痛にさいなまれなくて済む。

「あの頃、ネリドラは頭がよくて優しくて大人びた感じの子だったけど、根っこの部分はちょっとまだ子供だったからさ……やっぱつらかったんだよ」

「他人を傷つけたことが? 手出してきたのは自分なのに?」

 その貴族、別に死んだわけでもないんでしょ? ネリドラの罪状、『殺人未遂』だったし。

「冒険者の価値観で考えてもらっちゃ困るわよ。この子も一応貴族として、箱入りのお嬢様として育ったんだから、荒事に耐性なんかないもの。それに……相手の貴族、全身の皮膚がグズグズに溶けてかなりグロいことになってたし」

「……え、マジで?」

「うん、マジ。あれはちょっと、直接見たら冒険者だろうと正規軍の兵士だろうと食欲失せるわ。臭いも含めて体験しちゃえば、しばらく肉食べられないくらいには確実になるわね」

 結局その後寝たきりになったらしいけど……ホントにどんな薬使ったんだろう? 硫酸とか?

 それでね、とリュドネラは続ける。

「そんな感じで5年ほど経ったわけだけど……最近になって、私がまた表に出られるようになってきたの。どうして急にこうなったかはわからないけど。時期的には……2ヶ月くらい前かな?」

 その頃から、リュドネラはごくまれにネリドラに代わって表に出てきて、かげながら色々とサポートしていたらしい。

「けど同じ頃から……ちょっと厄介なことが起こり始めてね」

「厄介なこと? また?」

「……ここ最近、ふとした表紙に、ネリドラが思い出しそうになるのよ……昔のこと」

 昔のこと、って……事件のことか。

「そう……せっかく忘れてたのに、なんでか蓋が緩んじゃったみたいでさ。自然に戻ったりすることは無さそうなんだけど、ふとした拍子に、ってのが何回かあってね……昨日のもその1つ」

「……青い髪の女の子の話題?」

「そう……小さいころに、姿の見えない私の容姿を『青い髪と瞳の自分』って脳内設定してたからね、あの子。精神の世界であなたに会った時に私がそう見えたのは、きっとそのせい」

「なるほどね……そりゃごめん、迂闊だった。てか、あの幽霊やっぱリュドネラだったんだね」

「そうよ。何事かと思ったわよ……まさか精神の世界?に連れ込まれるなんて」

 そして、ネリドラの『幽霊』の正体が別人格であるリュドネラだったということは……今聞いた話を加味して考えてみても、やっぱり白夜病の病原は……

「ねえ、ミナトさん……あなたが何かのために一生懸命になってるのはわかってる。ネリドラの中から見てたから。でもできれば、この子の過去に触れるようなことは、極力しないでほしいの」

 考え事に集中しそうになったところで、ふと、さっきまでよりも真剣みの増した、思い感じの声で、リュドネラが僕に話しかけてきた。真正面から、目を見て。

「逃避、って言われちゃえばそれまでだけど……この子が今、心が無事でいられるのは多分、あの時の記憶を私がほとんど引き受けてるからなの。もしそれを思い出してしまったら……あの子はきっと苦しむことになると思う。今は私がなんとか防いでるけど……」

 聞けば、さっき言ってた『サポート』の1つが、ネリドラが記憶を取り戻さないようにすることなのだという。

 ネリドラの記憶、あるいはトラウマを刺激するようなことが起こったと同時に、リュドネラがネリドラの人格を押しのけて表に出ることで、それらに関する話その他を引き受ける。そしてひと段落着いたら、タイミングを見計らって主導権をネリドラに戻す。

 その際、以前同様リュドネラがらみの記憶は自動的にシャットアウトされるし、前後の記憶がちょっとあいまいになるそうだ。だからごまかしが効くらしい。

 僕がさっき見せたレポート。あれも、ネリドラがふとした表紙に自分で過去のことを深く思い出そうとした時にリュドネラがストップをかけ、その時に『あ、この子名前書き忘れてるじゃん』とばかりにおせっかいを焼いた結果なんだそうだ。

 しかし、リュドネラはネリドラと違って、なぜか左利きである。
 普段はそこにも気を配ってるんだけど、ふいに体を動かしたりすると左手を使ったりしてしまうんだそうだ。あのインク跡とか、さっきのボールの投げ返しみたいに。

「……だから、そっとしておいてあげてもらえませんか? ……お願いします」

 すっくとソファから立ち上がり、90度以上、後頭部が見えるくらいに腰を折り曲げて、リュドネラは僕に懇願してきた。ネリドラの心の平穏を守ってあげてほしい、と。

 それを見て、僕は……ふと思ってしまった。

(……似てるなあ、この2人)

 ……顔とかそういう意味じゃもちろんない。

 ネリドラもリュドネラも……自分が大切に思う人のために、ためらいなく意見を出したり、頭を下げたり……時には、自分に被害が及ぶことも承知で行動を起こしたりする。
 かつてネリドラはクロエのために、リュドネラは今こうしてネリドラのために。

 本当に……見ていてほっこりするというか、安心できるというか……いい子だなあ、2人共。

 ……けど、

「……ごめん、それは……ちょっと約束できない」

「っ……!」

 頭を下げているせいで見えないけど、リュドネラの表情が強張った気がした。

「……それは……それがお仕事だから?」

「それもあるけど……あー、そういやまだ、僕がどうして君……リュドネラを表に出て来させたのかって理由、話してなかったよね? ちょっとそこに関わってくるんだよ」

「……?」

 今度は顔に困惑を浮かべ、リュドネラは『いいですか?』と断って再びソファに座った。

 それを待って、今度は僕が説明することにする。
 僕が今日、彼女――別人格・リュドネラを呼び出した理由を。

 さっきチラッと言ったけど、『白夜病』感染者の全員に、精神世界で『幽霊』の存在が確認できた。そしてその幽霊は、感染者が失った種類の感覚を持っていた。

 そして今さっき……その『幽霊』の正体が、感染者の『別人格』であることが明らかになった。ネリドラの精神世界で見つけた、リュドネラへの確認によって。

 ただし、ネリドラ以外の幽霊アレらは多分、乖離するまでには至っていない、別人格もどき(・・・)とでも言うべきものだろうと思う。自我は無いし、独立した人格も記憶も何も持っていない。当たり前だけど、本人にすら存在を認知されていない。

 過去のつらい記憶・経験によって、形成されかけたなりそこないの別人格なのだ。多分。

 だからこそ、声をかけても反射的にこっちを見たりするような反応しか示さなかった。

 しかしリュドネラは違う。自我も記憶も固有のものとして持っているために、あの精神世界で表情を変えたり、豊かな反応を見せた。声を出して会話するまでは出来なかったようだけど。

 しかし、そんななりそこないの人格こそが、僕の見立てでは……『白夜病』の根源だ。

 簡単に言ってしまえば、こいつらが本体の感覚を奪っているのである。いやまあ、自我も何もないんだから、奪っているって言い方は変かもしれないけど、結論を言えばとにかくそうなのだ。
 正確には……本体の感覚が本体に伝わらず、こっちの『別人格』に伝わってしまうのだ。

 例えば……ネリドラとリュドネラで説明してみよう。

 本体であるネリドラが目の前にある景色を見る。本来ならそれによって得た情報は、神経やら何やらを通って10割ネリドラが知覚する。

 しかし『白夜病』にかかると、このうち何割かが『別人格』であるリュドネラに渡ってしまう。例えば10のうち2がリュドネラに行くとすると、残り8しかネリドラは知覚出来ない。

 この症状がだんだん進み、感覚におけるネリドラ:リュドネラの比率は7:3、6:4とだんだん逆転していき……それが0:10になる、すなわち別人格に感覚を100%奪われてしまうと、本体は感覚を失ってしまうというわけだ。これが、白夜病のメカニズム。

「……じゃあ、あなたが私を表に呼び出して接触を試みたのは……ネリドラの病気の治療に、私の協力が必要だったから?」

「そう、そして……治療の方法は、今んとこ、3つ考えてある」

 びし、と指を3本――人差し指、中指、薬指を立てた左手を、リュドネラの目の前に出す。

「1つ目……別人格から、奪われている感覚を切り離して本体に戻す」

 薬指を折り曲げながら、1つ目の説明。

 精神操作系の魔法と、精神に干渉する作用のある魔法薬を使えば、可能だ。

 ただし欠点としては、別人格がそのままなので、何かの拍子に再発の危険がある……ってとこか。感覚を切り離した後、そのまま消えてくれる可能性もあるけど。

「2つ目……別人格そのものを消し去る」

 2つ目の説明。中指を折り曲げながら。

 これも、魔法薬と精神干渉で可能だ。
 ただし、1つ目よりもちと術式が難しくなりそうな見込みだけど。

 2つの提案を、リュドネラは身を強張らせながら神妙そうに聞いていた。
 当然だろう……僕はつまり、『白夜病』を治すには、何らかの形で『別人格』から感覚を奪い返すことになると、犠牲を強いるということをいってるんだから。

 すなわち……ネリドラのために、リュドネラに犠牲を強いることになる、それを覚悟しろと。

 そして、そんな僕の言葉を聴いて、恐怖と不安からだろう……小刻みに体を震わせる彼女を見ていて、僕は……

(……やっぱ話す順番逆にしといたらよかった……)

 反省していた。
 リュドネラに、いらん心配をさせたことに。

 というのも、この1つ目と2つ目の治療法は、その他の『白夜病』患者に使おうと考えている方法であり……リュドネラに使うつもりは無いからだ。色んな理由で。

 もちろん、その中にはリュドネラに犠牲を払わせるのが嫌だってのもあるけど、メインは……

 ……ともかく、そんなわけでリュドネラには、『3つ目』の方法を使おうかと思っている。というか、最初からそう決めていた。
 そしてこれこそが、今回僕がリュドネラとの対話を望んだ最大の理由。

 にも関わらず、僕がなぜこんな風にそれを最後に持ってきて、意地悪にもリュドネラの恐怖心をあおるような真似をしたのかと言うと……だ。

 ……『3つ目』は、別の意味でやばい案なのだ。『否常識』と言っていい。

 これを最初にもってくることは、何と言うか、ためらわれたと言うか……

 上手く説明できないけど、ともあれ、僕は最後の1つの案を、残った人差し指を折り曲げながら、リュドネラに話した。怖がらせたことは、もちろん謝りながら。

 すると……

 
「………………」

 
 あ、フリーズした。

「……もしもーし、リュドネラー? 戻ってきてー?」

 ひらひらと目の前で手を振ってみる……しかし反応は返ってこない。

 彼女が放心から回復したのは、たっぷり1分ほども後のことだった。

 ☆☆☆

 ミナトがここに来て過去最大最凶最悪クラスの『否常識』のプランをリュドネラに打ち明け、それによってリュドネラがフリーズしていた……ちょうどそのころ、

 監獄の別の場所……オフィス区域にある大き目の会議室に、この監獄にて要職に就いている者たち全員が集まっていた。

 監獄所長、ジャック・エイジス。
 副所長、ミーシャ・ドミニク。
 女子看守長、アリス・カラドール。
 男子看守長、ゾルダー・ヘルメス。
 事務総長、ルドルフ・ファーマウンド。

 そのうちの1人、事務総長ルドルフが、会議の進行役を務めていた。

「……というわけで、予定よりも早く物資輸送用の龍車が来ることになりましたので、急ではありますが明日から準備を進めたいと思います。許可いただけますでしょうか?」

「許可する。迅速にとりかかれ」

「はっ、そのように」

 所長であるジャックの低い声に、ルドルフは頭を下げて了解の意を示し、手にしている資料をまた1枚めくった。

「では、本日の定例会議の議題は以上で全てとなりますが、何か他にありますでしょうか? ……なければ1つ、私からよろしいでしょうか?」

 いつもならば『では以上で定例会議を終了と……』と続くその場面で、ルドルフが切り出した新たな議題に、他の4人の視線が集中する。

 その中心でルドルフは、おほん、と咳払いを一つすると、

「ここ最近、囚人たちの間でどうやら妙な噂があるようなのですが……皆様ご存知でしょうか? 近々囚人たちが、集団脱獄のために暴動を起こすとか何とか……」

「はい!? ちょ、何すかそれ!?」

 驚きを隠そうともしない、それどころかオーバーなくらいのリアクションをとるミーシャに対し、他の3人……ジャック、アリス、ゾルダーは、ぴくっと眉を動かしたり、眉間にしわがよる程度。
 しかし、同じようにルドルフの話題に対して興味を示しているようだった。

「……無視することはできませんが……にわかには信じがたい話でもありますね。信憑性はどの程度なのですか、事務総長?」

「いえ、そこまで深刻なものでは。正直、私も根も葉もない噂だと思っています。ただ、今は時期が時期ですし……ここにいる皆様はご存知の通り、最下層にはリンスレット殿下がおられます」

「……根も葉もないなら、議論する必要はないのでは?」

 と、アリスの真向かいに座っているゾルダーの口から、やや乱暴というかぶっきらぼうな感じの口調で、そんな反論。
 相手が事務総長だからか、ミナト達を相手にした時にはなかった敬語を使っている。

「時間の無駄ですよ。仮にその噂通りに脱獄を企てる馬鹿が出たところで、現状の警備体制で十分鎮圧できます。そもそも、囚人共にそんな度胸があるかどうかなど疑わしい」

「ええ、私もそう思っておりますとも、ヘルメス看守長。しかし、警戒は必要ではないでしょうか? 噂とはいえ、それにあおられて本当に暴走する囚人が出ないとも限りませんし……どうでしょう? ここは1つ、念には念を入れては」

 そう言ってルドルフは、会議資料の1つである警備の配置予定図にペンで何やら書き込み始めた。
 あらかじめ書く内容を考えていたのか、すぐに記入は終わり、それを全員に見える位置にもってくる。

 それを見て、所長のジャックが一言。

「……監獄内部の警備を強化するのか?」

「はい。実施するにしても一時的にではありますが、十分かと。聞いた話では、ミナト殿の特効薬作りはいよいよ終盤にあるとか。それまで、いっそ試験的にやってみるのもよいかと」

 ルドルフの提案は、監獄外部の警備に当てている警備兵の数を減らし、その分監獄内の警備を厳重にする、というものだった。ミナトが薬を完成させる=リンスレット王女がここを出るまで、という期限付きで。

 警備が厳重になっていることをいっそ露骨に囚人に示すことで、実際の警備能力の強化はもちろん、問題行動の事前の抑制につなげる、という案のようだ。

「警備シフトの変更……実施は明々後日からとは、急ですね」

「ご苦労をおかけします、カラドール看守長」

「……徒労に終わると思いますがね」

「警備が徒労に終わるのははある意味理想的な結果ですよ、ヘルメス看守長。ご了解いただけませんか?」

「俺……私ではなく所長に聞いてください。ここまでのシフト変更は俺に決定権はないです」

「……構わん、許可する」

 それに応える形で、ジャックがそう言った。

「だが、変更規模はこの半分だ。それ以上の変更はシフトを組み、説明を済ませる上でもスケジュール上無理が出る。正式な起案書を明日の正午までにまとめて提出しろ」

「はっ、ではそのように……」

 
 会議終了後、所長のジャックと副所長のミーシャは、予定があるからと早々と部屋を後にした。

 残る3人もてきぱきと片づけを進めていたが、そんな中、ルドルフがアリスに声をかけた。

「カラドール看守長、少しいいかな?」

「はい、何です?」

「うむ、以前話した『サナトリウム』とやらの視察の件なんだが……どうやらその前に研究とやらが終わりそうだからね、行わずに取りやめ、ということでいいかな?」

「そうですね……すいません、お返事もできないままに」

「いやいや、それも仕方ないさ、杞憂で終わるならそれが一番いいしね。それよりも……少し、耳に入れておきたいことがあるんだが……」

「はい?」

 近づいて、耳打ちをするように子度柄で話すルドルフ。

 その様子を、机を挟んで向かいの席を丁度立ち上がったところだったゾルダーが一瞥し……一秒にも満たないような短い時間だけ鋭い視線を向けていたかと思うと、2人を部屋に残してそこから立ち去った。

 
 
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